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Grand Road ~グランロ-ド~  作者: てんもん
第七章 ~ On the Real Road.~
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第十一話 『崩壊前夜 〜風〜』


「おのれ……おのれぇッ!」

 街を形作る巨大な三重の城壁、その最も内側の壁の上部に造られた道がある。

そこは境界。そこより内側に住んでいる者は、限られた僅かな者―――貴族の中でも特に大きな権力を持つ者達だけだ。

 大戦後の人類が築き上げた最大の都市、半径10㎞を超える巨大な首都の、その最奥。そこは、めぐらされた街壁の最後の砦だ。

 中心である宮殿から半径500m足らずの狭き箱庭。その範囲内をすっぽりと囲み一際高くそびえている鋼鉄の壁は厚さだけでも20mを超え、その重厚さで広大に広がる市街を高みから見下ろしている。鈍いメタリック色の反射光が、市民達の闊歩する街路を隅々まで睥睨し、街中に日差しとともに注いでいた。

 最大を誇る都市の奥地だけあり、さしもの巨大な怪物たちの襲撃も、ここまではまだ届いていない。

 その壁道の外縁部をひとり、怒りで顔をどす黒く染めたハイデマンが歩いていた。

「なぜだッ!? なぜこの私があのような辱めを受けなければならぬのだ……クソッ!」

 ハイデマンは先ほどまで自分のいた宰相の屋敷を振り返り、眺めた。城壁の上から見ても、さらに頭ひとつ高くそびえ立つ巨大な屋敷。近くに並んでいるせいで、やもすると皇帝宮ですら見劣りする錯覚を覚えるほどに高く、豪奢だ。その全てが、建て前では帝政を敷くこの国にあってなお、真の支配者は誰かということを、すべての民に知らしめようとしているかのようだった。

 大きく舌打ちしたまま早足で、屋敷の奥の隠し部屋での出来事を反芻しながら彼は、隠しきれない憤りをぶちまける。通り過ぎざま等間隔に設けられた駐屯所の壁を何度も蹴り、叩いた。何度も、何度も。

 普段ならそんなことをしようものならすぐさま衛兵が飛び出してくる行為だ。が、さすがに今日は誰も出てこない。ほとんどの兵が市街の混乱収拾のために出払っているのだろう。

(フン、怠慢だ、あとで兵長どもにきつく言っておかねばならんな!)

 それが分かっていて蹴っているのに、全てを他人のせいにして、暗い愉悦に何度も浸る。

 どこまでも偏狭で鬱屈した精神の持ち主だった。己れを変革しようとか高めようとかまるで思わない。そんな人間だからこそ、今日この日、この場所の異変に気付けない。

 何も深く考えないハイデマンは自己の存在の途切れ目へと進んでいく。

 いつもは誰か兵士が歩いている場所に誰もいない。それは市街の混乱と敵への対処の為なのだ。

 そうに違いない。それ以外の理由で兵がいなくなるはずがない。それ以外の原因があるとは露ほども思わない、疑わない。想像力の欠片も無い。先ほどから誰ともすれ違わず、辺りに誰一人として存在しない現状を、異常と考える事すらできない。たとえ命の危険が迫ろうと、目の前で起きている現実として認識することが一片たりともできはしない、危機感という本能を無くした子供。それがこの男、いや―――それがこの国を蝕む貴族という存在たちの実態なのだった。

(……くそ、くそくそくそッ、おのれおのれおのれおのれ! どいつもこいつもゴミのくせにゴミのくせに私をイライラさせおって!)

 蹴り上げられ、怒りをぶつけられた壁に音が響く。完全な八つ当たりによる怒りと、貴族として日常の恵みと安全が当然与えられると何の根拠も無しに信じている馬鹿さ加減。

 それらが交じり合ったものに苛まれたまま、当たり前に、生まれた時から享受し続けてきた恩恵故に、彼は本能も警戒心も呼び起こせない。起こすだけの想像力がない。

 本能を忘れた事。それが、彼にとっての最大の不幸、致命傷だった。

(そうだ、あの小僧だ……あいつがいた! あの甘い小僧なら、ファーレンフィストの小倅を連れて行き見せつけてやりさえすれば、必ずいうことを聞く、聞くはずだ! 奴の秘密や情報のすべてを手に入れることができれば、あんなクソジジイなどに頼らずとも、一足飛びにナーガの代わりに皇帝あのガキのお気に入りにだってなれるではないか! そうだ!それがいい、どうして今までそれに気づかなかったのだろう? フ、フフッ、ハハハッ)

 何度も何度もつま先が痛くなるほど蹴り上げてから、ようやく小走りで歩き出す。時すでに、辺りは薄暗くなり始めていた。いつの間にか周囲の世界が完全に変質してしまっていた事に、彼は最後まで気づくことができなかった。


 唐突に目の前に影が落ちた。

 影が近づいてきたことに直前まで彼は気づけなかった。

 それは人の形をしていた。辺りの虫がぷつりと鳴くのを止めた事に彼は気づけなかった。なぜか顔が見えない。風が止み空が歪んだ事に気づけなかった。怪訝しな気配に気づけなかった。今はまだ陽の出ている時間のはずだった。光の方向がおかしかった。影の方向がおかしかった。なぜかおかしな方角から来る逆光のせいで、うまく相手の顔を見られなかった。

 その瞬間、世界は何もかもがいぶかしかった。いつもの夕焼けとは何もかも違っていた。夕焼けの時刻ではない夕焼けが鮮やかだった。だがそれでも、男は最後までおかしさに気づく事ができなかった。

「ん? 誰だ貴様は! 無礼であろう、そこを退かんか!?」

 自らが優位に立っていると信じる者の言葉で怒鳴る。微かに声が震えていた。本能の欠片が僅かだけ訝しさを感じたのか。だが彼はそれを無視した。そんなはずはあり得なかった。

 彼がこの国の最奥の道端で、たった一人の人間に恐怖を感じる事などあり得無かった。だから無視した。なのに、逆光の眩しさを腕で遮りながら、なぜだろう?声の震えを止めることができない。

 彼は知らなかった。腹をすかせた猛獣にいきなり出くわした者が感じる感覚と同じものを、いま自分が感じているのだということを。

 人影が近づいてくる。ゆっくりと、だが、確実に近づいてくる。

「……来るな、それ以上近寄るなッ! 止まれ!止まらぬか命令だぞ! 貴様……おのれ、この私を誰だと心得るか! 我こそは……クッ!」

 意思とは裏腹に身体が強張る。わずかに残った本能で悟る。あれは、恐怖だ。ゆっくりと、確実に。一歩、一歩近づいてくる。動けない。動けない距離にまで来てしまっていた。足が張り付いたまま地面が凍りついているかのよう。気のせいだ。気のせいだ。あり得るはずが無い。早く動け、早く動け、動け、動け、早く、早く!!

 目の前に来た。手の届く距離。なのに顔が見えない。闇が口を開けていた。そいつの手が静かに上がる。顔のそば。止まる。大きくなる。大きくなる。目の前いっぱいに手のひらだけが広がってゆく。

『こ奴でよいか。素材は悪いが、贅沢は言っておられんのでな』

「な、なんの、ははは話、だ……ぶぶぶ無るぇ者……っ!」

 ようやく出た声は、本人の意識とは裏腹にか細く震えていた。

『ほう? 腐っても上に立つ者、という訳か。いまだ声が出せるとは。いいだろう、思ったよりは良い駒になるやもしれぬ。では、さらばだ。死ぬ前にその体、我が役に立てるがよい』

 闇色の手が顔に張り付いた。ズブリと沈む……何かがめり込んでくる。頭部の中にめり込んでくる。皮膚も骨も貫通して入ってくる。なのに痛みがまるでない。ハイデマンはようやく悟った。自らが命の危機にさらされていることに。もうあと数秒でおのれの生命が消え去ることを。

 湿った音を立てて進む見知らぬ者の指先が、彼の頭蓋を通り抜けた。

 恐怖の悲鳴が、ようやく上がった。

「ひ……ひぃっ! う、……うわあああああぁっぎゃあああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……………!!!!!」

 生まれて初めて喉が潰れるだけの声を出した。そこまでが、彼の認識した最期の刻のすべてだった。


       ◆  ◆  ◆


「くっ……いつの、間に…………」

 ナーガは意識が飛びそうになりながらも、精神力だけで耐え抜いていた。本体である精霊体にかけられた負荷は、もはや生命体の限界を超え始めていた。

 不覚だった。まさか今の時点で自分が狙われるとは考えていなかった。

 あまりの痛みで意識が飛びそうになる。ナーガをして、今すぐにでも負けを認めて楽になりたいと思うほどの苦痛。だがここで負けを認めれば、精霊体である自分はもはや、永劫の後に消え去るまで己れの意識を取り戻すことはできないだろう。そればかりか、敵の駒として利用するだけ利用され、仲間を苦しめるためだけの存在として使われるに違いない。

 目の前に見えている者の存在が、その危惧が気のせいではない事を示していた。

『成る程、さすがこれまで我を苦しめてきただけのことはある。この体の持ち主に与えた数倍レベルの苦痛を与えているのだが、この程度では精神が堕ちることはないようだ』

「当……たり前のことさ。そんな精神的小男、と、比べないでもらえるとありがたいね、失礼だ。そ、それにこのナーガともあろう者が……あなたのような、引きこもりストーカーの、弱虫で自意識過剰な、被害妄想執念蛇男などに……どうしてく、屈服しなくてはならないんだか……恥とおのれの器を知るべき、だと思うけどね。あ……なたなど、5百年も前の誰も知らないカビの生えた恨み事を、延々グチ抜かし続けてるだけの、愚か者の亡霊、じゃないです、か……がぁああっ!」

 意識にかかる負荷が増大した。

「は、はは、……図星、を、指されると腹を立てるのは……あなたが嫌っている『人間』とまった、く変わりありま、せんね……いやは、や、どちらかというと人間の平均よりもずっと、お前の方……があああああああ!は、は、はは、情けな、ははははははは、笑え……ぎ、がああああッ!」

『黙るがよい』

 先ほどに倍する負荷をかけられ、さすがに声が出せなくなる。だが、

(ぐううううッ! し、かし、この相手にも、感情を攻める戦法が結構通用する事が分かったのは、収穫……ということか、な。なんとかうまくコントロールできれば……)

 考えを悟られないように意識の隅を断片化して思考する。そのまま思考を続けようとした矢先だった。

『丸見えだぞ。愚かな小僧の考えそうな拙い手だ』

 揶揄混じりの思考がナーガのコアを貫いた。

「ぎ、ぁああああああぁああああぁああぁあああ……ぐぅッ!」

 見抜かれていた。優越感と尊大さを合わせた声が意識の中で響き渡る。

『愚か者。お前はその程度の存在なのだよ。思考すらすべてが我が手の中の内。どこまで行ってもお前は我を越えられない。我には勝てない』

「……そんな、事は……な、い……」

 現実ではない場所で、言葉が何万トン単位の重さとなってナーガの頭上に圧し掛かる。さきほどまでとは比較にならない。すでにナーガは思考もほとんどできない状態になっていた。意識が勝手に飛びかける。

『あるのだよ。お前にはもはや打つ手など無い。詰み(チェックメイト)だ。このまま我にすべてを委ねよ。そうすれば楽になれるぞ。楽になれる。もはやお前が苦労する意味は無い。お前が苦痛を感じる意味もない。お前にできる事はもはや何もありはし無い』

 そうは……いかない、いくものか。この間、ファング君にあれだけ偉そうな事を言ったのだ。自分がここで投げ出す訳にいく、ものか……

『おのれだけ楽になる事に罪悪を感じるか? だがお前にこのあと何ができる? 思考すら我に簡単に手玉に取られる程度の存在が、この先仲間の何の役に立てるというのだ?』

 だ、まれ……

『お前は役立たずだ。口先だけの木偶の坊だ。仲間の役にすら立てないお前にはもはや価値などないのだよ。何の役にも立てないのに、そんな辛い思いをしてまで耐えて何の意味がある? 受け入れろ。力を抜け。ほんの少し心の力を抜くだけでいいのだ。それだけで楽になれる』

 い、や……だ、こ、こ、で……る訳に……は……

 思考が既に言葉にならない。

『ここに居るお前の友達も助けられる。楽になるだけで友を助けられるのだ。辛い思いをした上でさらに友すらをも救えない道を選ぶのか? どこに救いがある? どこにそこまでする意味がある? 意味など無いのだ。無意味なプライドだ。ただお前が意地を張っているだけ。お前が意地を張っていたいがための下衆なプライドの自己満足。それだけのためにお前は親友を見捨てるのだ。我を責める資格がそんなお前のどこにある? どこにも無い。お前も既に人ではないのだ。心すらも人ではないのだ』

 う、う、うう、う、うぅ、お、の………ェ……

 さらにノイズのテンポが上がる。

『ここで友を見捨てるならばお前は真の意味で人でなくなる。それでもいいぞ。見ものだ。やってみるがいい。お前が自ら我の仲間になるところをじっくり見物してやろうではないか。人ではない者の仲間にな。お前の選択は自ら我の仲間になろうとしていることに他ならないのだよ。いいだろう、受け入れてやろう。お前は我の仲間だ。我と同じ人では無いもの、人ではない心。おのれから堕ちるが良い。そのまま耐えていろ。耐えて友を殺すがいい。見捨てるがいい。手間が省けるというものだ。お前は辛い思いをして自分で自ら我の仲間に堕ちるのだ』

「ッ………ッ……」

『それが嫌なら楽になれ。どちらにしても同じなら、何も辛い思いをして我の仲間になることはあるまい? 楽になれ。楽になれば友も助かる。お前が助けるのだ。助けられるのだ、友を。お前は何もできない存在ではない。友を助ける事ができる存在なのだ。さあ、受け入れろ。楽になると言え。たった一言、『思う』だけでよいのだぞ』

 絶え間ない精神の痛みと苦痛、膨大なノイズの重圧の中、思考すらも妨害されたままナーガはナニールの言葉を聞く。聞かされ続ける。次第に意識が朦朧としてきた。眠りたいのに眠れない。楽になりたいのに楽になれない。どうして自分がここまで頑張っているのか判らなくなる。理由すら思い出せなくなってきた。

 目の前に友が倒れている。その上にナニールに乗り移られた下卑た男の残骸が足を乗せる。首筋に無駄に鍛えられた体重が込められる。

 助けなければ!でもどうすれば助けられる……?そういえばさっきあのおとこがいって……いた……らくになればいいと。らくになればいい。それだけ。それだけで友だちがたすかるって。なんだ、かんたんだ。ボクはたすけてあげられる。

 あぁそうか……そんなかんたんなことだったんだ……。


 ナーガの意識がおかしな方向へ傾き始めた。記憶が曖昧で、ただ今この時に必要だと浮かぶ事実だけが脳裏を占める。

 口が開く。意識の防壁に穴が穿たれる。

「ボ、クは、……、ら、……………く……に……………」

 ナニールの口端にニタリとした笑みが静かに浮いた。


       ◇  ◇  ◇


「アァァベル―――ッ!!」

 途切れない連続した金属音。甲高い32ビートで奏でられる、目で追いきれない速度でどこまでも降り注ぐ刃と短鉄棒の剣筋を、それでもアベルはいなし続けていた。

「………ッ! ……!」

 恐ろしい攻撃速度に思考が追いつかない。言葉が口から出る暇も無い。脊髄にまで訓練で叩き込まれた反射反応だけでさばいてゆく。前方から、上から、後、下、左、右ななめ! 全ての角度から飛んでくる。目で追いきれない。いちいち武器で受けていたらもう一人の攻撃に間に合わない。かわす事だけ考える。体に届く攻撃だけを剣で受け角度だけを微妙に逸らす。逸らし続ける。

 アベルの皮膚に数え切れない傷が増えてゆく。それでも、浅い傷だけで致命傷には程遠い。浅い傷ならば傷としてなど数えない。

 達人と呼んで差し支えない人物二人分の攻撃、全ての角度から降り注ぐ一分ごとに数十合におよぶ剣戟。それをアベルは体に染み込んだ技術だけで受け流し続けていた。

 いきなり急激にリズムが変わり、瞬時に二人の姿が交錯する。リズムだけが歪んだように移動する。交差したまま足捌きのタイミングのみを変え嵐のように入れ替えて、変幻自在に攻撃の位置が立ち替わる。

 対応がわずかに遅れた。舌打ちが混ざる。その間隙を逃さずに軽い目くらましのフェイントを入れられたと思ったら、気が付いたら前後を完璧に挟まれていた。

 広い廊下、だが二人の殺気で前後どちらにも動けない。短鉄棒と腕に取り付けられたソリのある薄刃刀、前後から同時に極上のタイミングでアリアムとコールヌイの武器が迫る。

 アベルは地面スレスレまで体を下げ体重の移動のみで滑るように移動。その動きをなぞる様に軌道を変え、追うように前と後ろからブレもなく武器が迫る。どちらに動いても倒される!

 アベルはとっさに壁を蹴りこんで横に跳んだ。空中で回転し体を真横にして薄く伸ばし、走り高跳びの要領で二振りの武器の交差するわずか20センチの隙間をすり抜けた。

 目の前で、一瞬前までアベルの体があった空間を二本の武器が薙いでいた。

「っとォ、危ないやろ、本気で殺す気かいお二人さん!?」

 きりもみで転がるにまかせ距離を取り立ち上がる。目の前には、息も乱さず武器を構え直した二人が立っていた。コールヌイなど無理やり木の枝を足にくくりつけ義足代わりにしているというのに、痛みを感じているそぶりすら見せていない。

「お前があの程度の攻撃で死ぬ訳がねえだろう。さっきも言ったがな、殺すつもりは無い。だが……五体満足で気を失えると思うなよ」

「真顔で恐ろしー事言わんといて」

 茶化してもニコリともしない。二人の顔は強張ったままだ。

「本気なのだよアベル君。君が簡単に倒れないのは分かっている。ならば、こちらも容赦はしない。油断も無い。こちらに殺すつもりがないからといって、君も油断などしない事だ。気を抜いたら私と同じ目に遭う羽目になる。割と結構痛いのだよ、足が無いということは。君が想像するよりも多分ずっと数倍ね」

「おぉ、怖い怖い、怖いねえっと」

 返事と同時に後ろに跳ぶ。一瞬で間合いを詰めたアリアムが武器を振るった。かわした!と思った次の瞬間後ろから首筋にひじがきた。またかわす!しゃがんだ所にさらにひざ! そして仰け反った顔面に今度はかかとがあり得ない角度で神速で上から落ちる。

 ガッ! ひたいをかすめた蹴り足を残し、砂の噛む音をさせ襲ってきていた足がピタリと止まる。アリアムが体を入れ替えて、先ほどまでアベルのいた位置に立ち静かに構えた。

 間一髪、ミリ単位で避けたはずのアベルの足がかすかに揺れる、たたらを踏む。捻って飛びすさった時かすめた額から一筋だけ、鼻筋に血が流れていた。

「油断するなといったよな?アベル。俺たちは本気だ。本気でお前を止める。本気の俺たち二人をあしらえると思うなら、やれるもんならやってみやがれッ!」

「くすくす……相変わらず王様のくせにショッパイ言葉使うお人やねえ」

 視線を離さずに流れる血を袖で拭き、アベルはアリアムを見る。左目の端に映るのはコールヌイ。一人に気をとられた瞬間もう一人が死角から攻撃してくる。理想的なコンビネーション。

「ったく、即席の癖にとんでもない息の合い方しとるやんけ……」

 それだけ自分に腹を立ててるって事なんやろうけどな。

 血止めの薬を目を逸らさず一塗りで塗りながら、アベルは内心で苦笑する。

(俺ひとりでは、やっぱこの二人を完全にあしらう事はでけへんようや。せやけどな!)

 横走りで右に走り出す。地下へ降りる階段とは逆の方向。二人とも遅れずについてくる。

 それを確認したアベルは走りながら、二人には見えないように静かに嘲笑みを浮かべていた。


       ◇  ◇  ◇


 空が一瞬でかき消え、巨大な重量が雪崩のように落ちてきた。何百トンもある壁と土の塊がすべてを圧し潰すために溢れだす!

「っのやろ、またかよッッ」

 圧壊する建物の範囲外へカルロスは全力で移動する。近くに仲間は誰もいない。あまりの敵の猛攻に途中から姿が見えなくなった。対処で手一杯でいつはぐれたかも分からない。

 敵はこちらが少数だと見てとって、ゲリラ的な市街戦が不利だと悟ったのだろう、周囲の建物をところ構わず壊しまくる作戦に出始めた。

 乱暴な作戦だ。だが効果的だった。その一点の判断だけで今までのキカイ体とは別物だとすぐに判る。

「ちっ、コイツらいったい、どこまで進化していきやがるッ!?」

 落ちてくる巨大な瓦礫と粉塵から身をかわすのに精一杯で、ろくな作戦も立てられない。

 かわしてもかわしても細かい破片がよけきれないほど増えてきた。鞭の利点を最大限に生かし手当たり次第に武器で弾く。途切れなく落ちてくる割れた岩や漆喰で視界が悪く、その上その合間から敵の攻撃も飛んでくるのだ。口の中がジャリジャリしても唾も吐けずにセキもできない。死にたく無いからヘタに目も閉じられないが我慢する。

 粉塵の中だからレーザーの類はほぼ無効になるからいいとして、それでも見えない位置から飛び出てくる敵弾や刃先、巨大な拳などは次第にかわすのが難しくなってきていた。

「痛ッ、ってぇなどちくしょオ!」

 小さな瓦礫が顔に当たり、一瞬だけ目測を誤った。それだけだった。瞬きの隙間に巨体の拳が襲い掛かった。かわした!そう思った。楽観だった。かわしたつもりが身長と同じ大きさの拳を皮一枚避けきれない。敵が人間の大きさなら大したことはないはずの隙。だが、相手が巨体では致命的だった。

 肩の皮一枚。それだけでカルロスの軽い体は、木の葉のように軽々と吹き飛ばされた。衝撃できりきり舞いに飛ばされながら空中で何度も岩塊にぶち当たる。軽く脳震盪を起こした頭が新たな痛みで一瞬で何度も覚醒した。

「ぐ、が、ぁ……ッ」

 ずるり……

 最後に当たった空中の岩塊が重力に引かれるのに巻き込まれ、ともにきりもみ状態で落ちてゆく。先に地面に到達した巨塊が砕け、鋭い破片が散らばる上にカルロスの頭部が間近に迫る!

「クソがぁ!!」

 体をひねり、岩の散らばりだけは何とか避けた。が、空中ではそれ以上移動できない。一番大きな岩塊を避けきれない! 割れたばかりの岩刃が間近に迫る!

「――――――――ッ!!?」

 少年が青ざめた直後だった、カルロスの体に長身の影が体当たりして軌道を変えた。ギリギリのところだった。マキビシのように尖る岩塊の上数十センチの空中を、カルロスを抱きとめたリーブスが滑っていた。

 破片と破片の隙間に華麗に着地する。同時に敵の巨大な顎に【電磁思考誘導ナイフ】の群れを叩きこんだ。放電烈破!中枢を打ち抜かれた巨体の爆発を背中で受けて、周囲を見渡し動きを探る。少なくとも現在近くに敵はいない、再度念を押した確認がようやく安堵の確信に変わる。

 途端、整った顔が見事に崩れた。

「坊っちゃん!ご無事ですか坊っちゃん!? あああもう血が出てるじゃないですか顔からも頭からも! え? 痛い? 背中も痛いんですか!? 分かりました仕方ありませんねさすって差し上げますからすぐに服を脱いでくださいさあさあ早……く痛ッ痛たたたたた!!」

 抱きとめたまま半狂乱になるリーブスを、半眼で見つめながらカルロスは背中に爪を立てて呟いた。

「……下ろせ」

 地面に降り、なおもジト目で睨むカルロスに、リーブスが涙目で抗議する。

「酷いですよ坊っちゃん……身を挺して助けて差し上げたのにこの仕打ち……本格的にマゾに目覚めたりしてしまったらどうしてくれるんですかもう!」

「…………」

 リーブスは主人の口撃に身構えた。だがすぐに異変を察して真顔になる。返ってくると思われた言葉の反撃が、無かった。

「……坊ちゃん?」

 どさり……

「坊ちゃん!!?」

 倒れたカルロスの頭から大量に血が流れていた。後頭部に刺さった小さな岩がずるりと落ちる。

 砕けた破片が当たっていた。当たり所が悪かったのだろうか。地面にうつ伏せになりながら、少年はとてつもない眠気を感じていた。視界が回る。何も聞こえない。恐ろしい眠気に誘われるかのように、カルロスは呻きも上げずに目を閉じる。

 聞いた事の無い声が聞こえた。執事の本気の悲鳴が響き渡った。


       ◇  ◇  ◇


 自律活動の停止した男の中で、ナニールは青年の精神の敗北を確信し、哄笑した。

『堕ちたな、クク、ククククククク』

『いえ、まだです』

『なに!!?』

 聞こえた声に驚愕の目を開く。聞こえるはずの無い声が聞こえていた。完全に精神が堕ちかけていた新参者の精霊体の前で、青白い光の長髪がふわりと音も無く広がっていた。

 遮られた波動が、蒼の光の壁前でバチバチとした音の無い火花を散らす。

『貴様……サブシステムは完全に封じたはずだ! どこから湧いて出おったのだ、またも……またも邪魔をするのか忌々しい、忌々しいぞゲフィオーン……!!』

 ナニールが憎々しげな顔でつぶやく。

 蒼い髪を持つ女性───ゲフィオーンの後ろでは、波動を遮られたナーガが、先ほどと比べればほんの僅かに過ぎないが、それでも楽になった表情で気絶している。

 その顔をちらりと肩越しに覗き、安心した女性はナニールに正面から向き直った。

『ダメですよ、それ以上はやらせません。この方を今亡くす訳にはいかないのですナニール。この方はようやく我々が得ることが出来たたった一人の後輩、もはや抗うエナジーを失いかけた我々にとっての唯一の希望の後進なのです。やらせはしませんよ。失う訳にはいきません。そうですたとえもし、今ここでこの私が消えて無くなるとしてもです!』

 ゴオッ。音も無いはずの地下の世界に清浄な風が吹き荒れていた。

 いや、それは【風】とは云えないだろう。なぜなら空気は動いていない。

 それでも精神は【風】と認識し感じていた。そう感じさせる何かが吹き荒れていた。

 その【蒼風】は、睨みつける顔ですら慈愛を感じさせる表情で立っていた。

 優しく厳しい瑞々しさを湛えて、遥か後方の彼方から吹き届いていた。

『やらせは、しません──────』



                  第十一話 『崩壊前夜 〜風〜』  了.


                  第十二話 『崩壊前夜 〜蒼〜』に続く……


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