第九話 『発動 〜罠〜』
街は炎に包まれていた。
西大陸最古の街。大戦の大破壊を生き延びた世界、そののちの世で初めて造られ生き続けてきた歴史的な街並みは、今、創られてから最初の滅びを迎えようとしていた。
何度も、何度も滅びては再生してきた一部の街に比べれば、それは幸運な歴史だったといえるのだろう。だが、幾度も滅び、再生してきたそれらの街と同じようにこの街も再生できるかといえば──分からないとしか云えない。再生を可能とするための強さは、最初の挫折を乗り越えられるか否かにかかっているからだ。
滅びから再生できるかどうかは、そこに住む者たちの心しだい。心の強さしだいでしかない。心の強さが強ければ街は復興し、またさらに発展する。弱ければ栄華も歴史の中に埋もれ、このまま、いずれ記憶の中に風化してゆくのだろう。過去の栄光と、世界一を誇った思い出とともに。
覚えている心の数が減るごとに、失われゆく何かに怯えながら。
この街は、どちらの運命を辿るのだろう。それはまだ訪れていない、移ろいゆく未来の光景。そう、今はまだ滅びのさなか。誰も何もできず、救えず嘆く。ただ高らかに嘆くのみ。
街はいまだ炎に包まれ、今もただ、舐められ続けている。
さながら地獄のその光景をモニター越しに眺めながら、青年はひとりつぶやく。
「カタチが崩れていきよるわ。ただのカタチ……そう、ただのカタチや。あれが、人が汗水たらして造りあげてきたモンの末路っちゅーわけや。あんなもんが……な。 ……人は、なんで生きとんのやろうな。いつかは消えて無くなってまう事が決まっているこの世界で、どうして、頑張って一生かけて何かを成そうとするのやろう。 頑張って頑張って頑張って、それで何が残ると、残せるというんやろう。 くすくす。キカイは憎い。キカイは滅ぼしつくしたる。せやけど」
アベルは首を上に向ける。高い天井をを突き抜けて、その更に先の空の彼方を祈る様に睨みつける。
「人にもこの先を生きる価値が、意味があるんやろうかねえ……? どうして人は生きるんやろう。どうして人は死んだらいかんのやろう。悲しむ人がおるから?せやけど、もはや今の枯れきったこの世界で、それだけの感情を出せる人間がどれほど残っとるっちゅーんやろぉか……」
搾ってもしずくも出ない奴しか居ないのではないだろうか?
モニターの中でまた人が炎に包まれた。そのそばで逃げ惑いながら、助けてと叫ぶ人が死にゆく様を目に映しながら、手を伸ばすでもなく、悲しむでもなく、ただパニックを起こして逃げ惑う烏合の衆の醜い群れ。
自分のことだけ。自分のことだけや。
それが今のこの砂漠の星では当たり前の光景。
他人の事など気にする余裕も、心も、ほとんどの人間が持ち合わせてはいない。
先は知らず、ただ享楽的にその日を過ごし、ただより良い瞬間を求めて細い糸を登る。
下は見ない。周りも見ない。
そんな無駄な事など考えもつかない。それが今の普通。今の常識。
「なのに……」
それに真っ向から向き合い、危険を顧みず、誰に褒められることも無い闘いに赴こうとする者たちがいる。わずかだ。ほんの僅かだが。
それでも、この時代にそんな人間がまだ幾人もいるということに驚きを禁じえない。
視線を移す。
その先のもう一つのモニターでは、得にもならない人助けをするために集まった者たちが、ルシアの簡易端末の力で次々とジャンプしていく光景が映る。
馬鹿がいる。
どこまでも愚かな者たちがいる。
なのに、それでも視線を外せぬ自分もいる。
心は冷たく冷笑すら浮かべているのに、それでも視線を外せない自分がいる。
くすくすくす。そこまで考えて柄にもないとアベルは嗤う。
「これでええ……計画通りや」
あくまでも計画通りにコトが進んでいることを喜んでいると、己れの内に言い聞かせるかのように。
「これで主だった封印者候補たちは、すべてアルヘナから出払いよった。ようやく誰の邪魔も入らずに遂行できる。あいつらには、他にやってもらわんといかん大事な役目がある。最後に月の親玉の封印もしてもらわなならんしな。それまでは真の危険からは遠ざけておいたるさ」
発見したキカイ体製造プラントは五つ。大陸中央の大深度地下のメインがひとつ。地表付近では東大陸にひとつと、この西大陸に残り三つ。ラテラル山脈中腹のものと帝国領東地区、そしてこのイェナの地下の三つだ。
「さすがに盲点やったで、ナニール。
ヤロウ、百年をかけた水晶球計画の下にまだこんなモンを隠しとったとはなあ……。
せやけどそれもここまでや。もともと地上に溢れた敵どもをおびき寄せて、ここで叩く予定やったからな。丁度ええ。エサとなる発動した封印者を示す偽信号も合成済み。あとはこれを発して、この辺りのキカイ体がすべて集まった時点で地下のプラントもろともこの街を吹き飛ばす。ついでにラテラル山脈の方もな。大地貫通型の鉄甲型弾道ミサイルが二発用意できたのは幸運やった。うまくいけば残りは帝国領のものとメインのふたつだけや。地表付近の二つを吹き飛ばす際の信号を逆探すれば、メインの大深度地下の位置も判明する。そこを叩いてさえおけば、帝国領のやつは後回しで十分や。メインが静止すれば全てが止まるんやからな。
帝国を襲ってるやつらはそれまであいつらが何とかしてくれるやろ。大言吐きよったからにはそれっくらいはしてもらわなな? 最悪あいつら強制転送して、直接火ィ入れた小型爆縮弾のしつけて転送ったればエエだけのハナシや。なあ? くすくす」
モニターから視線を外し、あらぬ方向を見据える。それは、太陽の昇る方角、東。
「東のプラントはお前に任せるで、クローノ。お前なら気づくやろ。それだけの資料は渡したし、東のやつならお前ら三人いれば堕とすのなんて造作ない。ただな、それなりに時間がかかるから、戻るのが少し遅うなってクライマックスには間に合わんてだけのコトや。
殺しはせん、傷つけもせんしお前を傷つけさせもせん。ただ、大事があるのに気付いても駆けつけることを許さへんてだけのハナシやで、優しいやろ? 悔しがるやろうなクローノ、せやけど二度と……お前は大事の中心には居させてやらん。何もできず、小事にかかずらわったまま、すべてのコトが終わるまでそこで指ィくわえて眺めとれ。 そいつが……俺なりの復讐ってやつや。くすくす」
暗く静かに哂い言う。
言いながら、アベルは視線をめぐらせる。
モニターの中、最後の一人が転送されていった。……地獄へ。戦場へ。
自らの選択で。
その選択を眺め、見下し、利用していながらなお、彼にはその選択にたどり着く工程が理解できない。
昔は理解できたのだろう。だが今はもう、人が救う価値のあるものだとは思うことができない。
どうして人を殺してはいけないのか。
それは、過去にナニールやファングが問うていた問いと同じ問いだ。悩み、苦しんでいた問いと同じ想いだ。
しかしそれは、アベルには知る由もない。知る由もないことだった。
◆ ◆ ◆
うわぁあああああ! ひぃ、ヒッ!ひぃいいぃいいいい! なんだ!?なんなんだよなんでおれがこんなめにあわないといけないんだよぉっ!!
どけババァ!テメー長生きしてるやつがいまさら生にしがみつくなや長く生きてんだからもういいだろ?ここで死ね、死ねよおれたちがにげるまで食われて足止めしててくれや。
うわあああん、おかあさぁああんどこぉどこにいったの?おいていかないで……おいていかないでよぉおおお。
アーン?はぐれたのかガキ?もう助からねえなそりゃははっ死んだよおまえ。だからどうせ死んじまうんだからもうジャマすんなうっせーんだよボケッ服つかむんじゃねェッおれたちが逃げきるまでそのへんに死ぬまで座ってろッ。
ひひひひひっ、撒き餌だ撒き餌!どけよどけ蹴倒すぞクソボウフラども!てめえら化け物の餌になっておれが逃げる間くらいもたせやがれ役立たずども!
……ちくしょういやだ、いやだよなんでだよなんでおれたちあんなバケモンに襲われなきゃならねーんだよいやだいやだいやだいやだ、いやだあああああああああっ!!
悲鳴。
豚のような悲鳴。綺麗なところなどどこにもない。
醜さだけが浮かび上がった顔顔顔。言葉、心。
何も考えずただ転がるように逃げる者。周りを押しのけ、罵倒し、蹴倒し、引っかき引っ張り合いながら自分だけ助かろうとする者。疲れて座りこみ罵られる老人の憎しげな顔。無視する者。罵る者。暴力を振るう者。そのくせ手を貸す者など誰もいない。踏みつけられた玩具の人形。人が、人を傷つけていく光景。親からはぐれ、立ったまま泣く子供。その子供すらをも踏みつけ、容赦なく切り捨てていく者。
人とはこれほどまでに醜くなれるものなのか。愚かに、汚くなれるものなのか。
……そうだ、なれるのだろう。人の闇は深い。暖めてくれる光があって初めて、せいぜい平衡がとれる存在でしかない。闇は深い。どこまでもただ、深い。
一時的にせよ光が失われてしまえば、これほどの闇が噴出する。押さえつけられていたものが勢いよく、噴水のように。間欠泉のように。
ここは、世界で一番古い街。古き良き洗練された街。
世界で一番の力と大きさを持つ帝国の、華やかなりし艶の首都。
その石畳が血で濡れていた。まだ敵は街中に達っしてはいない。人と人とが流した血の溜りだ。
このままでもそれは池になり、海になるだろう。パニックを起こしたヒトの群れには目に見える敵が必要だった。それだけで大勢ヒトが死んだ。それだけでヒトを殺せるのがヒトだった。だがそれもすぐに終わる。
街の端に異形が現れた。人々を蹴散らし、命を粉砕してゆく。巨大な口を持つ化け物もいた。蹴散らされ転がる瀕死のもと人だったものを食らっていく。人々の恐怖をあおり、かつ生ごみを減らす意味があるのだろう。咀嚼され、搾られた血が隙間から地面に落ちて染みてゆく。新型だ。見たことも無いタイプ。だが、街の人々はそんなものは知らない。そんなことは知らない。人々にとってそれはただ、すべてが初めて見る異形の鉄の鬼、化け物でしかない。
ここにも、国の情報操作による愚かさが見え隠れする。人々に何も知らせず、ただ肥やし、搾り取るだけのために活かし、生かす。国にとって、民とは享楽に満足して何も考えず生き続けてくれていればそれでいい。気付かずに搾取されてくれていればそれでいい。そんな大国の、自明の弊害。だが、知っていたとしてそれがどうしただろう。この巨大な削肉機の前ではそれも愚かな世迷い事でしかない。
絶望。そう、人々の心に絶望がともる。広がり、光を消してゆく闇。
闇は心を犯し、むさぼり、同化してゆく。
どこまでも人を引きずり堕とそうと歪み思う。知った顔が消えてゆく。世界が破滅的なスピードで壊れてゆく。
誰もが、そう誰もがもう、終わりだと思った。
その時だった。
「ぉおっらあぁっつつつ!!」
爆発音がした。鼓膜が破れるかのような気合の声とともに、何かムチのようなものが異形に巻きつき、削肉機のひとつが頭部を吹き飛ばされ、地響きを立て倒れこんだ。
人々の顔に笑顔はない。何が起きたか理解できないのだ。ただ、身体の動きが止まる。
足の止まるそこへ他の鉄鬼たちが押し寄せる。動けないまま表情に満ちる絶望。しかし。
そちらもいきなり斃れていった。
巨大な剣がうなり、巨体を瞬時に両断した。水晶球が光を発しみるみる化け物の動きを止めていく。光る槍が、鉄を貫くナイフの雨が。それぞれいくつもの敵を屠ってゆく。
呆然とする人々の先、倒れたキカイ体たちの前に立つ者がいた。5つの影。人の姿だ。
大男から少年少女まで、五人の人間が立っていた。背筋を伸ばし、武器を構えて立っていた。
人々はようやく理解する。彼らが斃したのだ、あの鬼を。化け物を。
人が……人のままで !
五人が動くたび次々に斃れていくキカイの化け物を目の当たりにし、次第に理解が波のように広がってゆく。そして、
雄叫びが起きた。人々から。聞いたこともない程の、巨大なうねりのような歓声だった。
「いー気なモンだなぁアイツ等。なァおい?」
そばにいる人間の会話すら聞こえないほどの歓声に包まれて、当の少年は呆れた口調で見回している。
「まぁさ、いいんじゃないかな。まずは目前の敵は斃した。それが目的だったんだし、周りの目や言ってることは気にしない気にしない」
「そーそー、どーせ悪い気はしないんでしょアンタはさー。あんただけ」
「後ろからえぐるぞこの精神的サド女。いい加減おれで遊ぶの止めねーとその内シメる」
「ほほぉ?いーわよできるものならやってもらおうじゃないお坊っちゃま」
「いい加減にしないかお前たち。すぐに新手が来るぞ」
「そうですよ坊っちゃん、もう少しだけでお宜しいですから心を広くお持ちにならないと、シェスカに帰ったとき大変ですよ色々と。何とは申しませんがお嬢様の事とか(ぼそり)」
「……今なんだかエラく衝撃的な爆弾的発言を耳にしたよーな気がするんだが気のせいかな?気のせーだよなリーブス君」
「うわ坊っちゃんに君付けされてしまいました。かなりショックというか精神に一部この世の終わりが来訪致しました。一瞬だけ」
「っく、そこまで言うか、このせいたかヒョロリ!のっぽ野郎!のっぽのっぽ!」
「坊っちゃん、ノッているところ申し訳ありませんが、それは悪口になっておりません」
「シスコンでコンプレックスの塊だと辛いわねいろいろ」
「二人とも、そろそろやめてあげようよ、ね? 脳溢血で倒れるよ彼、そのうち」
「阿呆な会話はそこまでだ。新手が来たぞ」
「「「「(ちっくしょ覚えてやがれ)おっけー(でございます)!!」」」」
会話を打ち切った彼らの瞳に油断は無い。途端あたりに流れる清冽な気。
ピタリと静止した揺れる事すら無い構えの影。五つのそれは、馬鹿話の聞こえない人々の目には、とてつもなく頼もしく映っていた。構える手にはそれぞれの武器──カルロスが貸し出した秘蔵の発掘品たち。中にはいざという時の為にクローノから預かっていたものもある。かなりの大判振る舞いだ。
大通りの向こう、建物の向こうに巨大な敵の影が見える。近づいてくる。多数の足音と連動する地鳴りの束。建物と同じだけの高さの影が地鳴りを立てて押し寄せてくる。
最初の敵の姿が見えた。
「征くぞ!」
デュランの掛け声とともに、五つの影は敵に向かって走り出した。
◆ ◆ ◆
転送された場所は初め、薄暗かった。それにかなり冷える。冬でもないのに……いや、こちらは西大陸と比べて反対の気候をしていると言っていた。だがだとしても、この辺りはかなり寒い地方らしい。余分に服を着込んできて助かったようだ。
穴倉のような場所から出てみると、そこはこじんまりした神殿の遺跡のような場所だった。
「ここは……なるほど、カモフラージュという訳ですね。よく考えられている」
神殿も遺跡も、生きることすら大変な今の人間が興味を持つ事はあまり無い。それに、たとえ興味を持ったとしても、太古の霊に畏怖の感情を覚えてしまい、誰も中を確認しようとは思わないだろう。
「歴史や科学を知らない状態で永の年月を過ごした人間の心理を、そうでなかった時代によく想像できたものですね……さすがとしか言えません」
セレンシアでは、大戦前の時代はテクノロジー一辺倒だったと思われているが、心理学もなかなか発達していたらしい。考えてみれば当たり前のことなのかもしれない。現在では未知の学問「精霊科学」は、「精神」の科学への応用だ。
転送装置のある遺跡はわずかに高い丘の頂上付近にあったようで、外に出て見回すと、ほぼ180度にわたって視界が開けていた。遠くまでよく見える。見渡す限りの焼け野原だ。砂漠ではないのに、緑など地平まで何も無い。いや…これもある意味砂漠、か。
黒焦げの大地。森が焼け、草原が焼け、山が焼け、水が焼け、動物が焼け、……人の骨が焼けていた。すでに鎮火して数年は経っているだろうに、そのあまりの焼け野原具合のせいで、クローノの目にはまだ火が燻っているかのように見えた。
思わず口を押さえる。もはや燃えてはいない。なのに、いまだに空気まで燃えているような気さえした。
「これが……、ここが東大陸なのですか」
知らず、嫌悪の情がわずかに混じる。戦乱跡、なのだろう。人と人とが争った跡だ。中には数日前に殺されたのではないかと見られる新しい死体も僅かにあった。旅人か、商人だろうか。行き場を探した流人かもしれない。戦闘の跡はない。残るのはナイフの跡。ヒトの仕業だ。現在でも治安がかなり悪いという証拠だ。あまりに生々しい愚かな傷痕。
痛ましすぎた。情けなさ過ぎる光景だった。
星や人類が存亡をかけて戦っているその同じ時に、同じ時間に、なぜ人と人とが争わなくてはならないのだろう。それも、己が欲望を満たすため、それだけのために。
(人とは、そこまで愚かな生き物なんでしょうか……)
そうは思いたくない。しかし、目の前の光景も現実だった。
「……蓮姫たちを捜さなくてはいけませんね」
言わずもがなの事を口に出す。出さなければおかしくなりそうなほど、しんと静まり返っている。静寂の世界。風すらもない。
じっとしていると、心まで何かが沁み込み、染み出してゆく気がする圧倒的な空虚。
砂漠で慣れているはずなのに、普段見慣れているそれとはどこかが明らかに違っていた。ただの自然の空虚ではなく、そこにヒトの意識が垣間見えてしまったからかもしれない。虚無。意思のある空虚さが、これほど嫌悪を感じさせるものだとは知らなかった。
役に立つとアベルに言われ渡された地図を出し、眺める。目の前の光景の中でどこまで役に立つものか心配になったが、よく見ると、蓮姫たちの位置が点滅で地図上に示されていた。そういえば言っていた。通信鏡からの信号を受信し、半径十キロ圏内に近づけばそれを映し出す地図。……なるほど役に立つ。
「それほど遠くにいるという訳ではなさそうですね」
運がいい。しかし、その地図の中にいくつも意味の分からない記号もあった。
「これは……なんでしょうか?」
アベルからも聞かされていない。そのひとつは蓮姫たちのいるはずの方向、そこからあまり遠くない位置に記されていた。
近づきながらでも確認できそうだ。が、
「……蓮姫やアーシアと連絡が取れたあと、時間があれば調べてみることにしましょう」
優先順位は守らないと。つぶやいて、クローノは地図の示す方向に歩き出した。
クローノが後にした地点、その場所には遺跡と、眼下の戦闘の痕跡以外何も無い。何も、無かったはずだ。だがその数分後、同じ場所の地面で何かが動く気配があった。焦げた大地を押し上げて起きだす。人に似た影だった。
それはゆるりと、静かにクローノと同じ方角に向かい動き出した。
◆ ◆ ◆
「……ったく、アベルも面倒な仕事を押し付けていってくれたもんだよ、ええ?」
「仕方ないですよルシアさん。発掘された空飛ぶ船なんて代物、確認や修理や点検のできる人は、今のところルシアさんしかいないんですから」
走るサンドバギーの中、ぶつぶつ文句をたれているのはルシアだった。
運転席にはムハマド。皆を転送し終えたふたりは、アベルの残した紙切れに従って、アルヘナ砂漠を西へとひた走り続けていた。
「本人がいるじゃないか! 今のアイツはあたしら以上に暇なはずだよ、リーダー外されたんだからさ!」
「そうかもしれませんが……外されたからこそ、重要な仕事に自分が出張る訳にもいかないと思ったんじゃないでしょうか?」
「……ふん。まあ、盲点だったのは確かだけどね。確かにあの場所なら、使えるものがもしかしたら残っているかもしれないしね」
ふて腐れて座席にもたれるルシアが、ムハマドを一瞥する。
「……しかしアンタ、どこでバギーの操縦なんて覚えたんだい?」
「ちょっとクローノさんに教えてもらっていたんですよ。おいらでも役に立つ事があるかなあって。役に立ってよかったですね」
ニコニコという。
だがいくら道幅のない広大な砂漠とはいえ、そう簡単に誰にでも乗りこなせる代物なら苦労はない。というかいつの間に練習などしていたのだろう? それほど暇な時間は無かったはずなのだが。
(……この子。天才じゃないけど、意外に多才だね)
呆れながら感心して、ルシアは目をつむった。運転に問題がないのなら、今のうちに寝ておくのがいいだろう。着いたら徹夜仕事になるだろうから。
ルシアが眠ったのを確認して、苦笑しながらムハマドはギアを上げる。
照りつける強烈な日差しの中、屋根一面の太陽電池が黒くきらめきを発している。動力には何も問題は無いようだ。
広大なる砂漠、目的地まではまだまだ長い。ルシアのまどろみを邪魔しないよう気を使いながら、点在する小さな岩山を目印に、二人を乗せたバギーは静かなうなりを上げ目的地へと走り去っていった。
◆ ◆ ◆
小さな水滴の落ちる音で目が覚める。
あれから何時間経ったのだろう。誰も地下牢に降りてこなくなってからもうかなりの時間が経つ。
「……おかしいね」
いくらなんでも遅すぎる。一応は重鎮の自分を政治犯として捕まえておきながら、これほど長い時間放置するなど……もしかしたら何か、あったのではないだろうか。何か、とてつもなく大変な出来事が。
ここは地下深い。耳を澄ましてもここまでは、さすがに地上の喧騒が聞こえる事は無い。
たとえ何か騒動の気配だとしても。
気が焦る。何も動きが無いのが一番やっかいなのだ、こういう時は。
「っく、上でいったい何が起こっているというんだ……」
唇を噛みながら、ナーガはひとり、闇の中にとり残されていた。
◇ ◇ ◇
「ど、どうなっているのだこれは! 貴様ッ!」
「はっ!い、いえ、どうなっている……と、言われましても……」
貴族館の一室。その奥の隠し部屋の中で、ハイデマンが畏まり跪いていた。目の前には老人がひとり。豪奢な一人掛けのソファーに沈み込み、杖を突くその老人の眼光は鋭い。
しかしそれは鷹の鋭さではない。目つきの悪い、キツネの鋭さだ。普段はふんぞり返っている椅子に前のめりに体重をかけ目を泳がせている様は、無様で、とても見れたものではない。
「貴様が! 必ずあの若造から秘密を聞き出してくるというから任せたのだぞ、陛下に知らせず独断で印を使用した事がばれたらわしは、破滅だ……それを……この無能がッ!!」
また唾が飛んだ。
だんっ! 杖が床に叩きつけられ折れそうにしなる。
しわがれた声で怒鳴られるハイデマンは、細かく震えながら、それでもチラチラと恨めしげな視線を投げた。
「……貴様、その目は何だ!? まさか、今街がどうなっておるのか知らぬ訳ではあるまいな? 貴様が情報を聞き出すのが遅れたせいであの様な醜い化け物どもに遅れをとる事になっておるのだぞ! 何がすぐに秘密を聞き出してみせます、だ! 貴重な助言者を牢に入れてまで……いや、今思えばナーガを牢などに入れるべきではなかったのだ! き、貴様のような俗な輩の口車に乗ったせいで、歴史あるこの街が、街が……ッ」
(この、くそジジィ……私がすべて悪いとでもいうのか!)
老人はこの国の宰相その人だった。
ナーガの評価が高まるにつれ、自分が蔑ろにされたと思い込んだ老人は、補佐役であるナーガにいずれ取って代わられるのではないかと疑心暗鬼に陥ってしまったのだ。
仕方ないとはいえ、ナーガが敵そのものや倒し方の情報を出し惜しみした(実際には現代の人間に言っても理解できないし時間がかかるだけで無駄と判断しただけなのだが)のも悪かった。さらに、幼い皇帝がナーガをことのほか気に入って重用した事が、余計火に油を注ぐ結果となってしまった。ナーガが台頭する前は稀代の名宰相と謳われた事もあった人物だけに、プライドを潰される事に我慢できなかったのだろう。
だからハイデマンが、ナーガに罪を着せて情報を引き出そうと持ちかけたとき、その案に飛びつくように乗ってしまった。
(ハンッ、要するに器が足りなかっただけの話だろう。何が稀代の名宰相だ。私の提案を聞いた時見せたあの歪んだ笑いを写し取って見せてやりたいわ!)
この時点ではまだ、二人とも国の滅びの鐘を感じ取ってはいない。被害は甚大だが、すぐに対処すれば何とかなる。そう思い込んでいる。だから、今まさに苦しんでいる民の事などまるで、欠片も考えてなどいない。ただ身勝手に己の保身を考えるのみだ。すべてが収まった後、どうすれば自分に被害が及ばないかという、机上の空論。愚かで馬鹿げた砂上の楼閣。
(この老人はもはや駄目だ。この騒動が収まったときがこの爺ぃの政治生命の最後だろう。ならばさて、この先誰に取り入ろうか。それとも、この際この私が……。どちらにしろ、ナーガの情報はいい手土産になるだろうな)
床を見ながら、先ほど憎しみを見せた顔に、今度は愉快そうな悦を浮かべる。
貴様のせいだ貴様のせいだと壊れたレコーダーの様に繰り返す老人を前に、グリュック・ハイデマンは唇を歪ませながら、この先の身の振り方を計算し始めていた。
第九話 『発動 〜罠〜』 了.
第十話 『発動 〜乱〜』に続く……




