第七話 『意地 〜叫び〜』
「どの様な用件なんですか、アベル」
珍しくわずかに崩れた話し方。クローノ―――彼ですら、親友と信じたい相手と二人きりでは気持ちが緩むものらしい。それでも、わずかな疑いが微妙に親しげな空気の中に霧雨のように漂っているが。
王宮の一室、離れの研究室の一角だ。アベルがアリアムに打診して間借りしているものの一つ。現在の王宮にはそんな部屋がいくつもある。
アベルに二人きりで話したいと云われたクローノは、アリアムたちに待っていてもらい、誘われるままにその部屋までついてきていた。
「ハァ、なんや堅っ苦しぃな相変わらず。崩せ崩せ二人きりのときくらいもう少し」
わざとらしく小さくため息をつく親友に、クローノの顔にも苦笑が浮かぶ。
「では……。どうしたんです、アベル。私だけを呼ぶなんて、貴方らしくもない。何か不都合な事でもあるんですか?」
盛大なため息がまた落ちた。
「……あーもぅそれがお前の崩した話し方かい、親友甲斐ないやっちゃなあ。ほんま寂しいヤツになり下がりよってからに。まーええ、そこ座ったれやクローノ」
示された椅子に座る。
「それで、用とは?」
「あぁ、それなんやけどな。クローノ、お前に姫さんたちを迎えに行って欲しーんや」
「……蓮姫とアーシア、ですか?」
アベルはニヤリと頷いた。
「そうや。忙しいやろうけどお前が適任やろうと思うたンでな。逢いたい人もおるやろうしな?」
「馬鹿を言わないでください」
「顔赤いで。まーだまだ青いなぁクローノ。大神官がそんなこっちゃあ、教え子たちがガッカリするでえ? ……いや、喜ぶかもしれへんけどな、ハハ」
「……」
初めは赤みの少なかったクローノの顔も、アベルのからかいに次第に赤くなってくる。
「からかうために呼んだのですか!」
「それもある」
「……」
クローノの表情が珍しく崩れる。困ったような表情で口元と眉がヒクついた。
「お前は少し冗談を解したほうがええんやクローノ。カッコつけてるだけじゃ、本当に欲しいものは手に入らせーへんで? カッコ悪い事も……必要な時もあるもんや」
あとで後悔せーへんように、な。もれ出したアベルの呟きをクローノは聞き逃さない。
「アベル……」
クローノは親友を信じると決めた。信じる覚悟を決めて話を聞いた。初めはとまどう内容だったが、アベルの親身な説得にクローノの気持ちも次第に緩くなっていく。
「し、しかし、通信鏡を使ったジャンプはエナジー量が膨大だとこの間……」
「その点は解決や、今朝の時点でな。敵の大本を叩く準備はだいたい整った。後は、全員集合するだけや。そのために使う今回のジャンプのエナジーくらいな、そっちの余りでコト足りるわい。敵サンの機械体の侵攻も今んトコ小康状態にあるみたいやし、今のうちなんや。
それにな、あの姫さんたち、思った以上に猪突猛進でなぁ。居場所がハッキリせーへんねん。目印無いとうまくゲートが開けんのや。助けると思って、な? もともとあっちには残っとる衛星も少ないんで通信可能な範囲も限られとる。だからどっちみち誰かが改良した強力な通信鏡を持って行って、通信可能範囲に二人を連れだし座標を固定させなならんっちゅうわけなんや。お転婆なのも考え物やでホンマ」
気持ちは解るけどな……。そう口にする心底困ったようなアベルの顔に、クローノも苦笑する。
「……頑張っているようですね、二人とも」
「ま、な。向こうは楓国がのうなってから大きな国が無くなったまま小競り合いが絶えンような大陸やからな。こっちと違い重要施設は残っとらんから、機械体も弱い初期型ばかりらしいが……。けど、戦乱ばかり続きすぎたせいで満足に相手できる人材も残っとらん。
そのせいもあって、マイナスエナジーの供給源みたいになっとるからな。姫さんたちの行動もまるっきり間違いや的外れってワケでもないんやが……」
「……ナニールの反攻が近いというわけですね?」
「そや、その通り。どーもな。月のマイナスエナジー吸い上げ率がわずかに落ちとる。満タンに近づいてそれほど大量に必要なくなったって証拠や。そして今回の機械体沈静化やな。おそらく……奴の復活も近いやろ。
そやから、今は全員一箇所に集まっとる事が必要なんや」
「分かりました。そういう事でしたら、行ってきましょう」
「おう! 頼んだでクローノ。ほな、きばって連れてきてや」
「あとの事は──頼みましたよ?」
軽く、それでいて真剣に顔色を伺いながらクローノが訊く。
「おぉ、まあ任せてくれや。本国への連絡もつけておくさかい。その代わり、帰ってきたら書類の山やろうけどな?」
互いに見合って苦笑する。セレンシア神聖国も、今回の事態を受けて、緊急措置としてアベルとクローノの免罪措置を取らざるを得なかったようだった。罪自体が誤解だった事もあるが、必要な人材だと判明した以上、セレンの立場上二人を罪に問う訳にはいかなくなったということだろう。
ルシアからの一言があった事も大きかった。向こうのルシア親衛隊みたいな人間達が狂喜乱舞したという噂を聞いて苦笑するしかなかったが。ともあれ、クローノは現職の罷免を解かれ立場を復帰させられ、アベルと共に超重要人物に格上げされてしまった。まったく調子のイイ話だ、「国」というものは。
アベルに東大陸の地図と携帯食料、改良した通信鏡、その他必要だというこまごました発掘物を手渡され、クローノは部屋を出ようとする。
「ああ、クローノ。部屋をでる必要はないで。この場で送ったるよってな」
「え? しかし……」
皆に説明してからのほうが……。惑いの表情が浮かぶ。
「皆には俺から伝えといたる。心配すなや」
「―――しかし、それでは」
誰にも一言も話せない上、自分の旅支度も何も無しで行ってこいということなのか?
「必要なものは着替えも含めて揃えてある。俺が信用できぃひんか? クローノ」
アベルに見つめられて、クローノはたじろぐ。真摯な、嘘のない瞳だった。
信用したい。だが、今までの行動を見ていると……。そんな表情がクローノの顔に浮かんでは消える。
しばしの迷いの後、クローノの瞳にひとつの決意の色が満ちた。
「……分かりました。後のフォローは任せましたよ、アベル」
そして、あとを頼みますアリアム王。
「おう。それじゃあな。そっちこそ頼んだで。向こうでは、遺跡に模したジャンプ端末のひとつに出るからな。いやあ、使えるのが残っとって良かったでホンマ。そいでな───」
世間話に無駄に長いアベルの台詞を汗ジトのクローノが遮った。
「……あの、急いでいるのでは無かったのですかアベル?」
ヒュィィィィィ―――ンン、ブゥワーン。ブ…………ン。
放射状の光の帯とともに軽い金属音が消え去り、クローノのジャンプが完了した。
クローノを送り出したアベルは、ひとり微笑む。
「達者でな、クローノ。もう会うことも無いやろ。お前の悔しがる顔が見られへんのが、心残りやで」
笑顔でそうつぶやいた。曇りのない、まったく自分に嘘のない笑顔だった。
◇ ◇ ◇
デュランは焦っていた。
ルシアと話していたわずかな隙に、アベルの姿を見失ってしまったのだ。
それから小一時間。小走りに姿を探す。が、見つけられない。
このまま足止めできずにカルロスが見つかってしまったら―――!
焦りは膨らんでゆく。それだけではない。
つい先日の故郷の国での出来事が頭をかすめる。
今のところ、ここ数日間機械体の侵攻は止まっている。だが、それが嵐の前の静けさでしかない事を、デュランは本能的に気付いていた。ナニールが復活したのか、それとも機械体どもが大部隊での侵攻で一気に攻め込む算段をつけ、仲間の数を大増産しているのか。
どちらにしろ、こんな事をしている場合ではない。仲間を疑ったり、仲間同士で探りあったりなど、している場合ではないというのに―――!
必要な事は分かっている。分かってはいるが、焦りが足を速めていく。
と、廊下の先にアベルの後ろ姿を見つけた。気づくと、デュランは走り、全力で追いかけていた。
「アベル!」
デュランの大声に、アベルは立ち止まり、振り返る。
「なんや用か? デュランさん」
気楽な調子で笑顔を向けてくるアベルに、走ってきた大男は息を整え、話し出す。
「い、いや。それが、だな。アベル、少し、……話さないか?」
「おっかしな人やなあ、今話しぃしとるやないか。だから用件をはよ言いなやって」
まずは息整えてな。そう云って苦笑する。その余裕を持った姿に少しだけ訝しく思いながらも、デュランは続ける。
用意していた話題を口にのせた。
「この先の、だな。方針を聞きたいんだ。会議での話は聞いた。だがアベル、俺はもっと詳しく聞きたいんだ。君の本当の考え、計画を。あのままではまだまだ概要にしか過ぎないじゃないか。もっと具体的な策をくれ!……教えてくれ。君はこの先どう動くか、ちゃんとした考えを持っているのか?」
そう、この王宮に滞在し始めてから、三日。細かい会議は何度もしたが、その都度これからの計画の詳しい概要は話をぼかされ続けていた。
「ふむ、この先の方針、やね?」
「ああ。ナニールがいつ回復してくるか分からない現状で、機械体の侵攻も一段落している。だが、これは嵐の前の静けさだと俺は思う。だが俺程度の頭では、今何をするべきなのか思いつかないんだ……! 有効な戦略も、戦術も。だから、リーダーである君に、これからの方針でちゃんとした考えがあるのなら聞いておきたいと、思ってな……」
今のところなにも教えてくれてないだろう? と、少しでなく本心として迫る。
「そうやね。なんやらちゃんと答えないと首絞められそうな顔しとるなあ。けど、今夜の会議でじゃ駄目なんか? それまでに話ぃまとめてそこで発表しよう思っとったんやけど」
「夜、か」
露骨に落胆が顔に出る。
「まあええけどな。変に勘ぐられるのも困るし、少しだけ話ィしたろーかい。
今はな、まずは全員が一同に集うことが必要なときやと思うとる。実はな、通信鏡を転送に使えるエナジーが今日たまったんや。せやからな、まずはさっそくクローノに東大陸に飛んでもらった。蓮姫たちを迎えにな。何日かかるか分からんが、できるだけ早く連絡してくれゆうてある。それから会議で言うつもりなんやが、飛行機械持っていかれてしもーたからな、新しいやつをルシアとムハマドには取りに行ってもらおうと頼むつもりや。使えそうな機体のその場所も見当ついてるしな。
あとは、まあ他にも話しはあるんやけど、それはまあ、あんたに頼みたい事も含めて夜、会議でな」
……驚いた。
瓢箪からコマ。勢いで訊いた本心からの質問に答えが来て、デュランは心底ほっとしたような気持ちがした。
「そ、そうか。ちゃんと考えていてくれたんだな……よかった……」
「当たり前やろが。もしかして俺が怠けとるとでも思うてたんかい。酷いでそれは?」
頭を掻く。
「いや……すまない」
「そう……ホンマにな、酷いでデュラン。今のはあんたの本心やろうから話につきおうてやったけど。その間にヒトの部屋あさらせるなんてなあ? いくら子供の発案とはいえ、大人のあんたが止めてやらなアカンとは思わんかったのかねえ―――? 過保護は罪なんやで? デュランはん」
いきなり、口調が変わった。
「!?」
(な―――バレていた!? そんな……ばかな。だとしてもいくらなんでもそんな細かくすべてが分かる訳が……。―――!?)
まさか。
「……まさか、アベル、まさか君は俺たちの部屋に……」
「ん? あぁ盗聴器か? しかけるかい、必要ないわンなもん」
ホッとする。そうだ、当たり前だ。そんなこと、ある訳がない。
「そうだよな、すまな―――」
が、
「ただ、通信鏡がオンの状態では本体のある地下基地に会話がすべて登録されるってコト、言わなかっただけやないか。普段の会話も含めて。なあ?」
「!!?」
続けられた言葉に全身が硬直した。顔が泣きそうに歪む。オンの状態、だと―――?
「オフの状態にするやり方など、教えてもらっていなかったぞ……」
オフにできるかどうかすら知らなかった。あれはもらった当初からずっとスイッチが入りっぱなしのはずだ。使うとき以外の閉めた状態でもちゃんと作動していた。ずっと……ずっとだ。
そして、端末としての都合上いつも肌身離さず持ち歩いていた。それが―――
「ああ、言わへんかったな。それがどないした言うんや?」
ショックだった。アベルが自分たちと微妙に距離を置いていることは気付いていたのに。なのに、それでも、ショックだった。思っていた以上に。
「…………アベル。俺たちを、信用してくれていなかったということなのか……?」
「アホぬかすなや。信用してたに決まってるやろ。そのウデと能力をな」
それ以外は、まったく信用していなかったということなのか……?
「現にあんたら俺の部屋あさってるやろ。どこをどう信用してくれって? ああ、あんたらが機械体やナニールを倒したいっていう気持ちか。それも勿論信じとるで?仲間やモンなぁ?」
笑顔で言い放った。
「……」
もはや、デュランには何一つかける言葉が思いつかなかった。
彼は、本気で言っているのかそれを? デュランには信じられなかった。何も言わずすべてを盗聴しておいて、それでも仲間として信用している、だと―――?
「アベル……君は……」
「悪いなデュランさん、このままだといらんモンまで見られてまいそうや。急いでかけつけさせてもらうで? 足止め役なんやろうが、すんまへんな」
ウインクしながら通信鏡を右手にかかげ、片手で開く。親指が信じられない速度で動き画面上部の空中に魔方陣のような文様が浮かび上がる。
「ま、待て。アベル!」
デュランが我に返り手を伸ばす。が、わずかに遅く、爆発的に広がった文様がアベルを包み、閉じた。
「な!!?」
つかんだはずの腕がすり抜け、そして落ちていた。光が消え、瞬間的に薄暗くなった廊下には――デュランの巨体だけしか残されていなかった。
呆然とする。なんだ今の現象は? あれも教えられなかった使い方の一つだというのか。あんなものは知らない。ジャンプは膨大なエナジーを必要とし、光ももっと巨大で何よりも融通がきかなくて、そして、近距離の場所にはジャンプする事はできないのではなかったのか――!?
……どこまで、馬鹿にすれば気がすむのだ、アベルッ!
怒りが頂点に達し口から唸りが漏れ、再度、瞬時に我に返る。カルロスが危ない!
「いかん、カルロス! 逃げろ!!」
デュランは廊下を走り出した。
◇ ◇ ◇
カルロスは途方にくれていた。
うまく部屋にもぐりこんで家捜しを始めたのはいい。だが、何もでてこない。
「いや、何も出ないほうがいいっちゃいいんだけどな……」
なんと言っても疑いでしかない訳だし。
引き出しを開ける。戸棚を開けてクロークを開ける。押入れを開け、再度引き出しを開け、机の下をのぞき壁をたたいて歩き回る。ベッドの下にも潜ってみた。カーペットも持ち上げてみた。天井も探る。
一通り試した。が、何もでない。出てこない。
「こりゃ、見込み違いかもしれねーな」
あまりの何も出なさぶりに、つい独り言が多くなってくる。いいコトなんだが。
このまま何も出ないなら、早めに切り上げて部屋から抜け出さないといけないな。
「何も見たり盗ったりしてないのにドロボー呼ばわりされたらたまんねーからなあ」
机の椅子に座って脚を上げて回す。指紋がつかないよう手袋はしてるから、つい気が大きくなって気が抜けていた。椅子がバランスを崩す。倒れそうになって机にしがみついて踏ん張った。ヤベ。
「うわ、かっこワリ」
誰もいないのに見られていないか見回しちまうじゃねーか、クソ。
ン?
その時、一番下の引き出しの奥の底面が動いた気がした。位置が微妙にズレている気がする。
「……」
慎重に引き出しを全部引き出し、荷物を除ける。そして―――
「……二重底か」
何もないってことはないのかもな。
何も無いならこんな仕掛けをする意味がねえ。
カルロスはさらに慎重に底の一枚を剥がし、その下に書類が隠されているのを見つけた。
分厚い、日記か計画書のようだった。
「これは……」
そして少年は中に目を通し―――
「クソッタレ! なんだァそりゃあッ!!」
思い切り怒鳴り声を上げていた。
デュランが駆けつけた時には、アベルの部屋にはまだ鍵がかかっていなかった。
(まだ、誰かいる!)
「カルロス! 無事か!?」
急いでドアを開けた。そこに―――
「な―――!?」
どんがらがっしゃん。
目の前に椅子に足をとられて転がっているカルロスがいた。
「―――すまん。脅かしたか」
赤い顔ですばやく立ち上がったかルロスが怒鳴る。
「すまんじゃねーよ馬鹿野郎! なんで入って来んだよ見つかったらどーすんだコラ!! ってゆーか今のでばれちまったんじゃねーだろーな? くそっ、アンタ、足止めはどーしたんだよこのウド!アホッタレッ!」
暴言だったが、デュランは気にせず急いで辺りを見回す。
「それが、逃げられてしまったんだが、……まだ来ていないのか?」
「はぁ? 何ゆってやがんだよ、来てねーのは見て分かるじゃ―――、ちょっと待て。逃げられた?それじゃあ探索してることも全部ばれたってのか? 何やってんだよアンタッ!?」
その怒鳴り声をデュランは途中で遮った。
「落ち着け。今はそれどころじゃない。あいつは俺よりも先に行ったんだ。家捜しの事もすべてばれていた。なのになぜ俺が先に着く?」
言われて、見合わせた二人の顔が青くなる。
「まさか―――」
◇ ◇ ◇
「う~~、暗いわねえ。それにナハトさま、なんだか前より湿っぽくなってないですか?ここ」
「色々あって土台にも負担をかけたからね。地下水が漏れてきているのかもしれないな。気をつけないとね」
外が昼とは思えないほどの闇の中を、水晶球の淡い光だけを頼りに、少年と少女が歩いていた。
ナハトとラーサだ。
二人がこの地下通路に入ってから、一時間は優に過ぎていた。
曲がり道や二股があるたびに立ち止まって念じているラーサに、何もできないナハトは不安が募る。
「あの、ラーサ。もしかして、迷ってないよね?」
「あら。ナハトさま、大丈夫ですわよ。ご心配なさらないで? あんまり心配されると少し傷つきますわいくらあたしでも」
薄い胸を張って主張するラーサ。すねた顔で身をくねらせるのも忘れない。
薄闇の中それを見たナハトは苦笑する。
いつもと微妙に口調も違う。ナハトと二人きり専用という事だろうか。普段の姿も言動も見ているのだからあまり意味がない気がしないでもないが、それでもストレートに好意をぶつけてくる少女に、ナハトも悪い気はしていない。ただ、それが本気か憧れか分からない上に、ナハト本人もかなり朴念仁な所があるから、気づかないうちに知らず知らずにいなしてしまうのだが。
「あ、ごめん……すまないラーサ。少し神経質になってたみたいだ。気をつけるから、許してくれるかい?」
「ええ、ナハトさまですもの。喜んで」
そんな事で愛しの人に怒ったりするもんですか。少女は思う。
(そうよ、せっかくふたりっきりなんですもの! 少しはふたりの仲を前進させておかなくっちゃよね!)
だから艶のある笑顔で返す。返されたナハトは(どこでそういう表情を勉強してくるんだろう)と不思議でしょうがない。が、それだけだ。まだまだナハトには自分の攻撃が通じないと分かり、ラーサは落胆し、ため息をつきながら歩き出した。
まだまだ純粋な王子様に安心感も抱きながら。
ナハトにはどうして少女がため息をつくのか分からない。
まさか11歳の少女がそういう深い意図で分かっていて表情を作っているなど、朴念仁のナハトには想像もついていなかった。
「今のところ、どこまできたのかな? オレたちは」
ナハトに訊かれ、ラーサも真剣な表情に戻り答える。
「はい。たぶん、地上の地図でいえば、このあたりの真下くらいだと思います」
地図を片手に説明する。
「……結構来たね。あるのなら、もうそろそろ部屋とかがあってもよさそうだけどな」
「前にけが人を休ませた通路とは違う道にきてますからね……水晶に導かれてきたから迷ったりワナにひっかかったりはしないですけど、どこに何があるかまでは……すいませんナハトさま……」
ラーサは軽く視線を落とした。
「いや、いいよ。大丈夫、別に責めてるわけじゃないさ。ラーサはよくやってくれてる。……ありがとうね」
好きな人のお礼、しかも笑顔つき。それだけでラーサは舞い上がった。舞い上がってつま先で地面をくるくるとかく。
「そんなぁナハトさま、ありがとうだなんてナハトさま。……うれしい」
ラーサ、意味が分からないよそれじゃあ。苦笑しながらナハトは視線を前、奥の暗闇に向ける。と、
「ラーサ!」
鋭い小声で少女を呼んだ。
「―――!」
ラーサも気を引き締めて横に並ぶ。
光を向けた暗がりの先に、ほんのわずか浮かび上がるものがある。右側の壁の腰あたりに見えるもの―――取っ手が。
どうやら奥に部屋があるようだった。
「いい、ラーサ? 開けるよ?」
「いいですわ」
ナハトは慎重に取っ手を回し、音を立てずにドアを開く。
こんな所にある扉だ。砂やほこりで擦れた(す )音がするだろうと思ったのに、するりと開いた。
驚いて、二人して顔を合わせ、頷き合う。最近何度も人が出入りした証拠だ。
ゆっくりと、人が通れる隙間だけ開け、中を覗く。
「ナハトさま、何か……見えますか?」
小声で尋ねる少女に、ナハトも小声で返した。
「―――いや、暗すぎて何も見えない。少し大きく開けてみるから、気をつけて、ラーサ」
頷くラーサを見て、ナハトはゆっくり大きく扉を開け、身を隠しながら手で中を探る。その瞬間、扉の内側に取っ手が無いことに気づいた。
(これは……ホントに悪いほうに当たりかもしれない)
いきなり閉じたりしないよう気をつけながら、気を引き締めて扉を開け放つ。
「ヒッ!? コールヌイさん!!」
ラーサの悲鳴で、奥で椅子に縛られうつむく男の姿を認識した。うつむいた姿勢のままぴくりとも動かない。ナハトからはそれが誰だか分からない。だが、ラーサの視線の位置からは、その顔が見えたようだ。
弾かれた様にラーサの身体が中に進む。
「いけないラーサ、まだ入っちゃ! くそっコールヌイさん!!」
ナハトもラーサに続き中に入り駆け寄る。その際、ドアの下にナイフを差し込み動かないようつっかえるのも忘れない。このまま二人まで閉じ込められたら笑うに笑えない。
「コールヌイさん! コールヌイさんっ!?」
ラーサの必死の揺さぶりで、わずかに元影頭の眉根にしわが寄る。
(よかった―――)
生きてはいるようだ。
「よかった……よかったよぅ……―――」
ラーサにもそれが分かったのか、泣きながらその身体にしがみついている。
だが、目を覚まさない。薬か何かで眠らされているようだ。筋肉も弛緩しているから、二つ以上の薬を併用されているのかもしれない。
「……くそ、いったい誰がこんなことを―――」
「――――――俺や」
背後、ドアの辺りで声がして、瞬時に振り向く。
目に入るのは、ドアにひじを突いてもたれている人影。
「ちぃーと遅かったみたいやな。なんや、見られてもうたんかい。しょうーもないわな、見られてもーたら」
「――――――なんで……なんでよ……なんでこんなひどい事するのよ、できるのよバカぁ……!」
ラーサの罵声に笑顔を向ける青年がそこにいた。
アベルだった。
第七話 『意地 〜叫び〜』 了.
第八話 『意地 〜願い〜』に続く……




