第六話 『意地 〜祈り〜』
赤い世界だった。
真っ赤に染まる一面の砂原が、時が経つにつれて金色に変わってゆく。
朝焼けの一点から次第に光が顔を出すそのさまを、彼は座り込み、足を抱えたまま見つめる。まばたきを意識的に止めたままで。刹那も見逃したくないとでも云う様に。
動く事もなく、声も出さず。
何日も───
それは、幾日目の朝日だったろうか。
その金色の世界の中で、初めてその身体がほんのわずか、軽く震えた。
時が経ちいつしか今日の朝日が丸くすべてを現し終え、空の頂に届こうとした頃。
彼は座ったまま、ズボンのポケットから小型の「鏡」を取り出した。
通信鏡を開く。
そして、彼は静かに画面を見つめ続けた────
◆ ◆ ◆
俺は思うんや。
自分は本当は何をしたいのかと。
惑う事はない。ただ、問いただす。
自らに。自らの内に。心が残っているのならその心に。もはや残っていないのなら──。
やろうとしていることは分かる。
その為に必要な事も。
リアルに物事が浮かんでくる。すべてが用意されているかのよう。
迷いが無い、というただそれだけのコトで、人はここまでクリアになれるんやろうか。
すべての脳の活動をそのためだけに。すべての心をその為だけに。
機械の心。キカイの心だ。
気持ち悪いとは思わへん。ただ、時が経つほどに自分が嫌いになった。それだけや。
せやけど、それでも俺は動いてゆく。止まることはできない。
なぜなら、その為に、その為だけにこの五年のすべてを費やしてきたんやから。
ルシアたちの様に永い年月やない。せやけど、永さだけが強さと同義だなどとは言わせぇへん。
言わせてなんてたまるかい。
地下基地を発見した俺は、ただ独り薄暗い地下で学び続けた。
すべてを何も知らない蛮族のごとき自分が、数ヶ月で。埃まみれの朽ちかけた本の山。
数万冊に及ぶゴミの中から命を削って学び終えた。
結果ヘイムダルの再起動に成功し、そこからさらにヘイムダルの知識と動かし方のすべてを同じだけの「時」をかけて学んだ。
食べるものも食べず死にかけた。
脳に栄養を送るためブドウ糖のみの点滴を繰り返し学び続けた。
その頃には既に狂っていたんやろうと思う。
いつの間に狂ったのか、初めから狂っていたのか、狂おうとして狂ったのか、狂おうとして狂えずに狂うフリをし続けたのか。もはやそんな事はどうでもええ。
どうでも良かった。
目的のため。唯一つの結果だけを求めて。
世界中の情報を集め続けた。整理し、計算し、その結果を引き寄せる為だけの計画を立て続けて。
そして実行に移した。
世界中から見い出した封印者になり得る適合者候補を洗い出し、選別した。
ルシアという過去人を追跡し、その端末杖にデータを送りつけ気付かれないように誘導した。
ナニールにも気付かれるわけにはいかへんかった。
【小瓶】と【蟲ども】に作用するブラインドウイルスを撒き散らして操作の痕跡を見えなくし、奴にとって邪魔者であるルシアの情報を細かく断片にして流し、先回りさせそちらに集中させた。機械体や探索虫が集めた情報ではないと気付かれてはならなかった。
慎重に、慎重に。
すべては自分たちの力と偶然がもたらしたものだと思い込ませた。
適合候補者たちとその近しい者たちの経歴をすべて調べ上げ、配置を完了させた。
計算。
ある者は旅に出なければならない様に、ある者は必要な心の強さと能力を開花させる方向へ。
計算。
ある時は手を差し伸べ、ある時は事態の推移により候補たちの心が壊れようとも見過ごした。心など動かへん。動く心はあの時死んだ。
計算。
そして、最後にはこのアルヘナ砂漠へ集まるように。すべての音楽が収束するそのさまを人形の音符で再現する。
計算計算計算。
シェリアークを奪われたことは痛いが、それ以外ではほとんどの操作に成功した。
心を操りはしない。封印には純粋な強い感情が必要なんやからな。過去の精霊科学の弊害により、今の時代の人間が失ってしまったエンパシーに近い感情の爆発能力。練成できれば物理力など比較にならない程の力を秘めた能力者たちの心を操らず、覗かず、ただ確率と統計の計算のみで【さとり】と【未来操作】を実現させた。
誰も気付かぬレベルで。ただ、必要な時に必要な場所に必要な言葉と物と人物と事件を配置し出会わせる事で。間接的に間接的に。点と線と。すべてが自然にこの状況になるように。細かい塵のような「小石」の配置。
百億手を超える詰め将棋。
脳みそが焼き切れるほどの終わり無い計算の果てに……。
「────せやけど、あと少しでそれも仕舞いや」
この見えない糸の糸繰り芝居も最終幕を残すのみ。すべてが終わりを遂げたとき、エピローグを観る事ができるのは誰やろうか。俺ではありえないのは残念やけど。
身体の中で「病」が動くのが解る。変質した細胞の群れ。欠陥品の血液が巡る。
おのれの細胞サイズの事柄すら計算により現状を完璧に理解しながら、おのれを救うすべての事柄が間に合わない、それが解る。体を酷使し、治療せず、未だ放射線の残る地に居続けた弊害だ。五年前なら気が狂ったやろう。せやけどすでに狂ってるんやからもはや大した事柄でもないやろう。
すべては、目的のために。
全脳細胞を使って、使い切ってここまできた。ここまで来れた。それでも。
これから先は確率をあまり高める事ができひんかった。後の推移はフィフティ・フィフティに近い。ヘイムダルが居ない状況での詰め将棋はもはや無理は利かへんやろう。
もしかしたら、糸繰りを抜け出した誰かが俺すらをも出し抜くんやろうか。
だとしても、せめてそれがナニールではない事を祈ろう。
神などいない?
ならば確率の神にでも。
最後にひとつ。いまさらどうでもいい事やけど。
見えない塵の一つひとつすらをもすべてが関わり合い影響しあうこの世界が。
関わり合わないものなど何一つ無いこの世界が。
これだけ醜悪な絶望の支配する大地だというのに。シィルの……愛した者のいない世界だというのに───
「なんで……憎んでも、嫌いにだけはなれへンのやろうな……」
赦してェな、シィル……。自嘲のつぶやきに乗せて歩き出す。それは誰に向けての言葉だったか。
「躊躇はせぇへん。薄っぺらい正論や正義感程度で……止められるもんなら止めてみるがええ……!」
五年間、常に冷静だった男が本当の感情をあらわにし、牙を剥いて唸っていた。
握り締めたノブが変形しそうに歪み、部屋の空気が動き始めた。重量感ある王宮の扉がきしみ、開く。そして───
ひとつの終わりが、始まる。
◆ ◆ ◆
息を殺して待っていた―――
アベルの自室、寝室の前だ。
神殿のような真っ白い巨大な柱の陰に隠れて、「その時」を待つ。
(しっかし、デケェなこの柱……これだから王宮ってやつぁ……ったく)
朝の早い時間。部屋の中のアベルはまだ起きたばかりだろう。
これからおれは家捜しをしなけりゃならない。
もちろん、無断でだ。見つかったら只じゃすまないだろう。
そういう割り振りになっちまったから仕方ねぇ。だが……理不尽だ。理不尽極まり無ェというか逆にココに極まれりだ。
ほかのヤツがやった方が、見つかった場合のお咎めが小さい気がする。絶対に小さい気がする。誰かの悪意の匂いがするぜ、絶対に気のせいじゃねェ。
――――しょーがないじゃない。ここでこーいう事して一番違和感なさそうなのは、この中であんただけなんだから。
どこの偏見だそれは。
――――あんたなら裏のイトを読まれることなく、簡単に「ただのドロボー出来心でしたごめんなさい」って事ですんなり納得してもらえるわよ。もともと悪徳商人だし。見た目ワルだし。すごいわあなた(ハート) なんてすばらしい才能なのかしらホメてあげる。えらい偉い(ハート)
撫でんな、納得なんてされたかねーよ悪徳はテメーだクソ女ッ! ハートマークつけたって誤魔化されるかこの女グレムリン!
――――だぁってー。こっちの全員があんたを疑ってます~なんてアベルに気付かれるわワケにはいかないじゃない。それに、最悪捕まっても誰か残ってないと後から助けようにも助けられないわよ。そー思わない、ねえ?
……で、まさかその説明で納得しなけりゃならねーのかおれは? なァおいちょっと、目ぇ見てしゃべれや?
そう……それが、そのアホみたいな会話が今から1時間ほど前の明け方の出来事だった。
「つーか、仮におれが捕まったとしてよ、本気で助ける気あんのか? あのチビ女……」
イマイチ全然信用できねー(汗) やり取りを思い出すだけで腹が立つ。
まあ、確かに何も分かってない今の状況で何かしようとすれば、この方法以外ありえないというのも分かる。リスクを避けてばっかりじゃ何もつかめやしねぇ。情報が圧倒的に不足してるんだ。虎穴に要らずんば虎児を得ずって言葉もある。だが。
だからって、言い方ってもんがあるだろーよ、ナァ?
「……あとで覚えとけよクソチビ」
呪いを込めておれはもう一度息を潜めた。
ラーサの立てた計画はこうだ。
まずはアベルが用事で部屋を出るのを待ち、部屋から離れた場所でデュランが話しかけて時間を食わせる。その間にカルロスがアベルの部屋を家捜しし、「何か」を見つけ出したら痕跡を残さず立ち去る。この場合の「何か」とは、クサイと思うなにかの事だ。
……曖昧なことこの上ねーが、ま、その辺は文句を言っても始まらねェ。仕方ねーコトだ。それ以上の案をこっちも出せなかった以上はな。
その間ラーサとナハトは地下迷宮を探索する。そう、あの王宮脱出のためのやつだ。
王宮側の入り口は分からねえが、出口は分かっているので進入は難しくない。中のワナと迷路にさえ気をつければのハナシだが。
その場所に何か気になるところでもあるのかと尋ねたら、帰ってきた答えは
「知らないの? 悪い奴ってのはものすごーく高い所か薄暗い地下に必ず何か隠してるもんなのよ。じょーしきよ常識。お約束ってやつね」といわれて目まいがした。
なんでこんなお子様にいーよーに使われなくちゃならねーんだ?おれら。
――――なんなら代わる? ワナを見つけられるのも中で迷わないのも、水晶使いのあたしだけだと思うけど。
にんまりと笑いながら言われて煮えくり返ったが、配置は確かに悪かないので文句はあるが反対できねー。てゆーかお前ナハトと一緒に居たいだけだろ絶対ぇ。
「くッ、このカルロス様ともあろうものがイイよーにあんな小娘ごときに……いつか、いつか覚えてろ……!」
自分くらいの少年がそういう言葉を使っても滑稽なだけだということにカルロスが気づくことは……まー多分しばらく無い。
そして、思ったよりしばらく待ってようやくアベルが部屋を出た。廊下を奥へと歩き出すアベルを見送り、カルロスもまた動き出した。
◇ ◇ ◇
訪ねた部屋にカルロスの姿は見当たらなかった。
「……どこに行ったんでしょうかねえ」
ムハマドの問いにルシアも歩きながら首ををかしげる。カルロスの部屋を筆頭に、ナハト、デュラン、ラーサの部屋を訪ねて回ったのに、誰も影すら見当たらない。
「どこかに出かけてでもいるのかもね」
まったく。物でも人でも必要な時ほどいつも見当たらない。
「仕方ないね。気は進まないけどカルロスは諦めてまずはクローノから捜そうかね」
「あれ? ルシアさんはクローノさんが苦手なんですか?」
「あぁ得意じゃないね」
ムハマドの指摘にあっさりと認める。
「珍しいですね。ルシアさんなら誰だって蹴散らしてあごで使いそうなんですが」
「……泣かされたいらしいねアンタ? 人をなんだと思ってるんだいまったく、その言葉覚えとくからね。アタシゃねえ、堅っ苦しい話し方する奴が苦手なんだよ実は」
不機嫌につぶやくルシアの後に、ムハマドは笑顔で続く。
「……なに笑ってるんだい」
恐ろしく不機嫌な声。魔女の声もかくや。しかし、ムハマドの笑顔はまた少し深まった。
「いえ、らしくなってきたなと思いましたから。良かったです。さっきまでのルシアさんはいつものルシアさんじゃありませんでしたから」
「だから人をなんだと……あーもういい、いいよもう。アンタの底抜けの笑顔を見てるとそれだけで怒るのが馬鹿らしくなってくる。得な奴だねアンタも……おっと」
と、廊下の角まで来たとき、小走りで移動していた巨体にぶつかりそうになった。と、巨体の主の表情も老婆を見て心持ち固まる。
「デュランじゃないか。どこにいたんだい? あーいや、今はいい、説明はいいからね、カルロスがどこ行ったかだけ知らないかい? 知ってたら教えておくれ」
少年の名前が出たとき、デュランの片頬が一瞬だけぴくんと震えた。
「ん、……や、知らんな俺は。散歩にでも出かけたんじゃないのか? どうせ黙ってても数日後には決戦だ。最後の自由時間を謳歌してるんだろう、多分」
たぶん? 何か、口調が断定的なくせにはっきりしないような……。
じ……と老婆が巨体を見つめる。いぶかしげに見上げ。
「な、何だ? 知らんと言ったぞ俺は。どうしてそんなに俺が知っていると思うんだ?」
「まだ何も言ってないんだがねアタシゃ……まあ、邪魔したね。急いでたみたいだからお行きよ。アタシが悪かったから」
「ああ、す、すまんな」
早足で歩き去るデュランを見て、ムハマドも首をかしげる。
「なんか変でしたね、デュランさん。あの人の場合はルシアさんが苦手なんでしょうか」
「ま、それもあるだろうけどね。なんせアタシとの出会いが出会いだから。でもね……」
それだけじゃない、何かを隠して焦っていた様な―――。
「デュラン―――! ならクローノの居場所知らないかい―――!?」
「さあな、アリアム王の所にいるんじゃないか!? 夜中呑んでたみたいだからな!」
大声で訊いたら廊下の奥から何とか返事が返ってきた。同じ知らないの返事でも、先ほどとは微妙に反応が違う。
やはり何かあるね……。だが、確かめるのは後でいいいだろう。今はそちらよりもこっちが優先だ。
ルシアはムハマドを見上げて肩をすくめた。
「だとさ。行ってみようかね」
アリアムの私室への道を進む。と、廊下の先で立ち話をしているアリアムたちを見つけた。クローノかと思ったが、話し相手はリーブスだった。
「ん? ルシア。あんたが工房から出てくるとは珍しいな」
「ルシアさん、何かお手伝いする必要でもできましたか?」
「ん、いや……話がはずんでるとこ悪いね。ちょっとクローノに用があるんだけど、居所を知らないかい?」
「クローノ、か。さっきまで一緒にいたんだがな……」
頭をかくアリアムの表情がわずかに曇る。それを見て、ルシアの顔にも困惑がよぎる。
「……何かあったのかいアンタら?」
「いえ、アベル君にクローノさんが呼び出されたんですよ。それだけです。一人だけで来てほしいそうなので、わたくしたちはここで待とうかということになりまして」
「……変だね。なんでまたクローノ一人なんだい?」
「ああ……俺もそれが気になってな」
確かに、いまさら情報を遮断する意味はほとんど無い。一人に用があったとしても、ほかの人間を締め出す必要は無いはずだ。
聞かれて困る事でもあるのだろうか?
「アンタたち、心当たりは無いのかい?」
もう一度質問するが、二人とも首をひねるだけだ。夜半までアベルの様子がおかしいと話し合っていた三人だったが、それでも正面きって仲間におかしなことをしてくると思うほどに危機感はない。
当たり前だ。そんな事を考えていては連携など立ち行かないどころか夢のまた夢だ。
だから二人は動かずにこの場所で待っていたのだ。後でクローノに訊けばいいと。
だが……、その楽観がこの後の展開をどれほどこじらせる事になるか。それを、この時点ではまだ誰も気付く事ができなかった。
◆ ◆ ◆
帝都デュッセン。現在のこの世界で最大の人口を誇るファルシオン帝国華の都だ。
最強の軍隊と敵キカイ体の弱点を指摘した優秀な若き軍事顧問などのお陰で、最大の人口を誇りながら、いまだ国民の被害はわずか。首都市民の被害に至ってはゼロを記録し続けている。
大通りはいまだ賑やかで、以前ほどではないが、笑顔も店の掛け声も響いている。
平和な光景だ。市民は国を信じ、楽観論まで出てきている。悲観しているのはごく僅かな人間だけだ。
民が国を信じ栄えるのはいい。良い事だ。だが、……それが国の、世界の実情を知らない、知らされないせいで陥っている薄氷の平和なのだとしたら、それはその国と国民のいかなる未来を暗示しているというのだろうか―――。
事実、この国の民の誰一人としてさえ、他の国の実情を知ろうともしないのが現状だ。
そして、そんな悲観を象徴するかように、ナーガはひとり、地下牢にいた。
「どうにも、ボクはここに縁があるみたいだね」
数ヶ月前と同じ牢の中、汚れたベッドに腰掛けながら彼はわずかに嘆息する。
おのれの人生はとことん波乱万丈にできているらしい。
自分が造られし者だったと知って神聖国を捨ててから、十年以上。復讐者としてすべてを賭けた故国への報復に失敗し、舞い戻った先のこの国でも疎まれ、蔑まれた。だが、我ながら巧く立ち回ったものだと思う。
なにせ一時的にとはいえ、宰相補佐の地位を一度は手に入れたのだ。
が、その後も波乱は止まらない。
政敵に陥れられた挙句犯罪者として投獄され、さらに脱獄後には人間としての肉体や人生をも捨てる事となった。そして砂漠での様々な戦いを経て政治的にも復活、防衛顧問に抜擢されるもまたも陥れられ犯罪者扱いへ……。
……本当に目まぐるしい。何だか嘘のようなお話の様な経歴だ。リストラされて履歴書を書く羽目になったら困りそうだ。などと自分の遍歴を思うと憂うより笑えてくるから不思議だ。しかし、
「まさか、これほど思い切った手でくるとは思わなかったね」
油断していた。
最近自分の周りがきな臭いのは分かっていた。以前陥れられた時と同じ匂い。
それでも、自分ひとりなら何とでもなると思い、早めにファング君を行かせたというのに。
まさか、自分ごときを陥れるためだけに自国の将軍までをも人質にしてくるとは……。
しかも、世界が終わるかどうかというこんな時にまで―――
「ジニアス……」
時は半日ほどさかのぼる。昨夜の夜半の事だ。
仲間たちと連絡を取っていた最中、いきなり屋敷の中に男たちが乱入してきて彼を取り囲んだのだ。
「まさか……君が、とはね……」
瞬時にナーガは数十人もの衛兵たちに囲まれていた。
苦笑してため息と共に通信鏡をしまいながら、対峙した男たちを眺める。その中から歩き出る一人の男。
グリュック・ハイデマン。
ナーガの世話役兼監視人として、ここ数週間身の回りの世話をしていた人物だ。その男が、ナーガの言葉に不敵に嗤う。いや、それは愉悦―――か。
「ナーガ軍事顧問、あなたを拘束させていただきます。罪状は不法滞在者の隠匿です。が、その者にはテロリストの疑いがかけられておりますので、ならびに国家反逆罪の適用も審議されております。ご抵抗をなさらぬよう?」
まるで抵抗してほしいかのような表情で、滑らかに宣言する。抵抗すれば、合法的に叩きのめせるのにとでもいう様に。
ナーガは一瞬の驚きから立ち直ると、不敵に笑顔を浮かべた。こめかみに同時に怒りを浮かべながら。
「なるほど。どなたから命令が出たかは何となく見当がつくけどね。ハッまったく、これだから国というヤツは……欲に取り付かれた人間ほど始末におえないものは無いね。この期に及んで未だ権力闘争を続けるというわけか……。それで? どうするんだい?
たったこの程度の人数だけでこのボクを捕らえられるとでも思っているのかな」
凄みを利かせ不適に嗤う。
「無理でしょうな、力ずくでは。貴方には不可思議な力がおありになるということもありますし。良いですよ、逃げられるのでしたらお逃げになられたらどうです? 止めはいたしませんよ。しかし、そうなると……お友達の方が大変な事になるかもしれませんなぁ」
「ともだち? ボクにはそんなもの……」
ハッ! 思い当たり、笑みがわずかに崩れる。あまりの事にとても信じられない。
「まさか……貴様ジニアスを――――!」
「ですから、抵抗されても構わないんですよ? ナーガ顧問。どうせ貴方の様な『化け物』には友達も何もありますまい?」
「貴様……正気なのかッ!? 自国の将軍をそのような――――!」
珍しくうろたえるナーガを見、そいつは醜悪そのものの薄笑いを浮かべ、口元を歪めたまま周囲に群がる兵に向かい挙げた手を振り下ろした。心の底から嬉しそうに。
「捕らえろ」
昨日のことを思い出して腹を立てていると、カツカツと響く足音がした。
自然石の洞窟に不快な残響を引きずりながら、ハイデマンが牢の前に立つ。
「これはこれは……、いいザマですなぁ、ナーガ殿ともあろうお方が。もしかして、わたしが裏切るなどとはまるで思ってもいなかったということですかな? ククク、ハハハ。それほどまでに信頼していただけていたとは、光栄至極に存じますよ」
慇懃無礼に無骨な身体で一礼する。片手を胸に、もう片方を腰の後ろに回し置く貴族式の礼だ。
「別に。単にその他大勢の小物が、これほど大それた無謀を仕掛けてくるとは思っていなかったってだけの話さ。確かにその意味では油断もしていたね。至極残念だ、君程度に一時的にでも拘束されるなど。それにしても何を可笑しな事を言っているのかな君は? 裏切るも何も、君は初めから欠片たりともボクに信頼されていなかったじゃないか? 同じく、君もボクを信用していなかったようだけどね。
いつかこうなるだろうとは思っていたよ。それが思ったよりも早かっただけ。でもね、一つ言っておくよ。忠告だ。おのれの分を超えた世界への干渉は、生命の消滅を早めるよ君? まあ、言った所で治るくらいなら、そこまで歪んだりも醜くなったりもしないと思うけどね。君の場合は生まれつきの腐り方みたいだから。
ボクだってね、尊敬する人はいるんだよ? 人を選ぶけどね。侮るときも人を選ぶというそれだけの話だ。隠していても腐りきった腐臭のする心は表に出るものなんだよハイデマン。ああ……あまり近寄らないでくれないかハイデマン。ボクはわりと鼻がいいんだ、とても臭くてたまらないよ」
酷薄な笑みを浮かべてナーガが哂う。
人を嘲笑う時にはこれくらいするものだよハイデマン、勉強になったろう?
「―――~~~ッ貴様……貴様ァ……ッ」
ナーガの口上にあっけにとられていた元世話役は、あまりの暴言に酸欠のように喘ぎ、言葉を無くした。
「たかがこの程度で……。その頭の回転の鈍さでよくもまあ舌戦など仕掛けたものだハイデマン、このボクに向かってね?」
その台詞に泡を吹きながら、ハイデマンはワナワナと震え剣の柄に手をかける。
「やれやれ、ほらすぐに地が出る。浅い浅い。いくら反逆罪の疑い濃厚な犯人とはいえ、まだ容疑者だ。牢の中で切り殺したとあれば、君の罪も軽くはないよハイデマン。言ってあげたじゃないか。底は深く持たないと、何をやるにしても相手に真剣になってもらえないんだよ、この道化」
可哀相に。哀れみの視線。
どこまでも自分を見下す青年に、男は視線だけで殺せるほどの憎悪を投げる。
「クッ、貴様……友人がどうなってもよいというのだな!?」
「……」
そう、ナーガがおとなしく捕まっている理由がそれだった。
彼だけならば、たとえ普通の人間が何十人押し寄せようとも振り切る事など造作もない。物質化をといて壁を抜けて逃げればいい。力をセーブしなければ、空を飛び天井を抜けていく事も十分いまの彼には可能なのだ。
なのにおとなしく捕まっている理由。それが、
「……ジニアス将軍は丁重に扱われているのだろうね?」
この国に残った唯一の友人、ジニアス・ファーレンフィスト将軍の身を案じての事だった。
「……フ、それはもう充分に」
ハイデマンの顔に余裕が戻る。にたりとでも音が聞こえそうな笑み。まだ脂汗が顔中に浮いてはいるが。
帝国統合軍総大将グングニール・ファーレンフィストの息子、元第一軍大将ジニアス・ファーレンフィスト。先の遠征の失敗で降格と謹慎処分を受けていたその青年は今、ナーガを捕まえるというただそれだけの理由で罪を着せられ、どこかに軟禁されているのだった。
このままでは、遠く仲間の下に集う事すらできない。
「どこまでも性根に沿った汚い手を使うじゃないか、ハイデマン」
冷笑を収め、引き締めた顔で問いただす。
「……ようやく真剣に向き合っていただけましたな。もう少しで、なにか取り返しのつかない命令を出してしまうところでしたよ……」
命令を出すのは君ではなかろう。そう思ったが口には出さないでおく。
「それは間に合ってなによりだ」
「ええ。お互い……後悔しないですんで良かったですな」
ひとしきり息を整えたあと、立ち直ったハイデマンが口を開く。ガタイに似合わぬ粘着質の声。
「それで、こちらの要求を呑む決意はされたのですかな?」
「やれやれ、もう少しはっきりものを言う練習をしたらどうだい、ハイデマン。ここでは腹芸など必要ないし、ボクには君程度のものじゃ通じない」
「……。いい、度胸ですな……」
「それが取り柄でね。さあ、言ってごらん? 聞いてあげるから素直におなり」
憤怒のためか、ハイデマンの顔色がどす黒いほど濃く闇に染まった。
この辺りが潮時か。
ナーガは気を引き締める。怒らせて操る作戦も、やりすぎると上手くいかないものなのだ。
目の前の男が息を整えている間、突きつけられた要求に意識をむける。
大した要求じゃあない。端的にいえば、すべての情報を渡し、この精霊体の体の秘密を明かせという、ただそれだけのものだ。
だが、渡したところでこの時代の人間の知識では上手く使いこなせはしないだろうし、何よりそんな悠長な事をしている暇は多分無い。だが、説明したところで自由にしてくれるはずもないだろうし、なによりも……。
「……ナニールの回復も、もうそろそろ終わっている頃だろうしね」
「何か言ったか青二才ッ」
小声でつぶやいた言葉に、敏感に反応する体だけ大きな小男を見ながら、ナーガは状況を打破する方法を考え続けていた。
第六話 『意地 〜祈り〜』 了.
第七話 『意地 〜叫び〜』に続く……




