第五話 『策謀』
まだ黄昏時だというのに、その部屋は薄暗かった。
照明の薄い部屋の中、一人の青年が向かい合わせの椅子に座り話をしている。とても楽しそうだ。身振り手振りをおりまぜて、時折り冗談も出ているらしい。
笑っている。楽しそうに。
見ているこちらまで幸せになるような笑顔。途切れる事のない話し声は、彼の内心の喜びの深さを表しているかの様だ。
幸せな光景だった。とても幸せそうな光景だった。
ただひとつ、青年の向かいの椅子に誰も座っていないということだけを除けば。
目前の無人の椅子に向かい、いつまでも、いつまでも青年のお喋りは続いてゆく。
――――――……そうそう、そうなんや。って、は?もうそこは話した? なんや知っとったんかい。いややなー知っとるなら知っ取るって早よ言ぅてーな。無駄な話してもうたやんか。しょーもな。
ん? 無駄やない? 俺の話は聞いとるだけで楽しい?
……真顔で恥ずかしー事言わんといてくれお前。顔から火ィ出るやろがアホ。
ん? 続き? 話のか? しゃーないな。
で、どこまで話したっけかな――――――
(何を……やっているのだ、彼は……)
寒気がした。暗がりの部屋だった。ピンホールカメラの原理で映し出された、誰もいない椅子に向かって話を続けるアベルの姿を見ながら、黄昏の部屋よりなお暗い天井裏で、コールヌイは硬直し、慄然とする。
――――――ああ、まあな。ファング、あいつはなあ。少し揺さぶったるだけのつもりやったのに、逃げてまいよったわ。思ったよりやわかったみたいやな。
残念やで、徹底的に利用したるつもりやったのに。なんもかんも目論見どおりって訳にはいかんもんやな。
せやけどな。ハッ、キカイがいっちょまえにヒトみたいな振りしよってからに。もーちょいで俺も騙されるトコやったわ。
……不愉快やで、ホンマ。
トコトン痛ぶったる……トコトンな……――――――
……これが、あの明るく包容力があり、いつも冗談を欠かさなかったアベルの真の姿だというのだろうか。
今まで、自分たちは彼の何を見ていたというのだろう……。
――――――まあ、これからの事がすべて終わったらのハナシやそれは。終わらすけどな。
今は見逃しといたる。今は、な。
他のみんなは……まあうまく動いてくれとるで、今ンとこな。
こっちはぼちぼち目論見どおりってトコや。くすくす。
連中利用されとることにちぃーっとも気づかず頑張ってくれとるで。いーヤツラやなぁ全員。ま、結果的に敵はみぃーんな滅ぼすから嘘言っとるワケやないしな。いーやろ別に、クスクス――――――
コールヌイは、少年たちの危惧など、思春期特有の心配性でしかないと思っていた。
アベルが何かを企んでいるなどありえない、と。
大人である彼には、何かを成す場合、時には傍目には冷徹に見えることもあるのだということを知っていた。今回もそういう事なのだと。
だが……。
――――――準備は万端や。いつでも仕掛けられる容易はできとる。
そうや……ようやくや。ようやくお前のカタキをとってやることができるんや。
すべてのキカイを灰にしたる。すべてのキカイを消し去ったるんや。
この、世界からな――――――
すべては、少年たちの推測の通りだったという訳か。
コールヌイは自らの勘が鈍っていた事を認め、実感した。悔いは残るが、過ぎてしまったことは仕方ない。こうして知ることができた以上、対処するだけだ。だが、それよりも気になることがある。
(なんだ? 彼は何のことを言っている!?)
準備? キカイのすべてをこの世から消す?
実現すれば、確かに世界は救われるだろう。ファングの事さえ除けば、それは世界にとっての福音となる出来事だ。だが、
(だが、それではこの不吉な感じは何だ? 世界の、身体のすべてが否定するかのような、この感覚は一体何だというのだ!?)
――――――心配せんでええよ。必要な数は確保したで。
後は発見した地下工場と月に【鏡】を使って送り込むだけや。そして、やつらキカイが集まるこの場所にも、な。
……永かったで、五年はな。ここまで来るのにどれだけ苦労かかったことか……。それでも、神官長のじーさんには感謝しとるで。生きる目的を、見つけることができたんやからなあ……。
多分、じーさんの思惑とは、違ったカタチになってまったろうけどな……。
……くすくす。いまさら何や? 後悔か? 俺もしょーもな。
もはや止まらんのや。止めても奴に世界は壊される。なら、俺がハナシを進めたかておんなじや。どうせ壊れるならキカイすべてを道連れにしたる。1体たりとも残したらんで?
くすくすくす。
ん? 大丈夫、大丈夫や。もうすぐ世界からキカイがすべて消え去るで。嬉しいか?そうか、嬉しいんやな。そうや、見物やろうで、きっと。
くすくす。そう、浄化、浄化や。世界はもう一度経験するんや、あの瞬間を。
キカイのすべてを消し去ってくれる、あの「―――――」の浄化の炎をなぁ――――――!
(!!!?)
今、なんと言った? 彼はなんと言ったのだ!?
(馬鹿な、……馬鹿な!!)
彼はまたもう一度世界を……世界を滅ぼすつもりなのか!?
コールヌイは無音で立ち上がる。
(知らせなければ……、誰かにこの事を。彼は危険だ! あれは、同じだ……あの敵と。ナニールと。単に、ただ滅ぼしたい対象が違うというだけではないか!)
そんなもののために知らぬまま加担するわけにはいかぬ。少年たちの姿が脳裏に浮かぶ。彼らを、そんなことに加担させるわけにはいかん。絶対にだ!
足が、動く。
「……すまんな。続きは、ネズミを一匹片付けてからや。大丈夫、いつもの通り、ちゃあんと最後まで話したるよってな。待っとってや、シィル」
唐突に話を切った。わずかに視線だけを上げ無邪気に笑顔を浮かべ立ち上がると、アベルは右手中指の指輪の蓋を開けた。現れたのは小型の「鏡」。組み込まれたそれに向かい、言霊をつむぎながら指輪をつけたまま指で空中に文字を描く。
ティシャ猫の様な笑み。そしてアベルの姿は、空間に笑顔を残し部屋の中から消失した。
◆ ◆ ◆
「ファングがキカイって何!? いったいどーいう事なのよ!」
カルロスたち少年組は、情けない事に詰め寄るラーサの剣幕に恐れをなし、腰が後ろに泳いでいた。詰め寄られているのは正確にはカルロスだけだが。ナハトに対してはラーサは、「……どーいうことなんですかナハトさまぁ?」といちいち語尾を言い換えていた。恐るべき乙女の技だ。
今は会議も終わり、宮殿に割り当てられたナハトの部屋の中だ。
薄蒼い黒髪をポニーテールにした少女が、すさまじい形相でベッドの上に仁王立ちになり部屋の中を睥睨している。
機械体襲撃の予知のために国中を回っていたラーサは、ファングが飛行機械を奪い逃げ出した事も知らなかった。伝えようとはしたのだが、ラーサが「何も知らないみんなを驚かすわけにはいかないから」と「通信鏡」を置いていったために、伝令しようにもつかまらなかったのだ。
帰ってきていきなり会議でその事を聞かされた彼女の驚きは当然、並大抵のものではなかった。
「だ、だから、言葉どおりの意味って事だろーがよっ」
「アンタ馬鹿?」
カルロスは気圧されながらも反撃した。が、轟沈する。
「アンタ馬鹿? それが分からないから訊いてんじゃないもーこれだから男って生き物は……あ、ナハトさまは別ですわ」
ハートが語尾に飛んでいた。
「……ありがとう」
ナハトの笑顔もかなり引きつっている。
「テ、テメーそりゃ差別ってもンだろ! っていうか馬鹿とか繰り返すんじゃねーよテメー!」
「さいっあく! 乙女に向かってなによそれ!! てめーですってぇ、きぃーっ!! アンッタなんかサイテー最悪の聞いた事にも答えられないウスラデクノボーじゃないっ何よそれ? 言い返してみなさいよ論理的に、順序良く、さんっはいっ!」
どうして自分が怒られているのか判らずに、泪目でカルロスは自問する。
(そんなに教えて欲しいんなら、だったらさっきアベルに訊いときゃよかったろーがよッ)
なんだか訊ける雰囲気じゃなかった事は確かだが。……理不尽だ。
「……話を進めたらどうだ?」
年長者のデュランが何とか軌道を修正する。さっきからその繰り返しだ。
「ラーサ、少なくともファングがキカイだったという話は、オレたちもさっき聞いたばかりなんだ。だから、カルロスを責めても始まらないと思うよ? ね?」
それでもナハトのそのとりなしを聞き、不満ながらも一応何とか納得してくれたようだ。
「そーなんですか? ちっ……仕方ないわね」
「聞こえたぞコラ」
「……やめないかお前ら」
デュランはため息をついた。
「そちらも大事だし心配だがな、それよりも今はコールヌイの事だ。だいたい仮にファングがキカイだったとして、他の奴らはともかく、俺たちは何か変わるのか? 俺たちハムアの人間は知っているはずだ、ファングがどういう奴だったかという事を」
カルロスを除く三人は顔を見合わせ、わずかにうなずいた。ラーサは瞳を落とす。
カルロスだけはのけ者になったようで、羨ましそうな顔でそっぽを向いていたが。
「……でかいっていーわね単純馬鹿で。なんでそう楽観的なのよ筋肉のっぽ」
「……状況や立ち位置が変われば国や血など関係ないということを、身をもって知っているだけだ」
新たなあだ名にわずかに口元をひくつかせながらも、デュランはしっかりとした口調で言い切った。
ラーサは「……そーだったわね」とつぶやく。そむけた顔から小さく「悪かったわよでかウド」という声が聞こえた気がした。
「そうだ。つまりは、信じるか信じないかの話というだけの事だ。ファングの気持ち、心をな」
カルロスもそれならうなずく事ができた。
「……だよ、な」
「ディー……」
少年ふたりは口を挟まず、黙っていた。やはり、説得力ではまだまだデュランにかなわないようだ。悔しさの中にも身近な大人に対する誇らしさが表情ににじむ。特にナハト。
ラーサの唇が軽くとがる。
「そんなの……信じてるに決まっているじゃない! だから怒っていたってのにさ、何よあたしばっかりワルモノでさ、ぶつぶつ。で、コールヌイさんがどーかしたの? そういや会議にいなかったけど」
デュランは昨夜の出来事をラーサに話す。
「そういう訳でな、コールヌイがアベルの事を調べに行ったんだが、それきり連絡が無い」
ラーサの表情も曇る。
「それは……変よね」
「そうなんだ。あの律儀な人が連絡も無く姿を消すなんてありえないとオレも思う」
「……ああ、だよな」
しばらく皆同じように腕組みをして考え込み、
「で?」
ラーサの疑問に一同ハテナの顔を向ける。
「だからあ、で? これからどうする気なワケよ?」
一同またも顔を見合わせる。今度は困り顔だ。
「あっきれた、さっきから何を言ってるかと思えば、ナハト様までっ。何も考えないでどーしよーどーしよーとか言ってたワケ? コールヌイさんがいなくなったんでしょ? それにアベルが関わってるかもしれないんでしょ? 疑いたくないけどもんのっすごく灰色に見えるんでしょ?! だったら動くしかないじゃない! こーなったら動いて動いて動きまくって、状況を打破するのよ!! うんそれしかないないっ!って事がなんでわかんないかなあもー。 んもうっ、ほんっと男どもときたら理屈ばっかなんだから!」
……11歳の少女の吐く台詞ではない。
「お前、そー言ったってなぁ……あのコールヌイさんが帰ってこれねーっていうよく考えなくてもとんでもねぇ状況なんだぞ!? おれたちにどーしよーって……」
「はい! そこ! ぐちぐち言ってないできりぃつ礼! 全員たるんでないで床に正座っ! ナハトさまもお願いします(ハート)」
いきなりの大声に全員反射的に従ってしまう。デュランまで。やってしまってから頭をかく。反射的だから居心地悪げだ。
「お、おい……いきなり何やらせやが……」
「はい黙―る! いーい? 迷えるバカチンにこの百年、世界を彷徨って生きてきたあたしたち一族の格言を教えてあげる。【迷ったら負けだ。だから迷うな】、【大切なものは見上げてたって降っては来ない。覚悟が必要なのだよ。自ら選べ。大切なものは自分で大切だと決めて、初めて自らの大切なものとなるのだ】。つまり、本当に大切な何かは自分で決めるしかないの。自分でしか決められないの。自分で決めた事なら精一杯やれるでしょ? だから精一杯やるだけよ。以上っ。
これよりやるべき事を説明します。そこっしっかり聞く!」
逆らえない。泣く子とつっ走るラーサには逆らえない。逆らっても負けるよーな気がする。すごくする。
(そーいやエティにもこーゆー理不尽なトコ、あったよな……)
カルロスは真剣に自問した。女ってのは……なんでだ?
◇ ◇ ◇
(これで、良かったのか……。本当に俺は間違っていないといえるのだろうか……?)
アリアムはグラスに注がれた酒を眺めながら、掛け違えた何かを探していた。何かが違う。どこかに違和感がある。これで本当にいいといえるのだろうか?
「ナーガさんから連絡が入りました。会議に出席できなくて申し訳ない、あと少しで用事が終わる、すべてにケリがついたらすぐにこちらに発つ、との事です」
同じテーブルについたリーブスの声で思索が断ち切られる。
「……そうか。ふたりとも、共に過ごしたい相手がいるだろうが、今夜は付き合ってくれてすまないな。今夜は無礼講ということでいこう」
搾り出した声は、自分で思った以上に力の入っていない声になった。思案げなふたつの顔がこちらを見る。
「別に構いません。どうせ私にはそんな相手はおりませんので」
リーブスとはテーブルを挟んで逆の方向からも声が聞こえた。クローノだ。
「「近くには」だろ?そんなに拗ねるなよ。だったら「いかないで」とだだをこねれば良かったのに」
軽口が思わず口に出た自分に、アリアムは軽く驚く。そういう相手が自分にもできたのだなと思うと、少しだけ気分が軽くなった。
「そうですね。それよりアリアム王、何かご心配事でもあられるのではなかったのですか? そこまで軽口が叩けるのでしたらあまり心配はいらないと思われますが」
アリアムのにやりとした顔にクローノの細めた瞳が突き刺さる。リーブスが静かにお茶をすする音が聞こえた。すぐに三者三様に苦笑を浮かべ、そしてアリアムの表情がまた静かに沈む。
三人は今アリアムの寝室にいた。報告がてら三人で酒でもどうだとアリアムの方から誘ったのだ。
「……いや、すまんな。心配をかけた。大した事ではないんだ、ただの……考え事だ」
「昼間の、会議の事ですね?」
「……」
「やはりそうですか。それは……確かに私もお訊きしたかった事でもあります」
「ファング君の事ですね? それなら、できればわたくしもお訊きしたいですね」
「聞かれてもあまり詳しくは答えられんさ。なにせ俺ですらさっき一緒に聞いただけしか知らないんだからな、はっきりとは」
アリアムの言葉にふたりの眉がわずかに上がる。
「つまり……、アリアム王にも何の報告も無かったと云うことですね?」
「報告が無かったからといって叱るわけにもいかんさ。なにせアベルは俺の部下じゃない」
リーブスの言葉にアリアムは苦笑する。そう、部下ではない。その通りだ。
「ですが、王宮を間借りさせてもらっている以上、まず貴方に対してアベルから報告の義務があるはずではありませんか?」
「当たり前です。何といっても、我々に仲間という言葉を最初に使ったのは、彼なんですから。なのに、彼の我々に対する態度はどこか釈然としないものがあります。信頼を寄せていない。うまく隠しているようですが、執事であるわたくしには通用しません。一目瞭然です」
それも、その通りだ。自分たちを【仲間】という言葉でくくったのはアベルだ。そして、ナニールに対するチーム、同志としての自分たちのリーダーとして現在おさまっているのも。
「……それに対しては別に文句はないんだがな」
「は?」
「いや、なんでもない。確かにな。それとそうだ、一応はっきりさせとくが、ファングがキカイかも知れんというのは疑ってはいた。というより、俺のほうから確かめてくれるように頼んだんだ。気になることがあってな。だが、その後の連絡もなにもなく、こちらに報告するより先に会議で発表したというのが気に入らん。というよりどこか変だ。俺たちに上下の関係はないが、仲間として、そして依頼をした人間として、それに対して何の報告もフォローもないというのは気にかかる。
そして、俺は確かめてくれといっただけなのに、その後ファングは失踪した。何かがおかしい。何かを隠している様な……どうも、彼には秘密主義の側面があるようだな」
そして、それがわずかに崩れるような何かがあった……ということか。
「なるほど……それは、仲間としての自覚が薄いということだとも云えますね。初めにその言葉を使った人間として、いただけない有り様ですな」
「そう、軽く見られているような感じが致しますね。気持ちのいいことではない。しかしアリアム王。あなたがアベルに依頼をした原因の、気になったこととはいったいなんなのですか?」
ふたりの視線が集まる。少しキツイ。アリアムはため息をつき、苦笑した。
「秘密主義はこちらも同じか……すまない。許してほしい。今夜来てもらったのは、それに対しての詫びと、相談もあったからなんだ」
三人はしばし顔を見合わせ、今度は同時に苦笑する。
「そうですね、許して差し上げます。ですが、我々も貴方の部下ではないということをお忘れなく」
「手厳しいな。が、肝に銘じておこう」
「それで、先ほどの質問ですが」
「ああ、実は前回ナニールと戦ったおりの事なんだが、……」
アリアムは、ファングに関して目撃した事実を話した。
「なるほど……光の繭、そして体から漏れる電光、ですか……」
「ふむ、そして重力を無視した力の中心に、ファング君の姿があった、と」
「そうだ」
アリアムはうなずき、ふたりの表情を伺った。
「どう思う?」
「それは……確かにいろいろ疑いたくなる光景ですね、目の当たりにすれば」
その瞬間気絶していたクローノは、悔しそうに臍をかんだ。
「ですけど、それのお陰で助けられた訳でしょう? なら、まずは本人に確かめてみればよかったのでは?」
「観察していて思ったんだがな、どうも本人にも自覚がないような感じだったんだ。だから外堀から埋めていこうと思ったんだが……」
「なるほど。無自覚なスパイというのは我々人間の中にもあります。……暗殺ギルドでの洗脳とかね。多くは催眠などで操られているわけですが、それらも本人にはまったく自覚がないことが共通点となります。その場合操られる本人には罪はないともいえますが……自覚があるのか無いのか、それが問題ですね。確かに、そういう事であれば、準備もなく確かめるわけにもいきません」
「その通りだ」
「ううん、しかし、ファング君は逃げてしまったんですよね……。これは痛い、点ですね……。罪を認めて逃げたのか、罪を自覚して逃げたのか、それともスパイとか関係なしに単に恐慌をきたしているだけなのか……今言ったみっつはすべて、彼が本当にキカイだったということを前提にした上での可能性ですけどね」
「今のところ、そっちは疑う理由がないからな。だが、どちらにせよ、アベルが何を考えているかが重要だということに変わりはない」
「……」
「クローノ……どうした?」
アリアムはさっきから黙ったままのクローノの様子が気になり、名前を呼ぶ。
視線を合わせたクローノは、しばし迷った末に、語りだした。
「実は私も……、最近のアベルは確かにおかしいと感じるのですよ」
「おかしい?」
「ええ、それとなく私も探っていたのですが、どうも、彼は我々に秘密で何かを進めている節があるのです」
「何か、だと?」
「ええ、何かの【計画】です。詳細はわかりませんが……」
眉をひそめたその表情は、いつもとは比較にならないほど沈痛だ。
「アベル君は、貴方の親友……でしたね、確か」
クローノは沈鬱な視線を泳がせた。
「……そう、思っていますよ。今でも」
「……」
アリアムは立ち上がると、戸棚の前に立ち、泪滴型のガラス瓶を持ち戻ってきた。
「これはな、何年か前、遠く西海岸から取り寄せた果物酒だ。極上酒だぞ? 今日初めて開けるから付き合えよ」
「アリアム王……そんな場合では……」
「いいですね。お付き合いしますよ」
クローノが非難の目で二人を見る。アリアムが豪快に笑った。
「そう尖るな。人間余裕ってやつが無いとな。そうしないとどこまでも落ち込んでしまう。さっき俺に教えてくれたのはそっちだぜ?」
ウインク。クローノはため息をつく。
「そうでしたね。いけませんね、どうも、考え込むと」
「一人でいるとな。だからこそ、今一人じゃないならそれを活用するべきだ。そうだろ?」
「仰るとおりです」
にこり。笑顔でグラスを差し出した。クローノにもいつもの余裕が戻ったようだ。
「それでだ、話は変わるが、今日まだコールヌイの姿を見ていないんだが、二人は何か知らないか?」
夜が更ける。まだまだ宵だ。大人たちの話し合いは続いてゆく。
◇ ◇ ◇
(あの子が……機械体、だって……?)
作業台の乱立する工房、自らの椅子に座り机の上の図面に視線をなげながらしかし、ルシアの頭脳は景色を見てはいなかった。
昼間の会議。その場で発せられた爆弾発言に何人もの人間が顔に驚愕の表情を貼り付けていた。そして……多分、自分の顔にも。
自分はなぜこれほどまでに打ちのめされているのだろう。ファングと名乗る少年とは、まだ出会ったばかりでほとんど会話もしていないというのに。
分かっている。彼の顔が大切な者の顔に似ているからだ。
ただ、それだけのこと。これは、それだけの事に何らかの意味を持たせたいという、単なる独りよがりの願望にすぎない。
(あたしは……。未練、なんだろうね……)
彼は、死んだ。ナニールに殺されたのだ。
生きていたのかもしれない、生きているのかもしれない。
もしかしたら、もしかしたら。
可能性は、無い。今のナニールにためらいなどあるはずも無い。なのに願望に支配された状態から抜け出せない。
そんな中、アベルのあの爆弾発言だ。
(あたしはいったい、どうあって欲しかったんだろうね……)
もし仮に彼がアスランだったとして、それでどうしていたというのだ。自分の息子だと、義母だとでも名乗り出たのか?
まさか。
そんなことできるはずが無い。
そう、できるはずもない。今の彼には今の暮らしがある。しゃしゃり出てどうしようというのだ。
それほど悩んでいた。それが、実は機械だった、とは……。
ルシアは自分の感情の持って行き先が見当たらなかった。このままでは知らぬ間に誰かを怒鳴りつけてしまいそうだ。
(今は、誰にも近づいてきて欲しくないね)
なのに、足音が近づいてきて、声をかけた。
「ルシアさん、実は、お話しておきたいことが……」
「今のあたしに近づくんじゃないよっ!」
「……」
足音の主が立ち止まり、息を呑む。
「すまないねムハマド。でもね、悪いけど、もうしばらくは一人にしといてくれでないかい。今はまだあたしらにやる事はあまりない。放っといたって数日後は目も眩むような忙しさになるんだ。それまでアンタも休んでおきな」
ためらう素振り、しかし、それでも離れていく足音は聞こえない。
ルシアは苛立ち、声を荒げた。
「邪魔だって言ってるんだよあたしは! 一人にしといてくれってのが分かんないのかい!?」
沈痛な表情。ムハマドの顔を見て、ルシアの頭も少しだけ冷める。
「……それでも、それでもお伝えしなきゃならないと思って、おいら……だから……」
「……後で聞くよ、それでいいだろ」
「駄目です!!」
ルシアは驚いた。ムハマドがこれほどの大声を出したところを初めて見たのだ。そして、彼がこれほどまでにねばった事も。
「……なんだい、話したいことって?」
ルシアはため息をつき、応じた。仕方ない。彼には世話になっている。
しかし、不満の表情は長くは続かない。ムハマドの話を聞くにつれて、ルシアの表情が変わっていった。
ムハマドはホッとした顔で、伝えなければならないことを伝えた。
苛立ちから呆然、そして驚愕へ。その話の最中、彼が世話をしている老婦人の表情がみるみる変わっていく。
「どういう事だいそれは!?」
「僕も数日前にナハト君たちから聞いただけなんですけど、彼、ファング君は記憶を失っていたんだそうです。そしてようやく先の闘いの間に記憶が蘇った。でも、その記憶がかなり曖昧で、それが自分の記憶なのか誰かの記憶を見ているだけなのか、分からないままだったそうです。そして、その記憶の中に出てくるものに、【シング・ア・ソング号】や【偉大なる任務】という単語、巨大な船から眺めた歓声をあげる人々や、小さな窓から眺めた漆黒の世界、などの場面がある、と」
ルシアの顔が驚愕に彩られてゆく。
「そして、自分はとある船に密航して、そこで家族を得たのだと、言っていたそうです」
今度こそルシアの顔色が蒼白になった。
「でも、でも、アスランは機械体じゃなかった! 人間だったんだ!!」
「ええ。その話をあなたから聞かされていたから、お伝えしなければならないと思ったんです。はじめはどうしようか悩んだんですけどね」
ムハマドは打ち震え動かないルシアの目を見つめ、もう一度口を開いた。
「だからこそ、確かめてみなければならないのではないですか? ルシアさん。彼を見つけて、問いただすんですよ。すべてを聞いて、何かを決めるのはそれからでも遅くはないんだと、おいらは思います」
ルシアはのろのろと顔を上げ、ムハマドを見上げた。
「人から伝え聞いた事だけで判断したら、後悔しますよ、絶対」
砂漠の青年からつむがれる優しい言葉。ルシアは、ゆっくりと頷いた。
「でも、それには、力が……」
「アベルさんの管理しているものには手が出せません。しかし、ここには他にも古代の発掘物に詳しい人物が何人もいることを忘れていませんか?」
あ、とルシア口元が動いた。
「……クローノに、カルロス……」
つぶやくルシアの言葉に返ってきたのは、ムハマドの優しそうな満面の笑みだった。
◆ ◆ ◆
あの五百年前の【大戦】期、発達した前文明の時代でさえ、押し寄せるキカイ体を相手にするための有効な手段は、限られていた。たしかに星のすべてが統一され数千年を経て平和呆けしていたのは確かだろう。文明の最盛期は過ぎていたかもしれない。だがそれだけではない。敵が「生きていない」というただそれだけのことが、それだけ恐ろしいほど有効で、脅威だったということなのだ。
キカイ相手に生物兵器は意味が無く、化学兵器もある種の腐食剤にのみわずかに効果があった程度だった。
気圧兵器も同様、海底や真空で作業できるキカイ体に効くはずも無い。
もちろん銃火器やレーザーなども使われたが、人間の反射速度では高速で動く小さな的に 満足に当てる事すらできなかった。かといってコンピューターを使えば、特殊でかなり希少価値の高い金属を使ったコーティングしていない兵器はすべて乗っ取られてしまうだけだった。
唯一プラズマなどの電磁焦熱兵器類は効いたが、大量のエネルギーを必要とするために局地的にしか扱えず、戦局を揺るがす事はできなかった。格闘技も同様だ。生身で機械体を倒せるほど強い人間など、限られていた。中途半端な実力者など、間接の関係ないキカイ体相手に不注意から【人間相手の】技をかけてしまい、殺されていった。
押し寄せる数百万の「生きていない」敵の物量に、人類は抗う術を持たなかった。
結局、一番相手にダメージを与えられる核などに頼らざるをえなかった。
これなら威力の高さもさることながら、直接当たらなくても副次的な電磁パルスとプラズマによる電脳へのダメージだけで、一気に数十万のキカイ体を葬る事ができた。
大地と空と海と未来……大自然と星そのものを壊しながら。
解っていた。自らの首を絞める行為だとは。
けれどほかに方法は無く、人類はとうとう、並みの核の百億倍もの威力のある【超核】と空間を圧縮し爆裂させる【空間点爆縮弾】を創り出してしまう。
その二つは歴史上のどの兵器よりも威力があった。使い続ければ星が完全に破壊されただろうと言われている。理論だけで創られることの無かった、使えば星そのものどころか星系自体までをも破壊してしまう可能性のある、【反物質兵器】を除いては。
それでも、使えば平坦な大地にさえ、半径が地平線を超えるほど巨大なクレーターを穿ち、湾をひとつ蒸発させ、山を消し去り、……そしてその場所には未来永劫生き物は生まれないとさえ言われた。
人々は未来を切り売りしながら日々を乗り越えるしかなかったのだ。
たとえ星と人類以外の生き物にとって、どちらも等しく悪でしかないとわかっていても。
「それを、その悪魔の兵器を、また使おうというのか? この星を、ようやく復興しだしたこの星を、またも荒野に変えるつもりなのか! 君は!?」
コールヌイはまだ生きていた。しかし、身体の自由は利かなかった。縛られている事もさることながら、以前取り付けてもらった義足がまるで動かないのだ。これではただの重りでしかない。しかも、そこから絶え間なく流れる微弱な電流パルスが、身体の力そのものを奪っていた。
どことも知れない部屋。何も無いただ四角いだけの部屋の中で、縛られたまま前に立つ人物に憤りをぶつける。
「俺はキカイを滅ぼしたいだけ……そんだけや。それ以外のことは知らんし、興味も無い」
口元のみに笑みを浮かべ、疲れたような寂しそうな顔で、アベルは静かに責めを受け流した。
「機械を滅ぼす?【すべて】の間違いではないのかね?」
その自嘲をコールヌイは切り裂くように打ち砕く。自分勝手な事をするつもりの者に自嘲など許さないとでも云うように。
「……かもな。せやけど、それがどないしたゆうねん?」
「君は世界を守るために【仲間】になろうと言ったのだぞ!! 守るためだ! 嘘だったというのか、すべてが!?」
「守る? 守るで。俺のゆう世界はキカイのいない世界の事や。そこに戻すだけや」
「……君は……」
平行線にコールヌイの眉がゆがむ。
「たいがいにせぇコールヌイさん。アンタだって世界ではなく、あの殿下を取り戻したいだけやろうが? 自分だけいい子ぶったって無様なだけやで」
「どちらも本当の事だ!! どちらも、本当なのだ。どちらかが大切などという事は無い! 殿下も、殿下を迎えるための世界も、どちらも無ければいけないに決まっているッ」
途端、アベルが目を見開いた。それまでの気だるそうな印象から一転、恐ろしい程の怒気をはらんだ表情に変わる。
「……甘いな。甘いでコールヌイ。本当に欲しいもの、手に入れられるもんはひとつだけや。本当に手に入れたかったら他のすべてを捨てるしかないのや。それができひん者に、何かを手に入れることなんかできる訳ないやろ……ッ!!!」
本気だった。本気の憤怒が本音を完全に引き出していた。
「すべてを捨てる、か。やはり……使う気なのだな、本気で、あの兵器を! 答えてもらおうか、どこだ!どこへどうやって使うつもりなのだアベル君、いやアベル!?」
「アンタがそれを知る必要は無い」
「まさか、まさかこの国にも使うつもりではないだろうな? おかしいとは思っていたのだ、世界中に出現するはずの機械体が、新たなものについては大量に人間のいる場所を残したまま、なぜかこのアルヘナ砂漠周辺にしか現れていない。その他の場所や街には数回現れただけ、その後はまた数の限りのある旧機械体だけが出現しているということだ。
そう、それはまるで攻撃の対象がここにしかないとでも言うかの様に。なぜだ!? まだおかしな事がある。ルシアが数十年かけて探して見当たらなかった適合者が、この五年で必要な数の倍近く現れるなんて……。ルシア一人だけですべてを探す事などどだい無理だ。今まででも見つからないまま死んでいった適合者もいたことだろう。だが、今回だけはまるで違う……あまりにも、あまりにも展開が出来過ぎている! この出来過ぎ感は誰かが先に見つけていてどうにかして集まるように【操作】したとしか考えられないのだ! それは誰だ? ナニールではありえない。ならば誰だ!」
返る答えは、笑み。
「くすくす……やはり、アンタは繋いどいて正解のようや」
コールヌイの表情に絶望の色が浮かぶ。
「……そうなのか、やはりそうだったというのか! それなら……君も、キカイだよ。心がだ! 奴等と何も変わらない。冷たい、金属のキカイの心だ!」
笑みが消えた。
「……そーや。俺はキカイや。だから、ヤツラを滅ぼしつくしたら俺も死ぬ。そんで終まいや。アトクサレないやろ? そのアトはどーするなり勝手にせぇ。生き残ったヤツラがいれば、そこからまた始めやいい」
「生き残った人がいればの話だろうがそれは!!」
「その辺は祈っとくんやな、自分らで」
「!? なにをする!?」
取り出されたのは注射器。そのまま液体を腕に入れられる。ごとりと腕が、頭が落ちる。力がさらに抜けていく。
「今頃仲間内で俺に対する不信感が広がり始めている頃やろう。それでええ。それで、こっちの思惑どうりなんや……。これからようやく長い計画の詰みに入る。祈るがええ、もはや、アンタにはそれしかできる事は残されてないんやからな」
薬の効果を確認したアベルは部屋を横切り、つぶやいて部屋のドアに手をかける。
弛緩剤を打たれ床据付の椅子に縛られたコールヌイは、皮肉な口調でつぶやく。
「何に、祈るというのだ……【神】にかね?」
部屋を出ようとしていたアベルは顔だけを振り向かせると、口元だけを静かに歪めた。
「さてな、【何かに】や」
扉が静かに閉まり始めた。
「カルロス君やクローノ君までをも騙したまま利用するつもりなのか君は……アベル!」
後ろから聞こえた声を閉まりきった扉が断ち切る。
窓の無い扉に背を預け、窓の無い壁を眺めた。
視線の先は壁の向こう。時も、距離も超えて、目蓋を遠くを見るかのように細め、
「クローノか……くすくす……クローノねえ。なあ、クローノ。カタキってのはな、俺が取らなあかんかったんやで? なんでお前がシィルの仇を倒しちまいよるねん。カタキを横取りされた復讐者はさ、どないすりゃええっていうんや? 答えろや、ええ?」
くすくす……。顔をうつむけて笑い続けるそれは、血を吐くような小さな苦笑だった。
「クローノ……そいつは俺の一番の親友であり、一番憎い相手の名前や」
壁から背を離す。足音は無い。聞こえるのはただ、力ない笑う声のみ。
灯りが消えた。指が踊り、狭い廊下に闇が堕ちる。世界から切り離されたような闇の中で、調子の狂った笑い声は少しずつ部屋の前から遠ざかっていった。
カルロスの名前はついに一度も、アベルの口から出ることは無かった。
◆ ◆ ◆
闇が踊っていた。
同じように闇に包まれた空間。だが、決定的に何かが違う。
空間の亀裂が無数に生まれては消えてゆき、微細な紫電がとどまることなく舞い散っている。無理やり造られた亜空間の暗闇は、軋みを上げながらエナジーを溜め膨らませてゆく。
『……くっくっくっくっく、アハハハハハハ!』
降り注ぐ紫電が増してゆく。沸き起こる哄笑、そのあるべき位置にエナジーが集中し、消える。いや、吸収されているのだ。その場所に浮かぶ人物の身体の中に。
その顔に浮かぶのは愉悦。
楽しくてたまらない表情で、薄く開いた口元から絶え間なく哄笑が湧き出でてゆく。
『どうした? 結束に亀裂が入っているぞ不届き者ども? 止めるのではなかったのか?この我を。くっくっく、最後の切り札がこれではな……戦う前から結果の見えている勝負では面白くないではないか、なあルシア?』
紫電はマイナスのエナジーだった。大量のマイナスエナジーを身に浴びて、ナニールを宿らせたシェリアークの身体はすでに、修復の最終段階に入っていた。完全に甦るのも時間の問題だろう。
『フフ、フフフ、フフハハハハハハハハッ。もうすぐだ、もうすぐ我は完全に復活する。その時こそ貴様たち愚かな人間の最期の時と知るがいい!』
どことも知れぬ空間で、破滅の使者はいつまでも、いつまでも嘲笑い続けていた。
第五話 『策謀』 了.
第六話 『意地 〜祈り〜』に続く……




