第二十三話 『世界が崩れる中心で』 [NC.500、火月6日]
『ククククク、ハハはハハ! おのれ……餓鬼ども……。クククハハ! アハハハハは、クク、それで……それで勝ったつもりか馬鹿どもがァ!』
『何っ!? 馬鹿な……な、何だあれは!?』
濁ったガラスの砕ける様な音と共に降り向いたナーガは、呆然としてナニールの背後を凝視する。
暗い闇がそこにあった。
どこまでも深い、冷たい闇。
虚無。
背後に闇を纏わせながら、ナニールが全身を震わせて嘲笑っていた。
「馬鹿な……まだ、まだ生け贄は捧げられていないのですぞ!」
『ククク、無知とは愚かなものだな、コールヌイ。最後の生け贄とは、単に水晶球を制御する為に必要な手段に過ぎん。解放し暴走させるだけなら必要ないのだ。必要なのはきっかけだ。つまり、あの蟲の断末魔のような、な。
闇を解放するだけの負のエナジーは、この体の持ち主が存分に注いでおいてくれたわ。いや……それ以上だな、クク。あまりの負のエナジー密度に、水晶球の力そのものが変化してしまったのだからな。絶望だ。このシェリアークという名の絶望が、これほどの力を水晶球に与えたのだ。
ククク、最早言い伝えの様な生ぬるい現象などではないぞ。闇だ。真の闇が今よりこの国を滅ぼすのだ。もっともこやつ自身、それがどれほどの力なのか量りかねていたようだがな』
そしてその使い道もな、という言葉を、ナニールは飲み込んだ。苦笑とともに。
言う必要の無いことだ。奴らに、僅かといえど希望を与えるような言葉など。
シェリアークが最初からすべてを滅ぼそうとしていたという誤解を、心に抱えながら死ぬがいい。
「でたらめを!! 若がなぜそこまで絶望を感じねばならんのだ!?」
『は、ハハハ、ククク。先ほど云ったぞ我は。無知とは哀れなものだとな、コールヌイよ。それとも、それほどまでに完璧に秘密を守りぬいたこの身体の持ち主を褒めるべきかな。
よかろう、まだ闇の暴走までには時間がある。その間に、誰も知らない秘密を教えてやろう。ククク、この口で、この身体が精一杯守り抜いた秘密をなあ?
クク、このシェリアークはな、あと2,3年の命なのだ、諸君。生来の心臓の病でな。両親と主治医が亡くなった今となっては、本人しか知らぬ情報だ。あとは、この身体に無理やり入り込んだ我しかなあ。ハハはハハはははあはハハはははハハ』
全員が愕然となった。誰も、気づいていなかった。気づけなかったのだ。
中でも、アリアムとコールヌイの受けた衝撃は計り知れなかった。
「ば……馬鹿、な……」
「う、嘘だ……、嘘を言うな!」
『なあ、コールヌイ。先ほど、何か言っていたよなあ、お前は。若にはまだたくさん時間がある? フ、クク、ククク。はハハはハハハハハ。
これではこやつがすべてを破壊しつくそうと考えても、無理は無いのではないかな? どれ程の深さだったのかな、こやつの、心の闇は。なあ、コールヌイ……』
嬉しそうな闇の笑みが操られたままの少年の顔を彩った。眉だけを悲しみに歪ませたまま。
「馬……鹿な…………」
コールヌイの全身が、瘧の様に震えていた。
気づけなかった。気づくことができなかった。
あれほど近くにいたというのに!
コールヌイの顔に、生まれて始めて絶望に似た後悔がよぎった。ナニールの嘲笑いがさらに深まる。
『その通り、馬鹿なことをしたものよ……、ククク。さあ、発動したぞ。これでもうこの我にすら制御することはできん。制御不能の闇、貴様らの愚かなその身で受けるがよいわ』
ナニールの背後に闇が渦巻いていた。闇が、ゆっくりとその陣地を広げてゆく。
すぐに、背の高い建物の屋根が重なり、音も無く飲み込まれ始めた。吸い込むのではない。ただ、消えてゆく。触れたその場所から崩れてゆくのだ。塵すら残さず消えてゆく。
呆然と見上げていると、聞くに堪えない悲鳴が上がった。
渦巻く闇に逃げ遅れた蟲たちが喰われていた。痛みを感じないはずの蟲たちが、甲高い啼き声を上げ消滅してゆく。
そして、ナニールの乗っていた巨大ムカデすらも。
『ハハはハハ、ようやく解放された気分はどうだ? あまり役には立たなかったが、祈るだけはしてやろう。安らかに眠るがいいぞ、指よ。ハははハハハはは』
空中に浮かび上がって逃れたナニールは、騎乗していた蟲の親玉に向かい、声をかける。
それを聞き、クローノはハッと顔を上げた。まさかという思いでムカデを見る。
目が合った。予想通り、確かに、あの男の目であった。
哀れであった。憎しみすらももはや湧いてこなかった。静謐な悲しみすら込めて、クローノは見送る。
変わり果てた、かつてダガンと呼ばれていた男は、最後の悲鳴を上げて消滅した。
『みなさん、いつまで呆けてるつもりなんです? どうするんですか、これから』
上空で哄笑を続けるナニールを睨み、ナーガが周囲に尋ねる。
「に……、逃げた方がいいんじゃないですか、これ……」
蓮姫から気を失ったままのラーサを受け取りながら、ファングがつぶやく。
「……そうだな。実際それも、テなんだけどな……」
しばし、無言で良く分からない視線をファングに投げ、アリアムは苦笑しながら答えた。 さすがに、声にいつもの張りが無い。
「逃げられねえよ……あいつを、置いては」
その視線は、避難したのだろう、はるか上空に浮かんでいる少年に向けられたままだ。
それに、と、もう一度小さくつぶやく。
「これでも一応、王様、なんでな」
王宮の奥で、震えている民たちを見やる。全員、その場で街の上空を覆う闇を見つめていた。起き上がって逃げる気配すらない。
もはやパニックを起こす気力も無いようだった。まあ、下手に騒がれるよりマシだろうが。
「見捨てて逃げる訳にもいかねーのさ」
お前たちは逃げな。そう云って武器を構えるアリアムを見て、誰もが肩の力を抜き、苦笑する。
ラーサを抱えたファングを除いた全員が、各々の武器を構えて横に並んだ。
コールヌイまでもが杖代わりの木を足に結び、立ち上がっていた。
アリアムは視線を前に向けたまま、小さく馬鹿野郎どもとつぶやく。
聞こえてますよ、とクローノが云い、皆の顔に笑顔が浮かんだ。
『くだらん戯れ事は終わったか? では死ね』
響いてきた言葉とともに、闇の、広がる動きが加速した。
絶望的な闘いだった。
建物のことごとくが擦り減り、闇の触れた場所から消滅してゆく。
次第に速度を増し降りてくる闇。それだけではない。横にもランダムにスライドしながら、その虚無の中に建物を飲み込んでゆく。
それを、止める手立てが無い。人の武器では、形の無い闇に当てることすらできない。
当ったところで、その瞬間にかき消されてしまうだろう。
大きさもすでに10メートルを越えている。もはや個人の武器が効く大きさではない。
何とか、辛うじてナーガの防御壁が彼らの身を守っているが、それも時間の問題だった。負担を一手に引き受けたナーガが何度もよろける。
当たり前だ。すでに、その前から力のほとんどを消耗し尽くしているのだから。
悔しそうな表情がどの顔にも浮かぶ。
『諦めるのだな、絶望しろ! 終わりなのだ、ここで、お前たちはな。ククククク』
忌々しいその言葉。怒りを感じながらも、誰もが無意識に心の内でそれを受け入れ始めていた、その時、
「ラーサ、起きろ! みんな、ラーサを起こすんだ、早く!!」
鋭い、聞き覚えのある声が響いた。振り返ったファングの顔がほころぶ。
「ナハト! もういいの? 歩いて大丈夫!?」
ファングが嬉しそうに訊ねる。ナハトの無事な姿を見て、一気に気力が湧き出たようだ。
声の先にナハトがいた。デュランに肩を支えられ痛々しく包帯にまみれながらも、その顔には笑顔があった。薬が効いているのだろう、顔色も悪くないようだ。
「大丈夫さ。心配かけてゴメン、ファング」
ナハトは服を開いて胸の包帯を示した。傷は幸いにも急所をギリギリ外れていた。疵跡の大半が焦げていたお陰で、出血多量になる前に処置を終えられたようだ。ファングは肩を支えているデュランにも笑顔を向ける。良かった、本当に良かった……!
「……ファング、ゴメン……色々全部、本当に……なんて言っていいか……」
「いいよ、もう、いいから。僕なんかより、長老さんや皆にそれ、言ってあげてね。本気で怒って、心配してたから、皆」
「……うん。そうだね……ホントに、そうだ……」
視線を上げたナハトの顔がアリアムに向く。強張っていても、懸命に笑顔を浮かべ簡潔に感謝の言葉を口にした。
「怯えてはいても、ちゃんと治療してくれたよ。この国には、いい医者がいるんだね」
「そうか……そう言ってもらえると、嬉しいぜ。サンキューな。けど、せっかく血が止まったんだ、無理はするなよ」
アリアムの顔にも苦笑が浮かぶ。
「そうだよ! あんなに血がいっぱい出たんだからね! いい? 分かった? ナハト」
苦笑するナハトを見て、ファングはホッと目じりを拭く。ナハトの後ろには、戦闘体制をとったアーシアの姿も見えた。
「よくやってくれましたね、アーシア。有難う」
クローノのねぎらいの言葉に、アーシアは無言で微笑んだ。
『あー……ハイハイ良かったですね。で、あの皆さん。どうでもいいですけど、もうすぐボクは力尽きますので。あとは頼んでいいですか? 頼みましたよ? 頼みましたからね?』
一人矢面に立たされ、拗ねたような声を上げるナーガ。だが、その内容の重大さは、彼の軽い口調の比ではなかった。
全員がさっと緊張を取り戻す。
「ファング、ラーサを起こすんだ! 早く!」
ナハトが先ほどの言葉を繰り返す。なぜ、といぶかしんだが、今は言い争っている時間も問いただす時間も無い。ナハトを信じて、ファングはラーサを揺り起こした。
「ラーサ、ラーサ! 起きてラーサ!!」
「う、う~ん。まだ眠いィ~、もっと寝る~」
「馬鹿なこと言ってないで起きてよぉ、ラーサぁ!」
「なんですってぇ!? 馬鹿なことってナニよこの! ファングのくせにーッ!!」
ラーサは飛び起きた。そのまま拳骨を突き上げる。半分寝ぼけた状態で繰り出されたパンチ。だが、ラーサの身体を抱えたままだったファングは、まともにあごに食らっていた。
「んぐふうううっ!」
転げまわるファングを見て、一瞬、場から力が抜けた。
「あれ? あたし、無事なの?」
きょろきょろと見回して、ラーサがつぶやく。そして硬直した。
「ラーサ!」
呼びかけられるのとどちらが早かったのか。次の瞬間、ラーサの身体はナハトの胸の中に飛び込んでいた。デュランが気を利かせて横に退く。
「ナハトさまナハトさまナハトさまぁぁ―――――!! 会いたかったです―――――!! ご無事でしたかお怪我はありませんか、お体の具合はどうですかああ!! うわあああああああああああん!!」
「ラーサ、ゴメン。心配かけて。……ありがとう」
ぶつけられた胸が痛かった。だが、泣きじゃくるラーサの髪を撫でながら、ナハトは痛みを堪えて笑っていた。
「ラーサ。頼みがあるんだ。ちょっと、いいかい?」
焦りはおくびにも出さず、ようやく泣き止んだラーサの耳に、ナハトは訊ねる。
ぴくんとラーサが反応して顔を上げた。
「ナハトさまがあたしに頼み事!!? あああなんて素敵な日なのかしら今日は! どうぞ! なんなりと仰ってくださいナハトさま!! いやーんいったいどんな事かしら……ってナハト様!? どうしたんですかその包帯!? イヤー!!!ナハト様のキレイな大切なお体が―――――――ッ!!!!」
ヒクッと頬を引きつらせながら、ナハトは続ける。
「い、いや、ありがとうラーサ。オレは大丈夫だからさ。あ、あの、頼みなんだけど」
「ハイもうこーなったら、ナハト様のお体洗いでもお世話でもなんでもやりますなんなりと!」
こぶしを握る少女の力説に聞いていた全員の頭と背中に汗が浮いた。
「えーと……実はさ、あいつをやっつける手伝いをしてもらいたいんだけど……」
「あいつ?」
そのままナハトの指差した方を振り向いたラーサは、今度こそ硬直した。
……満面の笑顔のままだった。
「お、おい、ラーサ? 大丈夫?」
ナハトの声に我に返る。返事を返すが、さすがのラーサも声が硬い。
「え、ええ。あ、あの、ナハトさま」
「ん?」
「ナハトさまにこんな事、言いたくないんです。言いたくないんですけど、……」
「うん」
「あんなのどうやってやっつければいいのかな~なんて……あんなのどうやって倒すんですか!? ていうか、あ、あたしあんなのと闘えません! 残念ですけどちょおっとさすがにお役に立てないんじゃないかなーとか思ったりするんですけど……っ!」
「大丈夫。ラーサにならできるさ」
目の前で言われてラーサが頬を赤らめる。
「え!? いえでもだからあたしには……」
「君にしか頼めないんだ」
めったに見られない真剣な表情で言われて、ラーサはまたも硬直した。今度こそ顔が真っ赤だ。
(そんなお顔を見せないでー。酷いわナハトさま、そんな風に言われたら断れないじゃないーーっ)
「ラーサにしか出来ないことなんだ。いや、きっとラーサにならできる!」
「ナハトさま……」
ラーサはうっとりとナハトを見上げた。
「オレがついてる。力を……貸してくれ」
両肩をつかまれ懇願される。互いの顔がとても近い。
否も応も無かった。ラーサは顔を赤くしたまま、勢いよく何度も頷いていた。
「……凄えな、あいつ。もしかしたら話術の将来性、俺より上か?」
ラーサがこくこくと頷くのを、少し離れた場所でアリアムが面白そうに眺めていた。
「それで、どうすればいいんですか? ナハトさま」
ラーサが立ち上がって尋ねる。先ほどまでと違い、やる気満々だ。
「水晶玉はもってるかい、ラーサ」
その言葉に、ファングが荷物から水晶球を取り出し、ラーサに返す。
「ありがとファング。持っててくれて」
それを見て、ナハトが説明を始める。聞いていたラーサは、次第に驚きの表情を張り付かせてゆく。周りで聞いていた者も同様だ。
「そんな……それじゃあ、ナハトさま。この国があたしの先祖たちを滅ぼした悪の手先!?じゃなくて親玉ってこと……!?」
悲鳴のような声。楽しかった夜や親切な人たちを思い出し混乱するラーサに、ナハトは云う。
「違うよ、ラーサ。オレも、ついさっきまでそういう考え方をしてた。憎しみに支配されていたんだ。けど、違う。違うんだラーサ」
泣きそうなラーサを抱きしめる。
「ねえラーサ。君は、ハムアオアシスのみんなの事、好きかい?」
「……うん。当たり前よ……」
「ありがと。でもね……あそこにはね、実は、ハムアに来る前まで悪いことをしてたって人が、多いんだよ」
「嘘っ!?」
「本当さ。しかも、それをちゃんと謝っていないままな人も多いんだ」
「そんな……どうして……!?」
身体を離し尋ねるラーサの目を見て、ナハトは続ける。困ったような、それでいて、優しい目だ。
「さあ……どうしてだろうね」
「どうして? なんで!? だって、みんないい人たちじゃない! どうしてそんな事したの!? どうして!?」
泣きそうな顔。いや、すぐに涙が溢れてきた。
「きっとね、色々、あったんだよ。色々ね。でもね、そうやってハムアで助けられた彼らのほとんどが、ハムアに残ってるんだ。そして、他の誰かを助けている。命がけで」
「でも……そんなの……偽善、よ。偽善じゃないそんなの……!」
悔しそうに。でもどうしようもなさそうに、少女が泣く。
「そうだね。それを偽善だという人もいるだろう。逃げているだけだという人もいるだろう。その通りだよ。間違いじゃない。でもね、彼らがいなかったら助からなかった命も、やっぱりあるんだよ」
「ナハトさま……」
大切な相手に涙に崩れた顔を向ける。ラーサはどうしていいか分からなかった。
「世の中には、偽善をすべて否定し、いけないものだという人もいる。もしかしたら、オレもそう思っていたのかもしれない。でも今、オレはねラーサ。偽善だって、いいんじゃないかって思うんだ。だって、そうだろ? 偽善を気にして、助かる命に手を差し伸べないまま見殺しにすることが、正しいのかい? 違うだろう? 偽善だっていい。自分がそれを分かっていればいい。正善だって偽善だって、人は助けられる。偽善だって、場合によっては、人を幸せにすることはできるんだ。だから偽善を指摘することは、意味が無いし、結果が同じなら、どちらでもいいんだと、オレは思う」
「…………」
「難しいよね。じゃあさ、ラーサ。真実って、何だと思う?」
「……真実……?」
「そう、真実さ。この世界に起こる出来事。それがそのまま真実だと思うかい?」
「違うん、ですか?」
「真実って、ひとつなのかな?」
「え?」
「真実はひとつだって云う人がいる。でもね、実際には、真実はひとつじゃない。いくつもあるんだ、人の数だけ。ひとつなのは、真実ではなく、事実のほう。それだけだよ」
頭を抱えるラーサに、ナハトは苦笑して謝る。
「ゴメンゴメン。こんがらがっちゃったね。オレはさ、ただ、こう云いたかったんだ。ラーサ、君はハムアのみんなが好きかい、嫌いかい? この街の人たちは好き? 嫌い?」
「……それは」
「どっち?」
「……好きです」
混乱しながらもそれだけは言えた。それだけはきっと、確かな真実なのだから。
「ありがと。それが、真実だよ。君がどう思っているか、それが真実なんだ。どこかの誰かには、オレの事をすごく嫌いだって思う人もいるかもしれない。でも、ラーサは好きだっていってくれる。ディーもね。それが嬉しいんだ。嬉しくて、頑張ってやろうって思うんだ」
「……」
「大事なのは、許してあげること。そして起こった出来事を忘れないで、受け止めてあげることだと、オレは思う。……ねえ、ラーサ。もう一度訊くよ。みんなを、助けたいかい?」
ほんの少し考え、そして顔を上げ、ラーサは元気よく頷いた。
ナハトは嬉しそうに笑って、ラーサに自分の考えを話し始めた。
誰もが、ナハトの言葉を聞いていた。そして、誰もがナハトの言葉を胸の奥にしまい、噛みしめていた。
『も、もう限界です、はやく……どなたか何とかしてくれませんか!』
ナーガがとうとう悲鳴を上げる。
『クク、いい様だな、さっさと消滅してしまえ。ククククク、はハハハは』
迫りくる闇の向こうから、嘲笑の声が聞こえてくる。
『おのれ……ナニール』
怒りを上乗せし、バリアを押し戻す。今はまだ拮抗している。しかし、それもいつまで持つか。
もう限界はとうに超えているのだ。きっと、どこかでいきなり力尽きる。
迫り来る闇が、その中で紫の雷を走らせていた。
(くっ、もう駄目だ)
「ちょっとまだよ、まだ! もう少し頑張ってよ、あんた男の人でしょ! それとも女? うわ想像させないでよ。そんな濃い顔で女だなんて云わないでよね」
力尽きようとしたまさにその瞬間、ナーガは後ろから罵声(?)を浴びせかけられた。
あまりな云い様に何か言い返してやろうと振り向いて、言葉を失う。
小さな少女が立っていた。背が自分の胸くらいしかない。
「ちょっと何呆けてるのよ? いい? 今から言うことをよく聞いて。いいからかっぽじって聞くのよ! あたしが今から呪文を唱えるから、それまでは我慢してよね。その後はぶっ倒れてもいいからさ! あ、ぶっ倒れるときには後ろに気をつけてね石とかあるから。あーでも、そうそう。だからってあたしの方に倒れないでよね? どうもそういうことしそうな顔よねーアンタ。ムッツリ顔? あたしは絶対受け止めてあげないから。避けるし」
呆然と、小さな口からつむぎだされる罵詈雑言を受け止める。
(いや、なんというか。凄まじいね、これは)
「分かった? 分かったら返事! はいっ」
口をヒクつかせうつろに返事をしたナーガは、もう一度バリアに力を込めた。
なぜか、また少しだけ力が湧いて出ていた。
ナーガの後ろで少女、ラーサが呪文を唱えている。
そしてそのすぐ後ろで、ナハトはラーサの肩を支えていた。
呪文は、彼女の一族に伝わる秘伝の呪文。破魔の呪文だった。ラーサ自身は単なるお守りみたいなものと思っていたものだ。
だが、ナハトは地下でナニールが最後の呪文を唱えたとき、聞いていたのだ。そして、気づいた。それが、ラーサの呪文に似ていることに。
当然のことだった。水晶球は大きさと色こそ違え、ラーサの先祖のものだったのだから。
だったら、ラーサたちにあれを倒すか封じることのできる何かがあるのではないか、そう思ったのだ。尋ねてみると、やはりそのような呪文があった。
試してみる価値はあった。どちらにせよ、このままでは全滅なのだ。
それに、勝算もあった。同じ系統の呪文なら、一族であるラーサの方が強制力は強いはずだ。
「ラーサ。オレはここにいる。失敗してもしなくても、一緒にいるから。だから、頑張れ!」
ラーサは大きく頷くと、さらに声を張り上げてゆく。
(ディー)
一度だけ振り返って頷いた後、ナハトはこの瞬間だけデュランのことを忘れた。
呪文の声が最高に高まり、唐突にラーサがゆっくりと浮かび始める。
「ラーサ、頑張れ!」
ナハトの声が響く中、ラーサの腕の中の水晶球は淡く、蒼い光を放ち始めていた。
『何だ、あの小娘は?』
ナニールはいぶかしむ。あと少しで邪魔者どもを葬り去れるという時に、いきなり蒼い光をまとった少女がひとり、宙に浮き始めたのだ。
『あれは……生け贄にし損ねた小娘か。しかしなぜだ? なぜあの娘にあの様な力がある!?』
ナニールの見ている目の前で、少女は腕を前に伸ばし、水晶球をかざす。
そこから放たれた光が次第に闇を蒼く照らしてゆく。と、闇の拡大の進行が止まった。
さらに、それだけではない。信じられないことに、徐々に闇が押し戻され始めていた!
『なっ! あれは、まさか! そんなはずは無い!! 在るはずが無い! あの一族は百年も前に我が滅ぼしたはずだ!! 生き残りがいたとしても、なぜだ! なぜ我が知りえなかった!?』
そう。ほんのわずかな一部の者以外、彼らの一族は存在を、とある青き者たちによってずっとずっと隠されてきた。探知虫すらをも欺いて。ナニールにもガイアにも彼らの情報が届かぬ様に。シェリアーク等事情を知る者ですら、記憶の外部からの抽出に対抗する措置を施されて。
それら全てはこの時の為。彼ら封印された精霊体の先達たちが全てを賭けて隠し抜いたその一族。
【水晶の一族】
あの大破壊の以前からあったとされる、水晶の力を使う謎の一族。一説には、500年前の大戦時の精霊体の大半が、その一族の出身者だったとまで云われていた。
だが百年前、その一族を襲い、滅ぼした者がいた。このアルへナという国の建国王だ。
そして、それを影から操っていたのは……。
『させるかあああああ!』
叫びながら、ナニールは闇を後押しするために背後に回り杖をかざした。
杖の先から赤黒い光が幾重も伸びて、闇に吸い込まれ消えてゆく。闇が力を取り戻す。
『このまま押し切ってくれるわ!』
勢力を取り戻した闇が、懸命に水晶球をかざすラーサに迫っていた。
◇ ◇ ◇
「ルシア! まだか!? この機会を逃す手はないでぇ!」
地下基地。その制御室の巨大モニターの前で、アベルがコンソールを叩きながら怒鳴っていた。
画面の中で、機関部にいるルシアもせわしなく両手を動かしている。
『いい加減におし! 急かさなくたってやってるよ! ほらできた。転送装置、上がりだよ』
「偉い! ようやったで、さすがや! よっしゃそのままエナジー込め」
『はいよ、エナジー込め』
「突発でスマンけどこのままあいつらに加勢する! 装置をエナジー転送モードへ移行。カルロスたちはルシアをサポートせえ。行っくでえっ、エナジー転送オン、そのままあの嬢ちゃんの水晶端末に向けて発射、GO!」
ゴゴゴゴゴゴゴ……。巨大な地下基地を地震のようなうねりが襲い、装置に集められたエナジーが、波濤となって飛沫いた余波をほとばしらせる。
赤ばかりだった画面表示に次第に緑が増えてゆき、そして緑の文字で画面が埋まる。
『発射!』
ルシアの声が響き渡り、実行のキーが押し込まれた。
第二十三話 『世界が崩れる中心で』 了.
第二十四話 『束の間の夜明け』 に続く。




