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Grand Road ~グランロ-ド~  作者: てんもん
第六章 ~ Open the Cross Road.~ 
43/110

第十九話 『混沌の始まり』 [NC.500、火月4ー5日]


「走れ……もっとだ! もっと早く!!」

 砂漠を疾走するラクダの群れ。その先頭を走る生き物の上で、青年が叫ぶ。

 昼日中だ。休みもぜずこんな時間帯に砂漠を渡るなど、自殺行為だった。

 しかも、この一行はすでに丸一日近く走り続けている。

 だが、ラクダにまたがる男たちの顔に、一人としてだらけた表情はない。

「くそったれ! 今日に限ってなんでこんなに遅いんだこいつらは!!」

 そこへすぐ後ろを走っているラクダから声がかかった。

「焦るな、アリアム。焦ったところで速くなるわけでもない。今は、体力の温存だけを考えるんだ。……到着したときにすぐに戦いが始められるようにな」

 キッ! それを聞き青年が大男をにらみ返す。

 疾走しながらのにらみ合い。そのまま時が過ぎる。

 先に折れたのは、先頭の青年だった。

「…………そうだな。その通りだ。判ってる、判っちゃあいるんだ。けど、な。……すまねぇデュラン。お前にも迷惑をかける。本当なら、帰ったらすぐにでも取りかかるつもりだったんだが……もう少しだけ、付き合ってくれ。約束の人捜し、少し遅れちまうが……」

 一行はアリアムとデュラン、そして帰還するアルヘナ軍の兵士の一部の者たちだった。

 蓮姫からの連絡を受けて真っ青になったアリアムたちは、かき集められるだけ早駆け用のラクダをかき集めて、それに乗って全力疾走してきたのだった。

それでも集められたラクダは、全軍の数の数%程度でしかない。装備を犠牲にして乗る人間を増やしはしたが、それでもせいぜいその倍といったところか。その人数だけで本隊に先行して急行している。本隊の到着は更に半日は遅れるだろう。

 だが、それは仕方がない。何としても間に合わせなければいけないのだ。

「仕方ないさ、この場合は。そんなに恐縮することでもない」

「すまねえ……。お前だって……焦ったって良いはずなのに、な。まだまだだな、俺も」

「……急ごう。それが今の俺たちにできるすべてだ」

 頼もしい援軍が味方なのを頼もしく思い、アリアムは前を向く。懐かしく薄汚れた街の方向を。嫌いなのに見捨てられない掃き溜めの街。それでも。

(頼むぜシェリア-ク……。俺が帰るまで街を、皆を守っててくれよ! お前との決着はつけなくちゃいけねえが、それもみんな、街も人も残ってる中でのことなんだぜ? シェリア-ク、そうだよな? お前もそう思ってるよな……? なあ、シェリア-ク……)

 アリアムは呟く。その(つぶや)きは吹きつける風に飲まれ、呟いた先から細切れになって消えていった。


        ◆ ◆ ◆


「行って下さい……」

 気がつくと、後ろから声をかけられていた。ベッドの上にカルナが半身を起こしていた。

「……駄目じゃない。ちゃんと横になってないと、治るものも治らないわよ……」

 かすれた声。それでもちゃんと出てくれた声でたしなめる。その震えた声を、精一杯の笑顔が止めた。

「ぼくは……大丈夫です。もうだいぶ気分もいいし、ア-シアさんたちが帰られるまで、ちゃんとじっと寝て待ってますよ。それよりも今は、先輩のことです。……行ってしまったんでしょう? 一人で……」

「……どうやら、そのようね。どうやってかは知らないけど」

「すいません……。ぼくが……あんな話をしたばっかりに……っ」

 薄暗い地下の電灯の下、埃の舞う病人には相応しくない場所のベッドの上で、カルナは苦しさをかき分けるように唇を噛む。それでも、小さく咳き込んだ後、また言葉を続けた。

「先輩なら、なんとかしてくれるんじゃないかって……思ってしまったんです。最初はただ知らせて逃げてもらうだけのつもりだったのに。気がつくと、先輩を頼みに……。こんなんじゃいけないって判ってるのに……! 結局、ぼくは、いつまでたっても半人前、なんですね……」

「あなたはちゃんと知らせてくれたわ。少なくとも、それは半人前にはできない仕事よ」

 本心だった。それだけは、間違えて欲しくない。じっと、その言葉を見上げて、一度だけ目を閉じカルナはまた口を開く。

「………ありがとう、ございます……。ア-シアさん、早く行ってあげて下さい。あの追撃隊は千人はいるんです。いくら先輩でもひとりじゃ無茶すぎます! 止めてあげてください。ああなった先輩を止められるのは、貴女しかいません。いないんですよ……」

 自覚してください。そう促すように少年の視線が刺さる。

「でも……怪我人であるあなたを放ってなんて……」

 それでも躊躇して動けないアーシアの心を、顔の青い少年の渾身の笑顔が動かした。

「ぼくは、大丈夫です。死んだりなんかしませんよ。こう見えても結構しぶといんですよ、ぼくは」

 カルナはもう一度そこで微笑んだ。真っ青な顔のままで。懸命に。

「なにより、先輩の無事な顔を見て、怒ってあげなくてはいけませんからね。考え無しって……。いつもはぼくがされていたんですから、たまには……逆もいいでしょう? だから、行って下さい。ア-シアさん。あなたが先輩を守って下さい。ぼくには、できなかった。でも、あなたになら……できる。できるんですあなたになら……! あの人を。強くて優しくて、なのにいつも不器用で独りでいる方を選んでしまい……すぐに傷つくくせに、口では色々言うくせに……誰よりも人のことを考えてしまう、そんなあの人に……安らぎを与えてあげることが……。

 あなたに……頼みます。あの人を、守ってあげて下さい! あの人に、憎しみで誰かを傷つけて欲しくないんです……! 大丈夫、こっちの心配はしないで下さい。こんなことで負けたりしませんよ、ぼくも。こう見えても、あの方の後輩の中では一番、あの方に似ていると云われていたんですから。どこが、ですって? もちろん、負けることが大嫌いなところが、ですよ……自分に、ね……」

 ア-シアは少年を見つめ続けた。穴が開くほどに。

 カルナは荒い息をつきながらベッドにもたれ込む。しばらく目を閉じ、そして目を開け、指を立てた。

 ウインク。

(男の子って、どうしてこんなに、誰も彼もが意地っ張りなのかしらね……。まったく。……格好つけちゃって、ほんと莫迦(ばか)

 ア-シアは苦笑する。そして急いで食べ物を作り、薬をより分け始めた。自分がいなくても、少年がベッドから出なくても良いように。


 次に少年が目を開けた時、ア-シアの姿はその部屋から消えていた。

 少年は彼の尊敬する先輩を怒鳴るだけの体力を取り戻すために、もう一度目を閉じ、横になった。


        ◆ ◆ ◆


 ガタッ!

 点滅する巨大モニタ-の前で、青年が椅子を蹴って立ち上がっていた。

 そのままモニタ-を睨みながらつぶやく。

「やってくれよったなナニ-ル……くそがッ! ルシア、ルシア! そっちはどうなっとる!? 広域ネットは動きそうか? 閉鎖区画、シ-クレット回線は……ッ」

『うるさいね、聞こえてるよ』

 天井のスピーカーからルシアの声が返る。

『どうかしたのかい』

「ナニ-ルにしてやられたワ。イェナに残り二つの【想念の小瓶】が揃ってまいよった。しかもどうやら人死にが出とるらしい。こいつはヤバイで、かなり……!」

『なんだって……!』

 高速でモニタ-をチェックするアベルの額を、汗が滑る。

「星の地殻内部のエネルギ-値がうなぎ登りや! こりゃあ下手すると目覚めるで、五百年振りに……大量に……」

『まさか……奴等が、かい……』

 回線越しのルシアの声にも険しさがこもる。

「ああそうや、間違いない。発掘文献で描かれていた奴等……」

 ダン! 両手でコンソ-ルを叩き、吐き捨てる。

「機械体どもや! くそォっ!!」

 ……頭の中にあの時の彼女の悲鳴が幾重にもこだましていた。


 アベルは思い出す。この五年間で集めた発掘品の中に書かれていた内容のひとつを。

 それは、衝撃だった。

 五百年前。ルシアたちが【ガイア】を止めて眠りについた後。

 【ガイア】からのエネルギ-供給を受けられなくなった機械体たちは、自らが動けなくなる前に星の内部に潜り、そこで動きを止めたらしい。当時の人間たちは何とかしてそいつらをすべて壊そうとしたが、当時の廃れ始めた技術では到底たどり着けない深度だった為、仕方なく諦めたと書かれていた。

(つまり、俺らはずっと敵さんの上を歩いて暮らしとったっちゅう訳かい……)

 何とか避けることはできたが、初めて知った時はアベルもパニックに陥りかけた。

 それでも今までは、【ガイア】も眠りについていた。【ガイア】が奴らを再起動させるほどのエナジ-を手に入れることも無かった。せいぜい、たまに数体が数時間だけ稼動し、……何人かの行方不明者を出していた。それだけの話。……それだけの話だ。

 だがこの所、奴がエナジ-の入手に成功する事件が立て続けに起きてしまった。

 ハムアオアシスで。クラテ-ル盆地で。そして今、イェナで。

 しかもそのすべてに赫い瓶、【想念の小瓶】が関わっている。

 既にどれだけのエナジ-が【ガイア】へ送られたのか、見当もつかない。

 そして、それはまだ続いているのだ。今も、イェナで。

 

 目を戻す。その瞬間、モニタ-の中のエネルギ-値がイエロ-ゾ-ンを突破した。

 そして、月の中からこの星に向けて奇妙な電波が放たれ始めた。

「……動きよった。とうとうや。間違いなく、今からそう何日もせんうちに星中の地表に機械の骸骨どもが溢れ出るでェ……。ルシア、どうや? 動きそうか……?」

『まだだよ。これは、まともにやってたら一月はかかるね。使える人間が少なすぎだよ、仕方ないけどね』

 アベルは唇を噛む。

「くそがっ、その間、やられ放題になるちゅうんかい……。ヤバイでそれは! 大半の機械体は雑兵や、せやから人が勝てない相手じゃないことだけは確かや。せやけど、でも、いかんせん数が多すぎる!」

 その上、さらに雑兵ではない奴らが現れてしまったとしたら……!

『できるだけ急いでみるよ、だけど、限界はあると思っとくれ。……覚悟はしとくんだね。……あんたたち、問題が起きた。悪いけどピッチを上げてもらうよ……』

 後半の台詞は手伝っているリーブスやムハマドに向けた言葉だろう。そのままルシアの声はマイクから遠ざかっていった。

「……どうやら、“俺の番”ってことやろうな、多分。“星の為”って事やったら気にいらんし遠慮しときたいトコやけど……」

 回線を切り、椅子に深く腰かけながら、アベルは低く呟く。

 タバコに火をつけ、ふう。吐いた煙が天井へ向かう。

 眺めていると、煙の中にいくつかの顔が見えた。

 ひねくれてはいるが基本的な所でお人好しな、ただ一人の親友。自分に使命をことづけておきながら先に逝っちまった優しい爺さん。関係無いとか云いながら親友の世話を焼き続ける、微笑ましいくらい気持ちバレバレな女性。融通の利かない堅物の後輩。この基地で出会った、己の進むべき道を捜している少年。

 そして、助けることのできなかった、いつも自分にくっついてきていた元気な少女の、明るい笑顔。

「誰かの為、か……はは、クサいわどうも。……でも、そんならな。賭ける価値もあるかもしれんなあ。ま、ええやろ。賭けたるわ命。しかし、なんちゅうかな。俺らしいわホンマ。人知れずってトコロなんか如何にもなあ」

 苦笑。タバコを消し、眺める。

 視線の先の巨大なモニタ-。そこにはこの星【ア-デイル】の中身が映っている。

 軽く操作し拡大した画面の中央で、一つの区画が点滅していた。

 アベルは考えに集中していた。だから、通用口のドアを開けその呟きを聞いていた人物がいた事に、気づけなかった。その人影は拳を震わせ、そっとドアを閉める。

 音も無く扉を閉めた少年は、何かを決意したように頷くと、ゆっくりとその場所から離れていった。


        ◆ ◆ ◆


 夕日に照らされた広場のすべてを、巻き上げられた砂埃が覆っていた。

 ダガンが兵士たちに「殺っちまえ!」と命令したその一瞬の隙を衝いて、クロ-ノが渾身の力で棍の柄を地面にぶち当てたのだ。両手で、垂直に。凄まじい気合いとともに。

 地震。……そうとしか思えない振動が広場を襲い、一斉に砂が巻き上げられ、一瞬で視界がゼロに変わった。

 クロ-ノの言動に怒りと憎悪を駆り立てられ、我を忘れてクロ-ノに近づこうとしていた群衆も、否が応もなく広場の外へ避難するしかなかった。

 こんな大量の砂埃の中では手の出しようがない。下手をすれば兵士たちに間違って殺されかねない。

 なにより、目の前の兵士たちがそれを躊躇するとは思えなかった。つい数時間まで、街と仲間を殺しまくっていた相手なのだ。

 広場を取り囲む全員の顔に、悔しさと憤りが張りつのっていった。


「チクショウ捜せ、捜せ捜せ捜せえッ! どこ行きやがった卑怯モノがあ! 貰われてきた鬼っ子が欲なんぞ出してんじゃねえぞクソ野郎! おい手前ら人質殺せ! 殺せえ!!」

 人質を捕まえている兵士たちに命令する。

 ぐあっ! ぎゃあ!

 その途端、その方向から悲鳴が聞こえた。

(なんだ!?)

 早すぎる。しかも、聞こえるのは人を斬る音ではなく叩きのめす音だけだ。

(……やられた……ワケかよ)

 砂埃がわずかに薄くなる。その刹那見えたのは、倒れ伏した神殿兵たちの姿。すべて兵士だけだ。人質など一人もいない。

 体が震えた。憎悪を込めてダガンが叫ぶ。

「クロ-ノオオォォォッッ!! テメエさっき言ってた事と違うことやってんじゃねえぞこの偽善者のええカッコしいがあアアッ!」

 クロ-ノの声は返らない。

「口では人質死ねとか言っといてやることはこれかよ、ムカツクんだよてめえは昔っから相変わらずよお! チッどこだ、どこにいやがるくそ野郎! へっ、あ~あったく逃げるのだけはうまいよなああのカルナとかいうくそガキといいよぉ、奴は死んだかあ?会ったんだろぉさっきの言動だとなあ? ぶひひひゃははッ」

 口を閉じた途端体が凍りつく。ダガンの首筋に凄まじい冷気が走っていた。


(入った!)

 クロ-ノの渾身の一撃がダガンの後頭部に決まっていた。

 彼の接近を、ダガンは感じ取れなかったはずだ。なぜなら今、彼はあの【気断(きだち)】を使っていたのだから。苦労してア-シアから盗んだ技だ。気殺けさつとされる一連の技術の第二段階。

 彼女にすら秘密にして、この三年間修行した。その成果が今、出たのだ。

 確実に入った。先ほど地面に叩き付けた以上の【気】を込めたのだ。頭部そのものが吹き飛んでいてもおかしくはない。

(なのに、どうして……。何なのですこのプレッシャ-は……!?)

 クロ-ノは我知らず飛びすさっていた。後ろに飛んで距離を取る。

 何も動きはない。なのに、汗が止まらない。流れ出す汗のせいで、飛び回る砂が体にどんどん付着してゆく。

(ぐうっ、あっ! これは……!?)

 刹那、凄まじい殺気の波が飛んできた。体中の細胞がビリビリと震える。

(な、何ですこれは!? 馬鹿な、あの程度の男にこれほどの殺気が放てる筈は……)

「……ぐ、ろ-のぉ……ぎざまは……ゆるざねえぞォ……くってやる……く、くってやるぞぉあ……!」

「な……!?」

 砂埃の先から現れた“もの”を見たクロ-ノは、一瞬だけ悲鳴を上げそうになった。

 それは、巨大な肉の塊だった。手も足も頭もついている。だが、肉の塊にしか見えなかった。首の辺りと胸の部分が山のように拡大していた。樽のような腹の部分にも次第に肉塊変化が拡大してゆく。みるみる内に胴体の全てが肉の山に変わった。肉の塊から手足と頭が生えている。その顔は人の顔だ。人の顔のはずなのに、……なぜかどうしても“人間(ひと)”にだけは見えなかった。

「なんですか……あなたは、いったい……、なにっ!?」

 かすかに瓶が見えた。その分厚い肉の中に嵌め込まれ、赫く輝く小さな瓶が蠢く隙間に見え隠れする。

「どうやら、あの瓶のせいの様ですね……」

 あの瓶は、いったい何なのだ? 使用方法は知っている。それを使えばどうなるかも。そしてそれを創った黒幕も。しかし……。

(いったいあの瓶はなんなのですか!?)

 それに答えをくれる者は、いなかった。今、この星の上には、誰一人として存在してはいなかった。


        ◆ ◆ ◆


「くそ……くそ……くそぉ……」

 先頭の青年が疾走するラクダの上で繰り返し呟くのを、後ろを走るラクダの上で、ナ-ガはじっと眺めていた。今はまだ物質化したままだ。

 気絶したまま手当を受けた彼は、成り行きのままアリアムについてきていた。

 物質化を解けるだけの力が戻るまでのつもりだった。力さえ戻ればべつに普通の人間の中に紛れ込む必要もない。それまではせいぜい利用させてもらおう。そう思っていた。

 なにより、彼は元々敵だったのだ。帝国の人間としても。神聖国の人間としても。

 たとえ今、今さらそれを云っても仕方ないのだとしても……。

 だが、この王の、威厳も何もないくせに責任感だけは強いあの男の演説を聞いた時、何かが心に首をもたげるのがわかった。

 何なのか解らない。今は道草を食っている時ではないのも判っている。

 自分はそんなに感化されやすい性格ではない筈だ。ならば何故?

 物質体(からだ)の内部を走査する。

 力が溜まるまでは、あと一日は必要だった。

(それまではここに居てもいいかな。その時までには、これが“何”なのか解るだろう。きっとね)

 前を行く青年のスピ-ドがまた上がる。

 ナ-ガは割り切ったまま、ラクダを続けて走らせた。


        ◆ ◆ ◆


「何が起こっているというの……? 土煙で何も、見えない……。なにか、街全体の砂がいっぺんに揺れて持ち上がった様な感じだったけれど……」

 ア-シアは視界の効かない大通りを疾走する。目の前に、砂煙に囲まれた広場が見えた。取り囲む人々の制止を振り切って飛び込む。

「クロ-ノ! クロ-ノ、どこ!? 返事をしなさい!」

 ぐあっ

 痛みをこらえる声が聞こえた。どこ!? どこだ!

「クロ-ノ!」

 ア-シアは勘を便りに広場の中心に向かって走り出した。


        ◇ ◇ ◇



 煙がだんだん晴れ出し始めた。

 周りを囲む人々の顔に笑顔が浮かぶ。残忍な笑顔が。これであいつを殺りに行ける!

 おおおおおおおおっ!

 雄叫びにも似た叫びを上げ、駆け出そうとしたその時。

「お待ちなさい!」

 凛とした女性の声が響いた。人々の足が止まる。

 蓮姫だった。


        ◇ ◇ ◇


「ぐ……はァ……ッ!!」

 クロ-ノの体が地面に叩き付けられた。衝撃で捕まれた足が外れ、そのままバウンドする。……信じられない!

 油断した! 見た目からは想像もできない素早さだ。

『ぶひへ…へへへ、どう、ダだァクロ-ノ』

 不恰好に両手の伸びた(たる)男が、落ちるよだれと共に勝ち誇る。足を出す。垂れた肉を引きずりながらゆっくりとまた近づいてきた。


        ◇ ◇ ◇


 光る剣を下げた蓮姫が歩いてきた。後ろには何人かの男たちを連れている。

 なぜか、少年と少女の姿もそこにあった。

「そこまでです。貴方たち、恥ずかしいと思わないのですか!? 仮にも国の首都に住むあなたたちが、たった一人の青年を相手に多勢に無勢で。まさか、(なぶ)りものにでもするおつもり?」

 その言葉に人々も軽く(ひる)む。しかし。

「あいつはこの砂煙を一人で起こしたんだぞ! 化け物みたいな強さじゃねえか。俺たちが勝つには束になってかかるしか無ぇんだよ!」

 一人の男が棍棒を振りかざして叫んだ。

 そうだそうだ! 周りの人間からも同意の声が上がる。

「だから、叩きのめしても良いと?」

「そ、そうだ!」

「敵だから?」

「そうだ!」

 全員から声が返る。

「なら……あそこにいる街を襲撃した兵士たちにも闘いを挑むべきですわよね? どうして挑まれないのかしら?」

 地面に転がる兵士達を指差す。向こう側で右往左往している兵士達も。クローノにやられたのだろう、倒れている兵士は皆、それぞれ利き手の腕や足を押さえて呻いていた。

「そ、……それは……」

「敵というなら彼らこそ敵ではないかしら? 彼らこそあなたたちにとって、許すべからざる侵略者なのではなくて?」

「……だ……だけどよ……」

「いい加減にしなさい!!」

 凛とした言葉が響いた。

「いい加減にしなさいあなた達、甘えるのはね。街を壊し、多くの人々を殺した者たちに怯え、(そそのか)され、一緒に戦えるはずの、味方になれるはずの人間を狩り出す。あなたたちのやっている事はそういうことよ! 違うかしら!」

「……………」

「力あるものに脅え、多勢に無勢で一人を襲うなんて……、そんなもの、あそこにいる侵略者たちといったい何が違うというの!? いいえ違わない。何も違いはしないわ! これだけの数の人が居て、一人として、敵と闘おうとする者が居ないなんて……」

 黙ってしまった人々を見回し、蓮姫は叫ぶ。

「恥を知りなさいあなたたち! そんなあなたたちに彼を憎む権利なんて無いですわ! 例え本当に彼がここに逃げ込んだ事が全ての元凶だったとしてもです!!」

「い、……言いたい放題云うなあ!」

 青年が一人前に出た。泣きながら崩れ落ちる。

「じゃあどうすりゃあ良いってんだよォ! おれは、おれは弟を殺されたんだぜ!? でもあんな奴らにはかなわねえ……。じゃあどうすりゃあ良かったっていうんだよお!」

 それが切っ掛けとなった。関を切ったようにすすり泣く声が聞こえ始める。

「そうね……悲しいですわよね……。私も、以前親友を亡くしたわ。……悲しかった。悔しかった。なぜ、自分だけ生き残らなくてはならないのって……思ったわ。生きている者すべて、周りが全部憎かった。自分も含めて、生きていてはいけないんだと思った。あの人は死んでいるのに。あの人は死んでしまったのに、なぜ!?……って」

 蓮姫は見回す。

「でもね。それでも生きていかなくちゃいけないの……。今、生きているのなら、生きていかなくちゃいけないの! 自分に負けちゃだめなのよ。精一杯、その人の分まで、生きて……いかなくちゃ……」

 蓮姫は、泣いていた。

「…………蓮姫さん」

 ファングは、聞こえてくる言葉を噛み締めていた。なぜか、自分にとっても、大切な事を云われているような気がした。とても、大切なことを。

「だから、……負けちゃだめなんだわ。自分にも、周りにも……。誰かに(ゆだ)ねては駄目。流されては駄目。自分がどうして生きているかを考えて! あなたたちには、死んでしまった人たちの分まで生きる義務があるの。残りの生をその人たちに恥ずかしくないように生きる義務があるのよ。だから、考えて。流されないで考えて。今あなたたちがするべき事は何? 胸を張ってその人たちに報告するためにできることは何?」

 誰もが、静まり返っていた。

「間違えないで。あなたたちはまだ生きているの。だから、心があるわ。さあ、考えましょう。後で、胸を張って報告に行きましょう。あなたたちの大切な人たちの元へ。私たちは頑張ったよ。頑張ってるよって。……ね?」

 誰もが泣き崩れていた。嗚咽(おえつ)が、風に舞う砂を洗い流していた。


        ◇ ◇ ◇


(蓮姫……)

 舞う砂の中から手で目を守りながら、ア-シアは茫然と見開いて蓮姫の言葉を聞いていた。目が、覚める思いだった。自分が守らないと駄目だと思っていた。自分が必ず守るのだと思っていた。

 だが、そうではなかった。それでは駄目だったのだ。それだけでは。

 蓮姫は自分の力で立ち上がっていた。自分自身の力で、答えを見出そうと歩いていた。

「お強く、なられましたね……、蓮姫。お強く……。嬉しく、思います。貴女はやはり、あの方のお孫です。わたしの目は曇ってはいなかった。貴女に出会えて、良かったと、心の底から思います。本当に……」

 また呻きが聞こえた。ア-シアは体の向きを戻し、呟く。

「いつか、貴女に謝りたい。色々な事を、全部。聞いて……下さいね、姫」

 呟いて蓮姫とは違う声のする方に走り出した。


 人影が見えた。何人かの人間が倒れた誰かを囲み、立ちつくしている。

「クロ-ノ!」

 ア-シアが輪の中に飛び込むと、男たちがオロオロしだした。

「クロ-ノッ!!」

 クロ-ノだった。クロ-ノが倒れていた。服の背中がボロボロになっている。何とか敵から離れホッとした所を、無謀にも飛び込んでいた市民たちに見つかり蹴りまわされていたようだ。

「貴方たち、まさかッ!」

「お、おれたち……おれたちはただ、こいつを……」

 蓮姫の言葉はギリギリで間に合わなかったのだ。

 はらわたが煮えくり返った。でも、ここで張り倒しては意味がない。蓮姫のあの言葉の後で、憎しみに駆られて手を出しては駄目だ!

「………さっさと行きなさい。二度とわたしの前に姿を現さないで……。生きていたかったらね……」

 全てを込めて睨みつける。

「ひいぃっ」

 男たちは情けない声を上げて去っていった。

「クロ-ノ、クロ-ノ! 大丈夫!? しっかりして!」

「う……」

「クロ-ノ!」

「ア-シア? なぜ、ここに……」

 体の前面にも血がついていた。頭に血が上った。さっきの分も含んでいたろうと思う。 

「莫迦!! なんで? どうして一人で行ったりしたのよ! そんなにわたしが信用できない? そんなに……わたしが……。いつもそう! いつも貴方は自分一人で何でもやろうとして! じゃあ、わたしは何!? 何だというの?! パ-トナ-だと言ってくれたのは貴方の方じゃない……!」

「ア-シア……。そう、ですね……すみませんでした」

 瞼を閉じて謝る青年を見ても、彼女の気持ちは収まらなかった。

「謝ればいいってのものじゃないわよ……。さっきのだって、どうせ貴方がまた何か言ったんでしょう!」

「い……いえ、それは」

「ここで貴方を捜し回っていた間、切れた縄をいくつか見たわ。どうせ街の人が人質か何かに取られていて、そこへ貴方が何か挑発するような事でも言ったんでしょう!?」

「……どうして解るんです?」

「貴方のことで解らないことなんて無いわよバカにしないで!!」

「えっ」

 クロ-ノの顔が赤くなる。ア-シアも自分が何を言ったかに気づいて口をつぐむ。

 しかし、顔を赤くしはしなかった。意を決してまた口を開く。

「どうせ、自分一人悪者になろうとしたんでしょう? まったく、莫迦なんだから!」

 だが、クロ-ノは下を向いて答える。

「違いますよ……。あれは、私の本心です。本心なんですよ。あの時、心の底で私は、本当にああいう風に考えていたんです。だから、あの人たちも、心の底から怒ったんですよ。彼らにはこれくらいする権利があるんです……」

 アーシアは目のくらむ思いだった。今までの中で一番腹が立った。この人はバカだ。本気でどうしてやろうか。本当に自分が居てやらないと駄目なんじゃないだろうか。

「……だから? だからそのまま蹴られていたって云うの? 莫迦じゃない? ホントに莫迦! ああもうこの人は!」

 クロ-ノは目をしばたかせる。本当にこれはア-シアなのだろうか?

 ア-シアも戸惑っていた。

 ア-シアは生まれて初めて本気で怒っていた。彼女はいつも、何があってもポ-カ-フェイスが信条だったのに。

 実験に使われた時も。逃げ出した時も。娼館に売られた時も。そして、大事な人達が亡くなった時もすらも。感情を表に出しはしなかった。

 彼女にとって、人生とはいつもそういうものだったからだ。

(私は、退化したのかしら。性能が堕ちてしまったのかしら?)

 判らなかった。ただ、感情が制御できなかった。

「ア、ア-シア?」

「いい!? クロ-ノ、約束しなさい!」

「……何をですか」

「もう二度と自分一人で何とかしようとするなんてやめる事!」

「ですが!  ……う」

 ぎろり。何故か睨まれた蛙同然に、視線をそらせず動けない。ツバがどんどん湧いて出た。

「い・い・わ・ね?」

「は、はい……」

 何だか釈然としなかったが、クロ-ノは反射的に答えていた。


 後ろの方で蓮姫の声がまたし出していた。

「やっておられるわね」

 クロ-ノも答える。

「そうですね。彼女の言葉は私も聞いていました。……痛い言葉ですね」

「そうね」

「でも、いい言葉でした。半月前会った時には、あんな言葉を言える人には見えなかったのですが……。まだまだ、私には人を見る目がありませんね」

「違うわ、クロ-ノ」

 クロ-ノが首を傾げてア-シアを見る。

「蓮姫は、成長なされたのよ。ご自分の力で。人は、成長できるの。人は、成長していける存在だってこと。それだけの事よ」

 クロ-ノは目を閉じる。わずかの後、目を開けた時、その瞳にはいつもの光が戻っていた。

 晴れ始めた砂埃の向こうから、再度、クロ-ノを呼ぶ人ならぬ声が聞こえ始めた。

「起きてしまいましたか。この胸の傷と引換えに眠ってもらっていたのですが」

 ため息と共にア-シアをちらりと見る。

「行きますよア-シア。そこに、復元力が強力な化け物がいます。突いてもすぐ元に戻ってしまう様ですので、ちょっと完全に倒せる気はしないんですが……今度は、せめてもう少し長く寝ていてもらいましょう。その間に何か対策を考えればいい。貴女と二人なら、多分丸一日くらい昏倒させてやれるでしょう。 ……これで、いいんですよねア-シア?」

 頼んだ後にアーシアに訊くクローノ。まだまだだけど、でも。

「解ってきたじゃない、クロ-ノ」

 アーシアの笑顔を見てクロ-ノは笑い出した。

「では、行きましょうか」


「カハッ……ゲホッ……ゴホ……!!」

「クロ-ノ!」

 クロ-ノの体がまたも地面に叩き付けられた。体を掴む敵の手をアーシアが貫き解放する。これが本当に人間だった者の成れの果てなのか。反動でバウンドする敵を見て、アーシアも信じられない思いで一杯だった。

 五メートル以上に膨れ上がった風船の様な肉の塊の癖に、本当に見た目からは想像もできない素早さが宿っている。

『ぶひへ…へへへ、どう、ダだァクロ-ノお!』

 だが、それでもクローノは起き上がった。擦り傷だらけになりながらも、冷静に服の埃を払い冷笑する。

「……まだまだですよ」

 激昂した敵の攻撃をかいくぐりアーシアの傍まで飛び退った。

「大丈夫!?」

 アーシアが心配そうに聞く。

「大丈夫です。なぜか、先ほどよりも全然痛くありません」

 ため息をつき、アーシアも敵に向き直った。

「良かった。じゃ、もう一度いくわよ」

「いきましょう」

『クソォ、テメエラバカニシヤガッテエエエエエエエッッ!』

 ドゴォンッ! 殴られた地面が陥没する。しかし、二人ともかすることもなく避けていた。そのまま左右に走り、化け物をはさみ込む。

「ア-シア、足止めを頼みます」

「分かったわ」

 ア-シアが消える。『奥義:気殺』の第二段階、『気断』だ。気配を消して死角に周り込み、両手指に挟んだ痺れ薬を染み込ませたクナイを投げる。全部刺さった! そのまま後ろに周り足元を切りつける。

 どうっ! 膨れ上がった無駄な巨体が、重力に囚われ仰向けに倒れ込む。

「今よ!」

「おおおおおおおおおお!!」

 気を込めたまま棍で地面を叩き、しなりの反動で空に高く跳ね上がる。そしてそのまま全力でダガンに棍を突き刺した! 想いの全てを込めた棍は、ダガンの変わり果てた体をつき抜け、その中心を地面に深く縫いつけていた。

「おおォォォォォォォォォォォォォォっぬん!!!」

 長く伸びた金髪が込めた気合いで逆立ち昇る。棍を通してアースの様に、クローノは右手に溜まり火花を散らす最大の【気】を解放する。

 ドブォッッ!

 肉が爆発したかの様に千切れ跳び、

『GIIYAaaAAAAAAaAAAaAAッ!!!』

 ダガンの膨れ上がった体が広場の隅々まで汚らしく撒き散らし、大きく弾けて焦げていった。

 晴れた広場の周囲全てに、歓声が挙がった。


        ◆ ◆ ◆


「上、見てきたよ。何か、凄いことになってたけど」

 地下深く。隠し部屋の中に向けて、入口に立ったナハトは話しかけていた。中ではいまだ、シェリア-クが呪文を唱え続けていた。

 振動が収まったのが気になって、許可を取り急いで少しだけ偵察してきたのだ。

「何かね、勝っちゃったみたいだよ? 街の人達。儀式、無駄だったみたいだね。どうするのさ? これから」

 そう皮肉を云ったナハトは、シェリア-クの体が揺れていることに気づく。

 なんだ? 笑って……いるのか?

 わずかにシェリア-クの呪文が中断する。

「愚かだな、ナハト」

「あ!? ……なんでさ」

「くく、いいや……何でも無い。だがな、あれはそう簡単に倒せる相手ではない。この瓶と同じ力を感じるのだ。その力に呑まれた末の愚かな輩の気配をな。なに、彼らはすぐにまた恐怖することになろう。その時、我らの力が必要になるのだ。我らの力が、な。くくくく」

 薄暗がりの中、こちらを見ないで喋る相手の口元の笑みだけが影に浮く。

(……なんだ?)

 何かが違う気がした。何か。だが、判らない。

(何だ……?)

 何度考えても判らなかった。違和感? さっき自分がこの場所を離れる前と今とで何かが違う気配がした。気のせいかもしれない。きっと気のせいなのだろう。どのみち自分は、まだ知り合ったばかり。それ程この相手の事を知っている訳ではないのだ。

 ナハトは無言でまた壁にもたれ、儀式の終わりを待った。

 シェリア-クの呪文が再開される。

 儀式はその先、なんの滞りもなく続いていった。


        ◆ ◆ ◆


 夜が来た。

 夜中になれば、襲撃があってから、もうすぐ丸二日が経つことになる。

 被害は大きかった。失われた人命も。

 しかし、街の人達の顔は一様に明るかった。

 それはそうだろう。なにせ、敵の親玉はもう捕まえているのだ。

 見た目が人間ではないので最初は皆パニックに陥ったが、もはや動けないことが判ると、それもなくなった。

 抵抗していた敵の兵士たちも、隊長が捕まえられたと判ると、全員すぐさま戦いを止め、なげやり気味に投降した。今は奴隷候補たちの代わりに城の地下牢に入っている。

 奴隷や奴隷候補たちは、殆どが襲撃のドサクサで逃げ出していたが、蓮姫の言葉を聞いて、誰に云われるでもなく街の再建を手伝い始めた。

 街の人達もわずかの抵抗の後にそれを受け入れ、共に瓦礫を片付けている。夜になったらなったで、誰彼関係無く、酒の壜を回し飲みしていつの間にか宴会が始まっていた。

「なんだかなあ……みんな、現金だよね……」

 少年がため息と共に呟く。

 確かにそうだ。奴隷達に自分達が今まで何をしてきたか、忘れたわけではないだろうに。

ついさっきだって、蓮姫を裏切ったやつらがまた蓮姫の説得に応じ、逆恨みに駆られてクローノを襲った人たちがクローノが勝ったとみるや歓声をあげ歓迎していた。

「まあねえ。でもいいんじゃない? 悪くなったわけじゃないんだからさ」

「……うん、そうだね」

 ファングとラ-サだった。二人は街の人達が喧嘩をしていないか見回っていたのだが、まったくその心配はなさそうだった。つい一昨日までは奴隷奴隷と蔑んでいたのだから、ファングが現金というのも判るというものだ。いつまでこのままかは判らないが。

 だけど、多分、元に戻ったとしても一昨日までとは違うだろう。きっと多分。

「みんなはどうしてるの?」

「蓮姫さんは、向こうを見回りしながら子供を集めて寝かしつけてる。結構面倒見がいいのよね-、お姫様だったらしいのにねえ」

 よっぽど蓮姫さんを気にいったようだ。

「ふうん。じゃあア-シアさんとクロ-ノさんは?」

「さあ? どこ行ったんだろね。ふっふふふ」

 何かを悟ったかのようにニンマリ笑う少女がいた。ニヤニヤする様がまるでどこかのオヤジのようだ。

「……ラ-サ、気持ち悪い」

「うるさいわね! 子供は気にしなくていいのよ!」

「……僕の方がだいぶ見た目も大人だと思うけど。それにラ-サが考えている様な事じゃあないと思うけどなあ?」

 呆れて聞こえないように口の中でつぶやく。

(だいたい、あの人達はそうそう人前に出られないって言ってたじゃないか。追ってきてたあいつらだけでなく、何かこの国でもしばらくは見つかりたくないって言ってたし。いくらこういう状況だからって、そうそう姿を見せられないと思うんだけどな)

「判んないじゃないさそんな事! まぁったく、これだからお子様は嫌よね、もう」

「……あ、そう。……で、僕たちはこれからどうするの? 蓮姫さんに聞いたけど、ナハトの事は誰も見ていないらしいし……。いないのかなあ、この街には」

「そんなワケないじゃない! あたしの水晶玉は絶対に当たるんだから!」

「でも……」

「もう一人会ってない人が居るらしいから、あしたその人にでも聞いてみようよ。この国の王子様らしいから、そう簡単には会わせてもらえないかもしれないけどさ」

「うん、そうだね」

 話ながら歩いていたら、いつの間にか二人とも、破壊された区画へ出てしまっていた。 瓦礫のすぐ向こうは数時間前まで皆で戦っていた広場だ。

 ついでだから確認しておこうということになり、広場に出る。

 広場の入口に人が立っていた。街の人たちで、交代で地面に張りつけられたダガンを見張る事になっているのだ。そして、何か少しでも異変があった時は、すぐさま城の広間にいる蓮姫に知らせる手はずになっていた。

「ご苦労さまです」 「ごくろうさま-! 異常ないですか? 無いですよね-」

 見張りの人に声をかける。

「………はい、異状無しです」

「やあっぱりね-。それじゃ、もうちょっと、頑張って下さいね。だあい丈夫! お酒はちゃあんと、残しといてくれるらしいですよ! じゃ行こ、ファング」

 二人は安心していま来た道をたどる。

 角を曲がり、二人の姿が見えなくなった。

「………はい、異状無しです。はい、異状無しです、はい………」

 突然、星が隠れた。繰り返し呟き続ける見張りの足元で、何か黒いものが揺れていた。

 誰かがどこかで、声もなく笑っていた。


        ◆ ◆ ◆


「おい、アリアム。寝たまま走るのは仕方ないが、ずり落ちるんじゃない」

 その言葉に船を漕いでいたアリアムが顔を上げる。

「……寝るかよ。この瞬間だって街がどうなってるのか判ったもんじゃねえんだ。ラクダだって頑張ってくれてんだぜ? 俺、が……ふあああああいいや違う眠くねえ!!」

 品種改良されたラクダは、水だけを忘れずに与えてやれば、数日間眠る事なく走り続けられる。だが、人はそうはいかない。

「眠ったっていいと思うが……。寝不足や体調不良で何もできないよりは余程マシだぞ?」

「そうだな。だがな、伝書鳩が来るって事は大変なことなんだ。俺の国ではな。それなのに、あと丸一日近く到着しないときてるんだぞ! 落ち着けったって……」

 その時、後ろから一頭のラクダが追いついて二人に並んだ。

「夜半まで待ってくれれば、すぐにでもイェナに飛べるよ。ボクならね」

 精霊体であるナ-ガの一部は、この男の存在が今は必要だと告げていた。これから行く場所に。それが、ずっと感じていた違和感の正体だったのだ。

「……どういう事だそれは!?」

「詳しいことは話せないな。でも、信用してくれないかな? ボクにはその力がある。そしてそれよりも大事な事は、ボク以外にもう一人だけ、連れていくことができるんだって事さ」

「……………」

「……………」

「来るかい? 一緒に」

「………いいだろう」

「アリアム! お前!」

「黙ってろよデュラン。ナ-ガだっけ? 夜中になれば行けるんだな? イェナに。間違いなく。それが本当なら、あんたがどこの誰だろうが俺はどうでもいい。なんでそんな事を言い出したかも詮索しねえ。例え、そう、あんたがこの間までどこかの国の宰相補佐をやっていた人間なんだとしても……な」

「…………ああ、間違いなく、ね。嘘はつかないよ」

 物質化された顔に、流れない汗が流れた気がした。さすが、一国の王なだけはあるということか。人はやはり、見た目や雰囲気の印象からだけでは量れはしない。

「じゃあそれ頼むぜ。その代わり嘘だったらタダじゃおかねえ」

 ナーガは印象を変えて目の前の王を見た。静かに見てくるその瞳の深さが、恐ろしいほど澄んだ感情を(たた)えていた。


        ◆ ◆ ◆


 夜が来ていた。最後まで起きていた人も、騒ぎ疲れて横になる時刻だ。誰もが眠りにつき、街の上にも夜が堕ちる。

 ガタン。音のする方を見ると、あの見張りの男が倒れていた。眠くて倒れたというにはとても不自然な形に体を曲げたまま、瓦礫の上に倒れていた。

 ざわざわざわ。瓦礫が動く。どこかで鳥が、カアと哭いた。

 イェナの街に、夜が、来た。




  第十九話、『混沌の始まり』了.

  第二十話『世界が崩れるとき(前)』に続く。

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