第十七話 『混沌、破滅への序曲』 [NC.500、火月4日]
「……ここだ」
そこは王宮の地下深く。王の間の奥壁に隠された螺旋階段。鎖で遮られた階段を降りた奥底に、それはあった。
「これは……これは何なのさ、いったい……」
襲撃の夜が明けようとする頃。シェリア-クに連れられ、儀式用の壺を背負い、地の底まで続くかと思うほど長い階段を降りてきたナハトは、最後の暗い扉をくぐり抜けた瞬間目を見張った。
見上げたナハトの目に飛び込んできたもの。それは、その薄暗い部屋よりもさらに暗い、一抱えもある巨大な黒い水晶玉の塊だった。
狭い、石造りの四角いその部屋の中央の祭壇に置かれたそれは、巨大な鎖で幾重にも巻かれたまま、漆黒の地の底で、自らドス黒い光沢を放っていた。
「くく、これか……? これはな、この国の礎から存在する、我らが一族の罪の証だ」
「罪……?」
光のない部屋の中に、蝋燭の明かりがこぼれて揺れる。
そのわずかな照り返しを受けた水晶球は、まるで、内部に閉じ込められた炎が燃えて、燻っているように見えた。
黒い……炎?
「そうだ。水晶球というものはな、はるか昔から、ある一族に伝わる占いの道具だ。だがな、こいつは単なる占いの道具などという卑小な存在ではない。これは、今から100年ほど前まで、その一族を守護する力の源として祭られていたものだ。
水晶球というものがどこからどうやってもたらされたのか……。そんな事は知らぬ。だがこの守護球はその一族の、亡くなった代々の長の魂を中に封じ、それを力に変えて彼らを守ってきたものらしい。だがな、今その一族は流浪の民と成り果てている」
ナハトの瞳が色を変えた。何か云いたそうにもう一人の顔へと動く。
「フフフ、なぜそんなものがここにあるかと云いたそうだな。そう、あるはず無いものがここにある。これが何を意味するか、判らぬはずはないな? そう。それが、罪だ」
ナハトの表情が険しくなった。
「曾祖父はこれをそのままこの国の守護神にするつもりだったのであろうが、……ここに運び込んだ直後からこの球は色を変えた。漆黒へとな。そしてこの国は呪われたのだ。その呪いは自然災害から人の心にまで及んだ。人心は大いに乱れ、……その名残りのひとつがこの国に今なお残る奴隷制だ。つまり、この国はその始まりから間違えを犯し、抱え込んだまま発達してきてしまったと云うことだ。まあ、あまり人のことは云えぬがな、このわたしも。クックックッ」
シェリア-クは自嘲気味に呟く。
「始めの頃は疫病から砂嵐から災害のオンパレ-ドだったらしいぞ。だからこうしてここに大事に仕舞われているという訳だ。フ、笑える話だ」
何か云おうと口を開けたナハトは、そこでため息をつく。沸き起こる怒りを押し殺したままで。
「で、だから? これをオレに見せて、どうしようっていうのさ。オレは、昔話を聞く為にこんなとこまでついてきた訳じゃない……」
その変化を眺め、シェリアークは苦笑した。
「そう急 くな。これは正統なる王族にしか知らされないわが国最大のタブ-なのだぞ? 嬉しがれとは云わぬが、せめて最後まで聞くがよい」
(そう……父上が亡くなられた今、この場所を知る者はもはやわたしひとり。兄上にはとうとう知らされることはなかった。クク……正統なる血筋、か。もしかしたらそれは、今の時代において、この世で一番愚かな考え方なのかも知れぬがな……)
シェリア-クはふところから例の、赫い小瓶を取り出した。
「それは……! いったい何をするつもりなのさ!? 今度こそ乗っ取られたら……」
「その時は貴様が止めるがいい。そういう契約だろう? 悪霊封じを使える貴様に会えたのはわたしも運がいい。最近、心の内から己れを乗っ取ろうとする意思が時々浮かぶようになった。まさかこの瓶そのものの力とは思わなかったがな……。
まあ理由など今はいい。なんにしても、あまり気を乱す訳にはいかぬのだ。これからする作業には恐ろしい程の集中力が要る。この封印を解く為にはな」
「封印を解く、だって!?」
ナハトは仰天した。今の話を聞く限りでは、この水晶球の封印を解いたら大変な事になるのが目に見えているではないか。
だが、シェリア-クはナハトの驚愕を楽しむかのように言葉を返す。
「そうだ、今までそのために永い時を費やしてきたのだ。その為だけに! あとは二ヵ月もかからん。あと少し、ここでの儀式を行うだけだ。それで完全に支配下における。いや、しばらく動かすだけなら今からの二日間でじゅうぶんに事足りるであろう」
「だけど、それでどうしようっていうのさ? まさか災害で敵を追い払おうって云うんじゃないんだろう? そんなことしたら、この国の人たちにまで……」
「……だとしても、貴様が心配することではないであろう?」
ナハトは睨み、黙り込んだ。その通りだ。自分が声を荒げることではない。
「フ、心配するな。ちゃんとコントロ-ルすることはできる。その為の準備だ。それに、完全に封印が解ける寸前で止めれば良いのだ。……なに、心配するな。自分の国のことだ。考えているに決まっていよう?」
ナハトは鼻を鳴らして目を背けた。だから、知ることはなかった。その時シェリア-クの顔に浮かんだ表情を。
シェリア-クは笑っていたのだ。とても、楽しそうに。
(そうだ。わが国100年の歴史はここから始まり、そしてもうすぐここから終わる。この国は生まれたその瞬間から間違っていたのだ。間違いは正されねばならぬ。このわたしの存在も含めて、な……。くくく、そうだ。まだ完全に解き放ちはしない。今回はな。今はまだその時ではない。だが、その時が来たら……)
シェリア-クは取り出した瓶を眺める。いつもの通り、エナジ-が溢れるほどに満ちている。そのエナジ-を水晶球の制御に使うのだ。
その瓶にエナジ-を注いだ方法。それを思い出し、また彼は嘲笑った。
「開封の儀にはこの瓶を使う。人を操るとは知らなかったが、この瓶には受け取った始めからこの水晶球と同じ力を感じていた。何度もこれに接しているわたしだからこそ感じられたのだ。この力を使えば水晶球を制御することができる、とな……。
今回は、民が避難している王宮とその周辺には力が届かぬよう制御しよう。貴様はその間、わたしが乗っ取られないように注意しろ。わたしを乗っ取ることができず、瓶の力も返ってこない事を知れば、あの男もわたしを捜しに来るだろう。その時はナハト、貴様の好きにするがいい。 では、始めるぞ……」
そう云って、シェリア-クは、ナハトが祭壇の前に設置した壺を中心に魔法陣を描き、腰を下ろす。
儀式が始まった。この国の未来を左右する儀式だ。
視ていたのは、たった二人。悲しみをたたえた二対の少年の瞳だけだった。
◇ ◇ ◇
コ-ルヌイは、その傷だらけの体で、倒れている男たちの側へと歩み寄った。
すべて軽傷だ。だが、尋常ではない数の切り傷から滲み出る血の総量は、その足を鈍らせるには、十分な量に見えた。
王宮の屋上だった。玉葱形に膨らんで、塔のように中心が空へと伸びる屋根の縁。そこに、数人の男たちが力無く転がっていた。僅かに息がある。だが、すぐにそれも絶えることは明白だった。
一番近くに転がる男を、すぐ側から見下ろしながら、コ-ルヌイは口を開く。
「なぜ、わたしに闘いを挑んできたのだ。わたしにかなわぬ事くらい、お前たちには、……お前には分かっていたはずだ」
その男は、彼が以前、戦い方を教えたことのあるうちのひとりだった。
弟子を取らない主義だったコ-ルヌイにとって、数少ない教え子のひとり。
彼は昨日の夜からずっと、彼らと闘っていたのだ。いきなり襲ってきた彼らと。
「………そうだな。あなたは特別だ。我らがかなうはずもないことは、理解していた」
男は起き上がることもできず、目をつむったまま答える。
「なぜだ。お前たちは、殿下の影。若を御守りすることが使命のはず。いたずらに闘いを挑むなど、その使命を投げたとしか思えぬ。……なぜだ」
「ふふふ……、我らは使命を投げてはいない。この闘いは、その使命の全うとなんら矛盾してはいない……のですよ」
「なんだと?」
「師よ……あなたが殿下のお言葉通り、素直に街をお出になられたなら、闘いを挑む必要などはなかった……。だが、あなたはこの街に残った、のこのこと戻ってきた。それは、殿下にとって……マイナスにしかならない……」
「……殿下は、若は、いったい何をなされようとしているのだ……! 答えろ!」
声を荒げる。その表情は、憤怒だ。だが、どこか内に恐怖を秘めた憤怒だった。
「ふ……ふ、怖い方だ、あなたも。心のどこかで、真実を探り当てている……」
「……答えろ」
「殿下は、この国をいったん終わらせるつもりだと仰った。それを聞き、我らは殿下のために命を投げ出すことを、誓った。たとえ反対した仲間の命を、奪ってでもな……」
「なんだ……と!?」
「この国に伝わる砂漠の悪霊の昔話。ふふ、あれは……真実でしたよ、……師よ」
「馬鹿な!! そんな事をすれば、この国は滅ぶぞ!」
コ-ルヌイは男の襟首を掴み上げ、怒鳴る。
「どこだ!? 若は今どこに居る!」
男は開かない目をそのままに、笑った。
「知れば、あなたはそう云うだろうと、殿下は仰っていた。その通りでしたな、師。あなたは殿下を止めるだろう。だが、たとえそれが殿下の事を真に想ってのことだとしても、それは殿下の望みではない。殿下には、あなたの知らぬ秘密がある。ですが、お教え致しはしませんよ、師。我らは皆あなたに……嫉妬していたのだから。ずっと、ね。ひとつくらいは、殿下のことをあなたより知ったまま……この世を去ってみたいのですよ」
「くっ」
コ-ルヌイは笑みを浮かべる男を突き放し、駆け出そうとした。一瞬完全に男を視界から外してしまう。致命的な隙だった。シェリア-クを捜し出し何としてもお止めしなければと焦るあまり、彼にしてあり得ぬ程の致命的な隙がうまれていた。
「行かせはしない……!」
男の手が走り出そうとしたコ-ルヌイの足を捕らえる。死にかけていたとは思えぬ程の神速だった。捕まれた足を中心に傾斜に沿って体が滑り、長年影頭を勤め上げた男が無様を晒し片手をつく。既に手足のどちらも踏ん張りが聞かなかった。それでも、
「放せ!」
諦める訳にはいかなかった。 ここで諦められるくらいなら、いつかの記憶のあの時にとっくに諦めていたはずの人生だった。かつての弟子を何度も何度も足蹴にし、死の拘束から逃れる為に傾斜の屋根を転がりながら必死で足掻き、暴れ続けた。
「……行かせはしない。我らは、……もともと奴隷だった。それが力を買われて影になった。師よ……多分あなたも、そうだったはずだ。奴隷でなくとも、似たような……」
「はなせッ!!」
暴れる足を死に逝く者が笑みを浮かべて押さえ続ける。
「殿下の思惑のすべては……分からない。だがこの国がなくなれば奴隷制も消える。我らはそのためになら、他のどんな犠牲も厭いはしない……。そうだ。たとえそれが、この街の民すべての命と引き換えだったとしても……!」
男がコ-ルヌイを捕らえたまま、ふところから四角い物体を取り出す。その先端から伸びるのは、……発火線か!
(────自爆!?)
「貴様は若を見殺しにする気なのか!? この街を破壊すれば若もただではすまんのだぞ! 放すのだナムルン! はなせぇぇぇ────────ッ!!」
「殿下、後はお頼み申す!!」
最期の力を振り絞り、叫びと共に、男は発火線に噛み付いて思い切り線を引き抜いた。
王宮の地下。そこでは水晶玉の封印を解く“解呪の儀”が行われていた。儀式が始まってから、既に、数時間が経っていた。
(────爆発か)
連続する爆発に、ナハトは今日の敵の侵攻が始まったことを知った。それらの幾つかは、この地下深くにすら振動を送ってき始めていた。
かなり近づいてきている。
(二日間か。それまで、上の状況が保てばいいけどね)
ナハトは壁にもたれ、薄目を開けて一心に呪文を唱え続けるシェリア-クを眺めた。
彼は伝わってくる振動をまるで感じていないかのように、座り込んだ姿勢のまま微動だにしなかった。
刹那、今までで一番大きな振動が地下を襲った。壁に手をつき体を支える。
ナハトは上を見た。地下の岩盤の天井から細かい埃が降り注ぐ。シェリア-クの呪文の声が一段と強く強く高まった。
近かった。今のはとてつもない程近距離だった。だが、それが自分たちの真上で起こった爆発だということには、二人とも気づくことができなかった。
◇ ◇ ◇
廊下を走っていた蓮姫は、その振動にたたらを踏んだ。わざと壁側に跳んで背中を打ちつけ、転がるのを避ける。
そこへ、壁際に飾られていた壺が落ちてきた。
体をひねってなんとか避ける。だが、武器庫から持ってきた細身の剣が下敷きになって折れてしまった。
(しまっ……!)
唇を噛む。どうしたものか。もう一度戻るべきか? しかし。
(国王専用の伝書鳩がアリアム様に届くまで、まだ少しかかるはずよね)
蓮姫は、昨夜シェリア-クのところへ向かう前に、預かっていたアリアムの鳩を放していたのだ。「街が敵の攻撃を受けている」と書いた紙を足にくくりつけて。
最初、それは偽りだった。例えその偽りによって怒鳴られ、嫌われ、蔑まれたとしても、今のシェリアークを止めるにはアリアムの存在が必要なのだと信じたからだ。なのにそれが本当になった。嫌な偶然だ。
だが、怪我の巧妙と云えば云える。そのお陰で、どんな知らせよりも早く、アリアムたちに緊急の知らせが届くことになったのだから。
だが、彼らが最高速度で帰ってきたとして、それでもまだ到着までには二日近くはかかるだろう。最低でも丸一昼夜、彼らが帰るまでは、自分たちでここを守りきらねばならない。
その時、近くに扉の開いた部屋が見えた。
今の振動で開いたのか?
気になって覗いた蓮姫は、その部屋の棚に剣の柄そっくりの棒が置かれているのを見つけた。細い鍔のついた短い棒。無意識のうちに手に取って眺める。
(それは、貴女のものです)と、声が聞こえた気がした。
いろいろ触っているうちにスライドで隠されたボタンを見つけた蓮姫は、内なる声に導かれるままにそれを押し込み解放する。躊躇はなかった。疑問も感じなかった。誰かの声がまた聞こえた。なぜか、そうしなければいけない様な気がしたのだ。
彼女がスイッチを押した瞬間、刹那それは、蓮姫の目の前で青白き光を発する長剣へと姿を変えた。魅入られた様に刀身の青き光を姫は眺めた。
「便利ね。これ、借りてしまおうかしら」
振ってみる。羽のように軽い。剣に変わっても柄の分の重さしか感じられない。
その重さは、修行から遠ざかって筋肉の衰えた蓮姫にとって、理想の重さだった。
「……非常時ですものね」
自分に言い聞かせ、もう一度ボタンを押して剣の部分を消した蓮姫は、手に取ったまままた駆け出した。
それは、クロ-ノが国から持ち出してきた発掘品の一つだった。
それぞれの使い方を訊く前にクロ-ノが逃げ出したので、シェリア-クが倉庫に放り込んでおいたのだ。
それに使えたとしても、彼には肉体を使う武器は使いこなせない。たとえどんなに軽かろうと、武器とは素人がそう簡単に使いこなせるようなものではない。
ましてや、彼は心臓に爆弾を抱えているのだから。
だから唯一使い方の分かった武器“光の剣”も、同じように押し込んでしまったのだ。それが偶然、爆発の振動で転がり出た。
蓮姫はそんなことは知らない。知る必要もない。
ただその武器が、最高に相性のいい使い手を得たことは、確かなようであった。
◇ ◇ ◇
「今のは近かったわね―――……」
ラ-サは隠れ家の入口を見つめながら、呟いた。ファングは、息の残っている人間がいないかどうか外へ確認しに行っている。まだ助かる人がいるなら、助けたいと。
ファングとラ-サは、クロ-ノとア-シアを名乗る男女に連れられ、その隠れ家へと訪れていた。奥のベッドでは怪我人の少年が昏睡状態のまま寝入っている。
案内された隠れ家は、王宮を囲む樹木塀の脇の、地下に広がる地下道の途中にあった。その道はどうやら、王宮の人間がいざという時脱出するための抜け道らしい。傍らの樹の切り株を回すとぽっかりと地面に穴が開いて、二人を大いに驚かせたものだ。
二人はなぜア-シアがそんなものを知っているか疑問に思ったが、それを問いただすだけの時間も余裕もなく、雰囲気でもなかった。無言でついて入り、ベッドに少年を寝かしつけた。
運び込んだ少年は、夜中に一度意識を取り戻しクロ-ノを視界に認めると、ベッドの上に起き上がり、急き込んでその身を顧みず何があったかを語った。
彼の無実を知ったことを語り、「先輩……すみませんでした」と涙した。
クロ-ノは無言で少年を抱きしめると、今は体を休めるようにと、言葉少なに彼に伝えた。
後は自分たちに安心して任せてくれと。
それからが大変だった。
少年の棍をつかむとクロ-ノは隠れ家を飛び出そうとした。
少年の話にあった、ダガンとかいう男のところに向かおうとしたのだろう。
だが、ア-シアは全力でそれを止めた。ラ-サたちも手伝った。
今一人で向かっても、無駄死になるのがオチに決まっていると思えたからだ。
クロ-ノにも分かってはいたのだろう。それでも、今の現状のすべてが自分のせいで起きている。その事実にじっとしてなどいられなかったのだ。
しばらくしてア-シアの説得に応じ、彼は奥へと引っ込んでいった。だがラ-サたちには、またいつ飛び出そうとするか分からないように見えた。それほどまでに、彼は怒っていたのだ。
ラ-サは、見るとはなしにベッドの上の少年を見ていた。全身に巻かれた包帯が痛々しい。それでも、傷は深かったが、処置がぎりぎり間に合い今は小康状態が続いている。ベッドの横で、ア-シアが少年のひたいの濡れタオルを取り替えていた。
ラ-サは首を回し、入口を見た。がたんと音がした。ファングが帰ってきたらしい。ア-シアが扉を開けると、ファングが飛び込んできた。すすで真っ黒だ。
「軍隊がまた動き出したよ。でも見たかぎりじゃ、燃えている区画に取り残された生き残りは……もういないみたい。ほとんどの人は大通りから王宮の広間や中庭にかけて避難してきてるけど、あれじゃあ全員入れないんじゃないかな……。あ、それと実は……王宮がね……」
「王宮がどうかしたの!?」
ア-シアが急き込んで尋ねる。
「あ、ええ、……王宮の屋根の一部が吹っ飛んだんだ。……です。爆弾みたいだった……けど、まだ敵の軍隊の攻撃が届く距離じゃないのに……どうしたんだろう……」
勢いに驚いたファングがしどろもどろに答えると、ア-シアは息を飲み、爪を噛んだ。
「あ、でも、それ以外はたいしたことはないし、大丈夫だと思います。それよりも、王宮の中の方が大変ですよ。街の人たちすべてが避難して押し寄せてるから、かなり混雑してました。もっと人が増えるとすると、本当に入り切らなくなるかもしれないです」
「まあ、当然の問題よね……」
皆腕を組んだ。が、ここで自分達が考えて悩んでも、答えは出ないし伝える方法もない。現状は、今できることをやる事が大切だった。
「あ、そうだラ-サ。頼みがあってきたんだ。君の持ってる治療薬、少し分けてくれないかな? 足りないみたいなんだ。お医者さんが皆に薬を分けてくれるように頼んでた。僕、持ってるって云っちゃったんだ。ごめん、相談もしないで……」
「え-? こっちだってそんなにたくさん持ってきてるわけじゃないわよ。でも、仕方ないなあ。ア-シアさん、という訳ですので、ちょこっと行ってきます」
「ええ、いってらっしゃい。疲れたらまたここに帰ってくればいいわ。でも、ひとつだけ頼みがあるんだけど」
「大丈夫です。ここのことは誰にも言いません。来るときも尾行に注意してきます。こう見えてもそれくらいはできるんですよ、あたしたち」
ラ-サはウインクして答えた。
「ありがとう。わたしたちは、行ってあげたくても人のたくさん居る場所へは行けないから……。ちょっと、ね」
「分かってます。あたしたちも彼の話を聞いていたし。それより、そっちの方こそ、あたしたちをそんな簡単に信用しちゃっていいんですか? もしかしたら軍隊をここに連れてくるかもしれないですよ?」
にっこりと女性は笑顔を見せた。
「彼の大事なひとを助けてくれたあなたたちを、疑う理由があるのかしら?」
ラ-サはその笑顔に圧倒された。軽く嫉妬し、そして、羨ましいと思った。
「あなたは……本当に好きなんですね、クロ-ノさんの事が……」
「え!? ち、違う、そんなんじゃないわよ何言ってるのっ。あ、あまり大人をからかうものじゃないわ」
ア-シアの顔の色が赤や青に変わるのを、ラ-サは笑いをこらえて見守った。何度も羨ましいと思いながら。
(いいなあ……、あたしもはやくナハトさまとそういう風になりたいなあ)
「じゃ、行ってきま-す。クロ-ノさんたちの手綱をしっかりつないでおいて下さいね! ほらファングなにやってるの! 行くわよほら」
「あっ待ってよラ-サ。置いてかないでっていうか君行き先分かって歩いてる? ねえ!」
「……いってらっしゃい」
ラ-サたちが出ていった後を、苦笑してア-シアはしばらく眺めていた。そして呟く。
(そんなんじゃないの、ラ-サ。あなたが想像しているような関係じゃないのよ、わたしたちは……。わたしが彼とそういう関係になることはありえないわ。たとえ蓮姫のことがなくてもね。わたしは、彼に相応しい女じゃない……から)
その小さな呟きは、言葉に変わる前にア-シアの口の中で泡となって消えていった。
だから、誰にも届くことはなかった。誰にも……。
そしてア-シアは少年の看病するために、隠れ家の奥へと戻っていった。
第十七話 『混沌、破滅への序曲』 了.
第十八話 『正義ではなく』 へ続く。




