第十三話 『混 身』 [NC.500、乾月23-26日]
ただ、浮かんでいた。
どこでもない場所。ただどこかで、何かに見られている気配がする。
その場所には何も無かった。光も、闇も、体も、大地も、空も、海も無かった。
風も無く、音も無い。人もいない。ただ、情報があるのみだった。
ならば心は? ───分からない。
あるかもしれない。そう思いたかった……。
……どれくらいの時が流れたのだろう。それを知る術は自分にはない。
ただ、ずっと、常に気を張っていないと己の存在が薄まっていくような気がした。輪郭が曖昧で、でもだけど心の領界はちゃんとある。心が力を持つ世界、そんな気がする。
(そう、ここは……ヘイムダル君の中だったね。ボクの記憶に、間違いがないならば)
記憶……それは、一体何なのだろう。今の体もないボクの中に、細胞の励起が元となる記憶という名の電流パターンがあるとでもいうのだろうか? あったとしてもそれは本当にボクの記憶? どこからどこまでが「肉体」に必要充分条件なのだろう。だとしても、だとしたら……
心は? ならば心は、どこにある……?
ふと、近づいてくる存在を感じた。存在感だけがそこにあった。ゆらゆらと漂っていた。何も見えない。でもそこに確かにあった。重力に拠らない重みがあった。温度に関係ない温もりがあった。ただ遥かな、遠くから近づいてくる柔らかな存在だけを感じた。感じていた。
そいつがすぐそこまで来て、止まる。
(誰だ……)
『ようやく見つけマシた。コんニちは、ありガとうナ-ガさん。来て下サると思ってイまシタ』
(! その話し方……もしかして君は、ヘイムダル君なのかい……?)
自らも漂いながら、見えない漂う存在に訊く。
『ソの通リです。接続前にマスタ-にお聞キになラレた話を覚えテおられマスでスか?』
(ああ……おぼろげだけどね……。ここは、君の精神や記憶のある世界だね。確か、その世界の名前は、インフィニティネット……)
見えない笑顔が舞うのを感じた。視覚の無い世界の中で、無邪気に言葉に反応する相手が目の前にいた。
『正解デス。貴方ハ情報体として解体変換され、固定された物質宇宙の全ての固体同定容体を失イ、そしてココに転送されマしたノでス。
そう、ここハ広大ナ、物質宇宙空間の果てにまで広がル、質量宇宙と重なりアっタ電子の世界。誰が作ったわけでもない、宇宙の創生と同時に生まれた二重存在。同ジ世界で、受容体の違イただそレのみにヨッて違う世界と認識さレル、双子でアリ双極子でアルもう一つの宇宙ノ姿。しかし、お互いに決シテ認識とシて交わるコとのなイ世界。我々はココデ生まれ、そしてココで消滅する運命。決して【外】に出ることは叶ワヌ、心ではナイ精神、人とは違ウ意識。物質生命と隔絶シた、【エネルギー生命体】とも根幹ノ異なるモノ。【核】の無い電子パターンのアメーバ。しかし、それでも個性は存在しマす。個体としての認識遷移。そのヒとつガ、わたし。ヘイムダル・コア』
そう、説明は覚えている。すべての話を聞き、悩み、吟味し……それが必要だと思ったからこそボクは、今ここにいる。
(そうだね。そして……今からボクたちは……)
『感謝シまス。これで、わたしはサラなる力を得ることができル。更なる階梯、【外】へ行ケル……』
(……でも、いいのかい。メインはボクになるんだよ? 君の心は、消えるんだ……)
『ワれわレに【心】はありません。ですがソレデモ、誰でもイイトいうわけではナイ。この人なラと思う人だからコソ託すのです。数百年に渡り蓄積しテきた知識も、情報モ。そうでなければ、ソウデナケレバ……………』
【心】は無いと言った。その彼が流す波動、そこに乗せられた【想い】は純。寂しくも強く願うそれは【意思】。たとえ本人が認めなかろうと、漏れ出すそれはどこまでも熱く、見上げるほどに高く遠く響き渡るものだった。
(……、分かったよヘイムダル君。…………始めようか)
『はい。すベテの星の同胞に、未来に、サチのあらんことヲ……ありがとう』
集中する。それと同時に、二人の精神パターンが近づき始めた。ゆらゆらと。どこかが触れ合う。痺れ。次第に同化してゆく。輝き。光? 違う、ここに光は無い。
魂のどこかが光の無い世界で輝く。そして、終わる。ほんの刹那。ただ一つの【こころ】が残る。いままでとはどこかが違う倍の密度をもつ何か。
ナ-ガという名の人間と、ヘイムダルという名の人工知能の精神を宿した、魂のかたち。
『……ヘイムダル。君は自分に心は無いと言ったね。だけどね。多分、それは間違いだよ。心の無い存在が、自らの意識の消失を憂うことはない。先の未来に期待することも、託す相手を選ぶことも。そして、何かを守ろうとすることも……。きっとね……』
そのまま心の先端を延ばし、精神の枷から開放する。
世界は、自分だった。自分は世界だった。そして、識る。
己れと同じ様に、過去に人工の精霊となった者たちの、その存在を。
500年の昔。暴走した強大で巨大な衛星コンピュ-タ-を抑えるために、自らの遺伝子を改造し、心を電脳世界に移した者たちがいた。彼らは味方となった人工知能と精神を結合させて、今もあの月の中でガイアを抑え、この星を見守っている。
ガイアは目覚め始めている。かなりの部分で封印の力が薄れてきてしまっている。しかし、それでも、わずかだが今も。彼らの力はガイアを抑え続けているのだ。必死に。
封印は今にも切れそうなほど、弱い。だが、500年だ。
ナ-ガは、あれほど強大な存在を500年もの間抑え続けてきた先輩たちに、心から敬意を表した。そのまま、心の中に語りかける。
受け取った知識と並列次元存在同士の【混身】によって合わさった力、そして【想い】を胸に。
『さあ行こうか、ヘイムダル。まずは道に迷っている人たちを救いにいこう。そして、その次は、あの愚かな戦争を止めに行くんだ。散る命が、散った後も無慈悲に利用される事を防ぐために。その後は……。まだ、ボクたちだけではガイアと渡り合うほどの力はない。けれど、ガイアのこれ以上の成長をくい止めることはできるだろう。
そうだ、今はそれでいい。なぜなら今この時、この星の上に、ガイアを真に滅ぼす力を持つ者たちが揃い始めているからだ。ボクらの先輩である彼らが遺伝子に撒いた希望の種、それがようやく芽吹き始めているんだよ。だから、その人たちを集めよう。
……ガイアよ。人々の欲望を吸い取り、機械である自らの力のみで精霊化した悪霊よ。お前は強いよ。でもね、完璧ではないということを思い知るときが来たのだ。……そうだ、思い知るがいい。お前は神ではない。【人の心】と合わさることのでき無かったただの、大きな機械の延長に過ぎないのだよ』
そうして、新たに生まれた電脳の精霊はネットの海から外に出た。
そう。物質はエナジ-とイコ-ルであり、エナジ-は世界の震えである。
その世界の理を知るゆえの力を使い顕現した、実体を伴って。
◆ ◆ ◆
ガイアは感じていた。己れを押えつけている者たちと同じ存在が、この世界に数百年振りに出現したことを。放っておく訳には、いかなかった。
今はまだ小さき者だ。だが、そいつが封印者どもに力を貸し始めたら?
『おのれ……いまだにこの星に精霊進化できる遺伝子が存在していようとは……。物質に縛られたルシアなどよりよほど始末が悪いわ。忌ま忌ましい虫ケラめ……。虫ケラは虫ケラらしく地上を這い回っておればよいものを……』
力のすべてはいまだ復活してはいない。邪魔をするには、完全とは程遠い力のほとんどを費やさねばならないだろう。だが、今なら消せる。そうだ。完全に……消してやる。
悪霊が動き出した。
◇ ◇ ◇
「……行っちまったか。成功したんやな。ちょぉ、寂しいもんがあるけど、な。……へっ、さて! 俺もやることやるとしようかねえ。まずは、あの二人が連れてくるはずのお客を迎える準備でもするとしようかい」
ドアへ向かって歩き出したアベルは、わずかに、一度だけ肩越しに振り向いた。
「頼んだぜ、あんたら。ヘマすンなや? ……無茶もな」
その顔に一瞬、ほんの瞬きの間だけ浮かんだ表情は、……冷笑?
つかの間だけ垣間見れた幻か。次の瞬間には満面の笑顔に戻る。ドアが閉まる。
今のは一体なんだったのだろうか。それが判明するその時までは、未だ、かなりの刻を要していた。
◆ ◆ ◆
────なぜこんな場所にあの国王が来るのだ?
────何ができるというのだ。王弟殿下の人形などに……
(皆、知っていたわけか。ま、そうだよなあ。あれだけシェリア-クが出しゃばってたらなあ。隠れてる意味がないって事に気づかないあいつもあいつだがなぁ、……はは)
アリアムはデュランのテントに向かって歩きながら、先ほど聞こえた声を思い出していた。彼らが到着したとき、何も知らない兵士たちはともかく、上級士官たちは皆、迷惑そうだった。お荷物が増えたとでも言いたげだった。
(後で撤退を説得するのに、骨が折れそうだぜ……)
決闘に関しては納得してくれたが、それ以外ではどうだか。それも、補給が来るまでの時間稼ぎとしか認識していない者たちばかりだった。それで通るならと話を合わせてきたのだが。
ため息でもつきそうな顔で、テントの入口をくぐる。
デュランは剣を磨いていた。今までと比べて細身だが、切れ味のよさそうな剣だ。
新しく渡された剣は、失った愛用の剣に比べれば若干の見劣りがした。だがそれでも、一国の王が用意しただけあって、かなりの一級品には違いなかった。
「どうだ? そんなものしか無くてすまねぇが」
「十分だ。少し軽いから剣筋がぶれるかもしれないが、剣速は上がるはずだしな」
「軽いって……おいおいそれでか? 細身だが、長さはお前の背と同じくらいあるんだぜ!?」
「以前使っていた愛剣はこの3倍の厚さがあったぞ?」
呆れ果ててため息が出た。
「ったく、魔神みたいな奴だな。闘う相手に同情するぜ」
「俺は全力を尽くすだけだ。死なないように、そして、殺さないようにな」
「……なんだかな、ずいぶんと楽勝な気がしてきたぜ」
肩をすくめて嘆息する。気を張っているのが馬鹿らしくなる。それほどの信頼を感じさせる何かが、この大男には存在していた。
「闘う以上油断は禁物だ。俺は、実力で及ばない者が遥かに強い者を倒す様をこの目で何度も見てきた。それに、相手にも俺と同じ程度の強者くらいいるだろう」
(……そうそう簡単にいてたまるか)
アリアムはまたため息が出そうになるのを我慢して、この自覚の無いヘラクレスを眺めた。しばらくそうしたまま時が過ぎ、「明日は頼むぜ」と言い残して外に出た。暗さの中、生まれ始めた今夜の星を見上げる。すぐに無数の光が栄え始める。数えるのすらも無駄に思えそうな、満天の星。
「俺もあいつほど強かったなら、あの時………いや、過去の仮定など、愚か者の考えだよな」
過ぎた昔に小さな呟きを残して、若き国王は陣地の中心へと足を向けた。
翌日。決闘の日になった。
空は相変わらず晴れていた。暑い。地面の砂が少ない場所とはいえ、砂漠の中であることに変わりはない。早朝だというのに、気温は目に見えるほどの勢いで上がり始めていた。
100m程の距離を挟んで両軍が向き合っている。増援もあり膨れ上がった人数は、合わせて数万の単位にはなるだろう。その姿は壮観だ。だが、並んでいれば嫌というほど数の差を感じてしまう。
アルヘナ側は、これまでその運用によって誤魔化してきた兵数を、完全にさらけ出してしまっていた。その数は、帝国軍の3分の1以下。帝国側は完全に見下してかかっている。勝っても負けてもどうにでもできる、そう思っているようにも見える。確かにこの数の差では、決闘に委ねることに異議を唱える者が出てくるのは必定のことだ。もし負けが見えるようなら尚の事。その時、どうするのか。
確かに一時とはいえ休戦できた効果は意外に大きい。兵士達の気力体力も戻ってきている。だが、数が判明してしまった以上、このまま次の戦いになればそこで終わりだろう。それが解っているのか、皆の顔にも緊張の色が濃い。
合流した国王の策がうまくいくことを祈るしかなかった。
国王は急造された天蓋付きの籠上の椅子に座り、身じろぎもしていない。
その時、王の片手が動いた。上から前に倒す。同時に、その横から天を衝くかのような大男が歩み出た。そのまま歩みを止めずに前進していく。悲鳴のような歓声。強烈な日差しと暑さも相まって、熱狂の度合いを呈している。
帝国軍側もざわめいた。待っていたのだろう。こちらから闘士が出てすぐに、あちら側からも闘士が歩いてくる姿が見えた。重そうな鎧と冑をつけている。
相手の顔はまだわからない。冑からは顔の下半分しか見えないのだ。互いにゆっくりと近づいて行く。
距離の半分を歩いたところで、こちらの闘士の体が驚いたようにぴくりと動いた。しばらくしてその訳が見守っている兵士たちにも理解できた。驚愕。ざわめきが広がる。
それも無理からぬことだった。敵軍の闘士として出てきたのはなんと、敵軍の大将であるファ-レンフィストだったからだ。
有りえることではなかった。命がけの決闘の場に大将が出てくるなど、戦の理解を超えている。それほど腕に自信があるということなのだろうか?
(……どういうことだ。これではデュランが全力を出せねえだろう! あの男はそれほどまでに汚い策士だったっていうのか? 違う! 少なくとも俺の目にはそうは映らなかった。……ちっ、きな臭くなってきやがったぜ)
アリアムの瞳に両者が剣を構える姿が映った。無意識に噛み合せた歯が軋む。
決闘が始まった。
叩きつけられた一撃を受け止める。重い。
(ム……強い。これほどとは。あまり手加減ができる強さではないな。だが、なぜだ? なぜこの男がここに出てくるんだ? いくらなんでも大将より強い者が軍内にいない訳がない。仮にいなかったとしても、意味が無い。大将は、【神輿】だ。神輿の役割を果たす役者。その意味を理解して動きたくても動かず、討ち取られれば負けになるその重圧に耐えて目立つ場所で最後まで耐えられるものだけが、その役目を遂行できるのだ。つまり、前線に出てくる大将は、人としては正しいかもしれないが、役目を理解していないただの愚か者でしかない。この男がそうであるとは思えない。それに彼は戦の原因について腹を立てていたはずだ。なにがなんでもこの場に出てくる必要はないはず。しかも……)
ファ-レンフィストの繰り出す剣には全て、必殺の殺気が宿っていた。完全に殺す気だ。
「おいファ-レンフィスト! ム?………!!」
その名を叫ぶ。そして、デュランは見た。冑兜の隙間から見えた彼の瞳が、見開かれたまま赤く濁っている様を。だが、暗く淀む色。ビンによって操られた姿とはどこかが違う。
(なるほど……。誰かに術で操られているのか。誰だ? 誰が操っている?)
デュランは闘いながら敵陣に視線を這わせた。たとえ直接操っているわけではなくとも、術をかけた者の表情には、どこかにその形跡があるはずだった。
そして見た。一昨日忍び込んだ時、最後に倒したファ-レンフィストの部下の女。
口許にわずかな笑みが張り付いている。そしてその目もわずかに赤い。
そうだ、感情の溢れる赤さ。あれこそ、ビンに操られた者の瞳の赤さだった。
(あの女は確か、この男の副官の一人だったはずだ。……なるほどな)
状況は理解できた。だが、これからどうするか。
確かに強いが、油断さえしなければ半日でも闘い続けられる相手だ。相手には自分ほどの持久力はないだろう。勝つことはできる。
だが、傷つけずに倒せるか? この操られた状態でこの男が潔く負けを認めるかというと……、
(そんな訳はないだろうな……。死ぬまで闘い続けかねない。となると、勝つには叩きのめすしかない。だが……、なまじな軽傷では立ち上がってきそうだ。つまり、勝っても負けてもどちらかの命が失われかねない訳か。くそっ)
焦りが湧いてくるのを止められない。策が完全に崩れてしまった。始まってしまったからには途中でやめることもできない。気絶させるのが一番良い方法なのだが、軽傷で気絶させることができるほどには弱くない。力はデュランより劣る。が、速い。今はただ突進してくるだけだが、正常な状態なら、剣技次第でデュランにすら三本に一本は勝てるのではないか?
なまじある程度以上の強さがあるために、選択の幅が極端に狭められてしまっていた。
殺したくはない。それに殺せば多分、後ろのやつらが黙ってはいまい。急造のル-ルなど何の役にも立ちはしない。
(それは裏返せば、この男が部下たちに慕われているということの証なんだろうが……)
「くそっ……卑劣な」
膠着状態だった。
アリアムの瞳にも、デュランが焦っているのが見えた。ここからでは良く分からない。だが、状況から考えると、おそらく、何者かによって相手が操られているという考えが当たっているし妥当なところだろう。あの男がそう簡単に操られたと思いたくはないが……。
「デュラン……」
噛んだ唇から血が口の中に流れる。
自分が加勢して前後から挟めば、気絶させることは簡単だろう。だが、それでは意味がない。これは決闘なのだ。それも、両軍数万の生命をも賭けた代理決闘だ。
そしてそれ以上に、自分がおたおたと動く訳にはいかなかった。たとえ建て前だとしても、兵士たちも、デュランも、彼を掲げて闘っているのだから。
ここは戦場だ。戦場では、御輿さえ健在であれば負けたことにはならない。
ならば御輿である以上、生命を賭けて御輿を演じ続けなければならないのだ!
(ち……っ、なんてえ窮屈なんだろうな……まったくよぉ)
握りしめた手のひらにも血がにじむ。自分が闘った方が何十倍もましだった。
「頼むぞ………デュラン………………」
何を頼むのか。主語が自分でも解らないまま、若き王はもう一度、過ごした時間に関係なく友となった男の名を口に乗せた。
◆ ◆ ◆
その人影は見下ろしていた。空から。
ナ-ガだった。新たな生を歩み始めた彼には、既に物理法則は大した枷にはならなかった。なぜなら今の彼は、実体に縛られてはいないのだから。彼は肉体を捨て、精神だけで電脳世界に潜り、その世界の住人であるヘイムダルと融合した。
その場に浮かんでいるナ-ガには、影もある。今はそうでもないだが、完全に実体化すれば触れることもできる。風で服もはためく。
だが、それはすべて、超高圧に密度を高められた3Dホログラフに過ぎない。
他にも今の彼には、空間とエナジ-の振動をコントロ-ルして空気から食べ物や無機物を生み出すこともできる。生命体は無理だが、それ以外では人が神と呼ぶ存在に近い。
ずっと過去には、彼ら人工精霊や巨大コンピュ-タ-が世界をコントロ-ルし治めていた時期も、ほんの短い期間だがあったようだ。本当に、祈りとともに崇められた時期もあったのだ。だが、彼らがそれを望んだわけではない。彼らは必要だからそうしただけ。彼ら以外にできなかったからやっただけの事だ。その彼らが真に望んだもの、それは既にもう、永遠に失われてしまって久しかった。
『ジニアス……君までが……』
ナ-ガは帝国での数少ない友人の名をつぶやいた。彼は実直な男だった。始めは名前が昔の大切だった友と同じという事で興味を持ったのだが、次第に本当の友人になっていった。融通の効かなさで、彼とともに、議会では睨まれてばかりいた男。
その男がいま眼前で、操られて闘っている。
『ガイア……お前はそれほど嬉しいのかい? こんな風に頭上から駒の如く人を動かすということが。確かに人は愚かかもしれないが……お前の主張する世界の浄化など、この光景を見ているととても信じられる話ではないよ』
世界はお前の玩具ではない。世界はロジカルだけでは纏まらないし、理解もできやしないのだ。
ナ-ガは意を決し意味の無い決闘を止めるために完全実体化しようとして、とっさに体をひねる。今まで体のあったところを雷の剣がなでていた。
危ないところだった。ホログラフとはいえ、実体化しているうちにに攻撃を食らえば、そのまますべて魂のダメ-ジになる。下手をすると消滅してしまう。
『そんな、まさか……お前は……ナニ-ルっ!』
同じように風をはためかせ、漆黒の地に赤い縁のマントの男が空に立っていた。
帝国にいたころ見かけたままの姿だ。
『困るな、そういうことをされると』
『……!! まさか、君もボクと同じ状態になっていようとはね……最初からなのかい?道理で暗殺を恐れもせず、いつも尻尾が掴めないうちに姿を消せていた訳というわけか。けど、条件が同じならボクだって後れを取りはしない!』
突き出した言葉は冷笑によって跳ね返された。どこまでも凍てつく凍土の冷気。
『クク、どうかな。今に髪をかきあげる余裕もなくなるであろうよ。そうだろう? 同じ精霊体ならば、半実体化状態の者にもダメ-ジを与えることができるのだからな。まあ心配は要らぬ。すぐに、心配する必要もないほどその体を散らせてやろう。消滅だ、くっくくくははハはは』
『……相変わらずおかしな笑いだね。こっちこそ、今日こそその笑い声を永久に消してあげるさ!』
ナ-ガが飛びかかる。物理法則に左右されないその動きは、常人に見切れるものではない。だが、伸ばした手は空を切った。『何っ!?』 驚く背中に電撃が落ちる。
『ぐああああああっ』
『こちらだ愚か者。どうやらまだその姿に慣れていないようだな。武器の実体化はまだ無理か。そんなものか、そんなものであれ程ほざいたという訳か。ハ、笑いが止まらぬではないか。はははははっはっははっはははっハははっ。どうした我の笑いを止めるのではなかったか? ヒひはハははっ』
『愚かなのは君だよ、ナニ-ル』
ドンッ!! 重苦しい破裂音が響いた。ナニ-ルの体が傾く。
『ば……馬鹿な……そんなもので……』
『こんなこともあろうかと、ね。昔ちょろまかしたままの銃をこちらに持ってきてたのさ。情報化してね。完全実体化は無理でも、半実体化はできたのさ。出来ないと思っていたか?魔法使いも使う道具と常識は変えていかなくちゃいけないなナニ-ル。これはまあ古代武器だけど』
『……………』
『終わりかい? じゃあ、本当に終わらせてあげるよ。解放してあげよう……その永く醜い夢からね!』
銃を向ける。向けられた男の肩が揺れる。まるで泣いて……いや、笑っているのか!?
─────ふくくくくかはははははくくくくくくくくはっはははははっははハははははは
『何が可笑しいんだい……? その笑いを今すぐ止めろナニ-ル!』
『愚かだぞ、ナ-ガ・イスカ・コパ。そんな武器一つで我と闘おうとは。少々買いかぶり過ぎだったようだな、お前を危険視したのは』
『何っ!?』
『我のエナジ-は無限なり。そう。よってこんなこともできる。見るがいい』
瞬間、杖が銃に変わった。しかも両手に。さらに周りの空間に様々な銃が浮かび出す。
『なっっ?!』
浮かぶ銃がどんどん増えていく。百では既に数え切れない!
ナニ-ルが目だけで下を見る。地上の決闘者のどちらもが全身に傷を負い始めていた。
顔が緩む。
小細工をしおって。だがこれでどちらが負けても帝国兵たちは戦いを止めぬであろう。くく……もっとだ。もっと血を流せ。もっと我に命を与えよ。
『き、さま……!』
『散れ』
浮かぶ銃身が一斉に火花を吹いた。
『っく……そ……』
ナ-ガは辛うじてまだ浮かんでいた。満身創痍の姿だ。周りの空間にナ-ガから散った粒子が渦を巻いて回っている。
『しぶといな虫ケラは。ならば、これでどうかな。くクク』
腕のひと振りで銃の群れが消える。そしてまた杖が現れた。もうひと振り。
二人の間に巨大な炎の塊が出現した。ナ-ガなど完全に飲み込んでなお余りある巨大な炎。そこからさらに膨らんでゆく。
ナ-ガは全身のすべてが泡立った。精霊体全体に怖気が走る。
目の前に、とんでもなく長大な炎の壁が立ち塞がっていた。地平線にまで広がる広さ。
半実体なので炎そのものに影はない。が、まともに喰らえば精霊体であるナ-ガは消滅してしまうだろう。
(馬鹿な……大きすぎる! これ程の精神力、ぜったいに元人間が出せるものじゃない! 貴様……何者だ、ナニ-ル……!)
『消えろ』
炎の山が動き出した。
逃げ場がない。地平の端まで続くような炎から逃れる術は、無かった。
『そんな……何もできないのか……終わりなのか、もう!? ボクはここで終わりなのか!? 人のかたちを捨ててなお、また何もできないまま……ジニアス、ボクは……』
ギリッ。実体ではない歯が鳴った。恐怖などどこかに吹き飛ぶ。
『まだだああああああああ!!』
叫びながら逃げ出す。高速で空を飛び逃げる。だが、炎の方が速い。
ジグザグに飛ぶ。地上に向かう。空に向かう。炎の壁が揺らめいて包むように近づいてくる。
そのまま完全実体化に入る。実体化しても元が精霊体の身。すべての攻撃を無効にできる訳はない。なによりあの大きさだ。
『無駄なことを。血迷ったか』
『無駄かどうかはそこで見ていろ! 見せてやる、かつて友が信じたボク自身の力を!!』
『何をほざく』
哄笑が響き渡る。
『もともとボク自身は強くない。力もない。だが、誰にも負けないものが一つある。頭だ! 少なくとも薄汚い軍師としての頭脳ならクロ-ノ君にだって負けない自信があるんだ。今、それを見せてやる! 今度はお前が冷汗をかく番だ。うろたえろ、ナニ-ル!!』
手のひらを炎の壁に向ける。炎に実体化をかける。全てにではない。肉眼で見える程度あれば良い。力が届く。ようやく頬に浮かぶ、笑み。そして、真下に加速した。
真下では決闘が佳境を迎えているところだった。デュランの一撃で足を崩したファ-レンフィストが尻もちをついていた。
デュランは躊躇する。このまま降り下ろせば決闘は終わる。だがそれは、この男の命も終わるということだ。操られていいる以上、降参させることも無理だろう。だが!
……できない! アリアムの交渉相手はこの男なのだ。この男一人きり。降り下ろしてしまえば今度こそ泥沼の戦いが始まってしまう!
デュランは硬直した。だが、操られている方に硬直はない。尻もちをついたまま躊躇なく上半身だけが勝手に動く。剣を持った腕がしなり、伸びる。相手の体へと。
デュランが気づいた。身体中の筋肉がぎゅっと縮む。足が後ろへと体を蹴り出す。だが、遅い。相手の剣先がデュランの腹に……!
アリアムが叫ぶ。聞こえない。帝国兵の巨大な歓声。味方側の悲鳴、悲鳴。そして。
『貴様────────!!』
初めて、ナニ-ルが声を荒げた。
「デュラ────────────ンっっっ!!!」
アリアムのあげた悲鳴がかき消される。敵の喜びの顔が見える。味方の悲鳴。
絶望が膨らむ。その瞬間だった。
ド ン ッ ッ 。
空から炎の塊が落ちてきた。そして、視界が真っ白に覆われ尽くした。
第十三話 『混 身』 了。
第十四話 『守りたいもの』に続く。




