第十二話 『誰が為に鐘は鳴る?』[NC.500、乾月17-24日]
「軍団長。やはり、帝国とアルヘナが交戦中のようです」
「ぐふふ、そうかそうか、やっぱりな。ぶふふふふ」
戦場から数km離れた砂丘の影。偵察兵の報告を聞いて、ダガン・バハル・ミットはほくそ笑んだ。
樽の形をしたセレンシア神聖国の元神殿兵長だ。一度は出世から転落したが、しぶとく生き残り今は遠征軍の軍団長の地位にまで舞い戻っていた。
セレンを出て一月半。彼らはアルヘナの首都まであと半月余りの場所まで来ていた。 そしてそこで偶然、二つの国が戦争状態に入ったことを知ったのだ。
「ぐふふふふぅ運がいいぞ、これはチャンスだ。どうやってアルヘナの奴らに見つからず首都まで行こうかと思ったら……、このまま何もしなくてもアルヘナ兵に見つからず、何の障害もなくイェナの街まで行くことができるではないか! それにあれだけの数の兵だ、国の軍隊がほぼ出払ってきていると考えられる。ならば現在アルヘナの守護兵はも抜けの殻だ。今ならここにいる千人足らずの隊でも、アルヘナを攻略することすら可能だぞ、ぶふふ」
涎を垂らして嬉しがる軍団長にさすがの神官戦士たちもたじろぐが、当のダガンは意にも介さない。そのまま皆を見回して命令を出す。
「行くぞぉ! 奴は、クロ-ノはおそらくイェナにいるはずだ。このまま最大戦速最大速度でイェナに進軍! 蹂躙しながら奴を殺せ!! ぶははははははは!」
「お、お言葉ですが軍団長。今回我々は、元大神官は生かして捕らえろと命令されています。そ、それに追っ手とはいえ我々は、わが国始まって以来の大規模な遠征軍なのです。つまり、外交も兼ねているわけで、現場の判断でアルヘナの首都をじゅ、蹂躙などというわけには……ひっ」
まるで獣のような瞳に睨まれて、進言した神官兵士は一歩だけ後じさった。
「おいおい、そんなことは分かっている冗談に決まっているだろうが遊びのわからん奴だなぁ貴様。ぶふふふふ威勢がいいなあ、隊長に難癖つける暇があるのかさすがだなお前?」
「も、申しわけありませ……」
「……二度は言わんぞさっさと出発の準備をしろ、グズが」
必死で走っていく兵士を半眼で眺めながら、ダガンは呟く。
ポケットの中。握りしめた手の中にあるのは、以前よりもさらに深い赤に光る、瓶。
(こいつらがグズなのもおれが今不快を感じたのも、すべてお前のせいだ、クロ-ノ。お前がいけないんだ、お前がいけないんだ、お前がいけないんだ。罪を被せてやろうと思ったのに逃げやがって、勝手な奴めが。ぶふん……知ってるか? お前が死ぬところを思い描くだけで、ほれこんなに気持ちいいぞ。女を抱くより快感だ。なあ? ぶくく、ぶひぃ、なんだか旨そうに思えてきたな。そうだいいことを考えた。……喰ってやろう。嬉しいだろうが? その髪も、顔も、胸も、足も、手も、目玉も、脳も内蔵も。全部、俺が喰ってやるぞぉやるからなぁ! ぶぶひひいひいい)
……既に、精神構造が人間ではあり得なかった。
◆◆◆
かちゃかちゃ、グツグツ。トントントン。
台所らしき方向から、気持ちいいリズムと匂いが漂ってくる。
(いい匂いだ)
ついさっき目が覚めたところなのに、急速に空腹感が膨らむ。何かしゃべろうとして口を開けた途端、大きな音を立てて腹が鳴った。ぐうう。
包丁の音がやんだ。代わりに、小さな足音が近づいてくる。
部屋の入口の前で立ち止まる。そして、意を決したように駆け込んできた。
少女だ。その年齢にしてはいくぶん小柄な体型に、これまた小柄な顔が乗っている。
涙を溜めた瞳は大きくてとても奇麗だ。髪型を変えたのだろう。肩まであった髪が短くなっている。けれど、ショ-トカットの髪型もかなり似合っていた。明るい笑顔が加われば、なお一層似合って見える事だろう。
だが今は、可愛らしいその顔は、感極まった泣き崩れる寸前の表情を浮かべていた。
「アリアム様………」
「おはよう、ライラ。旨そうな匂いだな。あんまり旨そうだから、お腹と背中がくっつきそうだ。俺の鼻が間違ってなければ、今朝のおかずは鳥肉のス-プかな?」
「……ぁっ……ぁぁ………」
うわあああああああん。泣きながら飛び込んできた体を受け止める。筋肉が落ちていてぐらついたが、顔に出さずに耐えた。
「アリアム様、アリアム様ぁっ。目を、覚まされたんですね!? よかった……。ごめんなさい、ごめんなさい! わ、わたし、ずっと謝りたくて……ずっと……グス……」
しがみついてくる少女を軽く抱き留め、頭をなでる。
「心配かけたみたいだな。ありがとう。それと、謝る必要なんて無いぜ? 君が一生懸命に世話してくれたこと、何となくだが覚えてるよ。それで十分だ。嬉しかった。本当に、ありがとうな」
そういうと、ライラのしがみつく腕にまた締めつけられた。痛かったが、我慢する。胸元に染みてくる液体が心地好い。
「おやマ、色男は違うねえ。一ヵ月以上も寝てたと思ったら、起きた途端に女の子を口説いてるよ。いいけどさ、ここで濡れ場は止めとくれよ?」
入口に現れたエマさんの一言でライラが一瞬で離れる。鮮やかなものだ。顔が真っ赤だが。
それはそうだろう。砂漠の周辺国では女性から男にしがみつく事は滅多に無い。
アリアムは苦笑して、ライラの為に言い訳する。
「変えた髪型をもっとよく見たくて、つい抱き寄せちまったんだ。ごめんな、ライラ。似合ってるよ」
ライラは真っ赤になってうつむいた。
それを見てエマさんも苦笑する。
「天然でやるから始末が悪いよ、アンタは。まあ良いけどね。おめでとう。目が覚めてなによりだよ」
「心配かけたな」
「ああまったくだ、あんた色々と女性二人に感謝しとけよ?」
エマさんの後ろからリ-ダ-が入ってきた。
「いろいろと?」
「色々とだ。俺だったらやりたくないしやられたくないな。恥ずかしくて」
いろいろ、ねえ……。想像するとにやけちまいそうで途中でさすがに止めておいた。
「へえ、でも俺は嬉しいけどな?」
「あんたたち当人がいる所で何て話をしてんのさ! 恥ずかしくてライラが逃げちまったじゃないか!」
「悪ぃ悪ぃ」「悪かった悪かった」
……ほんとに反省してんのかねえ。エマさんの呆れたため息が聞こえたところで、アリアムは気持ちと顔を引き締めた。
「すまない。ところで、二人とも聞きたい事がたくさんあるんだが、まずは……」
アリアムは視線をずらしてそれを見た。
「いったいこの大男は誰なんだ?」
「そうか、あれから既に一ヵ月半も経ってるのか……」
ベッドに身を起こしたまま、アリアムは呟いた。長く、迷惑をかけてしまった。
「ああ。それとな、あんたにとっては悪い知らせだ。ファルシオン帝国との戦が始まった。帝国が仕掛けてきやがったんだ。それと、関係があるかどうか知らんが、オアシスが一つ消えたらしい。爆発したらしいが原因は訊くなよ。分からんから」
「なんだそれは……?」
「わからんと言ったろう。戦の方だが、最初に戦端が開いたのは、四日前のことだ。どうやら乱戦で始まって混戦になってるっていう、最悪の戦争らしい。双方被害が尋常じゃないそうだ。場所は、ここから東に早駆け用のラクダで3日行った所だな」
「……クラテ-ル盆地か」
「ああ。あの巨大な砂丘に幾重にも囲まれた平らな場所さ。なぜかそこだけ砂が少ないっていう、いわくつきの、な」
アリアムは自分の顔の半分を手のひらで覆った。
「困った事ってのはまとめてくるもんだな、まったく」
小さく息をつく。
「……イェナの街は補修作業が一昨日終わった。祭りの準備は止まっちまったままだがな。それと、奴隷として捕まってる人たちは今のところ無事だ。再度逮捕された者たちもな。なぜかは知らんが、「あんたの弟」はまだあれからそちらは動いていない」
その会話に含まれる一つの単語。アリアムはリ-ダ-の顔に目を向けた。
「……聞いてたのか、あの時」
「少しな。詳しいことは嬢ちゃんに聞いた。あの娘を怒るんじゃないぞ? 言いたくないってのを無理に聞き出したのは、俺たちなんだからな」
「……怒ってるか? 黙ってたこと」
「当たり前だ。……と言いたいところだが、それ程でもない。少なくとも俺はだが」
リーダーは、……か。
「……。すまねえ」
「バカ謝るんじゃねえよ。むず痒くなってくるじゃね-か」
つっけんどんに横を向くリ-ダ-の顔が少し赤い。
「安心したよ。少なくとも、まだ仲間として扱ってくれていて」
「あんたには色々世話になったからな。だから理由は訊かない、訊くことは一つだ」
ベッドの上のアリアムを覗き込む。
「まだ、やる気はあるか?」
右手を差し出す。その手を、リ-ダ-が握った。
「よろしく頼む。ただ、……弟の事に関してはすべて俺に任せてくれ。すまないが」
「善処しよう。絶対とはいえないがそれでいいか?」
それでも、有難かった。アリアムは静かに頷いた。
「へえ、あの男が空中から……」
ひょい、と首を傾け隣を覗く。当の大男は今も、カ-テンの向こうで寝ていた。それにしても大きい。大男すぎてベッドから足首がはみ出している。カ-テンからも。
(よくあれで眠れるもんだなぁ)
筋肉のカタマリの癖してバランスが並大抵じゃない。
「ああ。瞬間を見たのはエマさんだけだそうだが、そういうことらしい。いきなり光ったと思ったら、そいつが落ちてきたそうだ。砂漠のど真ん中でな」
「へえ……よく信じたな、みんな」
「……エマさん疑ったら後が怖いだろーが」
違いない。男二人は苦笑する。
「ま、理屈はともかくあの大怪我は火傷だな」
一月以上経つのに、いまだに火傷したところが治り切っていない。よほど高温にさらされたのだろうか? しかし、どこで?
そこまで考えて、さっきのリ-ダ-の話を思い出す。
(………まさかな)
遠すぎる。消えたオアシスは、早駆けのらくだでも10日はかかる距離だ。
「一月前には刀傷と殴られ傷もあったらしい。それでも治りは常人よりずっと早い方だ。しかし、物騒な話だよな」
一瞬、革命は物騒ではないのか?と突っ込んでやろうかと思ったが、止めておく。
「う…………ぐ…………っ」
男の体が動いた。覗くと、「ナハト」と唇が動くのが見えた。
「お? お目覚めらしい。同じ日とは丁度いいぜ。アリアムさ……陛下?」
「今まで通りでいいって。な?」
「そうか。じゃ、アリアムさん、あんたも訊いててくれ」
そう言って、リ-ダ-は大男の前の椅子に座る。男の目が開いた。
男は自分をデュランと名乗った。元騎士だという男の話は、二人を驚かせるのに充分な内容だった。そして、それを聞いてしまったせいで、アリアムたちの今後の計画は、大幅に修正を余儀なくされることとなる。
そして、7日後。
「ようやく、あと1日で戦場に着くな」
数人の男達がラクダを引いて歩いていた。巻きつけたフ-ドの中から誰かが声を出す。
「よう、デュラン」
アリアムも後ろを歩く大男に声をかける。デュランは目だけ出して返事をした。
「なんだ?」
「すまないな、つき合ってもらっちまって」
大男は盛大に苦笑した。
「ここまで連れてきておいて、今それは無いだろう。こちらも承知したことだ。助けてもらった恩もあるしな。だが、約束したことは守ってもらうぞ?」
「当たり前だ。俺はこれでも、約束だけは破ったためしがないってのが自慢なんだぜ?」
「その点に関しては心配していないが……。大丈夫なのか? 頼んでおいてなんだが、こんな砂漠の中で人捜しなど、国王か大商人でもなければできない相談だと思うんだが……」
隊の最後尾でリ-ダ-たちがくすくすと笑う声が聞こえた。
「………あいつら。心配するなって、まかせろよ。だがまあ、今はこっちが先だ。戦闘はできるだけ避けるつもりだが、いざとなった時は頼りにしてるぜデュラン。今の俺は病み上がりだからなあ」
「お-い、デュランはそうじゃないのか-?」とは、リ-ダ-の声。一瞬軽く睨んだ後、デュランとともに噴き出す。
「出来るだけのことはしよう。約束だからな。それより……、どうしてあんな簡単に俺の話を信じたんだ? あんたは。星の危機だの何百年も生きてる人間だのビンが人を操るだの、どれ一つとってもそう簡単に信じられるようなことではないと思うが。その上それが、夢の中で教えられた記憶だとなればなおさらだ。あのリ-ダ-はすぐには信じなかった。
実は俺でも、いまだ半信半疑なんだぞ」
デュランに訊かれたアリアムは困ったように小さく笑った。
「そりゃお前、なあ。他はともかく、ビンに関してはよく知ってるからな。俺も」
「なんだと!? どういうことだそれは?」
「まあ、いいじゃねえかそんなこと。……ただ、そのビンのせいで昔人が一人死んだ。……それだけさ」
「あ……、すまない……俺は……」
「だからいいって。……さて、それじゃ、先を急ごうぜ。早く着ければ、それだけ大勢の人間を止められるんだからな」
アリアムの進む早さが心なし早まる。砂漠につく足跡が増えていく。
デュランは不思議そうにそれを見遣る。アリアムが国王だと知らない彼には、なぜこの青年がそれほど闘いを止めたいと思っているのか不思議だった。これは、本当の意味で命がけの行動なのだから。
(だが、必要なことだ)
ここで失われた命は、確実に自分たちを滅ぼす為の力となって跳ね返ってくるだろう。 すぐにでもナハトのところに帰りたい。が、こちらも放っておく訳には行かない。このままではナハトたちにも災厄が振りかかってしまうのだから。
せめて、連絡だけは取りたかったが。
この人たちは、ナハトたちを乗せた飛行機械を微かにだが目撃したらしい。お互いに無事なら、いつか必ず逢えるだろう。そう、信じよう。信じておこう。
(ナハト……。もうしばらく待っててくれよ。俺は必ず帰るからな)
そう呟いて、デュランはアリアムの後についていった。
◆◆◆
クロ-ノ・アス・フォ-スは、迷宮のような隠し通路を通って、王宮の東塔の一室に案内されようとしていた。視線を案内役に投じる。
先導している砂漠色の服の男は、確かコ-ルヌイという名前のはずだ。彼はシェリア-クの隠密だったはずだが、ならば連れて行く先が違うのではないのか?
試しに、この隠し通路のことは王宮の人間なら誰でも知っているのか? と訊いたら、代々の影頭以外、歴代の王ですら一部しか知らないとの事だった。
余計に分からなくなる。シェリア-クに会わせてくれるのではないのだろうか?
考えているうちに突き当たりの壁に着く。壁を抜けると、黒髪の女性が立っていた。
「初めまして。クロ-ノ、ですね?」
物静かな口調だ。だが、その瞳には炎が宿っていた。よく知っている顔だった。
「貴女は、蓮姫でしたね。お初にお目にかかります。しかし、なぜ貴女が?」
振り向くと、案内した男が出てきた壁の前に立っていた。顔を戻すと、女性の口許に似合わない冷笑が浮かぶのが見えた。
「そう、私がすぐに分かるなんて、やはり覗き見されていただけありますわね」
瞳の炎が揺れる。
「……。ア-シアの事を仰っているのですか?」
「蒼星です」
「え?」
「蒼星です彼女は……」
「蓮姫……貴女も既にご理解されているはずです。その名前は……」
「貴方に何が分かるというのですか!?」
見た目たおやかな女性から出た声とは思えなかった。さまざまな感情を乗せた激情の声流。なかでも強い感情は、怒りと悲しみか。
それとも、現在に通じるすべてに対しての疑問だろうか。
「私は、三年間、ずっと飼いならされてきました。貴方たちの思惑の中で。真実すら知らされずに……。分かりますか?貴方に。いつも側にいた人が本物ではなったと分かった時の、その瞬間の気持ちが……っ!」
激情。それのこもった瞳の色。
「………」
受け止め、それでもクローノはそらさない。そらしてはいけない。
「分からないでしょうね。解る筈はないんだわ! だから……だからあんな事ができるのよ……」
突然腹が立った。彼女が同じ事をア-シアにも言っていたとしたら? 彼女の言っている事は分かる。だが、それがどうしたというのだろう。勝手ではないか。少なくとも、彼女がこの三年間でア-シアから向けられた愛情は、間違いなく本物であったのだというのに……!
「仰りたい事はそれだけでしょうか?」
「……なんですって?」
「言いたい事はそれだけかと言ったのです、お姫様」
クローノは睨み返していた。受け止めきった激情を冷たくしてそのまま返す。
「!」
「どうやら、お姫様はお人形遊びがお好きだった様ですね。他人の気持ちを汲み取ることもしないのに、他人が自分の世界から外れることがそれほどお嫌とは、こちらの調査が足りませんでした。心より、お詫び申し上げます」
「────────!!」
(言い過ぎてしまいしたね……)
ぶるぶると体を震わせる蓮姫を見ながら、クロ-ノは小さな痛みを感じていた。
誰のための痛みなのか。蓮姫か、それともアリアム陛下、ア-シア、自分、そして……蒼星という名の、会ったことも無い女性のものか。誰もが誰かを想っている……想っていた。
なのに、なぜ伝わらないのだろう? 伝えることに対しては熱心なのに、誰もが、その逆の事に対して、とても鈍くて酷く不器用だ。
「───愛情とは、いったいどういうものの事を云うのでしょうね……」
呟きが漏れる。部屋にいる人間の意識がこちらを向くのが分かった。
「蓮姫。貴女のお気持ちは、少しですが分かります。私にもありました……。大切な誰かを亡くしたこと。信じていたものに裏切られたこと……」
怒りをあらわにしていた蓮姫がハッとする。後ろの彼も。
「しかし、それが何だというのですか? 確かに悲しい。でも、この世の全てが自分の思う通りにうまく行く訳ではありません。そんな事はありえない事なのです。ならば、人はどうやって生きていけばいいのでしょう。どうやって心を保てばいいのでしょう。
……信じるしかないじゃありませんか。裏切られたら怖い? それがなんです。裏切られても信じていればいい。裏切られて何を信じるのかと仰るのですか? 自分です。当たり前じゃありませんか。信じることをやめてしまったら、今度は自分が誰かを裏切る人間になってしまう。それはご免です。それに、ね。自分が好きになった相手を信じられなくて、何が愛情だというのでしょうか?」
「……奇麗事を……仰いますわね」
「奇麗事ですよ。奇麗事が何か問題ですか? 奇麗事といわれながらも奇麗事がこの世界から無くならないのは、それが、多少なりとも真実を含んでいるからなんですよ。ならば、奇麗事もまた、真実なのです。少なくとも、真実になりうるもの、です」
「でも! 奇麗事は奇麗事ですっ! 大抵の人は、そんなに強くはなれないのよっ!」
今度は穏やかな笑顔を向けた。向けられた。
「……強さではありませんよ、蓮姫。ただの、気持ちの問題です。どれだけ深く想っているかという、ただそれだけの話なのですよ……」
「だからって……………」
「相手も、人形ではなく、人間です」
「そんなこと、判っていますわ……」
「いいえ、貴女はご理解しておられない。自分と、同じなんですよ。自分と同じように、悩み、傷つき、怖がり。そして、弱いのです。誰も、彼もが」
「…………………」
「アリアム陛下もア-シアも、蒼星さん同様、間違いなく貴女を愛しています。確かに我々は貴女を騙しました。ビンの情報集めや貴女の心の治療、真実を知られないためという名目はあれど、騙したことに代わりはない。しかし、それは誰の為ですか? 我々の為だけだとでも? 貴女はこの三年間、一度も満たされたことがなかったとでも仰るのですか?それとも、二人の言葉がすべて偽りだったと思われるのですか?そうではないでしょう」
うつむいた蓮姫は静止している。
「深く見る目をお持ちなさい、蓮姫。考えることです。考えて、最後に残った気持ちを、信じてみて下さい」
クロ-ノはきびすを返すと、隠し扉の前に立つコ-ルヌイにシェリア-クの所へ行く方法を尋ねた。呼ばれた理由は教えない。だが、手出しはしないと約束して。今は。
そのまま壁の入口に半身を潜らせる。しばしだけ止まり。
「……柄にもないことを言ってしまいました。すみません。本当のことをいえば私は、貴女が羨ましかったのですよ。彼女にいつも側にいてもらえて、ね。説教できた立場じゃありませんね」
相手の方を向かないまま、照れたように笑いながら、クロ-ノは部屋を出ていった。
蓮姫は無言で、青年が苦笑したまま出ていった後も、立ちつくしていた。
立ちつくし続けていた。
◇◇◇
シェリア-クはテラスにいた。いつものテラスだ。
昔からここで考え事をするのが常だった。最近は、一人で計画のシミュレ-ションを転がす事ばかりしていた。
その時も、これまでの中で一番心が落ち着いた時間だったかもしれない。
なにせ、まったく武人ではない彼が、その近づく気配を感じられたのだから。
「……誰だ」
「貴方に呼び出された者ですよ。招待に遅れて申し訳ありません。初めまして、ですね。一応は」
振り返ると、来るはずのない人間がそこにいた。正面で対峙する。
目を見開いたシェリア-クは、悪くない気分でいる自分を感じて、不思議で仕方がなかった。このまま暗殺されてもおかしくない距離に、直接は逢ったこともない男が立っている。だというのに。来ないと思っていた人間が来ただけだというのに……。
「………ふっ、ふふ。遅かったではないか。あまりに遅いので、人質より我が身の可愛さを取ったのだと思っていたぞ」
「……一番自分が痛くない方法を選択したまでですから。それより、ア-シアは無事なのでしょうね? シェリア-ク王弟殿下」
「どうだったかな? 遅かったかも知れんぞ?」
吹きつけてくる冷気が肌を撫でる。その強さは本気の証だ。自分の為ではない怒り。シェリア-クはこの青年が本気で気に入りかけた。ほんのわずかな時間、自分がまだ赤い血の流れる人間であると思うほどに。だが、それも刹那のつかの間に過ぎなかった。
「頼んだ物は持ってきたのか?」
心の笑顔を消して言う。
「こちらとこちらに、幾つか。持てる限りで良いと仰っていましたからね」
ふところと腰の袋を差し示す。
「結構だ。渡してもらおう」
「ア-シアが先です」
「良かったな、彼女が無事であって。今のところは」
「………………どうぞ、ご自由に」
床に、袋とふところから出した機械類を置く。
「では、地下牢へ案内しよう。下手に縄など掛けたくない。ついて来るがいい」
「殿下……ア-シアは?」
眼光。
「貴様が繋がれたと同時に解放しよう。ああ、貴様には会わせないからそのつもりでな」
「それでは約束が違うでしょう!」
「なにがだ? 解放するなら違えたことにはならんであろう? フハハ」
視線の前を横切ってドアまで行く。
「私を交渉の材料に使おうとしても無駄ですよ。なにせ今の私は祖国のお尋ね者です」
「居てもらうだけで良いのだよ。今の所はな」
クロ-ノは従うしかなかった。唇を噛みながら地下へと続く階段を降りていく。
ピッ。前を向いたまま袖の中である操作する。隠したままの装置が静かに動きを始めていた。
◆◆◆
「正論ばかり、言わないでよ……。なんて、酷い人……」
蓮姫は泣いていた。手で押さえることもせずに。
悲しいからではない。彼女にも分からない涙。それは怒りか悲しみか、それとも悔しさだろうか。
……全てかもしれない。
目の端で、コ-ルヌイが一歩だけ前に出るのが見えた。
「自分は……動いてみようと思います、姫」
「どうして!? あんな人の言葉で心が動いたとか言わないでよ、コ-ルヌイさん!」
顔を上げて睨む蓮姫の目をコ-ルヌイは見つめた。目を逸らさずに。
「最初に言わせて頂けるなら、姫。自分も正論は嫌いです。虫酸が走ると言い換えてもいいですな。正論は、時として刃となり人を傷つける。容赦無く……本当に容赦無く。彼が、正論ですべてが解決すると思い込んでいるのであれば、伝え聞く彼の名声も間違いだったということでしょう。しかし」
「しかし、なに……?」
「少なくとも、彼自身は己れの言ったことを実行している。口だけの卑怯者ではないということなのでしょうな」
この街に来た。シェリアークに会いに単身で。内容は知らない。だが、それの意味する所を理解していない訳ではないだろう、彼だって。
「………………」
「自分にも、生涯を賭けて信じた方がいます。卑怯者には、なりたくはないのです。姫」
「……なによ。青臭いことを言うのね、隠密の癖に」
長らく使っていなかった拗ねた言い様。無骨な顔がわずかに緩む。
「自分でも驚いているのですよ。……弟子に感染されましたかな? 姫は、青臭いことはお嫌いですか?」
「……キライよ。でも、いじいじしているのはもっと嫌だって、今思い出しましたわ」
昔、同じことを蒼星に言われたって事をね。そう言って、蓮姫はもう一度顔を上げた。
◆◆◆
いつ果てるともない戦いも、夕日が落ちる頃には終わる。また次の日も朝になればどちらかから討って出ることになるのだが、少なくとも今晩だけは眠ることができる。何人かの顔がわずかに緩む。兵士達の顔には、疲れと、そんな程度の感情しか最早浮かんではいなかった。
機械的に動くしかない。考えたら壊れるから。修羅道のように果ての無い乱戦と混戦。絶望として語られる地獄の一つ。
(今夜くらいは敵も夜襲をかけてくることはあるまい。……そうであってくれれば良いのだが)
臨時兵舎の二階から、鉛を張りつけたような足で引き上げてくる兵士達を眺めながらファ-レンフィストは思った。グラスに入った水を舐める。ちびり。
ゴルディウス=ジニアス=ファ-レンフィスト。帝国遠征軍の将軍だ。国での地位はいち少将。侯爵である宰相の息子であり、年齢は、今度の誕生日で30歳になる。
彼が遠征でこの砂漠に陣を構えテントを張ってから、今日で2週間余りが経とうとしていた。
(宰相とはいえ、老中たちとは対立している存在だからな、あの人は。息子の自分にまでそのツケが回ってくるのはまあ致し方ないが)
もう一度窓の外を見遣る。
(彼らまでその犠牲となるのは避けたかったな。……今更言っても始まらんか。しかし)
今度は兵舎の奥の飾り棚に視線を送る。その部分だけ天井が取り払われ、一番上に小さな瓶が置かれていた。雲の無い空の下に。黒のように赤い瓶。
(あのような得体の知れぬ小瓶を我が軍に同行させることになろうとは……)
今まさに、その得体の知れぬ瓶が赤黒く光輝き始めていた。今夜も、一晩中輝き続けるのだろう。飾りの掃除を手伝わされている小姓達も、それが何を意味しているのか教えられぬまでも、皆一様に嫌悪の表情を映している。
(教えようにも、知らぬものは教えられないのだがな。……この自分ですらあの老人達の駒か、糞。いや……)
脳裏に浮かぶマントの男。
「あの道化、ナニ-ルの、か………」
急速に星が増えてきた。今夜も夜が更けて行く。
書類仕事を終えて引き上げる。部屋に戻ったファ-レンフィストが見たものは、
「グル-オン、カルネシア! 糞、なんてことを……貴様、何者だッ!」
部屋の真ん中に縛られて転がされた部下の姿だった。知らない男が一人立っている。
「いやなぁ、そう言われても。こっちもこうも簡単に忍び込めるとは思ってなかったもんでな。気の利いた台詞が無え。帝国ってのは暗殺とか無いのか? ん-な訳ないよなあ。怒る前に警備体制強化するべきだぜ、あんた。ま、そこの二人は結構腕がたったけどな。
なあ、デュラン?」
驚いて振り向くと、天井に当たりそうな大男が扉の影に隠れていた。
(馬鹿な……! これだけの大男なのに、気配が……ほとんど無いだと!?)
「せっかく隠れていたんだが。なにも呼ばなくてもいいだろう?」
「何言ってんだよ。その図体なんだ、どうせ見つかるんだから一蓮托生だろう?」
「見つからない自信があったんだが」
「そいつは残念だったなあ、悪かったよ」
漫才を聞いているのではないのだ!
「おのれ……、お前達、二人を殺してはいないだろうな!?」
腰に手をやるが、兵舎の中なので剣はない。糞ッ!
「交渉に来たのになんで殺す必要があるんだ? ぶち壊しだろうがそれじゃ」
目の前の垂れ目の男が、しゃあしゃあと吐かす。笑いながら。
交渉だと!? こんな夜中にたった二人で、しかも部下を眠らせてか!
余りの常識の無さに、目の前がくらくらしてきた。睨みつけて怒鳴り声寸前で囁く。
「……交渉なら明日受けてやる。このまま増援を呼ばないでいてやるから明日また来てもらおう。それとも、たった二人で数万の兵を倒すか? 自分を人質にしようとしても無駄だ。そのような辱めを受けるくらいなら自分はこの場で舌を噛む!!」
侵入者たちは顔を見合わせた。大男が口を動かす。どうする、とでも訊いたのだろう。
「そこまで拒まなくても。なあ、話を聞くくらい良いんじゃねえかと思うんだが」
一転、猫撫で声になる。それで説得しているつもりか? それまでも似たようなものだったが。
「駄目だ! そんな無茶が言いたかったらせめて国王でも連れて来い! でなければ…」
「ああ、それならいいんだな? 良かったよ」
いきなり男が宮中式の礼をして顔を上げ、そして言い放った。
「お初にお目にかかる。俺がアルヘナ国王、アリアム=フィオラネイウス一世だ。交渉の件、宜しくお願いする」
「なッ……」
「何だとおおおおおおおおおっっっっっっ!!!」
全身が震えて飛び上がった。後ろから自分よりも驚いた声がしたからだ。
声はそのまま横を走り抜けて自称アルヘナ国王(?)ににじり寄った。
「聞いていないぞそんなことはっ!」
「ハハ、まあ、言ってないよな確かに」
自称アルヘナ国王(?)が頭を掻く。
「驚かすつもりはなかったんだが……、ま、こうなっちまったんだから。すまん! このまま続けてくれないか? 約束は必ず果たすから」
「……これからは嘘だけでなく内緒も無しにしてもらうぞ、まったく。……陛下と呼ぶか?」
「それはもういいってこれまで散々やられたから。今までどうりで話してくれ……。分かった肝に銘じとく」
もう一度、大男が後ろにいく。
(なんなのだこいつ等は?)
大声に驚いて聞きに来た小姓に、問題ないと入り口越しに答え、向き直る。
本当におかしな奴らではある。大胆さが無謀を通り越している。たったいま自分が応援を呼んでいたらどうなっていたと思うのだ? まるで止める気配が無かったのだが。
交渉役は目の前の男だということは分かったが。
「……証明はできますか? 貴方がアルヘナ国王だという」
「これでいいかい?」
袋から金印を出す。……間違いなく本物らしい。嘘だろう、え、本物……?!?
ファ-レンフィストは、このような国王に統治される国民が哀れになった。これならあの老人達や道化マントが代わりでもいいではないか。
「仕方ありません。今、正式な場を用意させます。こちらの要求としては、貴国の前面降伏を……」
「ああ、違う違う。必要ねえしそうじゃねえ。この場で臨時で三人だけだ。それでいい。転がっている二人も含めてもいいが、まだ眠っているようだしな。そっちに頼みたいのはただ一つ。こちらの要求は両軍の即時撤退それだけだ」
失望感がさらに増す。
「……失礼ながら、仰っていることをご理解されておられるのでしょうか? アリアム王」
「当たり前だろうが。理解してなきゃこんなアホな提案するわけないだろう。いいか?今から俺が言うことを良く聞いてくれ。笑ってもいいし正気を疑っても良いが話は最後まで聞いてほしい。話すぞ? まずはこの星で五百年前に起こった出来事からだ………………」
ファ-レンフィストは話を聞いた。話の途中、何度も苦笑した。
一度などは大笑いしてしまった。本人に向かって「気は確かですか?」とも訊いた。
だが、しばらくして次第に話に引き込まれていく自分を知った。荒唐無稽な物語なのに、リアリティすら何度も感じた。目の前の男は、普通に話しているだけだというのに。
話を最後まで聞いても、それが真実だとは到底思えない。しかし、前言は撤回した。国王についてアルヘナ国民を哀れに思うことは、なくなった。
少なくともそれだけは。
「話は理解しました。しかし……それが如何に大事だろうと、真実だという確証がなければ自分は動けません。それに部下や兵士達も、それが戦争だとはいえ、すでに多くの友を目の前で殺されているのです。いきなり世界の危機だから撤退すると言っても納得するものでもないでしょう。せめて、これが戦端の開く前でしたら何とかなったのですが。お力になれず申し訳ない。……と、はは。これでは侵略軍の将軍の言葉ではありませんな」
「いや……お互い、自由に意見が言えないってのは大変だよな」
二人で顔を見合わせてにやりとする。最初の嫌悪感はどこ吹く風だ。
「そういうことなら、こうしたらどうなんだ? 二人とも」
デュランの提案を聞き、アリアムが手を叩く。ファ-レンフィストも頷いた。
「それならば何とかなるかも知れない。もともと自分はこの侵略には疑問だったのだ。それでも自分は軍人だと思い批判することを控えていたというのに……。それが実は、あのような薄気味悪い瓶によって評議会が操られていたなどと、ナニ-ルめ……」
「大将大丈夫かい? その言い方だと、こちらの言い分を完全に信じているようにとれちまうぜ?」
アリアムのおどけた口調に、ファーレンフィストはこの遠征に旅立ってから初めて心の底から声を出して笑っていた。
「けど、いいのか? デュラン。あんたが一番ワリを喰うだろう、それじゃあ」
「俺としては手っ取り早いほうがいい。色々な意味で急ぎたいからな。それに、俺ならどちらも死なないように加減できる。それより、そっちの将軍さんも気をつけた方がいい。ここにも瓶があるということは、誰かが操られているということだからな」
「欲望や野心を暴発させて、な」
三人は頷いて、顔を突き合わせて計画を練り始めた。
デュランの提案した妥協案。それは、
《思惑を超えてしまった長期戦の為、物資が足りないので早期決戦をつけることにする。その方法は、双方から最高の戦士を出した決闘によってつける》
というものだった。帝国側が負けたら一旦国に引き返す。アルヘナが負けたら、全面降伏もやむなし。
アルヘナ側から出る戦士は、デュラン。決闘の日取りは明後日。
そしてアリアムは、兵士たちが納得しなかった場合の説得係を引き受けた。
勿論決闘だから、負けた方の戦士を殺すかどうかの選択も、勝った方の戦士が決める。それは単純だが、最高の方法だった。勝てればの話だったが。
最後にファ-レンフィストが、「こちらは本気でいかせて頂く。これは、そちらの言ったことが本当かどうかを計る占いも兼ねると思って頂きたい」と言ったのだ。
頷いて、アリアムとデュランは帰途に就く。窓から音もなく二人が消えた。
その刹那、縄で縛られて転がっている人間の瞳がわずかに動いた。しかし、この場の誰も気がつくことはできなかった。
◆◆◆
───突然、悲鳴が聞こえた気がした。
ファングは調べていたマニュアルを床に置いて、燃焼室から顔を出す。
遠くに、村の方から走ってくるラ-サが見えた。
(どうしたんだろう? 何かあったのかな)
はしごを降り、岩に模して機体に被せた布をまくってラ-サを迎える。
「ラ-サ、どうしたの……」
「大変大変大変だよぉぉ! 全部あたしのせいなんだどうしようファング、うわあああああああん!!」
飛びついてきて泣き叫ぶラ-サに驚く。
「い、いったいどうしたのさ? ラ-サ。話してくれなくちゃわ、分からないよ…」
真っ赤になりながらどもる。しかし、次のラ-サの言葉を聞いて、一瞬で顔色は真っ青に変わった。
「う、うそだよね? それ。だって、ナハトが、あのナハトが僕らやみんなを見捨てて、何も言わないまま居なくなるなんて!」
「あ、あたしが……あたしがあんなこと言わなければ良かったんだ……。デュランを巻き込んだ爆発を、デュランたちがいるのが分かっていて起こした人間がいるなんて! そいつが誰か判明したなんて! すごい真剣に質問するから変だとは思ったの。いきなり槍を磨き始めたりしてさ。でも、久しぶりにナハトさまの声を聞いたから、嬉しかったから! だからあたし、全部、話しちゃ……そしたら、今朝部屋に行ったらもう………わああああああああああんっ!!」
(そんな……。ナハト……どうしてなのさ……ナハト!)
そのまままた泣き出したラ-サを支えながら、少年は途方に暮れて立ちつくしていた。
その夜、もとハムアオアシスのみんな全員参加の集会があった。
重苦しい雰囲気で始まった集会は、若い長に対する恨み言と批判に終始した。長老達はみな無言だった。
みんな、勝手だった。ナハトがオアシスを捨てる決心をしなければ、みんなも爆発に巻き込まれていたってことなんか、忘れているようだった。
でも、一番自分勝手なのは、ナハトだった。
せめて、相談して欲しかった。僕では不足だって言うんなら、長老とか、相談する相手はいっぱいいたはずだった。なのに、黙っていなくなるなんて!
僕は自分が捜しに行くことを提案した。僕は村の住人じゃないから、この村の中では一番自由に動けるから。仮に死んでも誰の迷惑にもなりはしない。
一番に見つけて一発殴ってやらなくちゃ気が済まないから。
(友達だって言ってくれたのに。僕だってそう思っているんだよ、ナハト……)
提案は、受け入れられた。
出発の日、ラ-サがついてきた。多分、みんなに内緒でついてきたんだろう。
でも、追い返す気にはなれなかった。だって、ラ-サの気持ちも知っているから。
ナハト、絶対に捕まえるからね。君を。だって、僕もラ-サも、もちろんデュランさんだって、君に、ただの人殺しになって欲しくなんて、絶対に無いんだよ!
そして、僕らは出発した。まず最初の行き先は、この国の首都、イェナだ。
◆◆◆
「……リ-ブス。生きてるか?」
「はあ。坊っちゃんまだ、着きませんか? クロ-ノくんの言っていたその場所に……」
「……アホウ、動いてないのにどうやって着くんだよ、言ってみろおい」
「どうして我々は、ここにいるんでしたっけ? 皆さん……」
「それは、雷やら雹やら大雨やら霧やらに襲われたからではないでしょうか…?」
「だよなあ、どうして襲われていたんだっけ、なァ……?」
「ナニ-ルが邪魔してたからに決まってるだろ! なに馬鹿やってんだいアンタ達は!? せっかく今は晴れてんだ。どうして邪魔が止んだかは知らないけど、今が進むのに絶好の機会だってそのマヌケ頭でも分かりそうなもんじゃないかい、ええ!?」
後ろからルシアの元気な叱咤声がする。カルロスとリ-ブスは顔を見合わせてため息をついた。外に出て、車の影の中で寝転ぶ。
ここ数日はロクに食べていない。一週間で着くという話だったので、その倍しか食料を積んでいなかったのだ。なのに、すでに三週間以上は経っている。
「なんでこの婆さんは、飯を食ってないのにこう無駄に元気なんだろうな……?」
「多分……お年寄りだからじゃないでしょうか?」
「飯なんて基地に着きゃいくらでも食べられるんだから、さっさとおしよ! ガキはこれだから始末に終えないね、まったく」
腹は立ったが、カルロスもさすがに今は言い返す気力もない。砂漠の真ん中で食料が尽きることの意味は良く分かっているのだ。すぐにでも出発しなければならない。
しかし、もはや方角すら分からなくなっていた。いまさら天候が戻ったからってそれが何になるのだろう。頼みの太陽すらも、今は真上だ。方角など分からない。
(どっちに進んでくたばるかだな-、すでに)
真上を向くと、その目に空から人が降りてくるのが見えた。黒髪ウェ-ブの青年だ。杖を持っていて、まるで魔法使いのような出で立ちだ。
ついでにその後ろから食べ物も降ってきている。
(………おれも幻覚を見るようになっちゃお仕舞いだぜ。エティ、兄ちゃんがいなくなったら、泣いてくれるか?)
ところが幻覚はなくならない。食べ物が降りてくる人を追い越して(!)顔面に直撃した!
「ブッッッ!! なんだこりゃあ??!」
起き上がった視界の中に、ふわりと降り立つ人の姿が見えた。
(幻覚じゃなかったのかよ?)
「あなた方がルシアさんとその御一行ですね。あんまり遅いので迎えに来てしまいましたよ。君がカルロス君だね? 方向はこっちだ。さあ、皆ボクについてきてくれたまえ!」
皆の白い視線の中で、男は右手の方向を指さしてふぁさと髪をかきあげた。
………空気が固まって氷点下の辺りまで気温が下がった気がした。真昼なのに……。
「で? …………誰だよ、テメ-はよ……」
頬が引きつる。目付きの据わったカルロスの声だけが、むなしく辺りに響き渡った。
『第十二話 他が為に鐘は鳴る?』了.
第十三話『混 身』に続く。




