第四話 『混乱』[NC.500、花月27-29日]
「クッククッ、ふははっ」
鉄刺条付きの鞭が血潮を飛ばす。
したたり落ちる赤い液体の前でシェリア-クは嘲笑う。その姿はどう見ても、18歳の青年の姿には見えない。狂える子供そのものだった。
「アリアム、やはりお前は王の器ではなかったようだ。切り札をこんな所でベラベラしゃべるとはな! おいっ、すぐに街をもう一度捜索しろっ! 今すぐだ!」
側に控えていた[影]が動いて消えた。それを見て血だまりの中の男が口を歪める。
「……バカだなぁ弟よ。考えてないわけないだろう。見つからねぇよ今頃行っても」
「~~~っっっ! き、さ、ま……。なら、ならレン姫も巻き込むのか! 彼女に関しては責任があるんじゃなかったのか!?」
「彼女なら、判ってくれるさ。彼女自身も被害者だったんだからな。今は、すこし大事な記憶を無くしてはいるが、それもいつか……」
「それにつけ込んであんな身代わりを立てたのか! 彼女の記憶が戻った時彼女が受ける衝撃を考えなかったのか貴様は!!」
「それは……。なんだ、まさかお前……、おい、もしかしてさっきより怒ってないか?」
「五月蝿いっっ!! 貴様はしばらくそこで頭を冷やしていろ! いいか、ぜったいに残りのネズミどもも見つけ出してやるっ! 共々に一生この穴蔵で過ごさしてやるからな!!」
靴音高く。闇の中に孤独な少年の姿が溶けていく。それにつれる様にロウソクの炎も次第に消える。世界が闇に潰されていく。
「シェリアーク、まさか、お前……姫のこと……」
繋がれた男は、漆黒の闇の中にただ独りきりで残された。
◆◆◆
目が覚めたら目隠しをされていた。
手も足も動かせない。左から垂れている長い髪が、口元を隠しているようだ。右側だけがひどく冷たい。石の床、そこに縛られて転がされているのだろう。
(………。どこでしょうね、ここは)
クロ-ノは脳細胞を総動員して記憶の途切れた地点を探した。無闇に体は動かさない。どこで誰が見張っているか判らないからだ。
(そうだ確か、ア-シアからの連絡の後、ゼナスさんの家を訪ねたんでした。次の朝にしようかとも思いましたけど、急な仕事で伸び伸びになっていたので今夜のうちにと)
そう。そしてそこで出された紅茶を飲んだ途端、ひどい眠気に襲われたのだ。そこで記憶が途切れている。
(睡眠薬とは迂闊でしたね。でもなぜ私にこんな真似を? そんな事をしてゼナスさんに益があるとは思えませんが……)
腹いせだとしたら幼稚すぎるし、万が一殺すつもりだったとしたら睡眠薬というのは変だ。曲がりなりにも最高議会である『19人議会』に名を連ねたことのある人間のすることではない。
たとえ何と云われようと、馬鹿ではできない仕事なのだ。
(何でもいいから情報が欲しいですね、やっぱり)
クロ-ノは注意深く辺りを探る。部屋の中に他の人間の気配は感じられない。ならば。
「ふんっ!」 ゴキンッ
首と背中に力を集中して肩を外す。もう片方も同じように外して縄を抜け、壁に寄りかかって今度は押しつけるように力を込める。
くぽん。間の抜けた音。両手を動かしてちゃんと骨がはまったかどうか回してみる。うまくいったようだ。しばらく痛みはあるだろうが。
目隠しを取りドアを確認。耳を当てるが音は聞こえてこない。
クロ-ノは落ちていた手頃な角材を棍に見立てて構えた。軽く振る。丸くはないし握りにくいが使えるだろう。
「まあ、出てみなければ状況も判りませんしね」
呟くと同時に角材に[気]を込め始める。腹式呼吸。重心の移動のみで一歩も動かずに全身に力を蓄えていく。バネの如きしなりが螺旋を描く。神経系の開放、リミッターの解除。
そして、息吹き。
「コォォォォ~~~~~~~………ヅァッッッ!!」
ぼこっ。……ごと。
小さな音だった。しかし、その結果を見た者がいたら目を剥くだろう。
厚さ10cmはある金属製のドアの取っ手部分に丸い穴が開いていた。最初から開いていたかのような滑らかな断面。そして、ゆっくりと自重で開いてゆくドアの向こうに、断面と同じ形の金属筒が落ちていた。…その二つの底辺に潰れもせず自然な状態のままの取っ手をつけたままで。
「どうやら、腕は鈍っていないようですね」
自画自賛して息を整えたクロ-ノは、音を立てないよう注意しながら閉じ込められた部屋から出ていった。
階段を使って地下室から一階に登る。一階には誰もいない。
(やはり、ここはゼナスさんの家ですね。……どういうことなのでしょうか)
監禁するのに自分の家を使う事ほど愚かなことはない。説明するまでもなく、何かあったとき自らの首を絞めることになるからだ。
(何だか気味が悪いですね)
どんどん嫌な予感が膨れていく。その予感は二階に上がりゼナス家の寝室の前に来た時、頂点に達した。微かなサビの香り。
ドアノブに手を伸ばし、クロ-ノは固まる。本能がこれ以上行きたくないと告げる。
(……ままよ!)
踏み込む。音を立てて入った部屋の中は、むせ返るほどの血の匂いに満ちていた。ゼナス・ウル・セイムの妻と息子、そして奥の窓の下に、ゼナス本人の死体が落ちている。
窓のカ-テンは開けられ、塗りたくられた血潮にさんさんと陽光が降り掛かっている。 血で煙る部屋の中は赤く、どこまでも赤く。中央に突き立てられた果物ナイフからはいまだ粘性の高い液体が垂れていた。
まるで、ついさっき誰かが突き立てたかのように。
「……………………………」
予想外な、それでいて予想どうりな光景。クロ-ノは声が出ない。
恐怖や驚きで立ちすくんでいるのではない。不可解なのだ。
「理由がない」
口に出して判明する。そう、誰がやったにしろ、まるで理由がない。困惑が広がっていく。
ドンドンッ、ドンドンッ! ……ド ガ ァ ッ ンン!!
いきなりの騒音にクロ-ノの金縛りが解けた。一階の玄関が破られたらしい。大勢の人間が建物内に雪崩込んでくる。足音の幾つかが階段を登って来る。
「犯人はまだ近くにいるはずだ! 探せェッ!」
神殿兵たちだ。彼らはいざと云うときには警察の仕事も兼ねている。
(なぜこんなにも早く!?)
クロ-ノは迷う。玄関に鍵が掛かっていたと云うことは、自分がかなり嫌な立場に立たされているということだ。その上、昨日からの自分の話を信じてもらいたくても証拠がない。今日自分がゼナス家に来た事は誰も知らない。だが、自分の立場ならちゃんと話せばなんとかなるかもしれない。逃げてしまえばもう言い訳はきかないのだ。
迷いは一瞬だった。
ドアノブの指紋だけ拭き取ると、クロ-ノは窓を開けて目の前の木に飛び移る。
「待て貴様ッ、待てぇ! 何やってるお前らさっさと降りてあいつを追わんかァ!!」
ホッとした。間一髪、顔は見られていないようだ。
自分の立場、それはどう考えても知られてはまずいものだ。大神官の立場もそうだが、前神官長の息子という方がもっと悪い。まだ完全に定着していないせっかくの改革そのものが無に帰す恐れがある。ならば、自分で犯人を見つけるしかもう残る術はない。
(しかし、いつまでも誤魔化せるはずはないですからね……)
例えば突き立てられたナイフに、眠っていた間に自分の指紋が付けられていたら?
真犯人が私の変装をしていてそれを誰かが目撃していたとしたら?
(まさか、催眠術で操られたなどとは思わないですが……)
一晩眠らされたのだ。何をされていても不思議ではない。
それに、抜け出す時に棍法の奥義を使ってしまった。見る者が見ればすぐに判ってしまうだろう。迂闊だった。
「それまでに、何とか犯人の目途だけでも立てなければいけませんね」
やるべき事を決めると、クロ-ノは木陰に沿って全速で走り出した。
◆◆◆
夢だと判っていた。それはありえない、ありえなかった光景なのだから。
美しい黒髪をなびかせた彼女が笑っている。風の吹くオアシスの水辺で、楽しそうに。 ありえない……。それは現実には無かった光景だった。それはもう存在しないのだ、未来にすらも。永遠にその、笑顔は。
「彼女は死んだんだぜ……もう、もう俺にそんなものを見せるんじゃねえっ!」
「貴方は、それを知っていたの?」
声が聞こえる。誰の声だったろう。蒼星の声か? そんな気もする。
「俺の目の前で、お前は、…………。俺の手を振り切ったのはお前じゃねえかッ。命と引換に蓮姫を生き返らせる為に。お前は俺ではなく、蓮姫を選んだんだろう、だったら……だったらもう俺の前に現れないでくれっ!」
「…………じゃあ、なぜ蓮姫を引き取ったの……取ったんだ? 私に頼まれたから、それだけなの? それとも単なる義務でしかなかったのか?」
誰だろう。蒼星のような気もする。ならば、答えよう。せっかくの機会だ、いいたい事をすべて言っておいてやろう。
腫れたまぶたを閉じたまま、鎖に繋がれ朦朧とした意識を無理やり保ち、アリアムは質問に答えた。答え続けた。
「そんなもん、頼まなかったじゃねえかよ馬鹿野郎……。もし頼まれてたとしても、そんな事引き受けなかったさ……。お前は知らないはずだから教えておくぜ。いいか、お前は蓮姫を助けることができなかった……できなかったんだ。姫はまだ完全に死んではいなかった。だから何とかできることがあった。もし死んだ命に願ったら、詳しくは知らないが、お前は死ぬだけじゃぁ済まなかった……らしい。よく知らねぇが、な。だが、助かるには血を流しすぎていた。死んだ命は助からねえ。それでもあの状態ならまだ助けられた。あの小瓶の力ならば。だがな、死にかけた生命を甦らすには一人分の命じゃやっぱり足りないんだとよ」
「でも……わ……、蓮姫は生き返っているじゃないか」
「俺の願いを上乗せしたからだ」
「アリアムの、願い……?」
「その場ですぐに願った。お前の願いが叶うように、と」
「アリアム……貴方は………」
「勘違い、するなよ。俺は、お前のために願ったんじゃねえ。蓮姫のためでもねえ。俺のためだ。俺は……奴隷だった母親を捜すとか言っといてずっと何もしなかった卑怯者だ。見つかる可能性なんかあるたぁ思えなかった。それに、見つけて何を言うんだ? 拒否でもされたらそれこそたまらねえぜ……」
「………」
「そう、臆病者だ。でもな……だからこそ俺は、生命を賭けた願いが叶うところが見たかった。命がけの想いが無に帰すところなんか見たくなかった。それが惚れた女の願いなら、なおさらだった。……それだけだ」
「……それで、わた……蓮姫を……引き取ったのね……」
「俺は、とことん身勝手な男だ。多分、自分以上に大切な誰かなんて、もう二度とつくらねえだろう。だが、だからこそ! 蓮姫には幸せになってもらいたいんだ。彼女は蒼星、お前の代わりじゃねえ。お袋の代わりでもねえ。願いの結晶。宝物なんだ」
「そんなこと……望んでなんか、なかったわ……」
「彼女の気持ちは薄々気づいていた。そして俺の態度が彼女の負担になっていることもな。だが、応えることはできない。彼女は憧れているだけだ。俺と一緒になることは、彼女の幸せじゃあねぇと思う。俺は一度にたった一つの物事しか扱えない人間で。そして、今の俺にとって一番大事な事は、全ての元凶たる奴隷制を消し去ることだからだ。……すまねえな、俺は……こういう奴なんだ。だが、これだけは確かだぜ。俺はお前と約束なんかしない。けど蓮姫の幸せは、本気で願っているのさ……」
気持ちよかった。夢の中の人間に向かってだが、すべてを吐き出せたから。自分勝手すぎる気持ちよさだったが。それでも。
かちゃり……。どこかで鉄のこすれる音がした。
ふと顔を上げる。今はいつだろうか。朝か、昼か、それとも夜か。
(夢を見ていた気がするな……)
蒼星が出てきて色々話をした。充実した時間だった。
腫れた瞼を力ずくで広げる。ようやく見えるまでに腫れが引いたようだ。
牢の床に自分の血だまりができている。
「ん……?」
血だまりの端に掠れた部分がある。あれはまさか……足跡か?
「誰か、本当に来ていたのか……?」
きぃ……きぃ……。つられて鉄格子を見る。分厚く太い鋼鉄の林。その端に取り付けられた鉄板の出入り口。
(どういう事、だ……?)
その扉が開け放たれて、風もないのに前後に静かに揺れていた。
◆◆◆
裏口から神殿に静かに入る。誰もいないことを目と気配で確認する。静かだ。
中庭を突っ切って執務室に入る。野宿に必要な荷物をかき集めていた時、ピッという音とともに、机の上の手鏡型の通信鏡が光り出した。
「まだ、報告の時間ではないですよね……。まさか、ア-シアの方も何かあったのではないでしょうね……」
悪いときの予感というものは相応にして当たるものだ。そして、今回もその例に漏れることはなかった。
「どうしたのですかア-シ、ア……。……ッ!?」
『ほう、成程これは噂通り大層な美形だ。貴公がクロ-ノ殿だな。お初にお目にかかる』
かけてきたのはア-シアではなかった。薄緑色の光の向こうに、初めて見る男の顔が映っていた。少年ともいえるだろう。そんな微妙な年齢の顔つき。
しかし、その中に浮かぶ追い詰められた様な表情が、見た目の年齢を判らなくしてしまっていた。幼い少年にも、一回り年上の男にも見える。
「どなたですか、貴方は……」
『本当に分からないのか? 少しは頭を働かせたらどうだ。鳴り響いた神童の名が泣くぞ、神聖国の若き大神官殿』
「まさか……、シェリア-ク、ですか……」
『呼び捨てとは心外だな。だが、ご名答。さすがだ。貴公なら用件も見当がつくのではないのかな?』
「その端末はア-シアが持っていたはずです。彼女を、ア-シアをどうしたのですか! ……まさかっ」
人物、シェリア-クは大げさにため息をつく。
『大したものだな、このからくりは。これだけ離れた者同士で話ができるとは。これも発掘品か? これでは貴公の国が情報や発掘品を一手にできるはずというものだ。フン、慈愛と協調の国が聞いて呆れる』
「質問に答えなさい……っ!」
『……言い忘れたが、あまりわたしを怒らせない方がいい。それと、その女なら丁重におもてなしさせて頂いている。丁重に、な』
「くっ……」
『ハハハッそんな顔もできるのか! いいぞ、そっちの方がずっといい! ずっとそちらの顔でいるがいい』
「…………。用件は、何なのですか……」
『簡単なことだ。そちらの国が秘匿している発掘品をここまで持ってきて頂こうか、誰にも言わずに一人で、な』
「な……ッ! そんな、ことは……」
『ああ、まずは幾つか持てるだけで許す。優しい男だからな、わたしは。……フ、フフ』
「馬鹿……な。私、は……託された……のですよ、この国を……、できる、訳が………」
力が抜けた。現在の状況だけでも危機的だというのに、これでは……。
[期待しているよ、クロ-ノ]
記憶の中の声が囁いた。あまりに懐かしい一瞬の声。あのベンチと木漏れ陽の。
『待っているぞ、フハハ』
ゥ゛ン………………
そこで通信は途切れた。そして二度とかかってはこなかった。
◆◆◆
シェリア-クは立ち上がって窓際に佇むと、手の中の杯を傾けた。なみなみと注がれたワインが散りながら地面に吸い込まれていく。
「来ますかなあの男は?」
コ-ルヌイの代わりに影頭になった男が尋ねる。
「ハッ、来れるはずなどなかろう。エリ-トだからな。人間は危機に陥ると自分だけが大切になるものだ。それが当たり前なのだ」
最後に残った数滴を喉に送る。
「だが、そうだな。来たらいい、な……」
「は?」
「フン……なんでもない」
次の瞬間シェリア-クは鋭い視線を扉に投げた。吹き飛ぶかというほどの勢いで神殿兵が飛び込んでくる。
「た、大変です王弟殿下っ」
「何があった? 簡潔に話せ」
「地下牢が破られ囚人の一部が逃亡しました!」
「な、……何だと!!?」
シェリア-クの余裕が崩れた。杯が床に音を立てる。
「方法は解りませんが、鍵を開けて飛び出したようです。大半はすぐに捕まえましたが二人だけ姿が見えません。どうすればよろしいでしょうか?」
シェリア-クは立ちつくした。
「殿下?」
「………何を伺いにきているのだ。伺いを立てないと何もできない木偶の坊か貴様らは?! 捜し出せ。今すぐにだ!!」
「はッも、申し訳ありません!」
哀しみが心を覆ってゆく。それはあまりに大きい感情だった。もし測ることができたならば、それはいつもの感じる憎悪の数倍に達していただろう。
「なぜ逃げる、逃げようとするのだ兄上……。誰もが、わたしの元から……。なぜだ………なぜなのだァァァァァァァァァァァァッッ!!」
シェリア-クは叫んだ。その絶叫はまるで悲鳴の様に、アルヘナの王宮全ての人間の元に響き渡っていった。
◆◆◆
その場所は静寂に満ちていた。
ファルシオン帝国議帝宮。その地下深くに自然の洞窟を使って作られたその地下牢に今、たった独りで閉じ込められている青年がいた。
ナ-ガ・イスカ・コパ。帝国でここ五年間文官をしていた青年だ。最近一年半ほどは宰相補佐の一人として働いていた。
その彼がなぜこんな場所にいるのか。
それは、近頃の彼が帝国の古代種排斥主義に反した言動をくり返す狂人だから。
というのは表向きの理由。本当は、彼が、タカ派が推し進めてきた侵略戦争を回避しようと、毎日宰相へ戦争の無意味さを説き続けたからだった。
それらが正論ばかりだった事が、タカ派の長老達の怒りを買いまくってしまったのだ。 だが今までも同じようにしてきたのだ。今更なぜ? 長老たちに計画を吹き込んだ不気味なマントの男を単独で調査した事が引き金になっているとしか思えない。
「何て事だ、あの様な得体の知れない男の言葉に皆が踊らされるとはね……。これでは無意味な争いが……500年前の悲劇がくり返されてしまう!」
岩壁を叩く。その手のひらを額に当てて静かに何度も首を振る。
「何とかしなければ……!」
「その通りや。今はそんな事で争っている時なんかじゃぁあらへんってのになぁ」
ナ-ガの動きが止まった。
(この場所には今だれも居ないはず……?)
「なんやナ-ガさんやないかい、お久しゅう。愚痴ってるから違うお人かと思ぉたわ。愚痴るなんてせーへん思ぅてたし。それにしてもエエ格好やねえ、キザ男台無し」
「だれだ、君は……!?」
ナ-ガは顔を上げて闇を透かし見る。洞窟の奥、鉄格子の向こうから黒ずくめの人影らしき姿が近づいてくるのが分かった。
「なんや忘れたんかいこの顔を。連れないわあ、嘆かわしいったらあらへんわ。ちょぉ五年ほど会ってなくてちょっと言葉づかいに西の方の方言が混じったっただけやないかい」
(五年……だって?)
何とか見えた顔と記憶を探り合わせる。
あッ! と驚きの声が出た。
「き、君はまさか……!?」
「やっと思い出したかい、案外鈍い反応やねえ。あん時よりアンタ頭悪ぅなったんと違う?」
「今までいったいどこに居たんだ君は! 捜しても見つからないからてっきり……。それにこの場所にはどうやって、……いや、それよりボクは君にとってカタキのはず……」
「そうや。だからあんたには、俺の役にでも立ってもらおうかいと思ぅてね」
にやり。そうとしか言えない笑い方をした人影が腰の物を抜いた。
その短い鉄の表面で、わずかな光ゴケの灯りがキラリと淡く反射する。
「何を……ッ!!?」
「あんたには、しばらくこの国を離れてもらうでぇ」
ザシュッ!! 男が手を振る。まるで紙を切るように鉄格子が切り裂かれた。
「ま、待て! せめてもう少し説明してくれないか!?」
「問答無用、や」
男はもう一度全力で刀を降り下ろした。
◆◆◆
草原の中で一人の老婆が立ち上がり、アルヘナ砂漠の方角を視た。
「空気の何かが変わったね、いったい何が起きたというんだい」
砂漠から吹いてくる風で幾重にも巻きつけたボロ布がはためき始める。
「まさか、もう始まったんじゃないだろうね。まだ早すぎるってのにさ」
老婆には珍しくため息の様なものをつく。ここ何十年と無かったことだ。
彼女が生きた人には永すぎる時間。その中でも何回あったことか。
「そうかい、本格的に動き始めたって事かい。ナニ-ル」
フ-ドがはためいて後ろに落ちた。風に煽られて広がる白く長い髪、その隙間からつき刺すような視線が伸びる。
その先にあるのは、アルヘナ。そして、絶望の砂漠、ヌウェラ。
「今度こそ眠らせてあげるからねナニ-ル。二度と、起きようなんて気を起こさないくらい、念入りに、ねぇ」
ブワァァァ! 小さなつむじ風が老婆を包む。
風が消えた後、そこには誰かがいた痕跡など、欠片も残されてはいなかった。
第四話 「混 乱」 了.
第五話 「光と陰」へ続きます。




