第三話 『激動』[NC.500、花月27-29日]
わしは帰ってきた。
この世界に帰ってきた。
壊すために。
すべての形あるものを。奴等がこの星に残した、すべてを。
すべてを無にするのだ。
さあ、行け。行って奴等を手玉に取るのだ。我が手よ。
主なるもの。我々のために………………。
◆◆◆
「アリアム様! 逃げて!早く逃げてくださいっ!」
ライラが奥の部屋に飛び込んできたのは、決行の時期を話し合っていた最中だった。このアルヘナ国で建国以来ずっと続いてきた悪しき風習、奴隷制。そしてそれに伴う奴隷狩りと人買いの横行。
植えつけられた不満はすでにこの国の内部だけでなく、近隣諸外国までをも蝕み始めていた。
その事実は俺が改革を手伝ってくれる仲間を捜し始めた頃より何年も前に、すでにこの革命組織が出来上がっていたことからも伺える。仲間の中には、昔の蒼星の様に知り合いが人買いに攫われた経験を持つ者も幾人もいた。国外から大切な人を探しに来てそのまま仲間になった人も少なくない。
俺は何とか組織に接触し、彼らの協力を得ることに成功した。そこからは順調だった。 彼らの原動力たる底辺には、ここ下町のほとんどすべての人間がいると云っても言い過ぎではなかったのだから。時間は戻せない。この国の矛盾と歪みは、治療する事が可能な時期をとうに超えてしまっていたのだ。既に、国の底辺では革命の火種がゆっくりと、しかし確かに燻りだし始めていた。
そして今日、最後の打ち合わせが終わればあとは決行を待つばかりになるところまで話は進みだしていた。実質上、これが全員が集まる最後の会合になるはずだったのだ。しかし。
「何事だ」
リ-ダ-の男がライラに固い声で問いつめる。
「そと、外に……酒場の外に憲兵の部隊が……!」
「何だとッ!?」
ガタンッガタタッタタンッ。ほぼ全ての椅子が音を立てて転がっていた。ギリギリの緊張。その少女の一言が、こぼれる寸前の緊張を保っていた皆の感情を決壊させてしまった。少女が何か言っている。だが、もはや誰もその内容を聞いてなどいなかった。ずっと胸の内にくすぶっていたとある疑問、それが、とうとう口から溢れて押し寄せようとしていた。
「だから、早く逃げてくださ……」
ライラが言い終わる前に、立ち上がった組織の幹部たちがアリアムに押し寄せるように詰め寄っていた。
「アリアムさん……どういうことか、説明してもらおうじゃねーか……」
「アリアム殿! やはり、すべては我らを一網打尽にする罠だったのか!? やはりずっと我らを騙していたというのか!?」
「待て、おまえら!今はそんな事をしている場合じゃ……!」
抑えるリーダーの言葉も誰の耳にも届かない。
「あんたには感謝しておる。あんたが参加してくれて資金を提供してくれたお陰で、今までカツカツでやってきた組織も潤った。計画も実行を何年も早めることができた。感謝しておる。だが、だが……どうしてあんたのような人が参加してくれるのか、その理由をあんたは話してはくれなかった。その事で、あんたを疑うものもまだおる。わしらは疑いたくはない。誰にだって話したくないことはあるものだし、あんたにもちゃんとした理由というものがあるのだろうと。だが……」
その古参の幹部の言葉が、皆の気持ちの全てを代弁していた。皆、疑問に思っていたのだ。金持ちがどうして革命などに参加するのか。理由も話さず資金を提供し計画に熱心に参加してくれたのは、どうしてなのか。
いつかは話してくれるだろう。だが、それでも。皆、答えを欲していたのだった。
「答えてくれアリアム! おれたちはあんたを疑いたくない!!」
ズズッ、詰め寄られたアリアムは一人冷静だった。静かにカップに残ったお茶をすすり、一切震えることなくコトリとテーブルの上に戻す。内心はため息ものであったのだが。
「それ見たことかッ私は最初から怪しいと思っていたのだ! それ見たことかッ!」
一番疑っていた商人風の幹部が、唾を飛ばして喚きだす。
「あんたは黙ってろ!今はアリアムから話を聞きたいんだ!」
「そこを退け、こうなった以上、尋問して全てを聞き出しゃいいだろが!!」
「や、やめ……やめてください!!」
唾を飛ばして罵り合い、いまにも掴み合いに発展しそうな幹部連中の間に、息を切らせたまま、ライラが涙を浮かべて立ち塞がっていた。
「君! 退きたまえ!」
「嫌です退きません! みなさん本当に、本当にそんな事を思ってらっしゃったんですか!? ずっとアリアム様に頼って便宜を図ってもらっていたはずなのに、ひどい……そんな酷いですっ! 利用するだけ利用して信用していないのは、あなた方ではないですか!! アリアム様はそんな方ではないです! ひどい、みんな……ひどい……っ」
「たった一週間前に参加した君などに、われらの気持ちが分かってたまるものか……!」
「分かります! だって……わたしは……わたしもずっとひどい目に……」
涙を流して背にアリアムをかばう少女に、次第に泡を吐くように詰め寄っていた男たちの熱が冷めていく。そうだった、彼女はほんの一週間前までずっと……。各々気まずそうに下を向く。その中で、年配の老人が静かにアリアムに尋ねていた。
「すまなんだ、アリアム殿。皆、動揺していたのだ。だが、あんたに答えてほしいというのも本音なのだ。ずっと、皆、あんたを本当の仲間と思いたかったのだよ。お願いだアリアム殿、答えてくだされ……」
「あ~もううるさいねアンタ等、静かにしな男共!!!」
一喝! 現れた恰幅のよい美人の女将の声に貫かれ、未だ燻っていた皆の恐慌がピタリと止まった。
「あんたたち恥ずかしくないのかい? その娘の言う通り、計画がここまで進んだのだってその人のお陰じゃあないか。そんなことも忘れて言いたい放題たァいいご身分だね!」
「しかし、女将さん……」
「しかしもかかしもないよ、いいから口より足を動かしな。今夜はさっさと逃げ延びるんだよッ!」
ドンドン! とうとう扉をたたく音が聞こ始めた。「憲兵だ!店の中を調べたい、ここを開けろ!」
「さて、おいでなすった。後のことはこのエマさんにまかせとき。いいかい、この借りは今度ちゃあんと返してもらうからね。その改革、成功させなきゃ恨むよッ!? さあ、さっさと行った行った」
「……そうだな、こんな事をしている場合じゃないな。みんな、まずは逃げ延びる事だけを考えよう。それ以外はすべてその後のことだ。いいな?」
ひとり、また一人。しぶしぶと頷くと、女将とリーダー二人共に急かされて男たちが動き始める。
「待ってくれ」
「なんだいアリアムさん、用があるなら早くしとくれよ?」
ずっと黙って成り行きを見守っていたアリアムが、静かに口を開いていた。冷静に皆を見渡す。
「エマさん、この部屋の抜け道は2ヵ所あったはずだよな?」
「そうだけど……?」
「ならリ-ダ-、あんたたちは片方だけを使って逃げてくれ。俺はもう片方を使う。その時あんたらの出口は家具で隠し、俺の方だけ薄く入口を開けとくんだ。そうすれば兵どもは俺の方を大勢で追ってくるはずだ」
「ば、馬鹿なこと言うんじゃないよッ! それじゃあんたが捕まっちまうじゃないか!」
「そうです! そんなこと、だめです。やめて下さい!!」
「ア、アリアムさん、あんた……」
「ん?ああ、勘違いするなって。俺は捕まっても死刑にだけはならないんだ。理由は言えないけどな。だから、何とか牢抜けしてくるつもりだから、その時までに態勢を立て直しといてくれよ。頼んだぜ、アンタたち」
手を振って、いつもの顔全体を使った笑顔でアリアムは頼んだ。軽く散歩してくるという様な軽い口調で。
「だめです!! だめですだめですそんな事だめですっ!!」
「ライラ、言うことを聞いてくれ。ちゃんと帰るから。エマさん、ライラを頼むよ」
お願い、と苦笑して両手を合わせて頼み込んでくる青年に、顔を紅潮させたまま怒りのあまりフルフル震えていた女将は一転、静かにため息をつくと肩を落としてつぶやいた。
「……ハァ、分かったよこの強情っぱり。あんたが口に出した意見を引っ込めないのは、この数ヶ月行動を共にした者なら嫌ってほど思い知らされてるしね……。だから、分かったから……ちゃんと帰っておいでよ?この娘のためにも。でなきゃひっぱたくからねッ」
両手でだからね!と繰り返す女将に、苦笑の度合いを深くしてアリアムは頷いた。
「分かってるって、エマさん。そうそうエマさんもリ-ダ-達と一緒に行くんだぜ」
「なんだって!?」
「俺はエマさんにライラの事を頼んだんだぜ? 当たりまえだろぉが。エマさんちゃあんと分かったって言ったよな?ん?」
「……謀ったねこのキツネ男。……あ~も~!!後で店を弁償してもうからね!ふんッ」
「頼んだぜ」
アリアムは今度は心底楽しそうに笑った。その背中にリ-ダ-が頭を下げる。
「アリアムさん……さっきは、悪かった……」
「気にすんなよリ-ダ-、同志じゃねぇか」
「……無事で帰ってこいよ」
「すぐ帰るさ。言っとくけど、そん時アンタたちまで捕まってたらマヌケだぜ?」
「あのな。下町育ちを舐めんじゃねえやい。間抜けな憲兵なんぞに追いつかれるかよ。どの抜け道も俺たちにとっちゃ、暗闇で目ぇつむって走ったってぶつかりもしやしねーぜ」
「違いない、ハハハ」
パンと上げた片手を叩き合わせ、リ-ダ-達が抜け穴に潜っていった。
「さてと、エマさんにライラ。君たちもだ」
「一緒にいます……」
「困らせんなよ」
「一緒にいますっ!」
「ライラ」
固い声で呼ばれて、涙目のライラはビクッと震えた。しかし、アリアムの怒鳴り声は聞こえなかった。
「ライラさぁ、たしか料理得意だって言ってたよな。なのにずっと食いたかったんだが忙しくて食えなかったんだよなあ。悪かった。しかしどう考えても牢屋の飯は不味そうなんだよな……なあライラ、帰ってきたら君の料理をたらふく食わせてくれないか? 口直しだ」
ライラは俯いたまま泣き出した。一週間前どん底から救ってくれた男の口調は、こんな時ですら変わらなかった。
「……すぐ帰ってきて下さいね。早くしないと、無くなってしまい、ますよ……」
「ああ、楽しみにしてる」
泣き笑いで答える少女に頷くと、アリアムは少女と女将を穴に押し込み、蓋を閉めた。
タンスで床の抜け穴を塞ぐと、自分は壁の抜け道を使い外に出る。その入口を少しだけ薄く開けたままで。
憲兵隊が扉を破り飛び込んできたのは、そのすぐ後のことだった。
◇◇◇
王宮の東塔。
蒼星と呼ばれる侍女が自分の部屋の片隅で、壁を背に頭を抱えて蹲っていた。
あの時、蒼星の横で蓮姫は顔色を変えて立ちつくしていた。
シェリア-クが部屋を出ていったことすら気づかなかった。
彼女が何を話しかけても、蓮姫の顔はこちらを向こうとはしなかった。その姿はまるで、ずっと薄々気づいていたけど目を背けていた事実を指摘され、動揺しているかのように見えた。
姫の、まるで怖いものから顔を背けるが如きそのしぐさに、彼女は思っていた以上に傷ついていた。そして傷ついた自分に心の底から驚いていた。
それから一週間。その間彼女は蓮姫とまともな話ができないでいた。
話しかけてもはっきりしない返事ばかり。昼間の光の中で見ても、明るかった蓮姫から笑顔が失われ、何となく憔悴しているようにも見えた。
(気にしないで下さい蓮姫、単なる言い掛かりなんですからね……)
思っても、なぜか口に出せない慰め言葉。
言い掛かり。言い掛かり……か。
(だめだわ……もう自分自身すら騙せなくなってきている。これは仕事、仕事なのよっ。なのになぜ……もしかしてわたしは蓮姫に、嫌われたくないと思っているっていうの?)
壁の時計に目をやる。定時報告の時間だ。
彼女は鍵の付いた引き出しから手鏡型の奇妙な機械を取り出し、顔の前で開く。淡い緑の光を放ち始めるそれを見つめ返す。
動揺していたのだろう。部屋のドアが薄く開いている事に、気付かないままで。
「……クロ-ノ大神官、本日の定時報告を始めます」
◇◇◇
「そうか、兄上が見つかったか」
手の者からのその報告を、シェリア-クは寝室のベッドで聞いていた。
「フン、今行く。地下牢にでも入れておけ」
「承知致しました」
王を地下牢になどという命令に、疑問すら挟むことなく人影が消える。そういう連中、シェリアークにのみ忠誠を尽くすように教育された者たち、「影」。今居たのはその影頭代理の男だった。しばらく天井を見つめた後、ベッドの上に体を起こす。
(兄上……馬鹿な、お人だ……)
言うことさえ聞いていれば、ずっと王のままで居させてあげられたものを。
夜服を羽織り、わずかな間、祭りの準備に追われる広場を眺めた後。
シェリア-クは地下牢へ向かって歩き出した。
◇◇◇
「……ええ、はい。そうです。アリアム王は革命準備中に捕縛された模様です。もっとも、帽子もなく平民服だったので、それがアリアム王だとは憲兵隊も気付かなかったようですが。はい。今は多分、地下牢に……。はい、そうですね。気をつけます。まだ、完全にバレていないようです。でも、疑われているのは……ええ、うまくやるつもりですけれど。え? うん、ありがとう。ばかね、報告を普段の言葉使いでし始めたらけじめがつかないでしょう? 大事な仕事なの、緊張感が必要なの! もう。どうして貴方はいつまでたっても……。もう少し大人になりなさいクロ-ノ。来年20歳でしょう貴方? え? ば、ばか。何言ってるのよもうっ。……うん、気をつけるから。それじゃあまた明日。お休みなさい」
「おやすみ、ア-シア」と最後に青年の声が聞こえた。
……ウ゛ン。薄緑色の光が消える。通信が終わったのだ。
からかわれでもしたのだろう。つかの間の安息に彼女、ア-シアはため息をつく。
「ツァンシン。今その機械で誰と話をしていたの?」
いきなりすぐ後ろから話しかけられ、ア-シアは文字通り心臓が跳ね上がった。
「れ……蓮姫?! なぜここに!」
目を覆いたくなるほどの失態だった。素人に近づかれるまで気がつかないなんて!
「誰なの……?」
真剣な、それでいてすがりつかれる様な目で見られ、ア-シアの息は苦しくなる。
「な、なんの事でしょ……」
言い訳をしようとしたアーシアの眼の前を、蓮姫の小さな手のひらが塞いでいた。
「しらばっくれるのは無しにしてね、お願いだから。……ツァンシン、蒼星よね貴女?私の幼馴染みの蒼星なのよね? 答えて。クロ-ノって、……ア-シアって、誰……?」
ア-シアの顔を汗が流れる。長い間この仕事をやっていて、初めてのことだった。
いつもなら……これ程ではないにせよ似た状況になった時、今までならもっとスラスラと上手い言い訳が口をついて出てきたものだった。なのに、何故。
この自分が素人に詰め寄られただけで冷汗を出すなんて……。これでは普通の女となにも変わらないではないか!
「蒼星ッ。本当に貴女は、蒼星ではないの? じゃあ蒼星は? 本物の蒼星は一体どこに居るの!?」
「…………………………」
「蒼星!! 黙ってないで答えて、お願いよ……ツァンシン」
いきなり頭のどこかが熱くなった。だんだんと熱さが増していく。ア-シアは今までまったく感じたことのない感情を持て余していた。どす黒いタ-ルの様な粘つく感情。ア-シアは気付いていなかったが、それはあの一週間前にシェリア-クが感じていたものと、寸分と違わない感情だった。とてつもなく身勝手で、それでいて本当に相手を想っている時の、どうしようもない感情の発露。
[嫉妬]という名の愛情表現。
「ツァンシン……っ!」
なぜだろう、この姫は、どうしてこうまでも他人の感情を打ちのめすのだろう。
見つめる先の漆黒の瞳が静かに薄い色を発した。
訓練は嫌というほど受けていた。プロとしての年月や経験は、もはや始まりを覚えていないほどに長く多い。失敗した時、どうしようも無くなった時、残念だがさっさと逃げ去れば良いのだ。それだけの話なのだ。ただの仕事だ。人間なのだから今までにだって失敗した事も何度もある。躊躇してはならない。後悔も必要ない。次に繋げればいい。二度と同じ失敗をしなければいいだけだ。今まででもそうしてきたはずだ。誰が傷つこうが誰が泣こうが。任務の失敗は残念だが相手に情報を与えるよりはずっとましだ。彼の為に。私はずっと彼の為にすべてを捨てられると思っていた。
それなのに。
「ツァンシンっ!」
蓮姫が名前を呼ぶ。誰の名前だろう、それはわたしの名前じゃないのに。
ア-シアは思う。この姫は、蒼星という女が三年前に死んだことを知らない。というか、一度は聞かされたはずだが、心が壊れる前に脳が忘れてしまたらしい。薄々気づいていても心が拒否しているのだろう。ある意味、心の病にかかっているともいえる。だが。
(なぜ自分は、この名前で呼ばれるたびに、死んだ人間を羨ましいと思うのだろう)
ア-シアは、むかし国を出た時からずっと一人で仕事をしてきた。最近はクロ-ノと一緒に仕事をしているが、それはとても充実した経験で、そういう無駄な事を考える暇も必要もなかった。彼とは対等だったから。対等に扱ってくれたから。
だから、ア-シアはその感情の名前を知らなかった。いや、当てはめることができなかったのだ。自身を相手にゆだねる関係なんて知らない。
「 」
理由は分からない。だが、その瞳に撃ち抜かれた時、プロとして仕事をしてきた長い年月の中で、彼女は初めてその意識を捨てた。捨てていた。
アーシアの口から、取り返しのつかない言葉の列が静かに溢れ出していた。
「ちがう……わたしは、……わたしは蒼星なんて名前じゃないっっ!!」
勝手に口が叫んでいた。
◇◇◇
地下牢。蝋燭の淡い光が消えたら、きっと真の闇になる。そんな場所だ。
コツコツと足音がして、一つの牢の前で止まる。
「……シェリア-クか」
鎖につながれた男が数日の外泊で無精髭の伸び始めた口を開く。その口調には、下町の人たちと話していた時の親しさも優しさも欠片も存在しなかった。着やせするタチなのだろう、だが、袖から見える腕は丸半日鎖に繋がれたままでもなお逞しい。現王アリアム一世である。
「これはこれは、どうされたのです?兄上。ひどい格好ですね。現王陛下にこんなことをするなんて、酷い方がいたものです」
平坦な声。悪意ではない。だがそれに近いドス黒いものが溢れる声だ。なぜか哀しみに満ちて漂う憎悪。
「……………」
「沈黙ですか。せっかく冗談を言ったのですから、すこしはノッてくださいよ、平民相手には冗談を言うくせに、素では相変わらずお堅い性格なんですね」
「お前こそ、相変わらず口数の多いやつだな。さっさと本題に入ったらどうだ」
「……いいでしょう。では単刀直入に訊きますが、なぜこんな事をなされたのです?」
アリアムは見つめている。二人の声が岩壁に反響する。
「答えなさい兄上……いや、アリアム・フィオラネイウス!」
◇◇◇
「あっ………っ」
部屋の空気が変わっていた。緊張感を孕んだ「それ」から気持ちの悪さを含んだ「それ」に。
空気に何かが染み出している。
毒、あるいはそれに近いもの。目の前に見えるのに、それらと自分との時間の流れる早さが違っているような、奇妙な不快感。無意識に口を押さえる。
いつの間にか顔を下に向けた蓮姫がそのままの状態で口を開く。
「……じゃあ、蒼星はどこ……本物の蒼星は、どこなの……?」
なぜ、いきなり白状してしまったのだろう……。本当に分からない。
どちらにしろ、もう終わってしまったのだ。三年間に及んだこの仕事も今日で終わり。なんて無様。自分がすべてぶち壊してしまった。
糸のような張り詰めた声が迫ってくる。縒り合わされていない一本だけの細い糸。
「どこなの……?」
◇◇◇
「フッ、『アリアム』か。一体いつから兄上と呼ばなくなったのかな、お前は」
ほんの刹那だけ自嘲気味に、アリアムは息をついて視線を逸らした。
「答えろと言っている!」
「答えるさ。せっかちな奴だ。昔お前が言ったろう? 俺が奴隷腹だとな。それが答えだ」
「な、に……!?」
「お前の操り人形になる前から、俺はずっと考えていた。奴隷制なんてもんは在るべきじゃないってな。確かにこの国は、今すぐに奴隷制をやめると一時的に大きな不況に陥るだろうさ。だがな、それでもやっぱり、やめるべきなのさ」
◇◇◇
「彼女は貴女の……、胸の中にいますよ……」
わずかに顔を背けつむぎ出す結論。なんの意味も無い捨て言葉。その言葉に蓮姫の肩が震え出す。
「貴女たちは、それをずっと、黙っていたのね……私に……」
胸が痛い。こんな痛みなんて知らない。知りたくはなかった。
「言い訳は、しません……」
「三年間も」
淡々と続く言葉。それはすでに質問ではない。確認でもない。
それは、ただの断罪だった。
「れ、ん姫……」
「その声でその名を呼ばないでッ」
向けられた視線は刃。光を発するかのような、鬼気に満ちた視線だった。
◇◇◇
「馬鹿なことを……。奴隷の売買は、今やこの国の主要産業なのだ。今更止められる訳がないだろう!」
「どうかな。下街の人々は違う意見なようだったぜ?」
「下からしか物事を見られぬ者の意見など参考になるか! 貴方になら判るはずだぞ!」
「お前こそ判らないのかシェリア-ク!? それは上からしかものを見ることのできない奴にも同じく言える事なんだぞ!」
「戯れ言だ!」
どこまでいっても平行線だった。アリアムは唐突に巨大な哀しみに襲われる。
(なぜだシェリア-ク……お前は、どうして……)
昔、笑顔でまとわりついてきていた小さな少年の姿が、なぜか一瞬胸に浮かんだ。
「フ、まあいい。貴方の馬鹿げた計画も今日で終わりだ、全てね」
「俺の仲間が今日捕まった人数だけだなんて思ってないよな。俺の準備の時間は3年間もあったんだぜ? なあ、シェリア-ク。下手糞な人形使いだったよな」
シェリア-クの顔がドス黒く変わる。鉄鞭のしなる音がした。
◇◇◇
ぴしゃりと、声で叩かれた。明らかな拒絶だった。
「あの時貴女は、何日も何も口に入れていなかったんです。入れる事すら、息をすることすら拒否していた。だから……」
「だから何? 言い訳はしないんじゃなかったかしら?」
完全な否定。でも、それならなぜ蓮姫は誰か、衛兵の一人でも呼ばないのだろう。
瞳が何かを訴えていた。何をだろう。もう自分が彼女の幼馴染みではないことは判ったはずだ。ならば衛兵でも呼べばいい。それとも自分で刃物を刺しにくるか。見た事はないが、以前姫は剣の使い手でもあったはずだ。
なのに、立ち尽くしている。何かを待っている。何を、何を待っているというのだろう。
何かを待っているのか。何かの言葉? 彼女もまだすべてを捨てられないでいるのだろうか?
「仕事、だったのよね。……ね、そうなんでしょう?」
「え……?」
「貴女はずっと仕事をしていたのよね?」
ア-シアは、自分で思っている以上にパニックに陥っていた。だから蓮姫の悲鳴のような視線と願いに気づけなかった。
だからその答えをしてしまったことを責めることはできない。しかし、それは決定的な言葉だった。決定的な言葉として蓮姫に届いた。
「ええそうです仕事、だったのです姫……!」
決定的だった。次の瞬間壊れたオルゴ-ルの様な切れ切れの笑い声が蓮姫から上がる。そして、それに続いたもの。
それは塔にいるすべての衛兵を呼び寄せるのに十分すぎるほどの、巨大な甲高い悲鳴だった。
第三話 「激 動」 了.
第四話 「混 乱」へ続きます。




