第二話 『時の歯車』
下町を貫く道がある。
この城壁に囲まれたイェナの街の、一番外側に広がる広大な下町をくるりと巡る細道だ。背の高い家々に挟まれた道の中心から見上げると、すぐ側に、天に刺さるかのような巨大な壁がそびえているのが目に飛び込んでくる。
壁は天の半分を覆い、下町の大半をその影の中に包んでしまう。だがその事で文句を言う人々はいない。その壁が自分たちの命を守ってくれていることを知っているからだ。 どこまでも広がる砂漠の砂、生き物の命すら奪う日ざしと気温、旅人を襲う盗賊。それらをことごとく跳ね返し、アルヘナ砂漠一高く長い城壁は、ふところを通りかかる小さな生き物たちに毎日静かな視線を投げかけている。
一人の青年がその道を歩いていた。壁の内側の、下町の小道。
わずかに辺りを気にしているのは、尾行でも警戒しているのだろうか。
顔つきから見て20代後半だろう。けれどやつれた感は見られない。むしろ、人生に目的を見出し、それに突き進む男の顔をしていた。迷いのない顔。
青年が狭い路地の入口を通りかかった時、微かな悲鳴が聞こえた。女性の声だった。
「ううう゛--、う゛うう゛うう゛う゛う゛---っ!」
「うるせえ! 静かにしてろ!」
顔をはたく高い音が闇の中数回響く。組み敷かれた少女は猿ぐつわをはめられているようだ。
少女は十代半ば、という感じに見える。
「おぉい、早くしろよ。待ってんだからよ」
「さっさと終わらせろッヒヒ」
「ちっ、くじ運のいい野郎だ」
襲っているのは一人ではないようだ。全員で順番を決めているらしい。とてつもないほど手慣れている。
「へへへっ、てめ-らはそこでオアズケ喰ってな」
ビリィイッ!
「ぃあああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
服の破れた音。その音に刺激されたのか、組み敷いていた男がいきなり少女に覆い被さっていき─────横面に蹴りを食らって壁まで吹き飛ばされて転がっていた。
「その辺で止めとくんだな」
先ほどの青年だった。青年は脱いだ上着を少女にかけると、男たちとの間に立ち塞がる。
「な! 何だテメ-ァ!」
「俺か? 通りがかりのフェミニストだよ」
「ナメてんのか!? 構わねェからやっちまえ!」
鈍い音が路地に響く。みぞおちに拳を入れられ、飛びかかった男が悶絶しもんどりうって倒れ臥す。隣でナイフを突き出したもう一人も、顎に決められ糸が切れたように路面に顔から崩れ落ちた。
「ギャ-ギャ-わめくな。群れなきゃ何も出来ねぇ人間がナマ言ってんじゃねぇよ。俺もお前らと同じ[男]だと思うと本気で泣けてくるなコイツは」
「……やるじゃね-か兄ちゃん。けどこっちの人数見てから言ったらどうだい? 女の前だからって怪我しちゃつまんね-ぜェ、なあよお前ら?」
男の視線の先、路地裏からゾロゾロと獲物を持ったゴロツキが湧いてきていた。見張りをしていた奴らのようだ。飛出しナイフからブラックジャック、鏢と呼ばれる重り付きムチからバールまで、意外に得物のバラエティに富んでいる。
「フン、確かに面倒な人数だな。けどな、なぜか不思議な事にここで逃げたほうが余程つまらねぇ気がするんだよ。それに心配するな。お前らに俺は倒せねぇよ」
瞬時に男たちの間に怒気が膨れた。
「ンだとォゴラ!? 腕に自信があるみて-だがな、やる前から勝ったつもりでいるんじゃね-ぞクソ野郎ッ」
「ハッタリかよ情っさけねえなあ垂れ目のニィちゃん、あぁん?なんだぁ未来が判るってか? ヘッんなもん判る訳ねえだろ、ギャハハ!」
舌なめずりする男たちに、青年はそれでもなお冷静だった。
「いいや、判るぜ。ちゃんとな。……お前らみてぇな日々ただ生きて垂れ流してる奴等ごときにな、目的持って突き進んでる人間が負ける訳ねぇだろって事がなあ」
睨み合う。
「……後悔すんぜ」
「しねぇよ。それより、そっちこそ大勢で女の子襲う奴等が群れたままカッコつけてんじゃねえ」
その時少女の叫び声がし、青年は振り返ると同時に腕を上げた。
ガキィンッ!!
「この程度だと思ってたよ。やっぱお前ら底が浅いわ」
背後から降り下ろされた軍用ナイフを袖から抜いた短い鉄の棒で受け止めた青年は、そのまま武器を弾き上げると滑るように鉄棒を襲撃者の右肩に降り下ろした。
最初の鎖骨の折れる音が路地裏に響き、二分。その間に、鉄の棒は一人を残しすべての敵の鎖骨を砕き終えていた。
「ち、ちょっと待ってくれ! アンタ勘違いしてる! そのガキは奴隷なんだ。アンタが最初に蹴った男の持ち物だ。持ち主が持ち物に何をしようと勝手ってもんだろう!?違うか! な、なあ?」
その場にいた中ではまだマシな服を着ている男が、両腕を前に出し後退りながら語りかける。
青年はゆっくりと近づいていた歩みを止めた。
「それで?」
「いや、それでって……国のほ、法律にだってそう書いてあるってことでさあ……!」
「……だから何だ」
法律という単語に青年の表情が険しくなった。舌打ちが聞こえる。それを困惑と見たのか、男はたたみかける。
「見逃してくれよ、な? 憲兵呼んだら捕まるのはアンタだって事なんだぜ? そ、それを無かった事にしてやるからさぁ、なあ……って、ち、ちょ、ちょっと待……!……ぎゃあぁああっ!!」
最後の一人の右鎖骨が砕けた音が、路地裏の闇に木霊した。
「だから、どうした? もう片方の骨もいらないなら貰ってやるぞ」
男は間違えていた。青年の顔に浮かんだのは純粋な怒りだった。火を吹きそうな表情が青年を彩り飾る。
「クッ……憲兵呼んでくるからな。顔は覚えた。捕まるのはアンタだぜ! そこにいろよドチクショウ!」
「……いる訳ねえだろうそんな後まで」
詰め所の方向に駆けていく男を眺めて、青年は静かに呟いていた。
「奴隷、か。だからどうした。俺は、そういうのを無くすために今頑張ってるんだよ……」
(……まだまだ難しそうだけど、な)
遠くを眺めるような目をした後、青年はうずくまる少女に振り向き、笑いかけた。
「大丈夫か?」
しかし少女は上着の前を合わせ、座り込んだまま、震えながらずるずると後ろに下がる事を止めなかった。体の震えが止まらない。青年を見る目が未だ恐怖に竦んだままだ。
それを見て青年は足を止め、しゃがみこんだ。少女が涙を溜めているのが見える。
目線を合わせ、考えて話し出す。
「さっきは、有り難うな。助かった。おかげで後ろから刺されすにすんだよ」
顔全体で笑う。結構格好いい顔がその為に思い切り崩れる。なのに、なぜか気持ちがいい。見ている方も笑顔になるような、そんな笑顔だった。
その笑顔を見て、本能で逃げていた少女の動きが止まった。
「助けが遅くなって、悪かった。いきなり俺の事が信じられないのも無理はないさ。それは別にいい。けどな、泣きたいときは泣いちまえばいい、思いっ切りな。そしたらその後は笑ってくれ」
そのまま、倒れたままの少女に右手を差し出す。
「憲兵は困るし医者は……嫌だよな。俺の知り合いに匿ってくれる心当たりがあるんだが、来るかい? 厳しいけど優しいおばさんなんだ」
もう一度しっかりと目を合わせる。
「行こうぜ」
静かに待つ。
少女からはさっきまでの震えが消えていた。信じてもいいのか迷うように小さめの手が何度も上下げする。
早く逃げないとさっきの奴が本当に憲兵を連れてくるかもしれない。
だが青年は微動だにせず、少女が自分から掴まるまで待っていた。
かなりの時間が過ぎ、ようやく少女の手のひらがおずおずと青年の手に重なった。
もう一度魔法のような笑顔で笑いかけ、青年は少女の目を見つめ返す。
「有り難うな、信じてくれて。お礼に重大な秘密を教えてあげよう。フェミニストってのはな、女の子の嫌がる事はしないのさ。そしてな、一番好きなものは、女の子が心底嬉しい時の笑顔なんだ」
猿ぐつわを外しながら語りかける言葉に、ようやく少女の顔にも笑みが浮き、溢れた涙が流れ始めた。
路地裏を青年が歩いている。その落ち着いた声が背中から聞こえた声に答えている。
「へえ、ライラってのか。綺麗な名前だな、似合ってるよ。ん? 俺か? 悪い悪い、俺の名前は、アリアムって言うんだ。よろしくな」
背中の気配はうなずいたと思ったら、すぐにカクンと重みを増した。
(眠ったか……)
アリアムは苦笑して、目的の酒場の通りに入っていった。
◆◆◆
「せんせ-い! さよ-ならあ!」 「大神官様、さようなら!」
子供たちが授業を終えて教室から溢れ出していく。
「皆さんお疲れさま。道草しても良いけど、気をつけて帰るんですよ--っ」
「は------い」
返事の良さに苦笑し、しょうがないなあと思いながら、クロ-ノは執務室へと歩き出した。
若き大神官である彼だが、時には神官学校の生徒たちに授業をつけに来ることもある。
授業といってもベンチのある中庭でみんなを集めて話をする、それだけなのだけれど。 担当の教授が出られない時に自分の仕事が一段落ついていればということなので、あまり回数は多くないが、子供たちの様子を見ればクロ-ノの話を心待ちにしている事がよく判る。
それだけ話が面白いということだけではない。
彼らにとって、この若干19歳の青年大神官はある種の英雄なのだった。この国では決して、どんなに頑張ろうとも出世する事など叶わないと云われていたまともに外国の血の入ったその姿で、二十歳前に大神官にまで上り詰めた俊英。そして、長く伸ばされた美しく淡い金髪と、大理石のような、それでいて健康的な澄んだ肌色と青い瞳。
例え神官長の養子といえどそれでも、歴史上類を見無い結果を出し続ける事がどれほど大変か、それはこの国の中心で育ち、学んできた生徒達が一番良く解っている。
それでもその美しい先輩は、その境遇にも関わらず、皆に優しく体面も良く、そして顔の造作に関係ない程に笑顔が綺麗なのだった。さらに、学生時代、親友と共に語られる数々の武勇伝。教師を論破し短髪が主流の神殿で金髪の長髪を認めさせた伝説。棍棒の免許皆伝の使い手で、救国の英雄の一人とすらされているその噂の数々。
学生全員の英雄……なのだった。
そんな事を本人の前で言おうものなら本気で嫌がるだろう。生徒たちもわきまえていて、わざわざ嫌がらせをしたりはしない。この大理石像の様に美しい癖に恥ずかしがり屋の大神官が、みんな大好きだったから。
執務室へ向かう途中、中庭を一望できる廊下にさしかかった時、彼はほんの一瞬足を止める。大陸奥の山国であるセレンシア神聖国、その首都セレンにある神殿の中庭。そこに以前あったベンチは、老朽化の為に新しいものに換えられてしまっていたが。
だが、それでも原点である思い出が朽ちることは無い。数秒だけ瞑想するように目を閉じると、笑顔で目を開けて、仕事に向かい歩き始めた。
「大神官様」
渡り廊下を歩いていると、後ろから知り合いの神官に声をかけられた。
振り返ると一つ下の後輩が眩しそうにこちらを見ている。その視線の先には、この国では見られない、クロ-ノの透き通った金髪があった。
「どうかしましたか、カルナ」
「あ、いえ……。貴方に少しお耳に入れておきたい事柄がありまして」
「? なんでしょう」
「実は……先の司教の一人、ゼナス・ウル・セイムの事で……」
「ゼナスさんが、なにか?」
ゼナス・ウル・セイムといえば、プル-ノが[ラマ]になる前に19人議会にいた人物だ。中年に差しかかりながらもエネルギッシュで、怒鳴り声の大きさと怒りっぽさで定評があったと聞いている。彼も、プル-ノの改革で議会から降り落とされた一人だったはずだ。
「ここでは何ですから、こちらへ」
渡り廊下を渡り切った先の影の中へ。そこでカルナはさらに声を潜めて呟いた。
「貴方は彼に狙われています」
クロ-ノは馬鹿馬鹿しくなってため息をついた。
「カルナ。そんな根も歯もないデマはここだけにしておいて下さい。訴えられますよ」
「違うんです! 別に命を狙うとかじゃありません。それならぼくだって馬鹿にしてますよ。この国で大神官に手を出してただで済むわけないんですから。それに物理的にも無理でしょう。貴方は神殿の中でも1、2を争うほどの棍の使い手なのですし」
「でしたら……」
「ですから、そういう事じゃあないんです。ええと、気を悪くなさらないで下さいよ。確認しますけど、貴方に流れているのはこの国の血じゃありませんよね」
「ええ、見た通りね」
「その方面から貴方の知らないことまで含めて、調べて回ってる奴がいるんですよ。出自とかその色々…今のところ大したものは出てきてない様ですけど」
クローノは心の底からため息をついた。
「今更ですか? まあ、すべての人間に受け入れられたと思ってはいませんでしたが……。しかし、それにゼナスさんが関わっている確証はないのでしょう?」
「その通りです。しかし、その男は以前ゼナス殿の従兄弟の従者でした。その上ゼナス殿の家の中に、今おかしな客が来ているという証言もあります。マントやフ-ドで顔を隠した得体の知れない男です。一応、貴方にもお知らせておいた方が良いかと思いまして」
クロ-ノはしばし考え込む。
「……そうですか。有り難う、カルナ。覚えておきますよ」
「では、お気をつけて。ぼくもこっちでもう少し調べてみます。何か判ったらまたお知らせしますね」
「お願いですから無茶はしないで下さいよ」
「はい!」
そしてそのまま何事もなかったかのように歩いていくカルナの後ろ姿を見て、クロ-ノはもう一度小さくため息をついたのだった。
5分後自らの執務室に帰ってきたクロ-ノは、大きめの椅子にもたれて沈み込んでいた。上を向いて目をつむる。
(父さん、貴方が創り変えたこの芸術の様なシステムでも、すべての人が満足するという訳にはいかないんですね……)
養父が先代の神殿最高地位[ラマ]だった頃言っていたことを思い出す。
([すべての人が理解し合える事は有りえない。真実とは、一人一人に、人間の数だけ存在するものなのだから。しかし歩み寄ることはできる。それにはまず自分から近寄っていかなければならない]。でしたね、父さん)
これだけだと単なる理想論、綺麗事に過ぎないだろう。プル-ノが言った言葉でなければ。彼はこの言葉を言葉だけに終わらせず、実践で示し、奇跡のような改革を為し遂げたのだ。
(ゼナス元司教も、最後には父さんの改革に賛成したはず。なのになぜ今頃になって……。やはり、私のせいか。私は父さんの様にはなれないのだろうか)
そこまで考えてクロ-ノは強く頭を振る。
(どうかしている。人間がほかの人間になれるはずはないのに。大事なのはその人間にできる範囲で最高の結果を出すことだ。ああ、でもこんな事を考えていても仕様がない、少しでもいい対処の仕方を……ん? そういえば、さっきカルナが何か言っていましたね。不審な人物がゼナスさんの屋敷に入り込んでいる…………?)
目を開ける。
何かが心に引っかかった。なのに上手くつかめないあの苛々する感覚。それは思い出す前に淡く消えてしまう。
もしここで思い出していれば、その後の展開も違っていたのだろうか。
判らない。しかし、その機会は去ってしまった。
(二日後の休日に、一度ゼナスさんの家を訪ねてみましょう)
最後の機会を逃した若者は、小さく頭を振って書類に手を伸ばした。
◆◆◆
「なあ、オイ? 砂漠の雨ってなぁ大したことないって言ってなかったか」
「いやあ、そのはずなんですけどねー。おかしいですね-」
砂漠の朝に雨が降っていた。土砂降りではない。だが、すべての砂を湿らせようとするかのように、雨を運び、湿度の高い風が後から後から湧いてきていた。
「……塩と紅茶のリ-フが二袋も駄目んなったんだがなあ? んン?」
砂漠のド真ん中。十代半ばの少年と年齢不詳のス-ツの男が、簡易式のテントの中、キャラバンのラクダの群れを挟んで諍い合っている。傍から見ればじゃれ付いているようにも見えるのだが。
「はっはっ。そんなに睨まないでくださいよ、その分高く売ればいいじゃないですか。坊っちゃん相変わらず細かい細かい」
この砂漠の中心で嫌味なまでに完璧に執事服を着こなした背の高い銀髪の男が、どうやら主人をからかっている。髪はすべて銀色でオールバックに撫で付けている。肌の色は病弱なまでに白。日に焼けてすらいない。瞳は本来赤色だが、普段は薬品で黒く変えて過ごしている。ここが砂漠で今が日中でなかったら、十人中十人が吸血鬼と間違える姿だろう。
その執事の鑑というべき姿の男がからかっている少年が、これまた対照的な姿だった。
年齢は10代半ばに見えるのに、身長は160にかなり足りない。茶色の混じった肌に備わっているのは、黒く艶のある力強い瞳と少しだけ自然な縮れの入った漆黒の髪。前髪を微妙に伸ばし立てているのはブルーのバンダナで、これまた半袖ではあるが砂漠の真ん中で真っ青なジーパンにジージャンを着こなしている。しかも金属の鋲付きだ。
世界最大の港町シェスカ最大の商家ローエン家の若き当主とは誰がどう見ても思えない……一昔前の一匹狼の不良みたいな出で立ちだ。
その少年がからかわれ、怒りのままに叫んでいる。よく当主が務まっているなと誰もが思える感情過多だ。
「リーブス! いい加減にしろっおれはもう15だッ! キサマ坊っちゃんと呼ぶなと何度言ったら!!」
少年はふところの愛用の鞭に手をかける。
「だって坊っちゃん3年前から背、伸びておられないではありませ……」
ビ シ ィ ッ 。
大気が震え、男の足もとの砂が一山消えた。
「なんですっていったい誰がそんな酷いことをっ! 天誅に値しますねカルロス坊っちゃん!」
カルロスの全身がおこりの様に震えて蒸気の様な湯気が出た。ふところの中に静かにそろりと手が伸びる。
「そ・れ・で、フォロ-したつもりか?! くっつけて、その先はどうした、え?」
「フッ、カルロス坊っちゃん。ワタクシその趣味無いのでムチで縛るのはやめましょうね」
ここはラクハリ砂漠(通称アルヘナ砂漠ともいう)の入口付近。現在おれ(カルロス)とリ-ブスは、アルヘナ国の首都であるイェナの城壁都市に向かっている。砂漠の境界には川が通っていて、その支流を使えば街から50Kmくらい近くまで船が入れるので、そこまでは船で来た。おれたちは一昨日そこで荷を降ろし、ラクダに積んで隊商を組んだ。けど本当なら今朝のうちに着いているはずだったんだが。
砂漠の雨。一年を通じて滅多にお目にかかることが無い代物らしい。だがこの辺りは川に近いので少しは確率も高く、おれたちは運悪くそれにぶつかっちまったようだ。今は、荷が濡れないようにテントをつないで、港で雇った人夫やラクダと一緒に雨宿りしている。
そして退屈なまま、半日が過ぎていた。
「ねえカルロス坊っちゃん、雨、やみませんね」
リ-ブスが縛られたまま話しかけてくる。確かに。初めほど酷くなく、すでにほとんど霧なんだが、一向に晴れてくれない。まあ晴れたら晴れたで、暑いんだが。
「それにしてもカルロス坊っちゃん。もう旅に出てから一ヶ月ですねえ。本当にお嬢さまをお一人で屋敷に残してきて、良かったんですか?」
「ミシェルのやつに頼んできたから大丈夫だ。あいつは信用できるし、エティ(ヒリエッタの愛称)に惚れてるからな。命がけで守ってくれるだろ。っていまさら何言ってんだ? だいたい、残るように言ったのに聞かなかったのはリ-ブス、お前だろ-が」
「ワタクシは、カルロス坊っちゃんに一生ついてゆくと昔から決めておりますので」
「へ-、そ-ですか。なるほどなるほど。でも雨がやむまではそのままな」
胸を張って宣言したリ-ブスは、いきなり縛られたままつま先で砂に「の」の字を書き始めた。器用なやつだ。こいつもな、いまいちつかめない。190cmの背に銀髪をオ-ルバックにした黒目なのに光の加減で碧眼に見える甘いマスク。武器があってもなくてもほぼ無敵の強さ。そのクセこの性格。ついでに過去も良くわからない。10年くらいロ-エン家に勤めてるはずなのに、見た目がまったく変わらないのはどういう訳だ?
「ですけどカルロス坊っちゃんお一人だと、例の老婆、殺しかねないじゃないですか」
「当然だ。エティを泣かした罪は大陸よりも重い」
「……シスコン……」
「ハッハッハッ,ん-? この口か今のはこの口かあ? アア ~~ン!?」
「うう、ずびばぜん--。でも、本当にそんなに信用してもよろしいんですか?」
「……どういう意味だ。まさかお前まだミシェルが敵に戻っちまう事、心配してんのか?」
「いえ、そういう訳ではないのですが。ちょうど出かける間際に彼が、「鬼のいぬ間にキメるぜ」とか言ってたのをふと思い出してしまっただけで……ってカルロス坊っちゃん?」
言い終わる前にカルロスが煙を立てて立ち上がった。
「ああ、どこへ行かれるんですカルロス坊っちゃんったらっ」
リ-ブスは芋虫状態で手だけ出してカルロスの足を捕まえる。
「離せリ-ブス! おのれミシェル、エティ無事でいてくれ今おれが帰るぞっ!」
「冗談ですカルロス坊っちゃん」
「………………………………………………………」
「いやあ面白くありませんでしたでしょうか? ふふ。それにしても先程から呼びにくくて困りものですねえ。元に戻しても宜しいですか? 戻させて頂きますね坊っちゃん」
芋虫が照れた声を上げるそこへ、偶然砂漠の郵便屋が通りかかった。届く確率は50%だが、いないよりはずっとマシという、まあ山師のようなものだ。
カルロスは荷物から紙とペンを出すとサラサラと何か書きつけた。封筒に入れて金とともに郵便屋に手渡す。その間無言。
「あの……坊っちゃん、今の手紙は一体……?」
さすがに不安にかられてリ-ブスが訊く。郵便屋が見えなくなってからようやくカルロスから答えが帰った。満面の笑顔。
「気にするなよ」
「ですけど」
「ちょっと知り合いにおれたちの目的地を知らせただけだって」
「どなたにです、か……ま、まさか!」
「さすが察しがいい、おっと行かせないぜ。彼氏に会えなくなっちまうだろリ-ブスぅ。いやあ元気かなあエイクの奴」
「い、いやああああああああああああああ!!」
「ヘッ思い知ったか、弱点を掴まれてる奴が言いたい放題言うからだ!」
暴れる執事を押さえ込みながら久しぶりにカルロスは優越感に浸る。
「ああ~坊っちゃん、あの可愛らしかった坊っちゃんがどこで間違ってこんなひどい人間になってしまったのですか神様ッ」
ブチッ。見てみぬフリをしていた人夫たちの耳に、何かが千切れた音が聞こえた。
「テメエの所為だろうがテメエのォォォオォ!」
びしばしびし。
「あれえ、ワタクシその趣味ありませんってば、坊っちゃん!」
「少しは口を閉じろおおおおおおおおお!!」
容赦のない蹴りが入り、リ-ブスがカエルのつぶれた様な声を上げた。
さすがに悶絶したその顔にわずかに笑みが見える気がするのは気のせいだろうか?
二人の異国人が取っ組み合いをしている頃、テントの上空ではやっと太陽が出始めた。 薄い雲が急速に消えてゆく。
うまくいけば、夜になるまでにイェナの街に着けそうだった。
◆◆◆
その頃ファルシオン帝国では、一人の若い文官が地下牢に引かれていくところだった。 その顔には疲労が濃い。だが目の奥にはまだ光があった。心はまだ死んでいない。
(まだ、死ぬ訳にはいかないな。ボクはこの国を止めてみせる、必ず。そして生き残るんだ。……生まれ変わったはずのあの国を、まだ目にしてはいないのだから)
歴史の歯車が回り始めた。
何かが、始まろうとしているのだ。
この砂漠の大陸で。
この世界、この星の運命を左右する何かが。
そして今日という日が暮れた。
明日が来る。その先に続くかどうかを決めることとなる明日が。
嵐の予感は、だれの目にも見える現実になろうとしていた。
第二話 「時の歯車」 了.
次回、第三話 「激動」へ続きます。




