第一話 『予感』
ここから、本編です。よろしくお願いします。
プロローグ(時代不明)
夢の中で、彼は見ていた。
懐かしい光景を。
故郷の景色、木々と緑、仲間たち、与えられた任務。大プロジェクトに選ばれた誇り。
だが、すぐにそれは悲しい光景に変わる。
任務の失敗、失意、なじり合い、些細な原因によるケンカ。
そしてようやく帰り着いた場所で見た、絶望。
彼と仲間たちは選ばれた者のはずだった。失敗してそれでも、種族の母星を目の当たりにした星の英雄のはずだった。
それが、任務に失敗し収穫なく帰り着いた彼らを支える、最後の砦だったのに。
彼と仲間たちは迎えてもらえなかった。受け入れてもらえなかった。
もう一度ここでも活躍すれば。役に立てば。そう思い、不満を、不審も後悔も心を押し殺し全てそれに賭けて行動した。自身の充足の為に他の誰かを傷つける事を選んだのに。
すべては終わった。
彼らは裏切られ、見捨てられたのだ。
またも、すべてに・・・・・・。
「うぅ……うあぁ…………」
透明なカプセルの中で彼は呻く。
カプセルの周囲には管や配線が散乱し、まるでゴミ溜めのようだ。少し水が漏れている。
それ以外は何も無い。低く静かな規則正しい機械音のみ。
部屋を囲む壁は金属のようだ。が、腐食が激しい。埃もだ。誰かが歩けば深い雪原のような足跡が生まれるだろう。まるで何百年も放って置かれていたかのよう。
だが、それが起こることは永久に無いだろう。奇怪なことに、その部屋には扉も、十分な大きさの通風孔さえも、何一つ存在していなかったのだから。
「なぜだ……人々よ……わがふるさと……なぜだ、我ら……ネ…ンデ…タ、ル……の……」
また彼の呻きが響く。夢は続いているのだ。
思い出しているのか。さらに過酷な出来事の数々を。
「コンピューター………月…エネルギ……ィ……人の………いのち………」
ガラス越しに光るものがある。
「手遅れだよ……あはは………あは………は……」
涙がひとしずく、横たわる彼の耳元を静かに流れた。
今、彼は一人きりだった。
この部屋には他に誰もいない。居たことも無い。
なぜ? 仲間はどうした? この部屋の中にはどうやって入ったのだ?
その問いに答えられる者は、まだここにいない。今は、まだ……。
ブー……ン………
ピーー……………
規則正しい機械音がわずかに変化した。申し訳なさげに赤いランプが点滅し、小さな異音が静かに響いた。カプセルの蓋がもうすぐ開くのだ。が、それを見る者はいない。生命あるものは誰もいない。
そう、彼はずっと。どこまでも独りきりだった。
『G r a n d R o a d Ⅵ ~Open the Cross Road.~』
~ グ ・ ラ ・ ン ・ ロ ・ ー ・ ド ~
我が同胞よ 大いなる地
迫り来る影と光
水無き砂原 黒き空
ともに
根を同じくする人々よ 共に
貴方よ 貴女よ
受け入れてはくれまいか
我らに祝福を与えてはくれまいか
笑顔を
信じて欲しい、 本当に
あなた方の心が優しさに満ちているという事を
確かめたかっただけなのだと
我らはただ
ここに 帰りたかっただけなのだ
「帰還者の手記」より
記述者:ナニール・オルスリート
第①話 予感 [NC.500、花月20-21日]
……ここはどこだろう。
今、僕はどこにいて、何をしているんだろう。
上を見上げる。満天の星。散らばった砂糖のような銀河の流れ。色とりどりの恒星たち。
そこにあるだけで胸を打つ、自らの力のみで闇を照らす星々の海………。
そうだ……僕はあそこへ行きたかった。
あの場所へ行って、僕を産み出した存在を外から眺めてみたかった。
過酷な場所なのは知っていた。魂すら吸い込む虚無の時空。
でも、行きたかった。
理由なんてどうでも良かったんだと思う。
そこに、無限のフロンティアがあるのに出て行かないなんて、耐えられない。
ただ、それだけだったんだ。
だから僕は、この星の人間だけの力で造られた初の深宇宙恒星間宇宙船に、密航したのだ……………。
「ファング、起きたかい」
誰かが入口の布を開けて入ってきた。
ファングは日ざしの強さに眩みながらも目を開ける。大きく開けたつもりなのに、まぶたが重く睨むような細目になってしまう。頭が痛い。沈むように、ゆっくりと、ようやく静かに天幕の白が脳細胞に染み込んできた。
オアシスとはいえ砂漠は砂漠なのだ。今日もまた、キツくても「生」を実感させてくれる程暑くなっていくのだろう。
「良く寝てたね。起こしてしまって悪かったかな。まあ今までが野宿だったんだから、今日ぐらいもう少しゆっくり寝てなよ。コ-ルヌイさんもさ、今日は修行休んでいいって言ってたよ。今日だけだぞって伝えて下さいって頼まれたんだ」
少年が一人、開けた布の奥から日差しに負けない笑顔を見せた。
コ-ルヌイさん。二年前に助けてくれた師匠の事だ。その後何故かいつの間にか弟子入りした形になってしまっている。昨日は確か……。
そこまで考えてようやく思い出す。昨夜は師匠の知り合いのいるオアシスに泊まったのだ。
……いや、知り合いだった、というべきか。なにせその人はもう亡くなっていたらしいから。三年前のことらしい。今の長とは、僕と会う前に一度だけ会っただけだという。
それでも、まだ17才の若い長は歓迎してくれた。歓迎されすぎて勧められた酒をつい飲んでしまったのが、この痛みの原因だった。
「何か夢を見てたみたいだね。嬉しそうに笑ってた。ね、どんな夢だったの?」
さっきから入り口の布を片手で跳ね上げ喋っている褐色の肌の少年が、このオアシスの年若い新しい長だった。
三年前から伸ばし始めたという黒く光る長い髪を後ろで縛り、褐色でありながら黒檀のような質感の肌を持ったその少年は、深く光るその紅茶色の瞳の奥で静かに優しく微笑んでいた。
(ナハトさん、だったかな)
思い出した途端、自分がずっと横たわったまま黙って見ていたことに気づく。
ファングは慌てた。泊めてもらっている場所の長に対してあまりにも失礼すぎる。
「す、すいません! 別に無視してたわけじゃなくて、えっと夢ですよね………あ、あれ? すいません、忘れちゃいまし……………うあっイタタタタ!」
「ハハ、二日酔いみたいだね。顔洗ってきなよ。このオアシスの朝の水の気持ち良さは、格別なんだよ?」
自慢なんだ。そう云って破顔する少年の顔からは、先ほどの威厳は消え、だが暖かい無邪気さに満ちて、年相応の少年に戻っているように見えた。眩しそうに目を細めてそれを見る。ファングには、白い歯だけでなく全体が綺麗に輝いて見えていた。
「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて」
「ね、ほとんど同い年みたいなもんなんだからさ。敬語はやめようよ。変だしさ」
長年の友達のように気安い態度、だけど人柄か、少しも不快にはならなかった。
「うん……そうだね、ありがとう! じゃ、行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい! あ、朝飯できてるから後で昨日の所に食べに来なよね」
湖の水はナハトの言った通り冷たく、気持ち良かった。少しばかり中まで入って上半身にも水をかける。シャツが濡れるが、この暑さならすぐに乾くだろうから気にしない。
思う存分水浴びしてから、ファングは村の中央の食堂へ急ぐ。目が覚めたら腹が減ってきたのだ。食堂はこの辺では珍しい木で出来た建物で、砂粒が入らないようにちゃんと木の板で壁と屋根が作ってある。最近年若い長が考案して作ったものだということだ。
急いで入り口の方へ向かう。頭がすっきりしてきた途端、お腹がペコペコになっていた事に気づいたのだ。
「おっ、と」
「うわっすいません」
横のテントの角から出てきた男とぶつかりそうになって止まる。危なかった。
男の顔には見覚えがあった。確か昨日の宴会で紹介されていた人だ。見上げる程の大男で、この辺りでは珍しい金髪翠眼。デュランという名前で、このオアシスの自警団長のような人らしい。
「本当にすいませんでした! お腹が減っていて目の前しか見えていなくて……」
言ってて自分で情けなくなった。正直すぎる説明に大男は可笑しそうに破顔する。
「気にするな、お互い何ともないようだしな。それより、急ごう。そういうことなら早く行かないと無くなるぞ、飯」
「ええっ本当ですか?」
大男、デュランは声を上げて笑った後、声をひそめて囁いた。
「あぁ、ここだけの話、実はこのオアシスには人の数倍は食う妖怪胃拡張少女がいてな……」
「あら、なぁんか言ったかしらそこのどでかいデカブツは?」
大男のすぐ後ろから澄んだ少女の声が聞こえた。なぜかデュランは巨体を硬直させる。
その横から、ラ-サという名の少女が顔を見せた。確か11才で、何とその年でこの村の唯一の呪い師だという。
ちなみに呪い師というのは、薬を作ったり、病気を治したり、儀式を行って祈ったり、祭りを取り仕切ったりする人らしい。小さいのに凄いな。今はその綺麗な顔に、こめかみに血管が浮いていたりするけれど。
(でも、なんでこんな大きな人がそんなにビクビクするんだろう?)
11才らしく体は150cmに足りない位だし、まだセクシ-とは言えないが、スタイルは将来を保証されているみたいに見える。それに、こんなに声も顔も可愛すぎる気さえする美少女なのに。ちなみにポニ-テ-ルがよく似合っている。
……苦手な相手なのだろうか。
「い、いや、何も言っていないぞ俺は何も」
「フ~ン、へ~え。何か聞こえたんだけど~。でかウドだけに空っぽの中身がカラカラとか鳴ったのかしらぁ?」
「さあな。多分そうなんじゃないか?」
「ああやっぱりぃ、ってんな訳ないでしょ! 人の数倍食う妖怪美少女って誰よ、ねえ」
「む、相変わらず地獄耳がいいな。ちなみに美とは言ってないぞ」
「ぬあんですってええ!」
「あ、ナハト!」
「いや-んナハトさま♡ 別にけんかとかしてるわけじゃあないんですのよ♡」
……なぜこの人が苦手にしてるかよおっく理解できた気がします。
(今のうちに逃げるぞ)
囁かれて次の瞬間、ファングは走って逃げるデュランの脇に抱えられ移動していた。
「あの……デュランさん? ナハトさん見える範囲内の何処にも姿が見えなかったんですけども」
「気にするな。それよりあいつがここにいるとなると、飯が残ってるか怪しいぞ……」
「ええっそんなあ!」
抱えられて運ばれながらも大声を上げて落胆する。ちなみに本気だ。
「……お前も案外面白いな」
もう一度上げた悲痛な声に、遠くでラ-サのわめき声が重なった。
結論から言うと、飯は残ってはいた。一人分だけ。
大男と二人で分けて食べる朝飯は、なんだか悲しい味がした。……旨かったけどさ。
「では、俺は仕事に戻る」
食堂の出口でデュランと別れ手持ち無沙汰になったファングは、コ-ルヌイを捜して、回る事にした。稽古をつけてもらおうと思ったのだ。
せっかく休みをもらっても、することがないのでは退屈なだけだ。
(昔、僕はどうやって退屈を紛らわせていたんだろうな……)
ファングには二年前より以前の記憶がない。コ-ルヌイに助けもらってからの記憶しかないのだ。
(どうして、師匠は何も教えてくれないんだろう)
立ち止まり、ラ-サと同じくらいの年齢の少年たちが3人で遊んでいる光景を、何とはなしに眺めて見る。
全部ではなくても、助けたときの状況だけでも教えてくれても良さそうなものだ。
そういう細かいところから繋がって、そのまた先まで思い出すかもしれないのに。
コ-ルヌイは何かを隠している。それは何だろう……?
二年間一緒にいるのに、信用されていない気がして寂しかった。
ふと顔を上げて空を見る。
(あれ?)
何かが神経に触れた。地平線の向こうを伸び上がるようにして見る。
「なんだろう、あれ……?」
地平線がだんだんと霞み始めていた。雲ではない。砂漠ではどんなに天気が荒れようとも雲が出ることはめったにない。
雨が降ることはある。だが、少量の雨は毎回たいした被害を出さない。この乾燥した大地で被害を出すのは……。
「砂……?」
見当もつかないほど大量の砂が舞い上がっていた。すぐに地平線が見えなくなる。
「嵐が、来るのか……」
近づいて来ている。舞い上げられた砂が擦れて電気を帯び、荒れ狂っているのが見える。数百mの高さに巻き上げられた砂と雷の狂演が、壁となって平和なオアシスを飲み込もうと近づいてきていた。まだ遠い。だが、どんどん近づいてきていた。ものすごい速さで。
他の人間も気づいた。子供たちが一目散に逃げていく。
これは、何かの前兆なのだろうか。爆発の爆風そのものが押しつぶしすり潰す為に近づいてくる。水の代わりに砂が舞う。左右の地平の彼方まで砂嵐の壁が世界を覆う。あまりに禍禍しいその光景が、ファングには見た目だけではない「何か」を暗示しているように思えてならなかった。
雲一つない蒼穹の空の下、目に映らない暗雲を連れて。
嵐が、来る。
◆◆◆
祭りの準備が始まっていた。もう夜になろうとしているのに誰も終わろうとしない。まだ当日までは数ヵ月あるが、今年は記念すべき百年祭だ。国ができて百年たった。新生暦も500年を数え、キリの良さのお陰か街の皆も気合いの入りようが違う。
国中からさまざまな技術者や商売人が集まって来ている。彫刻師も大勢参加し、巨大な彫刻を彫り始めているのが王宮の窓からもよく見える。兵士たちも今年の祭りを思い描き、顔をほころばせて仕事の合い間に眺めている。ここにいる、ただ一人を除いては。
王宮の二階、テラス状になった廊下をシェリア-クが歩いていた。心持ち早足だ。
シェリア-クは、前から歩いてくる人間に片っ端から声をかけている。何かを訊いているのか。
また一人つかまった。
「そこのお前、兄上がどこにおられるか知らぬかッ」
「こ、これは王弟殿下。陛下ですか? いえ、今日はまだお顔を拝見してはおりませんが……」
「そうか……邪魔をしたな」
それを聞くと後はどうでもいいらしく、文官を残してシェリア-クはまた歩いて行く。
(ク……、どこだ、どこに居るのだ兄上……!)
歩きながら手に持った報告書をもう一度眺める。それは、手の者に調べさせたここ数日間のアリアム王の行動記録だった。そこに書かれていたものは────
シェリアークのまなじりがつり上がり火を放っていた。はらわたが煮えくり返るとはこのことを云うのだろう。
(迂闊だった。ずっとこちらの言う通りに動いていると思っていたら、夜のうちに抜け出して、得体の知れない連中などと密会していたとは……!)
この三年間、思惑通りに動いていたと安心していたらこれだ。
しかも、自分がそれにまったく気づいていなかったなど!
(いつからなのだ!? いったい何をこそこそと! やはり、あの時あの女を失ったことは痛手だったということか。こういう時の為の人質として充分役に立てられたものを、くっ……今ここにあの男がいてくれたら……)
シェリア-クは三年前に自らが送り出した男を思い浮かべる。この三年、思わなかったことはなかった。気まぐれにあの男を送り出した自分の愚かさを何度悔いたことか。
(何処にいる、コールヌイ。早く、早く帰ってくるのだ。もう小瓶などどうでもよいから私を、……私をさっさと助けに来ぬか!)
渡り廊下を抜け、東塔に入る。階段を上がる。
この場所には三年前から女性が一人住んでいる。とある事情でアリアムが引き取った女性。
亡国の王女らしいが、シェリアークにとって消えてしまった国などはどうでもいい。何の付加価値もない。最初はただ少しでもアリアムの負担になればいいという程度の認識だった。
部屋を用意しこの場所に住むことを許したのも、三年前に死んでしまった女の代わりにアリアムへの人質に使えそうだと思ったからだ。ときたま会話をしに足を運ぶ事も、それとなく駆け引きに使えそうな事柄を引き出す為に過ぎなかった。
だが、最近自分でもわからなくなる時がある。
本当にそうなのだろうか。自分は本当にそれだけの為に、毎日のようにここに通ってきているのだろうか。
答えの出ないまま、シェリアークは、今日も女性の部屋の扉を叩く。
「……どなたですか?」
「わたしです、レン姫。シェリアークです。中に入れて頂けませんか」
「あ、シェリアーク様。今開けますわ。蒼星、お願い」
「はい、姫様」
開けられた扉から中に入る。何気なく横に目をやると、室内なのにターバンを頭に巻いた女が一人、扉を開けた姿勢で腰を曲げ、微動だにせず畏まっている。
その姿は礼儀正しいというより慇懃無礼で、シェリアークをいつもの通り不快にさせた。
(身代わり風情が……)
三年前、アリアムと共に保護した少女がいた。アリアムに対する人質のつもりだったが、気を抜いた隙に死なれてしまった。その時、代わりのようにアリアムが連れてきたのが蓮姫だった。だが蓮姫は少女の知り合いだったせいで、何十日も寝込んだまま起き上がろうとはしなかった。
そこへ偶然(……かどうかは怪しい所だが)、アリアムは似た女を見つけてきたのだ。
そしてその女を身代わりに仕立て、蓮姫には彼女は辛くも命を取り留めたと伝え、侍女につけた。シェリアークも書類上の事で手を貸した。小さな弱みを握ったつもりだった。
だが最近、その行動が正しかったかどうか疑問に思うようになった。その上ここの所のこの侍女の妙に反抗的な態度も気に食わない。
心で舌打ちしながら女性、蓮姫に向き直る。作ったものではない笑顔が出た。
「こんばんは、姫。相変わらずお綺麗であらせられる。突然訪ねてきてしまい申し訳ありません。こんな時間にご迷惑ではありませんでしたか?」
「いいえ、食事は先ほど終わった所ですから。今も蒼星と、今夜はどうやって退屈を紛らわそうかと相談していたところですわ」
「そうなのですか? それは申し訳ありませんでした。お邪魔でないのは何よりですが、そういう事なら、今度知り合いの曲芸師でもお呼びしましょう。きっと気に入られると思いますよ」
「まあ、有り難うございます。その時は、その場に呼んで頂ければ嬉しいですわ」
花のような微笑み。シェリアークは、自分の中の苛立ちが消えていく気がした。顔が赤くなっている事を、彼は気付いているのだろうか。
「……姫。よろしかったら今度、お食事などご一緒にいかがですか。料理長が新メニューを開発したらしいのですよ」
「光栄ですわ。……あの、その席には、アリアム様も来られるのでしょうか?」
僅かに照れながら言う言葉。その何気ない一言に、シェリアークの穏やかな笑みは消えてゆく。自分でも理解できない感情で心がかき乱される。
なぜ、この人は自分のものでは……おのれに応えてもくれない人間にいつまでこの女性は!
「最近あの方はお忙しいご様子で……、あまり会いに来て下さらないのです。なんだか寂しくて……」
「………。レン姫、実はわたしも今朝から兄上を捜しておりましてね。つかぬ事をお尋ねしますが、兄上がいまどこにおられるかご存じではありませんか?」
「アリアム様が、ですか? いえ……あの方に何かあられたのですか……?」
心からの心配そうな顔。頭は熱いまま、シェリアークの心は次第に冷えていく。先ほどまでの苛立ちと焦燥感を思い出し、突き動かされ、今までになく黒い気持ちに支配されて行く。
三年間待った。それでも気付いてもくれないのか。自分がアリアムに相手にされていないという事に。その事実に! どうしてなのだ……こんなに優しくしているのは自分なのに、自分だけだというのに!
意識が次第に矛盾してきていた。シェリアーク自身が己の気持ちにハッキリ気がついていない故に、自分が何に怒りを感じているのかまで分からなくなってきているのだ。
もう、限界だった。
「ええ、あったのです。兄上には今、ある疑いがかかっているのですよ、レン姫」
口元が歪む。言わないでいい事を口に出すのが止められない。
「疑い、ですか……?」
「はい、それも騒乱罪、あるいは国家反逆罪というべきものがね」
「!? まさか、そんな!」
レン姫の表情が歪む。知らず、口元を手で押さえるのが目に入る。
世界が歪み、愉悦が、込み上げてきた。
「……フ、あの方が王でなかったら、反乱罪と呼ぶべき事態でしょうね」
「嘘、なのでしょう? そうおっしゃってくださいシェリアーク様……!」
「なぜ、わざわざわたしが嘘をつく必要があるのです?」
「どうして……どうしてなのですか……」
反転、瞬間的に苛立ちが最高潮に達した。
「ご自分がこちらにいるのに、とでも仰りたいのですか?」
「………っ!!」
言った瞬間後悔が襲う。なのに、彼は続けてしまう事を止められなかった
「そんなに、想っておいでですか……兄上を………ッ。ではさぞかし悲しんでおられるでしょうな、三年もの間ご自分に一度も手を出してもくれないことをね!」
「っ!! ……酷いっ………そんなこと……!」
気づくと後ろで、現在蒼星と呼ばれる人物から刺すような殺気が放たれていた。
「殿下!! その言葉は蓮姫に対する酷い侮辱です! 貴方が……貴方が言っていいことではない……っ! それだけはせめてこの場で訂正して頂きたい!」
カッとなった。
「黙れ下郎!! 侍女風情がこのわたしに意見するな!!」
「私達の事を何も知らない方が蒼星に、私の大事な幼馴染に酷いこと仰らないでっ!」
自分のこと以上に泣き顔で抗議する蓮姫に目を向けられず、視線をそらせる。
水をかけられた気がした。いつの間にか本格的な言い争いの感を呈してきている。
どうしてこうなる! なぜこうなったのだ!? わたしは、ただ……。
二人からの罵倒に耳の奥がキンと凍み、凍てついていく。
……もう、どうでもいい。口元が薄く吊り上っていくのが分かった。
王族でありながら全てを諦めることに慣れてしまった少年は、自らの想いに気づく前に己の手でとどめを刺す。
気配を察した侍女が言葉の途中で止めに入ろうとし、間に合わなかった。
「幼なじみ……? フッ、ハハハハハ、お可哀想に。何も、何も知らないのは貴女の方だ。その女は貴女の幼なじみなどではない。そして兄上が貴女をここに置いておくのは単なる義務感からでしかないのだ。お可哀想に……貴女は……貴女は兄上とその女にずうっと騙されてきたのですよ、レン姫───────ハハ……ハハハハハハハッ!」
誰も、何も言葉を発しない。呼吸音すら聞こえない。鼓動すらも動きを止めた気がした。そして部屋の空気だけが静かに、残酷に凍りついていった。
第一話 「予感」 了.
次回、第二話 『時の歯車』へ続きます。




