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第五章 クローノ (転) 1

 暑い季節に入っていた。

 クロ-ノ達が旅に出てから、さらに半月が経っていた。



「クロ-ノ……。今、どこにいるのか……」


 例の中庭のベンチで、今日もプル-ノは俯いて座っていた。

 せめて、何か連絡が欲しかった。

 確かに、置き手紙には、「ごめんなさい。見つけるまでは帰らない」と書かれていた。しかし、何の連絡もないのは、やはり寂しい。

 その上、神殿では今、代々集められてきた古代機械が盗まれる、という事件が相次いでいた。昨日などは、奥院で保管されていた封印品まで盗まれたという。


(神殿は変わってしまった。皆、殺気立っている。スパイを「見つけ次第殺せ」だの、仕事で怪我をした者に対して「たるんどる!」だの……。これが、ルシアの民の姿なのか? これが、ルシアが体を張って救った者達の末裔なのか…?)


 プル-ノには解らなくなっていた。半世紀以上もの間信じ続けてきた事が、本当に正しいことだったのか。


「クロ-ノ……帰ってきてくれ」


 そう俯いたまま呟くプル-ノの耳に、誰かが近づいてくる足音が聞こえた。

 俯いたまま尋ねる。


「誰だね」


 相手は答えない。


「? 何の用かな、聞いて欲しいことがあるなら言ってみなさい。こんな老人で良かったら」


 その言葉を受けて、相手が口を開いた。

 その声を聞いて、プル-ノが驚いて顔を上げる。


「き、君は……! なぜ君がここに!? あの子はずっと、今も捜し続けているのだぞ!」


 相手が言葉を返す。


「そんな……それでは、君たちなのか…? 何故だね、どうして……。君だって神殿の一員ではないか……」


 その言葉は、相手の逆鱗に触れ、怒髪天を衝いたようだった。相手が言い返す。


「それは……しかしあの場合は仕方なかったのだよ…。今はとても大事な時期で……。それにこれまでだって何度も同じようなことが……」


 プル-ノは突然掴みかかられていた。


「私だって、良いと思ってなど……いない。……しかし……古代、機械を集めること、は……500年前のあの……悲惨な、戦争を……二度と、起させない……為の……重要な……うう」


 突き飛ばされて転がったプル-ノは、胸を押さえた。動悸がおかしい。


「待て,待ってくれ! また、姿を隠すのか……!? まだ、君には訊きたい事が……うう……っ」


 膝をつく。押さえた奥がチクリとした。



 昼休みが終わり、神官長を呼びに来た若い神官は、中庭のベンチの横に倒れているプル-ノを見つけた。

 彼は、自分の口が信じられない声で叫ぶのを聞いた。

『神官長、襲われて重体』。そのニュ-スは、瞬く間に国中に広がっていった。


       ◆  ◆  ◆


「この辺りの遺跡はさっきのもので最後のはずだから。次は、街に行って聞き込みをしてみようと思う」


「…………………そう」


(まだ、まともに口を聞いてくれない……か)


 あれから幾日経ったろうか。

 10日以上は経っているはずだ。

 彼はいまだ【答え】を見つけられないでいる。

 その間、ア-シアの方からクロ-ノに話しかけることは皆無だった。

 しばし見つめていたが、居たたまれなくなって、クロ-ノは地図に目を落とす。


(あれ? こんな所にも未調査の遺跡が残ってるんだ? すぐ近くだな……)


 ア-シアを盗み見る。


(捜索に……行けそうもないな。まあ、こんな小さな所にはいないと思うし。少なくとも、洞窟につながる遺跡には姿がなかったんだ。生きているなら、……そうでなくても、あの街なら手がかりが見つかるはずだ。この辺りで一番大きい街なんだし)


 そう思い、ア-シアに、もう少し急ごうと声をかけようとした、その時だった。

 ガ サ ガ サ ッ 

 二人の目の前に、草むらから、いきなり覆面の二人組が飛び出した。

 二人とも懐に何かを抱えているようだ。


「何だ、あんたらは!?」


 クロ-ノは驚いて叫ぶ。

 二人組も驚いたらしく、至近距離で数瞬お互いに睨み合う。

 直後、二人組は顔を合わせて頷き、襲いかかってきた。


「何の真似だ!」


 削り直した短棍で迎え撃ちながら詰問するクロ-ノ。


「見られたからには生かして置けぬ」


「はぁ? 何だそれは! なんの理由にもなってないじゃないか、こっちは顔も抱えてる物の中身も見てないってのに!」


 だが後は何も喋ろうとせず、覆面は襲いかかる手数を増やした。鉄爪を打ち振う。

 クロ-ノも全力で迎え撃つ。

 30秒ほど打ち合ったろうか。クロ-ノの突き出した棍の先が相手の胸を捕らえた。 流星棍奥義、虎雷砲! 本気で打てば10cmの鉄板にも穴を開ける。

 相手は呻き声も上げられないまま、失神した。


(呼吸の読める相手は、楽だな)


 クロ-ノは、久しぶりに自分が免許皆伝の腕前だということを思い出していた。


「そうだ、ア-シアは?」


 振り向くと、驚いたことにア-シアは苦戦していた。

 向こうの相手のほうが数段強敵だったらしい。


「あっ!!」


 ア-シアの体を編み棒ほどもある針が掠めた!

 クロ-ノは考えるよりも先に走り出した。



「くっ」


 不覚を取った。これほどの相手とは思わなくて油断した。

 右手で小剣を構え、左手で投げナイフを投げる。避けられた。


「うっ」


 今度は右足の太股にまともに針が刺さる。足を止められた!

 残りの投げナイフは、あと6本。

 2本投げる。避ける方を予測してその場所に向かって跳躍し、斬る!


(ダメか……)


 また避けられた。予測はうまくいったのに、刺さった針の所為で一瞬遅れたのだ。


(死角に回られたっ)


 相手の手甲から伸びた鉤爪が頭上に落ちる! なんとか転がって避ける。だが避けた所へ数え切れない針が飛ぶ!

 やり返された! 避けられない、か……。せめて急所だけは。眉根を歪め腕を交差し、ア-シアは来るはずの痛みに身構えた。

 ザザザザザザザザクッ 。20近い数の肉に刺さる音がした。


(?)


 しかし痛みがない。構えを解き前を見て、絶句する。

 クロ-ノが庇うように自分に覆い被さっていた。



「これは麗しい事だ。手間が省けたわ。では、今度はお前の番だな」


 背に鉄針が無数に刺さった少年を驚きで見つめる少女に、賊が近づいて行く。

 少年の顔が見えた。


「ん? これは驚いた。神官長の養子ではないか」


 少女がキッと顔を上げる。


「こんな所で何をしておる…? おおそうか、あの少年を捜しているのだな。残念ながらここにはもう居ないがね。それより、君も親不孝者だな。養い親に何があったかも知らんのかね」


 ピク、と少年が動く。


「ほう、まだ生きておるか。知らぬようだから教えてあげるとしようかの。一昨日聖都で君の義父殿が襲われたのだよ。重体だそうだの。しかし、残念だ。君は見舞いに行けそうもないのぅ。いや、会いには行けるか? あの世での」


 両手に数十本の針を取り出し構える。


「行動中の我々に出会ってしまった不運を嘆くがよい」


 腕を振り上げたその瞬間、座り込んでいたはずの少女がかき消える。


「何!?」


 右側からナイフが飛んでくる! しかし。


「ホッ、何処をねらっている?」


 2本のナイフは、まったく別の方向に逸れていた。その後の2本も同じだ。


(フン、思ったほどではなかったのう)


 キキン!


「な、に…!」


 後ろで金属音がした直後、ジニアスの背中と脇腹にナイフが2本刺さっていた。



「く、空中で、先行するナイフにナイフを当てて、方向転換させたのか……」


 説明する前に、覆面が技を解説してくれていた。手間が省けて良いことだ。


「名前はないわよ。技に名前をつける趣味はないから」


 ア-シアは敵の動きを睨みながら、構える。


「……少しばかり見くびっておったようだ。今回はこちらが引こう。しかし、すぐにまた会いに来る。待っていることだの」


 そう言うと、覆面は仲間を担いで走っていった。


(助かった……)


 あのまま続けていれば間違いなくやられていただろう。

 急いでクロ-ノに駆け寄る。足の痛みは忘れていた。



 抱き起こされたのが判った。意識が痛みで浮上する。


「どうして……? 馬鹿じゃないのあなた!?」


(ア-シアか……)


 その無事な姿と声に、ホッとして口元がわずかに緩んだ。目が開けられない。開けられないまま質問に答えていた。


「多、分ね……。ぼくには、これくらいしか思いつかなかったんだ。きっと、君のいう通り馬鹿なんだろう……」


「今は喋らないで馬鹿!」


「ぼくは、今まで、信頼を勝ち取る努力をしてこなかった…。必要なかったからだ。優しい人は最初から優しかった。そういう人は、ぼくが何をしても、可哀相だから守らなきゃとか思うらしくて、優しいままだった。逆に、冷たい人はとことん冷たかった。何をしても、何を頑張っても、ぼくのことを好きになってくれなかった。だから……、君のように、気持ちを変化させる相手は、初めてだったんだ。自分の努力次第で評価を変えると言ってくれる君は、新鮮だった。とても、新鮮だったんだ!」


 クローノは浮かんでくる激情のままに叫んでいた。怪我で声は小さかったが、叫びはちゃんと叫びとして届いていた。


「あなたは……。……だからって!」


「あれ以上傷ついて欲しくなかったんだよ、君に。君は、ぼくにとって大切なことを教えてくれた。誰も教えてくれなかったことを教えてくれたんだ……! でも、ぼくは馬鹿だから、きっとこの答えは間違ってるんだろうな……」


「大間違いよ!! ここまで大きく間違った人は初めてだわ!」


「はは……やっぱりね……」


 哀しくなって胸が詰まった。だが、


「でも、ここまで真剣に悩んだ人も、初めてだわ」


 直後に聞こえた優しい口調に、未だ目を開けられないまま驚いた顔を向ける。あんな優しい言い方など、神官長様から以外聞いた事がなかったからだ。驚きで苦しさが消えていた。


「……え?」


「危なっかしくて、しょうがないわよっ。正解を出すまで簡単に死なれちゃかなわないわ……!」


「え……! あの、それって、どういう……?」


「正解を出すまで居てあげるって言ってるのよ! パ-トナ-解消は延期します。だからさっさと起きなさい、クロ-ノ! 神官長に会いに行くんでしょう? このまままた眠ったら本当に置いていくわよ!!」


 クロ-ノは必死で急いで目を開けた。痛みなど関係ありはしなかった。



 クロ-ノを背負ったまま、ア-シアは山を下り街に向かっていた。

 クロ-ノはあまりに無知で、世間知らずだ。でも、その分、伸びるかもしれない。ア-シアには目的があった。その為には稼がなくてはならない。それを考えると、今の彼はベストと言えない。でも、新しいパ-トナ-を捜すなんてことをするくらいなら。


(こうなったらわたしがこの人を育てて見せるわ。完璧(パ-フェクト)な人間に育てて見せるわよ! 今この人を認めていない人達すら認めざるを得ないくらい、完璧にね)


 背中ではクロ-ノが、痛みに耐え、眠らないように自分で自分をつねっている。

 歯を食いしばったその顔を見て、ア-シアは笑いがこみ上げてきた。


(クスクス……大変そう。でも、やりがいはあるかもね)


       ◇  ◇  ◇


「首尾はどうなっている?」


 またも開会された19人議会を終えて帰ってきたナ-ガは、開口一番そう尋ねた。


「は……、首尾は、上々で」


 廊下の暗闇から、苦しそうな声が答えた。


「ん? どうした。怪我でもしたかい」


「はい、少々不覚を取りましての」


「ほう」


 若き司祭は少しばかり興味を引かれた。


「お前ほどの腕の持ち主がね。誰が相手か知らないが、油断したとはいえ、傷を負わされたのか」


「お恥ずかしい限りで……」


「ふむ。お前よりも強い(やから )など、1対1では、最盛期には彼の帝国中を震え上がらせたという暗殺集団【深紅の杖】の実行部隊、【アサシン】くらいではないのかな?」


「光栄ですな。しかし、わたくしよりも強い者など大勢居りますよ。砂漠の国の影頭とか。まあ、今回は違いますがの」


「その運の良い輩の名は、何というのだ?」


「本人の名前は解りませぬ。しかし、パ-トナ-の名前は存じております。いま倒れられている神官長の御養子、クロ-ノ・アス・フォ-ス」


 それを聞いて、ナ-ガの眉が軽く上がった。


「ほほう、あの坊やか。現在行方不明と聞いていたが……」


「それが、この間仲間に引き入れた少年を捜していたようでして」


「何故だ?」


「親友、というやつだそうですな」


 ナ-ガの目が小さく丸くなった。


「は……? 何だそれは。今時まだそんなものを信じている者が居たのか?」


「ですから、坊やということなのでしょうの」


「なるほどなるほど……。くっ、ふっはっはっ。久しぶりに笑わせてもらったよ」


 腹を抱える。何故か、少し悲しそうに。


「……なあジニアス、お前は……」


「は、何ですかの?」


「……いや、いい。その相手は、お前に手傷を負わせて調子に乗っていると思うかい?」


「で、ありましょうな」


「なら、そいつに借りを……、いや、身の程を知らしめしてやりたくはないか」


「お膳立てして頂けるので?」


「たまには、そういうのも良かろうよ。少しばかり勿体ない気もするが、ね」


「ですな」


 二人分の忍び笑いが、他に誰も居ない廊下にこもる。


「あの少年を呼べ。おっと、その前にクロ-ノ坊やのことをできるだけ詳しく教えろ。お前なら、もう調べてあるのだろう?」



「俺に何の用です」


 慇懃(いんぎん)さの欠片(カケラ )もない態度で、少年、アベルが部屋に入ってきた。


「そう邪険にしないでくれ。悲しくなるではないか」


 さらにきつく睨まれて、ナ-ガは苦笑をかみ殺した。

 できるだけ顰めっ(しかめっつら)を作って話し出す。


「頼みがあるのだ。実はな先日、君たちを指揮しているこの男が手傷を負わされた。相手の名は、クロ-ノ・アス・フォ-スと言う。知っているな?」


 少年の体がわずかに震えた。顔の色が変わる。


「まあ、本当の相手は、彼のパ-トナ-なのだがね。どうした? 顔色が悪いぞ? フフ、頼みというのは他でもない。この男が借りを返したいと言っていてな。しかし、その相手はいつもクロ-ノと一緒にいる。二人掛かりでこられては、分が悪いとは言わないが、少々面倒だ。だから君に一緒に行って、クロ-ノの方の相手をしてもらいたいのだよ。なに、彼は今怪我をしているらしい。大した仕事ではないさ」


「……………………………」


「どうした? この間誓った言葉を忘れたなんて言わないよねえ?」


 アベルは顔を上げて相手を睨んだ。


「それは……、命令なのか……」


「頼みだといったろう? きいてもらえないと困る頼みだがね」


「くっ!」


 ギリ……。歯ぎしりの音が響いた。


「…………………、……解った……」


「有り難う。助かるよ。これが終わったらあの娘の眠る場所を教えよう」


(無事に終わったら、な)


 ナ-ガはにこりと微笑んだ。



 二人が出ていった。


「行ったか……」


 ナ-ガは椅子に座り、肘掛けに手を掛けてドアを眺めた。


「賊の首領が決闘、このことを神殿に知らせれば、神殿は動く。そして手薄になる」


 言葉の内容とは裏腹に口調に力がないこと、本人は気付いているのか、いないのか。


「帝国、か……。戻れるというのに、なぜ気持ちが騒がんのだろうな……」


 酒ビンに手が伸びる。


「友、……か……」


 グラスを押しやり、そのまま浴びるように口をつけた。



「間違ってたら済まないが」


 アベルは隣を歩く男に訊いた。


「アンタ、ジニアス・マク・べだろう。3年前行方不明になるまで、最高のスカウト隊長と呼ばれてた……」


「何故、そう思うのかね」


 歩みを緩めずに男が訊く。


「ジニアスには際立った特徴があったという。家の中でも覆面を被っていたことと、三十代前半のくせにジジイ言葉を話したということの、二つな」


 男が立ち止まる。


「それで、もしわしがジニアスだったとして、それが何だというのかね」


「訊きたいんだ」


 アベルが男の前に回り込む。


「ジニアスも、失踪する直前、パ-トナ-を亡くしたと聞いた。そのあと、一体どうやって生きたのか、生きてきたのか……。アンタはどうやって心にケリをつけたんだ!?」


「……………」


「教えて、くれよ」


「知りたいか?」


「頼む!」


「……。わしはジニアスではないが、その答えはきっとこうだろうな」


 また歩き出しながら男は口を開いた。


「歩き続けることだ。何かを成すために。その人間も自分も、生きていたという事を時間(とき)が忘れないように、時間に忘れさせないように、刻みつけるために……な」


「…………。……できるかな、俺に」


「30男にできて、どうして若い君にできないことがあるのかね?」


 男が苦笑(わら)う。覆面の上からでも、顔全体で笑っているのが解る。

 それを見ていたアベルも、いつの間にかつられて小さく笑っていた。


       ◇  ◇  ◇


「神官長様……」


「おお……! クロ-ノ。来てくれた、のだね」


 プル-ノがベッドの中で手を差し出した。クロ-ノがそれを受ける。

 あれから5日。クロ-ノは神殿に戻ってきていた。

 勝手に抜け出して連絡もしなかったのだ。少なからず神殿から罰を受けるものと思っていたクロ-ノだが、今のところ何も言ってこない。

 倒れられた神官長をおもんばかっての事だとは思うが、少しばかり気味が悪い。

 しかし、元々どうなってもいいから、まずは神官長様のお見舞がしたい。そう思って駆けつけたのだ。だから着いてすぐに面会を申し込んだ。

 その日のうちにそれが通ったのも、彼にとっては嬉しい出来事以外の何物でもない。


「連絡もよこさず、お見舞も遅れ。申しわけ、ありません……!」


「来てくれただけでも、嬉しいよ。本当に……。……急がせて、しまったようだね。顔色が悪いよ。大丈夫かい?」


 実のところ、クロ-ノの怪我はあまり治っていなかった。内臓は奇跡的に外れていたが、運が悪ければ危なかったほどの怪我だったのだ。彼を診た医者がここにいれば、歩いているのを不思議に思っただろう。


「ぼくは大丈夫です。その分、ア-シアに負担をかけてしまいましたが。今、彼女は家で休んでいます。疲れたのでしょう」


「そうか……。彼女は、頼りに、なるだろう?」


「はい。とても」


 心の底から、返事をした。


「感謝をして、大事にしてあげなさい。きっと、君の力になってくれるはずだ。彼女は、良い娘、だからね」


「はい。ぼくも、そう思います」


「あれほど苦労していながら、あんなに、優しい娘に育ってくれた……。本当に、苦労、したのだよ、あの娘は……」


「神官長様。あまり無理に喋られるとお身体に障ります」


「良いのだよ、クロ-ノ。自分の体のことは良く解る。私は、もう長くない」


「神官長様! そんなことを言わないで下さい! お願いですから」


 プルーノは身を乗り出し、愛する息子の手をつかんだ。その目を見つめて口を開く。


「聞くのだ、クロ-ノ。君はこれから、私無しで生きていかなくては、ならない。きっと、これまで、以上に、嫌な事が増えるだろう。でもね、悲観してはいけない。自暴自棄になっては、いけない。君には、君が思っている以上に、能力(ちから)があるんだ。自分の、可能性を信じるのだ。そして、その上で、本当に大事なことを常に考えるのだ。人に言われたことではなく、自分で考えて、正しいと思ったことをしなさい。いいね」


「……はい。解りました。ですから、もうお休み下さいっ。お身体が……」


「あと、一つだよ。あと一つ。これを、言っておかなくては……。ゴホッゴホッ」


「神官長様!」


「クロ-ノ! 彼は生きているよ。この街のどこかにいる。この間、見たのだ。会ったのだよ私は」


「そ、それはどういうことです! まさか……。まさか、神官長様……。貴方をこのような目に会わせたのは……!」


「違う! 勘違いしては、いけないよ、クロ-ノ。彼の所為ではない。私の体は、あの中庭で話した5年前の日にはすでに、病魔に蝕まれていたのだ。それが、一気に出てきたに過ぎな……い」


「しかし、ならばそれを触発したのは!」


「クロ-ノ!! ゴホゴホゴホッ!」


 怒鳴り、プル-ノはまたむせる。


「彼を責めるな。彼には、わたしを非難する理由が、あったのだ。正当な、理由が」


「何なのです、その理由というのは!?」


「それはな………」


 耳を近づけて真実を聞いたクロ-ノは、愕然とした。


「そんな……! そんな馬鹿な! 神殿が、そんなことを!」


「事実、なのだよ。このわたしでさえも、例外ではないのだ」


「……そんな」


「クロ-ノ。先ほどの言葉を忘れるな。君自身の頭で考えるのだ。人の言葉を信じるのはいい。しかし、鵜呑みにするな。そして、味方を、間違えるな! 彼は、君の味方だよ。少しばかり、道に迷っただけだ。君が、彼の灯台になれ。今まで助けてもらった恩を返すのは今だぞ、クローノ。みんなを、助けてやりなさい。いいね……?」


「解りました。解りましたから、貴方にも……お願いですから貴方にも恩を返させて下さい! 死なないで下さい! 神官ちょ……プル-ノ父さん!!」


「……おお! 父さんと呼んで……ようやく、……有り難、う」


 身体を横たえながら目をつむるプル-ノ。痛みも当然あるだろう、だが、心の底から満足そうに笑っていた。そして、眠りにつく。


「父さん! 父さん!!」


 のしかかるように揺するクロ-ノを、部屋の隅に控えていた主治医が引き離す。

 そのままプル-ノを診察する。


「先生っ!」


「大丈夫。眠っただけだ。しかし、君との会見はここまでだ。君は、この人を興奮させ過ぎる。解るね」


「……はい、解りました。父さんをお願いします。失礼しました」



 神官長専用に設置された病室を後にして、クロ-ノは、神殿の廊下を歩いていた。

 久しぶりの道筋なのだが、感慨などは既に無い。

 そして、下を向いて歩いていたクロ-ノの目の前に、突然何人かの人影が立ち塞がった。


「よう、クロ-ノ。久しぶりだなあ」


「へへへ、今でもイジメられているのかなあ金髪ちゃんは?」


「お仕事は順調でちゅか?」


「今日は初めてのお使いかな~~」


 口々に、昔のようなねちっこい言葉が飛び出す。

 神官学校の時、クロ-ノをイジメていた奴等だ。2ヵ月たっても、何も変わらない、進歩の無い人間たちだ。

 クロ-ノは、自分の中で、何かが変わって行くのを感じていた。

 悪い方へなのか、良い方になのか。自分では解らない。けれど。


「どうしたんだよ? 何か言えよコラ!」


「きっとチビっちまって答えられないんだぜぇ、へへへ」


 こんな程度の奴等にイジメられて泣いていた事が、自分で信じられなくなっていた。


(こんな、ガキみたいな奴等なのにな)


「何とか言えって言ってんだろ-が!」


 胸倉をつかまれる。

 クロ-ノは初めて彼らの顔を見つめた。

 途端につかんでいた奴の手が離れる。


「ヒッ、お前……」


「な、何だってんだよ! そ、その目はよう!」


 別に睨んでいるわけではばかった。ただ、じっと見ているだけだ。

 視線を外さず、じっと。静かに。真っ直ぐに。


「な、何とか言えよコラ!」


 ボキャブラリ-の少ない奴等を一瞥してから、クロ-ノは押し退けて歩き出した。


「ま、待てやコラァ!」


 肩を捕まれて、振り返る。自然と落ち着いて声が出た。


「何か……?」


 不思議な、ありえないものを見るような目を向ける少年たち。


「な、何だってんだよっ」


「お前……、本当にあのクロ-ノか……?」


 軽く目を閉じてから、今度こそ、睨む。


「…………………」


真に強烈な視線を生まれて初めて全身に浴びた全ての瞳が、理解不能の恐怖に引きつり、全身を彫像の様に固めたままに揺れていた。


「今の私に触れるな。火遊びでは済まないぞ」


 そう言ってまた歩き出す。今度は、誰も呼び止めなかった。

 自分の呼び名が変わっていたことに、彼は気づいているのだろうか。

 後には言葉を無くした4人組だけが、広い廊下に残されていた。



 クロ-ノは、どうしたら親友を助けられるか考え続けていた。集中していた。それゆえに、さっき、一瞬だけ自分自身の呼び方が変わっていたことに気づかなかった。

 「僕」から「(わたし)」に。クロ-ノの中で、何かが変わり始めていた。


(さっき父さんに聞いた話が本当なら、アベルは自暴自棄になっているはずだ。そんな人間に、いったい何を言えばいいんだろう)


 判らない。解らない! クロ-ノは自分の経験値の少なさに、憤りを覚えていた。

 家の近くに帰ってきても、クロ-ノは考え続けていた。

 そのせいで、もう少しで飛び出してきたア-シアにぶつかりそうになる。


「ア-シア? どうしたん……」


「クロ-ノ! これを……!」


 差し出された紙切れを受取り、広げて見る。途端にクロ-ノの視線が鋭くなる。


「ついさっき、石に包まれて投げ込まれたの。これってやっぱり……」


「ああ、あの覆面、だろうな」


 果たし状。そして、その下に記されたもう一つの名前。


「アベル、……あの馬鹿、こんなとこに居るのか……」


 ア-シアが心配そうに訊いてくる。少女は、ここ数日無表情だった顔に表情が出始めていた。クローノだけが気づいていた。毎日の変わり様を見るのが楽しみなパートナーが、心配そうに聞いていた。


「どうするの?」


 大丈夫?とその表情がつぶやいている。そのア-シアを見て答える。


「僕は行くよ。アベルが居るなら、逃げる訳にはいかない」


 ア-シアが目を見開く。クロ-ノの中身の変化に気付いたのだ。


「クロ-ノ、あなた……」


 首を振る。


(いえ、それは後回しね)


「行かせる訳にはいかないわ。あなたでは勝てない。少なくとも、今のあなたでは」


「僕は君にも、すべての奥義を見せたわけではないよ」


「それでも! そんな問題じゃ、ないわ。まだ怪我も治っていないのに! それに、この果たし状はわたし宛てよ! あなたは、ついてくるだけって書いてあるわ。……確かに、それだけで終わるとは思えないけど……でも」


 それに、クロ-ノは頷いて答えた。


「うん。だから、君にも手伝ってほしいんだア-シア。アベル……あいつの力は、ぼくの全力と互角か、わずかに上だと思う。でも、負けるつもりはない。そして、あいつを殺す気もない。ぼくは、アベルを助けるとさっき誓ったんだ。あいつの、心を! ぼくは、あいつには、返せないほどの恩があるんだ」


「…………」


「ア-シア、君には、覆面の相手を頼みたい。もちろん、ぼくよりもずっと危険が大きい。この間のわずかな戦いでも、大変な相手だと判る。でも、頼む! 僕がアベルを説得する時間を稼いでくれ」


 頭を下げる。

 ア-シアが頷いてくれるとは限らない。そんなことは解ってる。これ以上ないくらい、無謀なことなのだ。


(でも、君にしか頼めない。君に、手伝ってほしいんだ!)


「あなただって、大変なのよ? 互角以上の敵を殺すことだって大変なのに、さらに助けるなんて」


「解ってる。でも、ア-シア! 行きたいんだ。今が、ぼくが……、変わることのできる唯一の機会な気がするんだ! 大丈夫、ぼくは死なない。頼むア-シア、信じてくれ! そして、……助けてほしい」


 ア-シアの目が見ていた。じっと、真っ直ぐに。自分の目を。

 じっと、待った。目を逸らしてはいけない。


「まだまだ、完璧な答えじゃないわね」


「……ア-シア……」


「ふふ、じゃ、行きましょうか」


「アーシア!! それじゃあ……!」


「あなたの未来を見せてもらうわ。途中で死んだら、ぜったい許さないわよ」



 二人が指定の場所に着いた時、指定の時刻を奏でる鐘が鳴っていた。

 それぞれの信念を持った者たちが、ゆっくりと歩みを止めた。



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