第五章 クローノ (転) 1
暑い季節に入っていた。
クロ-ノ達が旅に出てから、さらに半月が経っていた。
「クロ-ノ……。今、どこにいるのか……」
例の中庭のベンチで、今日もプル-ノは俯いて座っていた。
せめて、何か連絡が欲しかった。
確かに、置き手紙には、「ごめんなさい。見つけるまでは帰らない」と書かれていた。しかし、何の連絡もないのは、やはり寂しい。
その上、神殿では今、代々集められてきた古代機械が盗まれる、という事件が相次いでいた。昨日などは、奥院で保管されていた封印品まで盗まれたという。
(神殿は変わってしまった。皆、殺気立っている。スパイを「見つけ次第殺せ」だの、仕事で怪我をした者に対して「たるんどる!」だの……。これが、ルシアの民の姿なのか? これが、ルシアが体を張って救った者達の末裔なのか…?)
プル-ノには解らなくなっていた。半世紀以上もの間信じ続けてきた事が、本当に正しいことだったのか。
「クロ-ノ……帰ってきてくれ」
そう俯いたまま呟くプル-ノの耳に、誰かが近づいてくる足音が聞こえた。
俯いたまま尋ねる。
「誰だね」
相手は答えない。
「? 何の用かな、聞いて欲しいことがあるなら言ってみなさい。こんな老人で良かったら」
その言葉を受けて、相手が口を開いた。
その声を聞いて、プル-ノが驚いて顔を上げる。
「き、君は……! なぜ君がここに!? あの子はずっと、今も捜し続けているのだぞ!」
相手が言葉を返す。
「そんな……それでは、君たちなのか…? 何故だね、どうして……。君だって神殿の一員ではないか……」
その言葉は、相手の逆鱗に触れ、怒髪天を衝いたようだった。相手が言い返す。
「それは……しかしあの場合は仕方なかったのだよ…。今はとても大事な時期で……。それにこれまでだって何度も同じようなことが……」
プル-ノは突然掴みかかられていた。
「私だって、良いと思ってなど……いない。……しかし……古代、機械を集めること、は……500年前のあの……悲惨な、戦争を……二度と、起させない……為の……重要な……うう」
突き飛ばされて転がったプル-ノは、胸を押さえた。動悸がおかしい。
「待て,待ってくれ! また、姿を隠すのか……!? まだ、君には訊きたい事が……うう……っ」
膝をつく。押さえた奥がチクリとした。
昼休みが終わり、神官長を呼びに来た若い神官は、中庭のベンチの横に倒れているプル-ノを見つけた。
彼は、自分の口が信じられない声で叫ぶのを聞いた。
『神官長、襲われて重体』。そのニュ-スは、瞬く間に国中に広がっていった。
◆ ◆ ◆
「この辺りの遺跡はさっきのもので最後のはずだから。次は、街に行って聞き込みをしてみようと思う」
「…………………そう」
(まだ、まともに口を聞いてくれない……か)
あれから幾日経ったろうか。
10日以上は経っているはずだ。
彼はいまだ【答え】を見つけられないでいる。
その間、ア-シアの方からクロ-ノに話しかけることは皆無だった。
しばし見つめていたが、居たたまれなくなって、クロ-ノは地図に目を落とす。
(あれ? こんな所にも未調査の遺跡が残ってるんだ? すぐ近くだな……)
ア-シアを盗み見る。
(捜索に……行けそうもないな。まあ、こんな小さな所にはいないと思うし。少なくとも、洞窟につながる遺跡には姿がなかったんだ。生きているなら、……そうでなくても、あの街なら手がかりが見つかるはずだ。この辺りで一番大きい街なんだし)
そう思い、ア-シアに、もう少し急ごうと声をかけようとした、その時だった。
ガ サ ガ サ ッ
二人の目の前に、草むらから、いきなり覆面の二人組が飛び出した。
二人とも懐に何かを抱えているようだ。
「何だ、あんたらは!?」
クロ-ノは驚いて叫ぶ。
二人組も驚いたらしく、至近距離で数瞬お互いに睨み合う。
直後、二人組は顔を合わせて頷き、襲いかかってきた。
「何の真似だ!」
削り直した短棍で迎え撃ちながら詰問するクロ-ノ。
「見られたからには生かして置けぬ」
「はぁ? 何だそれは! なんの理由にもなってないじゃないか、こっちは顔も抱えてる物の中身も見てないってのに!」
だが後は何も喋ろうとせず、覆面は襲いかかる手数を増やした。鉄爪を打ち振う。
クロ-ノも全力で迎え撃つ。
30秒ほど打ち合ったろうか。クロ-ノの突き出した棍の先が相手の胸を捕らえた。 流星棍奥義、虎雷砲! 本気で打てば10cmの鉄板にも穴を開ける。
相手は呻き声も上げられないまま、失神した。
(呼吸の読める相手は、楽だな)
クロ-ノは、久しぶりに自分が免許皆伝の腕前だということを思い出していた。
「そうだ、ア-シアは?」
振り向くと、驚いたことにア-シアは苦戦していた。
向こうの相手のほうが数段強敵だったらしい。
「あっ!!」
ア-シアの体を編み棒ほどもある針が掠めた!
クロ-ノは考えるよりも先に走り出した。
「くっ」
不覚を取った。これほどの相手とは思わなくて油断した。
右手で小剣を構え、左手で投げナイフを投げる。避けられた。
「うっ」
今度は右足の太股にまともに針が刺さる。足を止められた!
残りの投げナイフは、あと6本。
2本投げる。避ける方を予測してその場所に向かって跳躍し、斬る!
(ダメか……)
また避けられた。予測はうまくいったのに、刺さった針の所為で一瞬遅れたのだ。
(死角に回られたっ)
相手の手甲から伸びた鉤爪が頭上に落ちる! なんとか転がって避ける。だが避けた所へ数え切れない針が飛ぶ!
やり返された! 避けられない、か……。せめて急所だけは。眉根を歪め腕を交差し、ア-シアは来るはずの痛みに身構えた。
ザザザザザザザザクッ 。20近い数の肉に刺さる音がした。
(?)
しかし痛みがない。構えを解き前を見て、絶句する。
クロ-ノが庇うように自分に覆い被さっていた。
「これは麗しい事だ。手間が省けたわ。では、今度はお前の番だな」
背に鉄針が無数に刺さった少年を驚きで見つめる少女に、賊が近づいて行く。
少年の顔が見えた。
「ん? これは驚いた。神官長の養子ではないか」
少女がキッと顔を上げる。
「こんな所で何をしておる…? おおそうか、あの少年を捜しているのだな。残念ながらここにはもう居ないがね。それより、君も親不孝者だな。養い親に何があったかも知らんのかね」
ピク、と少年が動く。
「ほう、まだ生きておるか。知らぬようだから教えてあげるとしようかの。一昨日聖都で君の義父殿が襲われたのだよ。重体だそうだの。しかし、残念だ。君は見舞いに行けそうもないのぅ。いや、会いには行けるか? あの世での」
両手に数十本の針を取り出し構える。
「行動中の我々に出会ってしまった不運を嘆くがよい」
腕を振り上げたその瞬間、座り込んでいたはずの少女がかき消える。
「何!?」
右側からナイフが飛んでくる! しかし。
「ホッ、何処をねらっている?」
2本のナイフは、まったく別の方向に逸れていた。その後の2本も同じだ。
(フン、思ったほどではなかったのう)
キキン!
「な、に…!」
後ろで金属音がした直後、ジニアスの背中と脇腹にナイフが2本刺さっていた。
「く、空中で、先行するナイフにナイフを当てて、方向転換させたのか……」
説明する前に、覆面が技を解説してくれていた。手間が省けて良いことだ。
「名前はないわよ。技に名前をつける趣味はないから」
ア-シアは敵の動きを睨みながら、構える。
「……少しばかり見くびっておったようだ。今回はこちらが引こう。しかし、すぐにまた会いに来る。待っていることだの」
そう言うと、覆面は仲間を担いで走っていった。
(助かった……)
あのまま続けていれば間違いなくやられていただろう。
急いでクロ-ノに駆け寄る。足の痛みは忘れていた。
抱き起こされたのが判った。意識が痛みで浮上する。
「どうして……? 馬鹿じゃないのあなた!?」
(ア-シアか……)
その無事な姿と声に、ホッとして口元がわずかに緩んだ。目が開けられない。開けられないまま質問に答えていた。
「多、分ね……。ぼくには、これくらいしか思いつかなかったんだ。きっと、君のいう通り馬鹿なんだろう……」
「今は喋らないで馬鹿!」
「ぼくは、今まで、信頼を勝ち取る努力をしてこなかった…。必要なかったからだ。優しい人は最初から優しかった。そういう人は、ぼくが何をしても、可哀相だから守らなきゃとか思うらしくて、優しいままだった。逆に、冷たい人はとことん冷たかった。何をしても、何を頑張っても、ぼくのことを好きになってくれなかった。だから……、君のように、気持ちを変化させる相手は、初めてだったんだ。自分の努力次第で評価を変えると言ってくれる君は、新鮮だった。とても、新鮮だったんだ!」
クローノは浮かんでくる激情のままに叫んでいた。怪我で声は小さかったが、叫びはちゃんと叫びとして届いていた。
「あなたは……。……だからって!」
「あれ以上傷ついて欲しくなかったんだよ、君に。君は、ぼくにとって大切なことを教えてくれた。誰も教えてくれなかったことを教えてくれたんだ……! でも、ぼくは馬鹿だから、きっとこの答えは間違ってるんだろうな……」
「大間違いよ!! ここまで大きく間違った人は初めてだわ!」
「はは……やっぱりね……」
哀しくなって胸が詰まった。だが、
「でも、ここまで真剣に悩んだ人も、初めてだわ」
直後に聞こえた優しい口調に、未だ目を開けられないまま驚いた顔を向ける。あんな優しい言い方など、神官長様から以外聞いた事がなかったからだ。驚きで苦しさが消えていた。
「……え?」
「危なっかしくて、しょうがないわよっ。正解を出すまで簡単に死なれちゃかなわないわ……!」
「え……! あの、それって、どういう……?」
「正解を出すまで居てあげるって言ってるのよ! パ-トナ-解消は延期します。だからさっさと起きなさい、クロ-ノ! 神官長に会いに行くんでしょう? このまままた眠ったら本当に置いていくわよ!!」
クロ-ノは必死で急いで目を開けた。痛みなど関係ありはしなかった。
クロ-ノを背負ったまま、ア-シアは山を下り街に向かっていた。
クロ-ノはあまりに無知で、世間知らずだ。でも、その分、伸びるかもしれない。ア-シアには目的があった。その為には稼がなくてはならない。それを考えると、今の彼はベストと言えない。でも、新しいパ-トナ-を捜すなんてことをするくらいなら。
(こうなったらわたしがこの人を育てて見せるわ。完璧(パ-フェクト)な人間に育てて見せるわよ! 今この人を認めていない人達すら認めざるを得ないくらい、完璧にね)
背中ではクロ-ノが、痛みに耐え、眠らないように自分で自分をつねっている。
歯を食いしばったその顔を見て、ア-シアは笑いがこみ上げてきた。
(クスクス……大変そう。でも、やりがいはあるかもね)
◇ ◇ ◇
「首尾はどうなっている?」
またも開会された19人議会を終えて帰ってきたナ-ガは、開口一番そう尋ねた。
「は……、首尾は、上々で」
廊下の暗闇から、苦しそうな声が答えた。
「ん? どうした。怪我でもしたかい」
「はい、少々不覚を取りましての」
「ほう」
若き司祭は少しばかり興味を引かれた。
「お前ほどの腕の持ち主がね。誰が相手か知らないが、油断したとはいえ、傷を負わされたのか」
「お恥ずかしい限りで……」
「ふむ。お前よりも強い輩など、1対1では、最盛期には彼の帝国中を震え上がらせたという暗殺集団【深紅の杖】の実行部隊、【アサシン】くらいではないのかな?」
「光栄ですな。しかし、わたくしよりも強い者など大勢居りますよ。砂漠の国の影頭とか。まあ、今回は違いますがの」
「その運の良い輩の名は、何というのだ?」
「本人の名前は解りませぬ。しかし、パ-トナ-の名前は存じております。いま倒れられている神官長の御養子、クロ-ノ・アス・フォ-ス」
それを聞いて、ナ-ガの眉が軽く上がった。
「ほほう、あの坊やか。現在行方不明と聞いていたが……」
「それが、この間仲間に引き入れた少年を捜していたようでして」
「何故だ?」
「親友、というやつだそうですな」
ナ-ガの目が小さく丸くなった。
「は……? 何だそれは。今時まだそんなものを信じている者が居たのか?」
「ですから、坊やということなのでしょうの」
「なるほどなるほど……。くっ、ふっはっはっ。久しぶりに笑わせてもらったよ」
腹を抱える。何故か、少し悲しそうに。
「……なあジニアス、お前は……」
「は、何ですかの?」
「……いや、いい。その相手は、お前に手傷を負わせて調子に乗っていると思うかい?」
「で、ありましょうな」
「なら、そいつに借りを……、いや、身の程を知らしめしてやりたくはないか」
「お膳立てして頂けるので?」
「たまには、そういうのも良かろうよ。少しばかり勿体ない気もするが、ね」
「ですな」
二人分の忍び笑いが、他に誰も居ない廊下にこもる。
「あの少年を呼べ。おっと、その前にクロ-ノ坊やのことをできるだけ詳しく教えろ。お前なら、もう調べてあるのだろう?」
「俺に何の用です」
慇懃さの欠片もない態度で、少年、アベルが部屋に入ってきた。
「そう邪険にしないでくれ。悲しくなるではないか」
さらにきつく睨まれて、ナ-ガは苦笑をかみ殺した。
できるだけ顰めっ面を作って話し出す。
「頼みがあるのだ。実はな先日、君たちを指揮しているこの男が手傷を負わされた。相手の名は、クロ-ノ・アス・フォ-スと言う。知っているな?」
少年の体がわずかに震えた。顔の色が変わる。
「まあ、本当の相手は、彼のパ-トナ-なのだがね。どうした? 顔色が悪いぞ? フフ、頼みというのは他でもない。この男が借りを返したいと言っていてな。しかし、その相手はいつもクロ-ノと一緒にいる。二人掛かりでこられては、分が悪いとは言わないが、少々面倒だ。だから君に一緒に行って、クロ-ノの方の相手をしてもらいたいのだよ。なに、彼は今怪我をしているらしい。大した仕事ではないさ」
「……………………………」
「どうした? この間誓った言葉を忘れたなんて言わないよねえ?」
アベルは顔を上げて相手を睨んだ。
「それは……、命令なのか……」
「頼みだといったろう? きいてもらえないと困る頼みだがね」
「くっ!」
ギリ……。歯ぎしりの音が響いた。
「…………………、……解った……」
「有り難う。助かるよ。これが終わったらあの娘の眠る場所を教えよう」
(無事に終わったら、な)
ナ-ガはにこりと微笑んだ。
二人が出ていった。
「行ったか……」
ナ-ガは椅子に座り、肘掛けに手を掛けてドアを眺めた。
「賊の首領が決闘、このことを神殿に知らせれば、神殿は動く。そして手薄になる」
言葉の内容とは裏腹に口調に力がないこと、本人は気付いているのか、いないのか。
「帝国、か……。戻れるというのに、なぜ気持ちが騒がんのだろうな……」
酒ビンに手が伸びる。
「友、……か……」
グラスを押しやり、そのまま浴びるように口をつけた。
「間違ってたら済まないが」
アベルは隣を歩く男に訊いた。
「アンタ、ジニアス・マク・べだろう。3年前行方不明になるまで、最高のスカウト隊長と呼ばれてた……」
「何故、そう思うのかね」
歩みを緩めずに男が訊く。
「ジニアスには際立った特徴があったという。家の中でも覆面を被っていたことと、三十代前半のくせにジジイ言葉を話したということの、二つな」
男が立ち止まる。
「それで、もしわしがジニアスだったとして、それが何だというのかね」
「訊きたいんだ」
アベルが男の前に回り込む。
「ジニアスも、失踪する直前、パ-トナ-を亡くしたと聞いた。そのあと、一体どうやって生きたのか、生きてきたのか……。アンタはどうやって心にケリをつけたんだ!?」
「……………」
「教えて、くれよ」
「知りたいか?」
「頼む!」
「……。わしはジニアスではないが、その答えはきっとこうだろうな」
また歩き出しながら男は口を開いた。
「歩き続けることだ。何かを成すために。その人間も自分も、生きていたという事を時間が忘れないように、時間に忘れさせないように、刻みつけるために……な」
「…………。……できるかな、俺に」
「30男にできて、どうして若い君にできないことがあるのかね?」
男が苦笑う。覆面の上からでも、顔全体で笑っているのが解る。
それを見ていたアベルも、いつの間にかつられて小さく笑っていた。
◇ ◇ ◇
「神官長様……」
「おお……! クロ-ノ。来てくれた、のだね」
プル-ノがベッドの中で手を差し出した。クロ-ノがそれを受ける。
あれから5日。クロ-ノは神殿に戻ってきていた。
勝手に抜け出して連絡もしなかったのだ。少なからず神殿から罰を受けるものと思っていたクロ-ノだが、今のところ何も言ってこない。
倒れられた神官長をおもんばかっての事だとは思うが、少しばかり気味が悪い。
しかし、元々どうなってもいいから、まずは神官長様のお見舞がしたい。そう思って駆けつけたのだ。だから着いてすぐに面会を申し込んだ。
その日のうちにそれが通ったのも、彼にとっては嬉しい出来事以外の何物でもない。
「連絡もよこさず、お見舞も遅れ。申しわけ、ありません……!」
「来てくれただけでも、嬉しいよ。本当に……。……急がせて、しまったようだね。顔色が悪いよ。大丈夫かい?」
実のところ、クロ-ノの怪我はあまり治っていなかった。内臓は奇跡的に外れていたが、運が悪ければ危なかったほどの怪我だったのだ。彼を診た医者がここにいれば、歩いているのを不思議に思っただろう。
「ぼくは大丈夫です。その分、ア-シアに負担をかけてしまいましたが。今、彼女は家で休んでいます。疲れたのでしょう」
「そうか……。彼女は、頼りに、なるだろう?」
「はい。とても」
心の底から、返事をした。
「感謝をして、大事にしてあげなさい。きっと、君の力になってくれるはずだ。彼女は、良い娘、だからね」
「はい。ぼくも、そう思います」
「あれほど苦労していながら、あんなに、優しい娘に育ってくれた……。本当に、苦労、したのだよ、あの娘は……」
「神官長様。あまり無理に喋られるとお身体に障ります」
「良いのだよ、クロ-ノ。自分の体のことは良く解る。私は、もう長くない」
「神官長様! そんなことを言わないで下さい! お願いですから」
プルーノは身を乗り出し、愛する息子の手をつかんだ。その目を見つめて口を開く。
「聞くのだ、クロ-ノ。君はこれから、私無しで生きていかなくては、ならない。きっと、これまで、以上に、嫌な事が増えるだろう。でもね、悲観してはいけない。自暴自棄になっては、いけない。君には、君が思っている以上に、能力があるんだ。自分の、可能性を信じるのだ。そして、その上で、本当に大事なことを常に考えるのだ。人に言われたことではなく、自分で考えて、正しいと思ったことをしなさい。いいね」
「……はい。解りました。ですから、もうお休み下さいっ。お身体が……」
「あと、一つだよ。あと一つ。これを、言っておかなくては……。ゴホッゴホッ」
「神官長様!」
「クロ-ノ! 彼は生きているよ。この街のどこかにいる。この間、見たのだ。会ったのだよ私は」
「そ、それはどういうことです! まさか……。まさか、神官長様……。貴方をこのような目に会わせたのは……!」
「違う! 勘違いしては、いけないよ、クロ-ノ。彼の所為ではない。私の体は、あの中庭で話した5年前の日にはすでに、病魔に蝕まれていたのだ。それが、一気に出てきたに過ぎな……い」
「しかし、ならばそれを触発したのは!」
「クロ-ノ!! ゴホゴホゴホッ!」
怒鳴り、プル-ノはまたむせる。
「彼を責めるな。彼には、わたしを非難する理由が、あったのだ。正当な、理由が」
「何なのです、その理由というのは!?」
「それはな………」
耳を近づけて真実を聞いたクロ-ノは、愕然とした。
「そんな……! そんな馬鹿な! 神殿が、そんなことを!」
「事実、なのだよ。このわたしでさえも、例外ではないのだ」
「……そんな」
「クロ-ノ。先ほどの言葉を忘れるな。君自身の頭で考えるのだ。人の言葉を信じるのはいい。しかし、鵜呑みにするな。そして、味方を、間違えるな! 彼は、君の味方だよ。少しばかり、道に迷っただけだ。君が、彼の灯台になれ。今まで助けてもらった恩を返すのは今だぞ、クローノ。みんなを、助けてやりなさい。いいね……?」
「解りました。解りましたから、貴方にも……お願いですから貴方にも恩を返させて下さい! 死なないで下さい! 神官ちょ……プル-ノ父さん!!」
「……おお! 父さんと呼んで……ようやく、……有り難、う」
身体を横たえながら目をつむるプル-ノ。痛みも当然あるだろう、だが、心の底から満足そうに笑っていた。そして、眠りにつく。
「父さん! 父さん!!」
のしかかるように揺するクロ-ノを、部屋の隅に控えていた主治医が引き離す。
そのままプル-ノを診察する。
「先生っ!」
「大丈夫。眠っただけだ。しかし、君との会見はここまでだ。君は、この人を興奮させ過ぎる。解るね」
「……はい、解りました。父さんをお願いします。失礼しました」
神官長専用に設置された病室を後にして、クロ-ノは、神殿の廊下を歩いていた。
久しぶりの道筋なのだが、感慨などは既に無い。
そして、下を向いて歩いていたクロ-ノの目の前に、突然何人かの人影が立ち塞がった。
「よう、クロ-ノ。久しぶりだなあ」
「へへへ、今でもイジメられているのかなあ金髪ちゃんは?」
「お仕事は順調でちゅか?」
「今日は初めてのお使いかな~~」
口々に、昔のようなねちっこい言葉が飛び出す。
神官学校の時、クロ-ノをイジメていた奴等だ。2ヵ月たっても、何も変わらない、進歩の無い人間たちだ。
クロ-ノは、自分の中で、何かが変わって行くのを感じていた。
悪い方へなのか、良い方になのか。自分では解らない。けれど。
「どうしたんだよ? 何か言えよコラ!」
「きっとチビっちまって答えられないんだぜぇ、へへへ」
こんな程度の奴等にイジメられて泣いていた事が、自分で信じられなくなっていた。
(こんな、ガキみたいな奴等なのにな)
「何とか言えって言ってんだろ-が!」
胸倉をつかまれる。
クロ-ノは初めて彼らの顔を見つめた。
途端につかんでいた奴の手が離れる。
「ヒッ、お前……」
「な、何だってんだよ! そ、その目はよう!」
別に睨んでいるわけではばかった。ただ、じっと見ているだけだ。
視線を外さず、じっと。静かに。真っ直ぐに。
「な、何とか言えよコラ!」
ボキャブラリ-の少ない奴等を一瞥してから、クロ-ノは押し退けて歩き出した。
「ま、待てやコラァ!」
肩を捕まれて、振り返る。自然と落ち着いて声が出た。
「何か……?」
不思議な、ありえないものを見るような目を向ける少年たち。
「な、何だってんだよっ」
「お前……、本当にあのクロ-ノか……?」
軽く目を閉じてから、今度こそ、睨む。
「…………………」
真に強烈な視線を生まれて初めて全身に浴びた全ての瞳が、理解不能の恐怖に引きつり、全身を彫像の様に固めたままに揺れていた。
「今の私に触れるな。火遊びでは済まないぞ」
そう言ってまた歩き出す。今度は、誰も呼び止めなかった。
自分の呼び名が変わっていたことに、彼は気づいているのだろうか。
後には言葉を無くした4人組だけが、広い廊下に残されていた。
クロ-ノは、どうしたら親友を助けられるか考え続けていた。集中していた。それゆえに、さっき、一瞬だけ自分自身の呼び方が変わっていたことに気づかなかった。
「僕」から「私」に。クロ-ノの中で、何かが変わり始めていた。
(さっき父さんに聞いた話が本当なら、アベルは自暴自棄になっているはずだ。そんな人間に、いったい何を言えばいいんだろう)
判らない。解らない! クロ-ノは自分の経験値の少なさに、憤りを覚えていた。
家の近くに帰ってきても、クロ-ノは考え続けていた。
そのせいで、もう少しで飛び出してきたア-シアにぶつかりそうになる。
「ア-シア? どうしたん……」
「クロ-ノ! これを……!」
差し出された紙切れを受取り、広げて見る。途端にクロ-ノの視線が鋭くなる。
「ついさっき、石に包まれて投げ込まれたの。これってやっぱり……」
「ああ、あの覆面、だろうな」
果たし状。そして、その下に記されたもう一つの名前。
「アベル、……あの馬鹿、こんなとこに居るのか……」
ア-シアが心配そうに訊いてくる。少女は、ここ数日無表情だった顔に表情が出始めていた。クローノだけが気づいていた。毎日の変わり様を見るのが楽しみなパートナーが、心配そうに聞いていた。
「どうするの?」
大丈夫?とその表情がつぶやいている。そのア-シアを見て答える。
「僕は行くよ。アベルが居るなら、逃げる訳にはいかない」
ア-シアが目を見開く。クロ-ノの中身の変化に気付いたのだ。
「クロ-ノ、あなた……」
首を振る。
(いえ、それは後回しね)
「行かせる訳にはいかないわ。あなたでは勝てない。少なくとも、今のあなたでは」
「僕は君にも、すべての奥義を見せたわけではないよ」
「それでも! そんな問題じゃ、ないわ。まだ怪我も治っていないのに! それに、この果たし状はわたし宛てよ! あなたは、ついてくるだけって書いてあるわ。……確かに、それだけで終わるとは思えないけど……でも」
それに、クロ-ノは頷いて答えた。
「うん。だから、君にも手伝ってほしいんだア-シア。アベル……あいつの力は、ぼくの全力と互角か、わずかに上だと思う。でも、負けるつもりはない。そして、あいつを殺す気もない。ぼくは、アベルを助けるとさっき誓ったんだ。あいつの、心を! ぼくは、あいつには、返せないほどの恩があるんだ」
「…………」
「ア-シア、君には、覆面の相手を頼みたい。もちろん、ぼくよりもずっと危険が大きい。この間のわずかな戦いでも、大変な相手だと判る。でも、頼む! 僕がアベルを説得する時間を稼いでくれ」
頭を下げる。
ア-シアが頷いてくれるとは限らない。そんなことは解ってる。これ以上ないくらい、無謀なことなのだ。
(でも、君にしか頼めない。君に、手伝ってほしいんだ!)
「あなただって、大変なのよ? 互角以上の敵を殺すことだって大変なのに、さらに助けるなんて」
「解ってる。でも、ア-シア! 行きたいんだ。今が、ぼくが……、変わることのできる唯一の機会な気がするんだ! 大丈夫、ぼくは死なない。頼むア-シア、信じてくれ! そして、……助けてほしい」
ア-シアの目が見ていた。じっと、真っ直ぐに。自分の目を。
じっと、待った。目を逸らしてはいけない。
「まだまだ、完璧な答えじゃないわね」
「……ア-シア……」
「ふふ、じゃ、行きましょうか」
「アーシア!! それじゃあ……!」
「あなたの未来を見せてもらうわ。途中で死んだら、ぜったい許さないわよ」
二人が指定の場所に着いた時、指定の時刻を奏でる鐘が鳴っていた。
それぞれの信念を持った者たちが、ゆっくりと歩みを止めた。