第五章 クローノ (承)
「手伝って、くれないか……」
振り向くと、入口に彼が立っていた。
思い切りやつれている。目の下の色は隈どころか、墨でも塗っているかのようだ。
服も髪もよれよれだ。この間はあんなに奇麗にしてサラサラに風になびいていたというのに。
今は浮浪者一歩手前。
ただ、その目だけが異様に強い光を放っていた。
「手伝って、くれないか。……頼む」
じっと見ていたら、もう一度、彼はくり返した。今度は頭も下げる。
俯いたままの口から、何かを、堪えているような呻きが漏れる。
「この間あんなこと言って、虫がいいのは判ってる。けど、もう、君にすがるしかないんだ……! 神殿は動いてくれない。何度かけ合っても、職場の皆は、上司も含めて、僕に探索の任務を回してはくれない。いや、他のどんな仕事だろうと、僕に回す気なんかないんだろう、あの人たちは!」
吐き捨てる言葉が、下を向いた全身から落ちていた。彼女が抱いていたイメージ、それとはまったく違う彼の姿がそこにあった。
「………」
「神官長様も、許可を出してはくれなかった。神官長様は、あの人だけは、僕を心配してくれているんだって解っている。けど! じっとしてなんかいられないんだ!!」
そうか。この人は、あれ程嫌悪していた、避けていた、特別扱いの頼みすらしてきたのか。そう気がついて、じっと見つめた。
「親友が、行方不明なんだ……。頼むよ、ア-シア! 正式な仕事じゃない。迷惑以外の何物でもないと判ってる!でも、君の力を貸してくれ! ……頼む」
座り込んで、手をついて。彼は、すべてを捨てる覚悟でここに来た、のだろう。
(この人は……)
彼女がその人生の中で数えるほどしか見たことの無い、自分以外の誰かのために体を震わせて怒る人間。
その一人が、目の前にも居た。
嫌な人だとばかり思っていた。プライドだけ高い、情けない弱虫だと思っていた。
でも。
(なんだ、純粋培養なだけなのね)
ある意味、プライド男や弱虫よりもずっと扱いずらい人種。だけど。
「でも……嫌いじゃないわ。そういうの」
「え……?」
「いいわ、手伝ってあげる」
信じられない、という顔で彼がこちらを見る。
「本当、かい!?」
ポカンとしたその表情に、内心ぶ然としながらも、ア-シアは無表情で苦笑する。
(そこまで唖然としなくてもいいじゃない)
きっと、ここに来るまで全員に断られ続けたのだろう。そう思い、文句は口に出さないでおく。これっきりだけど。
「まずは、何をすればいいの?」
そう言うと、彼の顔が歪んで崩れた。やっと感情がついてきたらしい。
「あ、ありがとう……! ……ありがとう!!」
「時間が、大事なんでしょう? すぐに支度するわ。だから、しっかりして。まず、何をするのか教えて。あなたの、友達のために」
ア-シアは優しく諭す。
クロ-ノは頷くと、涙で汚れた顔を拭くのも忘れて計画を話し出した。
彼の親友、アベル・マク・ナンを捜しに行く、その計画を。
困った顔のア-シアに濡らしたタオルで拭かれながら。
一日が、終わる。
アベルが遭難してから、三週間が過ぎようとしていた。
◇ ◇ ◇
「どうなっているのだ!」
男の声が響き渡る。普段なら、年4回しかない光景。
しかし今年の19人議会は、たった一ヵ月でもう二度も招集されていた。
例によって今回も報告を妨げられた進行役が、怒りを押し殺して抗議する。
「いつも思うのですが、貴方にはもう少し声を控えていただきたい」
「なんだと!」
「二人とも止めないか見苦しい。……続けてくれ」
「チッ」
「はい。今回のような遺跡発掘現場での事故および盗掘は、今までも度々報告されてきました。しかし今年になって、その数が飛躍的に増大しています。我々が調査に向かう遺跡の、実に60%が荒らされているのです。しかも、それらはどう見ても、我々の到着の直前、長く見ても一月以内に荒らされたと思われる節があります」
「盗掘品が、闇市や闇オ-クションに流れた形式はないのか? 例えば帝国、もしくはシェスカのロ-エン商会とか。今までも、あそこには幾つか流れてしまっていたはずだが」
「それが、無いのです。おかしなことに」
「確かに、おかしいなそれは。我々ルシアの子らが古代機械の発掘と収集を始めてから450年。我々以外の盗掘は何度かあった。だが、まったく足取りが掴めなかったことは、これまで一度として無かったことだ……」
「正確に言えば、3年前までは、ですな」
「うむ。そして今回で、一連の不審な同一と思われる盗掘は、既に十三回にも及ぶ」
「捨ておけんな。我々の国以外に古代機械が存在することさえ許せんのに、その行方すら判らんとは……」
「しかも、なんだ、毎回発掘直前の一月以内? まさか、神殿内の出来事が漏れているのか?」
「信じたくはないが、そうとしか思えんな……」
「そ、それは誓ってありません! 優秀なスカウト達がくまなく網を張り巡らせているのですよ!?」
「大神官補佐。警備長である貴公が信じられないのも判るが、事実は事実だ」
「しかし………」
「止めなさい。我々は責任を追求したいのではない。どうすれば問題が解決できるかを知りたいのだ。それで、ネイヤ司祭。報告の続きは?」
「はい。このことに関しましては以上です。続きは何か判明次第、また議会を招集させていただくとして、今回の発掘での行方不明者二名の捜索は、いかが致しましょう」
「新米の神官戦士とスカウトが一人ずつだろう? 残念ではあるが、そちらに割ける人手はないな」
「生き埋めなのだろう? 捜索したところで、すでに生きてはいないだろうよ」
「逃亡とかなら捜し出して始末せねばならないが……、その心配は無さそうだしな」
「無駄なことに人手を回す余裕はありませんしね」
笑顔。皆の顔に張りつくそれは、明るい、明るすぎるものだ。
一人、プル-ノだけは難しい顔をしているが、それは、行方不明者が彼の養子の親友であるからにすぎない。
誰も、誰も悲しんではいない。だれも……。
彼らにとって、人は、駒にすぎない。
そのことに疑問を持つ者は、少なくともこの瞬間この場所には、誰もいなかった。
そう、見えた。
◆ ◆ ◆
「だからさ、ルシアは素晴らしい人物だったんだよ」
歩きながら、クロ-ノは瞳を輝かせてア-シアに喋り続けている。
馬車に潜り込んで街を抜け出た後、彼らは今、アベル達が遭難した遺跡へと向かっていた。
「どうやったのかは解らないけど、495年前彼女は、セレンの街を救った。そして、ただ黙って、何も受け取らずに街から姿を消したんだ。これは誰にでもできることじゃない」
熱心に喋り続けるクロ-ノを、ア-シアは冷めた目で見続けている。
「僕はね、人々を救ってあげたいんだ。ルシアみたいにはいかないだろうけど、それでも一人くらいは僕にも救えるはずなんだ! ……今は、まだ無理だけど」
ア-シアは小さくため息をつく。
(これは、思った以上だわ……。純粋培養にも程があるわね……)
すでに彼女は呆れを通り越して、ある意味感心さえ覚えていた。
まったく同調できないけれど。
「だから、彼を助けに行くの?」
「違う! 友達だからに決まってるじゃないか!」
間髪を入れずに答えが返る。
(ああ良かった)
比べて質問するべきものじゃないよ! と言うクロ-ノの言葉を素通りさせながら、ア-シアは少しだけホッとしていた。ここで「そうだ」と言うような人間と組みたいとは思わない。
(でも、世間知らずなのは確かね。神殿内でいくら辛い目にあったか知らないけど、所詮それは箱庭の中の不幸でしかない。この人は、これから遭遇するであろう現実に耐えることができるのかしら)
ア-シアは、自分が珍しく他人の心配をしていることに、気付いていなかった。
(少なくともわたしの過去を知ったら、耐えられないでしょうね。きっと)
なんとなく、面白くなかった。
◇ ◇ ◇
「この辺りのはずだから、手分けして遺跡を探そう」
遭難場所の付近に着いて、そう提案するクロ-ノに、ア-シアが尋ねる。
「ひとりで大丈夫?」
彼は途端に口を尖らした。
「これでも流星棍の免許皆伝なんだ。何に襲われても返り討ちにしてみせるさっ」
杖代わりに手に持っていた、背よりも長い棍を回しながら答える声を聞き、ア-シアは思う。
「(そういう意味じゃ、ないんだけど……)……解ったわ。でも、何かあったら無理せずに名前を呼ぶこと。お互いにね」
頷いて、二人は別れた。
(なんか、主導権が取れないな……なんでだろう)
ア-シアと別れたクロ-ノは、遺跡の入口を探しながら、首をひねっていた。
(別に威張りたいわけじゃないんだけど、でもなあ)
これからずっと、一緒に仕事をする(まあ、無事に戻れて、さらに神殿が二人のパ-トナ-を解消しなければ、の話だが)のだから、彼にとってはかなり深刻な悩みである。
(今のところその状態があまり嫌じゃない所が、さらに問題なんだろうなあ)
気温のせいではない汗が一つ落ちる。
(最初は凄い嫌な女に見えたんだが……って、何考えてるんだ僕は)
立ち止まる。
(今だって嫌な女じゃないかっ。こっちの話を聞いてないし、無表情だし、子供扱いするし……)
「でも、……ついて来てくれたんだよな………」
握りしめていたこぶしを解いて、振り返って呟いた。
◇ ◇ ◇
2時間が過ぎた。
しかし、一向に入口が見当たらない。
もうすぐ、別れるとき決めた合流時間になる。
(ちくしょう、どこだ。どこなんだ、アベル……!)
そう考えた途端、手が止まる。
(今、僕は何を考えた!? ここに来たのは、最初に遭難現場を調べておくためじゃなかったのか? でも、今のは、今のはまさか、僕は信じていないとでもいうのか!)
頭を振る。自分まで親友の生存を信じなくなってしまったら、いったい誰が、信じてやれるというんだろう!?
(ちがう、あいつはまだ生きている! 僕が信じなくてどうする! 今からこんなんじゃどうするっていうんだよ、まったくっ)
棍を持ったままの腕を感情に任せて、振った。辺りの草が飛び散る。
隠れた地面がちらりと見えた。
「え……?」
消えかけた靴の跡。雨が降らない季節だからこそ残っていた、奇跡だった。
「見、つけた………」
その先には、草むらに隠れるように、地底への入口が口を開けていた。
アーシアは苛立って待っていた。合流時間は過ぎている。すでに30分も前のことだ。
(何を、やっているのよ)
いくらなんでも遅すぎる。何かあったのだろうか。
ア-シアは側の木に、【遅いから捜しに行く】という意味の神殿暗号を刻むと走り出した。
◇ ◇ ◇
「何をやってるんだろうな、僕は……」
地底から、今自分が落ちてきた高すぎる天井の穴を眺め、ため息をつく。
幸い荷物は何一つなくならなかったので、中からカンテラ(携帯版ランプ)を取り出し、火をつけていた。
「アベルも、ここに落ちたんだろうか」
落ちていく中で、いくつも分かれ道を転げ過ぎた気がした。気のせいじゃなければ、簡単に落ちたのではなく、迷路のようなアリの巣を転げ落ちたことになる。
これでは、捜索隊も見つけられなかった訳だった。と、そんなもの初めから組まれてすらいないという事実を知らないクローノは、一人で勝手に納得していた。ともあれ。
(それにしても……)
合流時間が近かったのに、ア-シアに知らせずに入ってしまったことを、後悔する。
(でも、言い訳だけど……それでも……)
深遠に向かって口を開けた入口を見たとき、じっとしてなどいられなかったのだ。
「………」
最後にもう一度天井の穴を眺めた後、戻れない入口を見るのを止める。
(奥に続いているな)
今度は前を向いて歩き出した。
曲がりくねった天然のトンネルが、何処までも続く。
カンテラの明かりの届く範囲は狭い。闇の中から、垂れ下がった鍾乳石やそそり立つ石筍(せきじゅん;鐘乳石でできた竹の子)が、いきなり目の前に現れる。
何処からともなく水滴が落ちる音がして、小さく反響していた。
(……やばいかもしれない)
方向感覚がなくなってきていた。
時々、目を見張るような美しい光景が現れる。が、それだけだ。
同じような光景がくり返されている気がする。圧力をともなった闇が、そこにある。カンテラの光だけが、現実の世界を殻のように守っていた。
(今の柱は、さっきなかったろうか? そこの形はもう20回以上見た気がする。それに、耳元で聞こえているあの水音は、いつから聞こえていたんだろう。いつから?)
次第に、知らぬ間に早足になってきていた。だんだん速くなる。
(そうだ、さっきから僕は黙って歩いていた。もしかしたら、相手に明かりが見えないとしたら、知らずに通りすぎてしまったのかも……!)
そう思いだすと、嫌な妄想が止まらなかった。
それを振り払うために、クロ-ノは呼びかけ出した。始めは小さい声で、だがすぐに大声になり、叫びに変わる。
「アベル────! アベル! アベル・マク・ナン! 聞こえたら返事をしてくれ!お願いだ、頼む、返事してくれ、アベル────!!」
我知らずに走り出していた。
カンテラの光が揺れている。
気持ち悪い。平衡感覚までおかしくなりそうだった。
走る、疾走る。
つまずかないのが不思議なほどのスピ-ドで、クロ-ノは走る。
その姿は何かの芝居のようだった。それも、悲劇ではない方の。
……どれくらい走ったろう?
時間の間隔がなくなった時、クロ-ノはようやく足を止めた。
目の前に、そびえ立つ岩の塊が立って、道を塞いでいた。落石のようだった。
「向こうには行けそうもない、か」
息を切らしたまま巨石を調べていたクロ-ノは、そう結論を出す。
「誰かいないか! アベル! えっと、シィル? 誰でもいい、いたら返事をしてくれ!」
何の音もしない。気配もない。
(いない、か……)
落胆はした。が、一度戻る決心がついたことに、クロ-ノは少しだけ安堵していた。
(ア-シアに知らせないと………)
迷路の落とし穴を脳裏から振り払い、怒られることを覚悟して来た方へ歩き出した時、それが目に付いた。
初めは、なんだか解らなかった。暗い地面に広がるもの。水たまりのようだが、そうじゃない。固まっている。真っ黒いのに、暗闇からなぜか浮いて見える。色が少し違うのだろうか?
近寄って照らしてみて、やっと解った。それは……
「血だっ!!!」
衝撃が走った。頭が痺れて背筋が凍る。首が千切れそうな勢いで見回す。同じ色に固まった物がおびただしい量で広がっていた。その一部は、岩の向こうまで達しているようだ。
(誰の……一体誰の血だ……!)
とてもではないが、これだけの量を流したら、その人間は生きてはいられない。
しかも、天井から落ちる水滴の具合からいって、その残り方はまだ一月も経っていないことを示していた。
(嫌だ……嫌だぞ……! そんなことがあってたまるもんか!)
急いでもう一度辺りを見回す。他の手がかりはないのか!?
ギャギィィイイィン!
それが起こったのは、地面に置いたカンテラを手に取った瞬間だった。
腕に衝撃が走り、カンテラが遠くへ転がる。何かがカンテラに当たり吹き飛ばしたのだ!
「なっ?!」
なんだ、と続けようとした途端、目の端で何かが光り、とっさに転がる。
その瞬間、さっきまで首のあった所を何かが薙いだ!
ガチャ……
闇の奥から転がったカンテラの光の中にそいつが現れる。金属質の足音を岩に残響させながら、役者の様に照明の中に立つそれは。
クロ-ノは、さっきの衝撃でカンテラの光が消えなかったことを心底残念に思った。小さな丸い、弱々しい光の中に、刀を構えた骸骨が立っていた。
ガキッガキン! ガキン! ガキガキッ!
クロ-ノは、打ち出される刀を持っていた棍(堅めの木製の長い棒、如意棒のようなもの)で受け続けていた。
(くっ……、打ち込みに休みがない。コイツ、やっぱり人間じゃないのか……!?)
恐ろしい力だ。腕がしびれてきていた。堅い樫の棒にも、傷ができ始めている。
ガキガキガキガキン! ガガッ! キキン!
(呼吸が読めない……無いのか、もしかして? は、反撃ができない!)
ガキイイィン!! ……ビキ
真上からの打ち下ろしを受けた棍に、小さくひびが入る音が聞こえた。
これ以上受けてはいられない!
クロ-ノは後ろへ飛ぶ。と、背中にあの巨石が当たった。
逃げられない!?
キラリ。もう一度、骸骨が上段に振りかぶる!
(ヤ、ヤバ……!)
構えるまもなく振り下ろされた。
クロ-ノは、迫る死に茫然としていた。
こんな所で自分は死ぬのか? アベルも捜せないままで? あいつらを、自分を笑い者にした奴等を見返すこともできずに? そして、あの人に、何の恩も返せないまま?
(神官長様……!)
「ウオオオオオオオオオ!!」
無意識に激情に駆られわずかに首を傾ける。ガキィンンン! 敵の刀が岩に当たり、こめかみを掠めて反対側に斜めにそれる。もう一度! 横に転がって避ける。 掠めた顔から血潮が飛んだ。目に入る。痛い。まだ駄目だ、まだ、死にたくないなら動け足。無意識にそう念じる。魂の底に叱咤する。砂に足を取られた。もう一度! また剣が頭上から落ちてくる。
その時、骸骨の動きが一瞬だけ止まった。
(今だっ!)
クロ-ノは膝をつき全身をバネに起き上がり、渾身の力を込めて腕を突き出した! ひねりを入れた樫の棒が回転したまま敵の頭部に突き刺さる!
ぐしゃ
手ごたえが、あった。
頭部を貫通された骸骨の首が弾き飛ばされ転がった。頭部を失った骸骨は、わずかに一歩を踏み出したまま一瞬止まり、その場に倒れ崩れ落ちた。
地響き。
数秒後。敵がもう動かないのを見て、クロ-ノは息をついて座り込んだ。
太股がガクガクする。深呼吸したいのに、浅く短い呼吸しかできない。息が苦しい。
(やった、のか……)
パチパチパチ……。動く骸骨の成れの果てから火花が出ていた。
(機械、だったのか……。しかしなんて精密な……)
そこへ足音が響いた。洞窟の奥から何かがやってくる。
(まだ、何かいるのか……!?)
何とか小さく構えを取るクロ-ノ。だが目の前に広がる光の中に現れたのは、見知った顔だった。
「ア-シア……!」
手の中に細長い投げナイフが握られていた。針の様な細い剣。気付いて倒れた敵を見る。
背中側の首筋に、同じナイフが2本、根元まで刺さっていた。
「君が……?」
先程、一瞬敵の動きが止まった事を思い出す。
(助けてくれたのか……)
「……無事だったようね」
しかし何故かア-シアは、クロ-ノの問いに返事をせず、俯いたまま近寄ってくる。その目に、いまだ明かりを灯し続ける転げたカンテラが映り、熱を帯びた光が燈る。
「……空気の動きがあるようだからよかったものの。こんな場所で火を灯すなんて、酸素が無くなったらどうするつもりだったのかしら……?」
一人言のように呟く。
「……え?」
ド カ ッ ! !
次の瞬間、クロ-ノは吹っ飛び、岩肌に背中を強く打ちつけ転がっていた。
二秒ほど、何が起きたか解らなかった。
顔に手をやり、自分が殴られことを理解してクロ-ノは体を起こす。背中が異様にズキズキした。
「な……何を……?」
抗議しようとしてア-シアの双眸を見たクロ-ノは、その瞬間言葉を失った。
それは、憤怒という言葉すら生温い程の、純粋な怒りに満ちていた。
「………馬鹿にしているわね」
「……え?」
「馬鹿にしていると言ったのよ」
ア-シアは声を押し殺していた。押し殺した声に内包された力がどれ程のものか、その大きさすら、クロ-ノには掴めなかった。
汗が、落ちる。
「これでもわたしはプロなの。なりたてでもね。そして、あなたは言ったわね。助けて、と」
「……ああ」
「で、今回のあなたの行動は何? 連絡もせず、勝手に行動してアクシデントに見舞われて、にも拘らず助けを待つこともせず動き回って余計な危険を呼び寄せた」
「ぼくは……友達を……」
口元がわなないて、返事をするだけで全身の力が必要だった。クローノは生まれて初めてそれが必要な状況に陥っていた。全身は滝の様な汗に覆われていた。背中を川が流れ始めた。
「あなたは一体何を助けて欲しかったの? 友達の探索を手助けして欲しかったんじゃないの? もしかして自分も助けてもらおうと思ってた? わたしは都合のいい雑用? ボディガ-ド代わり? わたしはあなたの部下じゃないし召使いでもないのよ」
憤怒の蒸気が上がっていた。微動だにしないアーシアの全身から、拒絶の意思が奔っていた。
「……ごめん」
謝ることしかできなかった。謝ることしかできない自分が情けなかった。
「馬鹿にするのもいい加減にして!! パ-トナ-として助け合うつもりが無いのならここまでね。ここを出たらさっさと帰らせてもらうわ」
なぜだろう、その言葉に、体中が震えだし拒否を示した。最初は自分からパートナーを変えたらどうだとまで言ったはずだった。この捜索も手を貸してくれるなら誰だって良かったと思っていた。
なのに、ただ、嫌だと思った。何もいえない、言える事が無い。それでも何かをいわないといけないと思った。言わないと何かが死んでしまうと思った。自分の中の何かが。
「ごめん! ぼくが、悪かったから……!」
「悪かったから、何? 何をしてくれるの? まさか、謝るだけ? いいご身分ね、さすが神官長のご養子様だわ」
「なっ………!」
全身に棘が刺さった。他に、何を言えばいいのだろう。今の自分に、謝る以外の何を言えるというのだろう。
頭が熱い。何も考えが浮かばない。大切な場面なのに。試されていると分かるのに。答えがちゃんとあるはずなのに。自分は頭が良いと思っていた。どんな答えでも出せると思っていた。自分がぜんぜん駄目だと解った。大事な答えを待っている。目の前の人間が大切な答えを待っているのに。
「怒った? そう。でも、わたしはその10倍は怒ってるわ。わたしはね、パ-トナ-がドジをしても失敗しても一度目なら怒らない。一度なら誰だってすることだしね。でも、信頼を蔑ろにする相手には容赦しないわ! この世で一番取り戻すのが難しいものは、信頼だと知りなさい!!」
激しい、烈迫の怒りを込めた言葉だった。
クロ-ノは、今日ここに着くまで、自分が彼女に信頼されていたことを知った。
そして、自分の考えなしの行動で、それを失ってしまったことを。
どうすればいいのだろう?
どうすればそれを取り戻せるのだろう?!
100%の悪意か、100%の無条件の信頼しか受けたことのない彼は、自分の力だけで信頼を勝ち取る、という行為のやり方が解らなかった。
涙が出た。悔しくて。確かにあったはずの信頼を失うことが、これほど悲しいものだとは知らなかった。
「……どうすればいい。解らない……ぼくは、どうしたらいい? 教えてくれ………………………!」
「…………。考えなさい、自分で。自分の頭で。その答えが出るまでは居てあげるわ」
出た涙が流れそうになる。溢れてこぼれそうになる。
必死で堪えた。
(せめて、涙を流しちゃ、だめだ……。せめて……)
クロ-ノは、歩き始めたア-シアの後を、俯いて歩き出した。
◇ ◇ ◇
「力になってくれる決心はついたかな」
窓の無い部屋の中。ナ-ガは椅子に座ったまま、目の前の人物に尋ねた。
暗い木でできた部屋だった。地下だろうか。薄く湿り気がそこかしこに溜まっていた。
そして、二人の横のテ-ブルには小さな機械が乗っていて、さっきまで大勢の人の声を二人に聞かせ続けていた。
「……………」
静かだった。まるで笑顔のような無表情のナーガの正面で、漆黒の髪と灰色の双眸を持つ人物が、黙って瞳を燃やしていた。
「君だって聞いたろう? あの会議の内容を。あれが、神殿の真意だよ。君たちは神殿にとって、使い捨ての駒でしかなかったんだ」
「………………っ!!」
勢い良すぎて音がした。そう思った。瞳やまぶたの開く音があるのなら、今聞こえたのがそうだと思った。
ナ-ガは立ち上がってその人物に近づく。
「どう思う? どう感じた? 君が、君たちが助けを求めていたその瞬間、彼らはあんな風にのうのうと会議やパーティを続けていたんだ。まるで、他人事にように……」
ギリィッ。人物が唇を噛んだ。ポタリと血が一滴落ちる。
ナ-ガは、人物の肩に両手を置き、震える顔を覗き込む。
まだ大人になる前の、少年の顔を。
「でも、私は違うだろう? 君は、こうして今、生きている」
「そうだな……」
黙っていた少年が初めて口を開いた。地獄の底から聞こえていた。地獄の底の声だった。
「おれはまだ生きている。あんた達に助けてもらったからだ。アイツの遺体も、ちゃんと埋葬してくれた。本当に、感謝している……」
声を出すたびに部屋の温度が下がるようだった。少年なのに、すでにそこには、老成した老人が存在していた。そして、鬼も。
「形を保ったまま連れ出せて良かった」
「ぐっ………!」
少年の瞳に炎が燃える。今にも炎を吹きそうな口が、炎とは違う言葉を発していた。全身の、力を込めて。
「………感謝、……してい、る……」
それを眺めて、ナ-ガは再度尋ねた。
「力を貸してくれる気になったかい」
少年は、ナ-ガを睨み、答えた。
「あんたには、おれを生かしてくれた事に心底感謝しているさ。生きていなけりゃ、敵も討ってやれないからな。だから、その分の恩は、ちゃんと返させてもらうさ」
「敵……、それは君にとって、なんなのかな?」
「カタキ? ……ああ、そうだな、そんなもんは簡単だ。おれにとってのそいつは、あのガイコツ野郎と、そして、…………そしてこのルシア神殿のすべてのものだ!!」
炎が、とうとう堰を破って吹き荒れていた。言葉と、全身すべてから。
(そう言ってくれると、思っていたよ、フフフ)
叫ぶ少年を前に、ナ-ガは薄く小さく、少年に判らないよう呟きながら笑みを浮かべ続けていた。




