第三章 カルロス (結)
「油断大敵、ってやつだね、きみたち……?」
ヒリエッタを抱えたまま、シグルノは路地の奥へと後じさる。その体からは、いまだ大量の血液が落ち続けている。
とても今の神速の動きをした人間のものとは思えない。顔にも、死相がハッキリと浮かび上がっていた。
血を吐きながらもシグルノは語り続ける。
「グレイ……君にはもう一つ、大事なことを教えたはずだ。【依頼は100%遂行すべし】。これは、ふふ、例え自らの命を引き換えにしても守らなくてはならない掟、だよ」
「シグルノ………あなたは、いったいどこまで……!」
リ-ブスが血を流しながらも立ち上がり、カルロスの横に並ぶ。カルロスは両手に鞭を構えていた。
「それから、そっちの君。さっき、計画の実行者はすべて捕らえた、と言ったかな? くっくっ甘いねえ。実行者などという者はすべて囮、そうだと言ったらどうするね?」
「「「なっ!!! 何だとォォォっっ!」」」
そこにいるすべての人間の口から、同じ言葉が滑り出た。
「まさか、ありえないわ……。そんなこと捕まえた誰も、知らなかった……!」
「そうだろうな。残念だが、これはわしだけの保険でね。ミシェル君を始め、他の仲間はすべて、この街でわしが集めたものなのだよ。かりそめに雇われた依頼人たちはわしが始末した。さらに本当の依頼人とその内容については、このわししか知らないのだよ」
「そんな……」
死を前にした男が、ゆっくりと右手を開く。
「そして、すべての仕掛けの発火装置は、ほらここにある」
その刹那カルロスたちが動いた。だが、
「一息、遅かったね」
パチン………
ド ン ン ンンン! ! ! ! ! !
同時に、シェスカの街のすべての場所から、無数の炎が上がっていた。
◇ ◇ ◇
街が燃えていた。公会堂から鐘つき塔、役所関連から市街地の街並み、住宅地に至るまで、全てが。
一応今のところ無事なのは、この倉庫街くらいでしかなさそうだった。
「そんな……そんな………」
エイクたちが立ちすくんでいる。座り込んでしまった者もいる。どこかに家族や大切な人がいるのだろう。
しかし、カルロスたちはまだ立っていた。
「……エイク、まだ街の人たちは避難しているんだろ? そう手紙で頼んどいたからな! ……エイク!」
「あ? え……ええ……それは、もう……だけど……」
「だったら惚けてないでさっさと火を消しにいきやがれ!! すぐにかかれば半分くらいは何とかなるはずだろうがっっ!!」
「は、はい! そ、そうね、そうよね? 皆!行くわよついてらっしゃい!」
走っていくエイクたちを一瞥し、カルロスはシグルノに向き直る。目が据わっていた。
「やりすぎたぜ……テメェ。望み通り、この場で引導を渡してやるよ!」
「有難いがね、君に殺されなくても、わしはもうすぐあの世に行くと思うよ? おっと、こっちには人質がいることをお忘れなく……」
エティの首筋をつかんで軽く振る。エティの微かな悲鳴が耳に届いた。
「クッッソ、がっ!!」
気のいい街のおじさんの顔で、仮面の剥がれた笑顔を晒す。醜い哂い顔だ。
その笑顔が深くなる。どこまでも透明で、醜く、満足そうに。
狂信者のように……
「ふふ。残念ながらもう君たちの相手をする力はないよ。でもね……」
次の瞬間、シグルノは誰も予想もしなかった行動に出た!
誰かが止めに走る隙も無かった。
「君たちを極限まで悲しませることはできるよねえっ!!」
「まさか!」
「おい、やめろ、や、やめろおおおおおおおおお!!!!!」
目を見開いたヒリエッタの顔に向かって鋭いナイフが落ちてゆく。
世界がなぜかスローモーションに見えていた。だが動かない。動けない。指先だけがゆっくりと視界の中で動いているが、とてもではないが間に合わない。
「うわああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
カルロスは目を見開いて叫んでいた。視線だけを、無意識にそらしたままで。
ぽた……、ぽた……。水滴が、落ちる音がする。据えた匂いが路地に立ちこめ広がってゆく。
いつの間にか、目を瞑っていたらしい。おそるおそる、カルロスは目を開く。震えながらそちらに視線を向けてゆく。自分が、いつまでも目を背けている訳には……いかない……。
そして、見た。
すでに事切れ倒れている、シグルノの姿を……。その傍らに転がってはいるが、それ以外怪我はしていないように見えるヒリエッタの姿を……。最後に目に入ったのは。
「ミ、シェ……ル……?」
倒れた二人の間で、手に血のついたナイフを持ち、その胸にシグルノのナイフを刺したまま背を向けて立っている、ミシェルの姿だった。
「おい……ミシェル、アンタ……なんで……」
(エティを……かばってくれたのか……)
カルロスの無言のセリフを感じたのか、その青年がこちらを見ずに口を開く。
「すまなかったなぁ、カルロス」
ミシェルが言った。いつもの、優しくひねくれた口調で。向こうを向いたままで。
胸のナイフから水道の様に血を静かに垂らして落としながら。
「正気に、戻ったんですね」
リ-ブスの問いに、しかしミシェルは首を振る。横に。
「俺はずっと正気だったよ、リ-ブスさん。確かに、赤い光に包まれた瞬間、何かに操られた気配はした。けどね、俺は見てたんだ。全部、中から……。そしてな、カルロス。もう一人の俺が言ったことは、全部、本音だったんだよ。全部、な」
「嘘だ!!」
カルロスは否定する。ゆっくりと、ミシェルのそばに歩いてゆく。一歩、また一歩。足元にはエティがいる。ホッとする。本当に、ただ気絶しているだけのようだ。そのまま目の前のミシェルに視線を上げてその足が、止まる。血だまりのせいではなく、青年の透明な眼差しが少年の足を止めていた。ミシェルが首だけを傾けて、肩越しに振り返っていた。カルロスはミシェルの哀しげな笑顔を見て、動けなかった。あと数歩。あと数歩で彼に手が届くのに。
ミシェルは哀しそうな視線だけでカルロスを見、横顔を向けたまましゃべり続けた。
「嘘じゃあない。あれは、俺がずっと思っていたことだった。心の底で、腹の奥でずっと考えていたことだった。お前のことは、気に入っていながら憎んでいた。この街も、好きになりながらぶっ壊したいと思っていたんだ。俺は……そういう人間だ。そういう人間なんだ。だから、カルロス。あんまり、悲しむな……よ、……な…………?」
最後に苦笑いのようなはにかんだ笑顔を見せたまま、
ぐらり。ミシェルの体が、ゆっくりと倒れてゆく。カルロスは動けない。ミシェルの笑顔で拒絶された気がして、その場から、あと数歩を動くことができなかった。
ミシェルが硬い地面に激突する瞬間、リ-ブスがとっさに飛び出し、受ける。そのリ-ブスの眉が小さくひそめられるのを見た時、カルロスはようやく凍結から解放され何かを叫んだ。
何を叫んだかは、自分の耳にも聞こえなかった。
◆ ◆ ◆
二日後。カルロスたちは、奇跡的に焼け残った市内の病院にいた。
パタン……
扉の開く音がして、カルロスが病室から出てくる。煤けた廊下には、リ-ブスが待っていた。
「街の中の状態は、かなり安定してきています。みなさんの活躍で延焼は全体の1/3 で済みましたし、それに坊っちゃんが提案された通り、ロ-エンの金庫から見舞金や議会に対する融資をはずみましたからね。その代わり、ロ-エン商会は縮小せざるを得なくなりましたが」
「元はといえばこっちから出た火種だ。そのくらいで済めば御の字さ」
「……そうですね。それと、連絡のつかなかった役員たちですが、やはりシグルノの言葉通り……遺体で発見されました。……家族すべて、です」
「………………そうか……」
「ミシェル君が犯人でない事だけがせめても、ですね。あと残念なことに、本当の黒幕とやらはやはり判りませんでした。しかしこの街が完全なる独立を目指している今の時期を狙ったと考えれば、おのずと見えてきます。確証はありませんが、多分、帝国……」
リ-ブスはそこでしばらく間を置いた。カルロスが考え事をしていたからだ。しばらくしてカルロスが顔を上げた後に彼は、今度はカルロスの方へ質問を始めた。
「そちらはどうでしたか。先生は、何と?」
「ミシェルの方は……植物状態だそうだ。処置が早かったから命だけは取り留めたそうだが……すぐに意識が戻るかもしれないし、一生戻らないかもしれない、らしい……」
「そうですか………」
リーブスはミシェルの笑顔を思い出した。哀しい笑顔だった。せめて、意識が戻って、その笑顔から哀しさが抜けるならいい。そう、本心から思った。
「エティの方は、ショックでしばらく口が聞けないだけで、カウンセリングを続ければ必ず治るって保証してくれたよ。しかし、あれからずっと、ミシェルのベッドから離れないんだよな。あいつ……」
カルロスが小さくため息をつく。一体どちらに主点を置いたため息なのだろう? リ-ブスには解らなかった。
「自分を命がけで助けてくれたんです。例えその前に悪い事していたとしても、自分の意志ではなかったわけですから。お寂しいでしょうが、お嬢さまはまだ11才ですし、そうならない方がおかしいですよ。…………しかし、ミシェル君の方は、このまま目が覚めない方がいいかもしれませんね。目が覚めたら、治安局の容赦ない追求が待っているんですから……」
リーブスは半ば本気で言った。治安局の追求は確かに半端ではない。今回は、特にきっと。
「起きてもらうさ」
言い切ったカルロスを、リ-ブスは見つめた。
「借り逃げは、赦さねえよ。あいつには、今回のことで貸しがいっぱいあるんだ。それに……」
そう言って、カルロスはドアの向こうを見つめた。二人のいる、部屋を。
「場合によっては彼は死刑になるかもしれませんよ、それでも?」
「させねえよ。ロ-エンの残りのすべてを賭けてもさせねえさ。あいつには生きる義務がある。生きて、……一生こき使ってやるんだっ」
フンと鼻を鳴らし、ソッポを向いて、カルロスは呟いた。
「だから、起きてこいよ……、ミシェル……」
復活した小さな主人の前髪を彩る深青のバンダナを見ながら、リ-ブスは思う。
(きっと起きてきますよ。だって、こんなに起きてきて欲しがっている人間が、二人もいるんですからね。いえ……三人かな?)
「それはそうと、これでおれも当主代行を外されるだろうな」
こっちに向き直ったカルロスは、照れ臭いのか強引に話題を変えてきた。
「なぜです?」
リーブスがハテナと真顔で尋ねる。
「だってお前、こんな大事を引き寄せた上に、ロ-エンの金庫を半分以下にしちまったんだぜ? いくら画策に参加しなかった残りの役員たちでも、さすがに堪忍袋が切れるだろう。本当は、ミシェルが起きるまでこのままがいいんだけど、なぁ」
カルロスの生真面目な言葉に苦笑していたリ-ブスは、そこで不意に、いたずら小僧のような表情になり、告げた。
「坊っちゃん。一緒に来ていただきたい場所があるんですが」
◇ ◇ ◇
「おい、ここは墓地じゃね-か。なんでこんなとこに……」
「お待ちしておりました、カルロス様」
振り向くと、真新しい墓の前に、初老の紳士が立っていた。
「オルファン? 筆頭役員のお前がなんでこんな所にいるんだ?」
「リ-ブスから聞いておられないので? 旦那様のお墓ができましたので、葬式の前にカルロス様にお知らせしようと思ったんですよ。まあ、中身はまだ入られておりませんし、街が落ち着くまでは式の日取りも決まりませんが」
リ-ブスを睨むと、あさっての方を向いて目をそらしていた。
(このやろ……)
「解った。日取りはそちらで決めて構わないよ」
「承知しました」
「あ、あのさ、オルファン。一つ、訊いていいか?」
「何でしょう」
背広姿の初老の紳士は、優しい瞳で先を促すかのように静かに尋ねた。
「お前や残っている役員たちは、どうして、参加しなかったんだ? 最初の会議のときも、真っ先に賛成して票を入れてくれたし……。教えてくれないか、何故なんだ?」
その問いに、オルファンは軽く、静かに笑った。蒼穹を見上げ、口を開く。
「旦那様の……ご遺言だったのですよ」
予想外の言葉に、カルロスは足を踏み外したたらをふむ。世界が静かによろめいた。
「な、何だって?!?」
言葉の意味が解らなくて、カルロスは戸惑う。
「もちろん、わたしたちが、カルロス様を推した事は本心からです。あなたが相応しいと思った。しかし、それだけではなかったのです。旦那様はいつも私たちに仰っていたのですよ。自分の後は、カルロスに取らせる。だがあいつはまだ商売の何たるかをまるで解っていない。だから、その時は助けてやってくれ。頼む、と。勿論、こんなにすぐに実行されることになるとは、旦那様も考えておられなかったでしょうが」
掛けられた言葉の内容を理解して、カルロスは愕然とする。下を向き、額を手で押さえて小さく叫んだ。
「う、うそだっ。だって……あいつは、おれのことを嫌っていたんだぞっ」
「旦那様は、いつもあなた方お二人のことを考えておられましたよ。ただ、それを本人の前で出すことが、極端に下手だっただけです」
今度こそ、身体が本当によろめいた。
「そんな……じゃあおれは………おれ、は……おれはずっと……?」
「カルロス様が旦那様を憎んでらっしゃったのは知っています。皆の前であんなことを言われれば、私だって怒りますし恨みます。でも、これだけは信じてあげてください。あの後、カルロス様が家出された事を知った旦那様の狼狽えようは、凄いものがありました。あの方は、貴方を愛してらっしゃったのですよ、心から。だって、たった一人の、父親だったのですから」
「……………………」
黙ってしまったカルロスに一礼をして、オルファンは墓地を出ていった。最後に、
「我々一同は、カルロス様に従います。これからもよろしくお願い致します」
と囁いて。
それから30分ほど、カルロスは父親の墓の前で立っていた。俯いて風に吹かれながら。
そしてようやく顔を起こすと、何も言わず墓地を出ていった。リ-ブスとともに。
帰り道。
ヒリエッタを迎えに行くため二人は、病院までの道を黙って歩いた。
陽も落ち、辺りは薄暗くなってきていた。一番星がもうすぐ見れる時間だ。
墓地から街へ通じる並木道は、火の凌辱を何とかまぬがれ、青々と初夏の兆しを見せ茂っている。
カルロスは、軽く深呼吸をした。こんなに静かに呼吸ができたのは、いつ頃以来だろうか。そう思った矢先だった。
いきなり風が吹いた。自然に起こった風とは思えなかった。気持ちの良さを吹き飛ばす風だった。不自然に生暖かく、気持ちの悪い、ぬめりと肌を撫でる風。
二人は腕で目を覆う。風が収まり腕を戻した時、二人の前方に人影が立っていた。真っ黒な人影だった。真っ黒いマントにフード。顔は見えない。マントの内側だけが趣味の悪さを表す様にどす黒いまでに赤黒かった。
見覚えのない男だった。顔を見合わせる二人に、男は声をかける。
『瓶を、返して頂こうか』
その男の声は、あまり大きいとはいえなかった。しかし不思議と、かなり離れている二人の耳もはっきりと届いていた。しゃがれてはいないのに、地獄の底から聞こえるような声だった。その声は、耳障りな低音だけで構成されて世界を侵して響いていた。
「あん? ビンだって? 一体何のことだ……リ-ブス、お前知ってるか?」
リ-ブスに視線を向けたカルロスは、驚く。リ-ブスは、いきなり構えを取っていた。あのリーブスが、いきなり敵かどうかも判らないうちから構えを取る。
それほどの相手だというのだろうか、目の前のこの男は……
「お、おい」
「瓶なら私が持っています。これですね」
懐から、薄赤く光る瓶を取り出し、掲げる。
『そうだ』
「あなた、なのですか? 旦那様や、ミシェル君をあんな目に会わせたのは」
怒気もあらわな執事の言葉に、カルロスもハッとして男を見る。
(そういえば、親父の死にも、ビンが関わっていた……。ミシェルの言葉の中にも……)
『さあ、どうかな? くっくっくっ』
男が笑う。悪魔の哂いとはこのようなものか。そう思わせる笑い方で。
『だったら、どうする』
その言葉にカルロスも鞭を取り出す。怒りが感情を支配してゆく。
「決まってんだろ……ぜってぇ、容赦してやらねえ……!」
二人の猛者が静かに力を貯めてゆき、それが飽和をむかえ弾かれようとしたまさにその時、またも一陣の風が吹いた。そして男の姿が消える。
『瓶は確かに返してもらった。ではご機嫌よう、ふははははは』
風に乗り、どことも分からぬ虚空から声が聞こえた。
「!!?」
急いでリ-ブスは懐を覗く。
「そんな、………馬鹿なっ!!?」
赤い小瓶が無くなっていた。この街で一番の使い手の彼が、何も見えなかった。何も、感じなかったのだ。
「……リ-ブス」
しばし後、カルロスが口を開く。リ-ブスは無言だ。さすがにショックが抜けないようだ。
「ビンを使って親父を死なせたのは、老婆じゃなかったのか?」
「………報告書には……」
俯いて執事が答える。
カルロスは組んでいた腕を外す。そして、誓うようにリ-ブスに告げた。
「三年だ、リ-ブス。おれは三年でロ-エンを立て直す! そしてその後旅に出るぞ! 世界に一体いくつあんなビンがあるのか知らないが、全部、ぶっ壊してやるっ!! このおれの手でな!!!」
「……坊っちゃん」
リ-ブスは何か言おうとしてカルロスを見る。しかしその決意が固いのを見て取り、空を仰いだ。一番星が微かに出ていた。
「坊っちゃん、その旅路に有能な執事は入りませんか? すご~く有能な」
「だれが有能だ、誰が……」
あきれた顔でため息をつく。
「有能な執事なんぞいらねえ」
「坊っちゃん……っ」
「だが、有能な雑用なら欲しいな。一緒に来るか? もちろん呼び方はご主人様だ」
執事の顔が明るく晴れた。
「はい! お供します、坊 っ ち ゃ ん (絶対に変えるもんですか)!」
◆ ◆ ◆
三年後、新生暦500年。
二人の旅人が、シェスカの街を出ていった。少年ではない方は何故か、何度も後ろを振り返り、腰に手をやり安心しながらも、追いかけてくる誰かに心底脅えているように見えた。
旅人たちの行く先は、アルヘナ国。
砂漠と灼熱の王国である。