第三章 カルロス (転)2
二時間後。待ち合わせ場所で落ち合ったカルロスたちは、エイクにその場所までの地図を書いてもらい、大雑把だがこれからの予定を立てた。
まず、エイクに教えてもらった場所にカルロスが乗り込む。そして、その混乱に乗じてリ-ブスが屋根裏から侵入し、ヒリエッタを助ける。本当に大雑把だけれども。
「エイク、アンタは今捕まえてきたコイツを連れて、行政府議会に知らせに行ってくれ! このロ-エンの紹介状があれば通してくれるはずだから」
「え~、まだ何か手伝うの? いいけどさ、【二日間】に増やすからね?」
「オッケ-オッケ-問題なし! じゃあ頼むぜっ」
「そういうことなら、任せてちょ~だい?」
そう言って、エイクはザコを引きずって走っていった。投げられたキスをカルロスは何とか避けた。ため息をつく。
「大丈夫なんですか、彼は。本当に信用できるんですか? もし証人を逃がされでもしたら」
「ああ、その心配だけは無い。そんなことして損をするのはアイツだから」
「……?」
リ-ブスはしばし眉根を寄せたが、大丈夫ならいいか、と思い直した。
「そう言えば、何のことです、二日間って?」
「はっはっはっ、さあ行こうかリ-ブス! ここからが正念場だぜっ!」
カルロスは先に立って歩き出した。リ-ブスは、首をかしげながら後に続いた。
◇ ◇ ◇
午後3時。シェスカ倉庫街オ-ルドストリ-ト、廃棄ナンバ-第三番倉庫。
角を曲がると、このゴ-ストタウンな一画にまったく似つかわしくない建物が顔を出す。灯りが灯り、人の営みが温かな湯気を立てている。余りにも他の建物と趣きが違うので、その一画だけ、違う世界に迷い込んだかと一瞬錯覚を起こしそうになって頭を振る。そんな現実の埃っぽい建物の陰に隠れながら、カルロスたちはさっきからそこの出入り口を見張っていた。
「坊っちゃん、何をされているんです? ミシェルが帰ってきてしまいますよっ」
「待ってるんだよ。帰ってくるのをな」
「坊っちゃん、しかし……」
執事のたしなめ顔を目の当たりにした若い主人は、咄嗟に、滅多にしない上目使いで頼んでいた。
「頼む、不利になるのは解ってる。でも、これだけは我儘を聞いてくれ、頼む!」
「お嬢さまを助けに来ているんですよ。それは、解っておられますね?」
「………………………ああ、……分かってる………」
カルロスは下を向き、答える。リ-ブスはもう、何も言わなかった。
15分後。仮面の男が入っていくのを確認し、リ-ブスは屋根へ、カルロスは倉庫に向かって歩き出した。
◇ ◇ ◇
ド ゴ ォ ン ッ ! !
扉を蹴倒して中に入るとそこにいた奴等が一斉に振り向いた。
(この部屋には7人、か)
「テ、テメ-はカルロ……!」
「何しにきやがっ……!」
「な、何でここが分かったん……!」
「……喋るなクソ共! 無駄なお喋りはいらねえ(まったく、こういう時のセリフは何でどいつもこいつも一緒なんだ?)」
ため息をついて言葉を続けた。
「お前等も時間がねえんだろ? さっさと終わらそうぜ」
「ハッ! いい度胸だなテメー……」
バ キ ッ
一番前でうるさくがなっていた奴の顔を、取り出した鞭の柄で殴り倒す。
「テメエらに用はねェよ。さっさと……さっさとミシェルを連れてこい!!」
乱闘が始まった。
屋根の上。リ-ブスは屋根裏の窓に手を掛けて待っていた。しばらくして物の壊れる音が聞こえてくる。
「どうやら始まったようですね。坊っちゃん……無理は、なさらないで下さいよ」
何かもうそれ自体が無理なような気がしてきたが、リ-ブスはとりあえず祈る。
「では、行きますか」
窓に手を掛ける。その瞬間窓が内側からはじけ飛んだ! 傾いた屋根の上でリ-ブスはとっさに転がり衝撃から逃れていた。
(クッこれは、まさかっ)
凝視した視線の先、壊れた窓から人影が現れた。屋上で対峙する。
「やはり……あなたですか、シグルノ……。何故分かったんです?」
「来るとしたらここだろうと思っていただけさ。変わってないね、グレイ」
……ぱきっ、ぱきっ。壊れた窓枠を破壊しながら、普通のおじさんに見える男が屋根に出た。ピキピキと足元から音がし始める。二人の間にある煉瓦とコンクリ-トに小さくヒビが入っていく。大気がミシミシと音を立て歪んで軋んでいた。ヒトとは思えない殺気、それがぶつかる事で自然ではあり得ない破壊現象が始まっていた。
「ここなら治安官の邪魔は入らない」
シグルノが装着ナイフを取り出し、腕の金具に取り付ける。リーブスも手甲ガードのついたナイフを取り出し、静かに握り構え見据えた。
「決着の時、ということですね。では、死んでくださいシグルノ!」
「吠えるなと言ったぞ裏切り者」
直後。二人の足元が同時に砕け、常人の目からその姿がかき消えた。
ド ド ド ド ド ド ド ッ ド ド ド ド ド ッ ッ !
屋根から凄まじい速さの振動が響き始めた。
「なっ何だこれは!」
後から後から出てくるザコを片付けていたカルロスも、これにはさすがに耳を覆う。周りでも残りのザコが耳を押さえてうずくまっている。
「あ、あのバカっ、いったい何やってくれてんだ!」
さらに建物そのものが揺れ始め、ホコリの固まりが落ちてくる。
どれだけ人間離れした戦闘をしているというのだろう。衝撃で柱が軋んでヒビが入った。
「くっ、仕方ない。エティはおれが……」
「さすがに強いなァあのヒトはよ。シグルノさんだってバケモンなんだがなァ」
かけられた声に見上げると、上に続く階段の踊り場に、仮面を外したミシェルが立っていた。
「ミシェル……エティを、返してもらいに来たぜ」
「ああ、なんだ、それで来たのか。何しに来たかと思ったら。悪かったな。あいつら勝手に連れ帰ってくるんだからなァったく。大丈夫、心配しなくても返してやるよォ」
「本当、だろうな?」
信じたかった、この後に及んでも、なお。しかし、
「ああ、安くしとくぜ? お代は、ククッ。お前の命だ、カルロォォス」
ミシェルは下目使いで取り出したナイフを舐めあげた。
何度目だろう……この切り裂かれるような気持ちを味わうのは……たった、数日で……。
「ミシェル───────ッッ!」
カルロスは涙目で吠え、ミシェルに向かって走り出した。
重低音を響かせて、硬いナイフが撃ち合わされ続けていた。
ドガガガガガッ ザクッッザザシュッッ
何度もお互いの体を斬りつけ合い、血飛沫を舞わせ合いながら、互いに一瞬たりとも躊躇が無い。お互い、わずかでも油断すればそれが即座に致命傷につながる事を知っているのだ。
相手を殺す事に全力を賭けること、それのみがその場で命を永らえる唯一の手段だった。そこに、
今までで一番の血飛沫が舞った。リーブスだった。動脈を傷付けたのか、噴き出す勢いが止まらない。屋根の上の離れた場所まで音を立てて血が落ちる。
ガクン!
リ-ブスのひざが崩れ落ちる。しかし持ちこたえ、素早く止血し振り向いた時にはもう、今の崩れそうになった面影は、瞳の中のどこにもありはしなかった。瞳の中にだけは……。血の霧は消えている。だが、大量に血液を失った体の不調だけは、目のクマとして顔の上に浮かんでいた。
傷はと見ると、周りの筋肉のみを硬化させ、血流を止め、念じただけで止血していた。傷の上には一瞬でガーゼだけが貼られている。応急手当にも程があった。
「やはり腕が落ちているな、グレイ。ちゃんと教えてあげたろう? 腕を落とさない一番の方法は、毎日一人、殺すことだと」
「忘れましたね、そんな戯言は。それよりそちらこそちゃんと見ていることです。あなたの教えが間違っていたことを、すぐに証明して差し上げますよ」
「言うね。それも元、組織のNO.1だった君の自負、なのかな?」
能面の顔の中、口元だけで笑うシグルノ。その笑いを収めたのは、リ-ブスの怒りの叫びだった。
「組織のことは言うなっ!!!」
カルロスが聞いたら驚くほどの大声でリ-ブスは叫ぶ。
「キサマらが俺にしたことを忘れたか!! 子供のうちに誘拐し、薬と催眠で無理やり殺人を仕込み! あげく、ずっと、ずっと捜し続けてくれていた家族を殺させた!! 敵国の間者だと言うお前の言葉を盲目に信じて、俺は、俺は……この手で……この俺の手でっ!!」
口調が、変わっていた。何があっても変わることの無かったリ-ブスの口調が。
「何を嘆く? 何を悲しむ? あれですべてのしがらみを逃れてお前は、自由になれたのだというのに」
「自由……自由だと? あそこの何処にそんなものがあったっ!? 薬と洗脳で意識を奪い、親と妹の命を奪っておいて、何が自由だというんだ!!」
「魂のだ。それに、お前だけではない。わしを含め、すべての同胞が同じ道をたどってきたのだ」
「それが何だって言うんだっ!」
「つまり、お前は失敗作だったということさ、グレイ」
「しっぱ……い……作……だと……」
呆然と、青年はつぶやく。全身に力が込められたままで声だけがわななく様に力なく。
その異様さは、もはや人の域を超えて狂おしく、ただただ嘆きに溢れているかのようだった。
「やはりお前はここで殺そう。いつまでも失敗作などに生きていてもらってはわしが迷惑だ。芸術家というものは、失敗作は残さず壊すものだからな」
「しっぱいさく? 失敗、作、だとォォっっっ!!」
顔を上げたリ-ブスは、涙を流していた。
血の色の、涙……。瞳の色が赤く紅く変わっていた。
「あんな事を平気で出来るのが成功作だというのなら! 失敗作? いいだろう結構だ、その失敗作の手で殺してやるよ!」
「今のお前には無理だな」
「跡形もなく消えろっ、元凶ォォォ!!」
リ-ブスは真っ正面から飛び込んで行く。待ち受けるシグルノの口に薄笑いが浮かぶ。そして、
二つの影が交錯し、片方が、ゆっくりと倒れていった。
ガシャァァンンン……!
「う……ぐぁ………っ」
窓をつき破りカルロスが放り出された。単なる蹴り、その一撃でこれだ。
カルロスの体重が年の割りに軽いとはいえ、恐ろしい威力だ。
地面に叩きつけられたカルロスの喉からうめきが漏れる。
信じられなかった。以前のミシェルを知っていたからこそ、余計に衝撃を受けていた。人ひとりを窓を突き破って吹き飛ばす蹴り……人間技ではあり得なかった。
「く、そぉ……双竜鞭でも駄目なのかよ……? ミシェル、お前……その強さは、一体……?」
以前の彼にはそこまでの力は無かったはずだ。
「ハッ、強さ? 違うぜカルロスゥ、お前が弱いだけだろぉ? そんなモンか?お前が求めた強さってのは、そんな程度のモンなのか? なら……もォいいや。終わりにしようかカルロォス。向こうも、終わったようだし、なァ……」
「なんだ、と……ッ? それは、どういう……?」
ミシェルの呂律が回っていない言葉の不自然さ。それにカルロスが気づく前に。
どさっ………
同時に、屋根から何かが落ちてきた。アスファルトに転がる長身の体。オールバックに極めた銀髪がほこりに煤けて広がっていた。
「そんな……そんな……リ-ブス! おい、冗談だろ!? さっさと立てよ、手前ェ、リーブス!」
「う……坊っちゃ……ん、ぐぅああ!」
リーブスがか細い悲鳴を上げる。横に降りてきた男が、さっきできたばかりの傷口につま先を立て踏みつけていた。
グリグリと、傷の部分だけをつま先でえぐるように突き刺してこね回す。血飛沫が跳ね、ドクドクと、音が無いのに音が聞こえる。執事服が更にどす黒く変色していく。
普段顔色ひとつ変えない執事が身体をくねらせ白目を剥いて悶絶していた。カルロスは起き上がって必死で叫ぶ。
「やめろジジイっやめてくれ!頼む! 殺すぞテメ-!!」
「横、向くなよ」
耳元で声が聞こえ後ろに飛ぶ。今回は間に合った。ミシェルのナイフが空を切る。わき腹の横を服を引き裂き刃先だけがすり抜けた。
「……しぶといなァ、いい加減諦めろよォ……?」
ミシェルの目が、光っていた。爛々と、毒々しく。垂れた前髪の隙間から、泣きそうに赤い眼がカルロスを見つめていた。遠くから眺めるように、ねめつけるように。自分にはついに手に入れられなかった何かを妬むように。羨むように。
鈍い思いの集積。
憎しみとも、助けを求めているともとれる、曖昧なもの。
それは、後悔だろうか?
だが彼は、その歪みに支配されたまま。想いは、どこにも届かない。
カルロスもだ。年上の親友のその深い悲しみの底には、最後まで気づけない、気づいてやれないままだった。
「ルセ-よっ、誰が諦めるかボケッ!」
ありったけの怒気を込めて叫ぶ。
だが、状況が不利なのはカルロスも認めるしかなかった。1対1でも苦戦しているところへ2対1、しかも、リ-ブスは人質に取られたのも同然だ。
(くそ……どうする、どうすればいい?! どうすれば……)
リ-ブスを見る。すでにピクリともしない。時間が無い。
策はある。けれどその為には、相手の注意を逸らさなくてはならない。二人共、だ。
(無理だな、おれ一人じゃ……。残るは未完成の技が一つきり。ま、……やってみるさ)
それは勝ち目のない賭。だが何もしないで負けるよりは!
「覚悟は、できたかな?」
ミシェルがシグルノと呼んだ中年男が訊いてくる。
「あぁ。ンじゃ行くぜド畜生! 受けられるモンなら受けてみやがれ! 破ぁあああ!」
カルロスは両の手で鞭を放つ。そのすべての軌跡が一人に集中する。
「お前も特攻か、芸のないことだな」
二つの鞭が軌道を描く。無数の傷跡が床や壁に描かれてゆく。
しかし、シグルノは、すべてを見切って避けていた。しかも少しずつ近づいてゆく。台風の目、カルロスに向かって。
だが。
「芸が見たいのか、おっさん? だったら今見せてやるぜ! 双竜鞭奥義、豪震雷華!!」
叫びと同時に二つの鞭が絡まった。仕込まれた金属の擦れ合う音が高く鋭く響き渡る。ハウリング!
「ほ、それがどうした? ただうるさいだけでは……何っ!?」
凄まじい摩擦で鞭の表面に火花が疾走る。チュインチュイン、音が跳ねてさらに動きが加速する。弾かれて灼熱と化した金属が紫電を纏い振動した。
準備が終わり鞭が分かたれたのちには、雷をまとい紫電を帯びてスパ-クを発す、二本の鞭が現れていた。
「待たせたな、いくぜこのクソヤロ-どもっ!」
戦闘開始の合図とともにカルロスの鞭がブレイクダンスを踊り始めた。バチバチバチッ! シグルノが避けた鞭が地面を叩く。バチィィッッババババリィイィ! 打たれた土が砕け散り、放電された雷が華の様に八方に疾走り散ってゆく。
すぐに鞭が空中に消える。音速に近いスピ-ドで放たれた幾つかの攻撃が敵を掠めた。
「ぬぅっ!」
手ごたえがあった。幾つかがまともに入ったはずだ。ただ、惜しむらくは急所をすべて外されたということだった。ふらついているが、倒れるほどではない。
しかもまだミシェルがいる。例えどんな技でも、一度見せてしまえば効果は半減するのだ……。
「隠し玉は終わりかぃ? カルロォス。じゃ、二人掛かりでやらせてもらおうか? いくゼェ」
(ち、くしょう……。せめてもう一人、誰かが牽制してくれたなら……)
無いものねだりをしても仕方ない。
(ち、ミシェル……もう一度アンタと、バカやりたかったぜ)
ザ……。三つの影が動き出す。その瞬間。
ズ ガ ァ ァ ン !!
ミシェルたちのすぐ横に大穴が開いていた。
「何だ!?」
土煙が立ちのぼる。それに隠され、ミシェルたちの注意が一瞬それた!
(今だ!!)
カルロスも気にはなった。が、このチャンスを逃すわけにはいかなかった。
イメ-ジを一瞬のうちに組み立てる。そして、それを鞭に乗せて解き放つ。
煙が収まってくる。理由は解らないが、早めに退散したほうがよさそうだ。そう考えたシグルノは、仕事仲間に声をかける。
「ミシェル、どうするのかね?」
仕事仲間から返事がない。今の爆風で気絶でもしたのだろうか。だとしたら厄介だ。もうすぐ例の時刻が来る。起こさなければ。
シグルノがミシェルのほうに一歩踏み出したその時、
「破あぁあああっっ!」
少年がまたも突っ込んできた。
(あのまま逃げていれば、一時でも生き延びられたものを)
彼はクスリともせず待ち構える。そこへ、鞭の音が飛んできた。
(無駄だ、何度やったところで)
まだ完全に晴れていない煙の中、それでもシグルノは音だけで避ける自信があった。当たり前だ、彼は、長くこの大陸の裏を束ねた組織の幹部、それも実行部隊の長だった。この程度の相手に遅れをとるなどあり得ない。
わずかに余裕の笑みを浮かべ前方の鞭を避けた瞬間、彼は、生涯で一度も聞いたことのない声を聞いていた。生まれて初めて聞くそれが何なのか、理解するのに数瞬を擁したそれは、
「ぐあああああああああああああああ!!!」
おのれの喉から絞り出た、痛みによる絶叫だった。
「へ、やったぜ! おれの鞭が古代武器だってことを知らなかったのがアンタの敗因だよ、おっさん」
カルロスの静かな言葉が響く。その視線の先、視界の真ん中に、背中の中心に鞭の先をめり込ませ、上半身をぐるぐる巻きにされたシグルノが転がっていた。鞭の帯電が静かに消える。
ゆっくりとカルロスが近づいてゆく。その足取りに不安は無い。勝利を確信しているのだろう。自らの技、それに自信を持っているのか。確かに腕も足も封じていた。だが、
カルロスも、彼が暗殺者だとは知らなかった。だから不用意に近づいていく。
シグルノの能面のような無表情に満ちた顔が上がる。静かに。ゆっくりとカルロスを見る。
小さく口が開いた。何かを言おうとしているのか。カルロスは気づかない。近づいて覗き込むカルロスに向け、口から何かが発射されようとしていたその時、カルロスは、すでに逃げられない位置にまで来てしまっていた。
「不用意だったね、少年」
男の口の端だけが引きつるように歪んで開いた。発射される寸前の無数の針が喉に覗いた。
ざくっ…………………!
金属が肉を切る音。だが、カルロスは立っていた。無傷だった。その目を前方に見据えたままで。
少年の驚愕の表情の中に歓喜が次第に広がってゆく。パクパクさせた口元が言葉にならない。
「お言葉をお返ししますよ……昔のあなたなら、止めを刺したかどうか確認するまでは、不用意に敵に背中を向けたりはしなかった。この7年で鈍ったのは、あなたの方だったようですね、シグルノ……」
リーブスだった。シグルノの足元、倒れていたはずのリーブスが、血塗れのまま膝立ちに立ち男のわき腹にナイフを深く差し込んでいた。
「ギ……ザマ……」
ボトボトと血潮が落ちる。鋭い飛針を発射寸前で喉に並べて咥えたまま、刺されたショックで口を閉じたシグルノの口腔は、ずたずたになっていた。
口と脇腹から大量の血潮が落ち続ける。喉まで張り裂け針が内から飛び出していた。
「終わりです、シグルノ」
その言葉にカルロスの嬉しそうな声が重なった。
「リ-ブスっ! お前、生きて………!」
それを聞いたリ-ブスも笑顔で答えた。酷い怪我なのは確かだが、体力だけは戻っていた。暗殺組織秘伝のレシピ。その中から活性薬を思い出し、一晩かけて作っていたのだ。使うと後で一日ほど苦しむので、できれば使いたくはなかったが、それでも一流の執事は必要ならば躊躇はしない。備えあれば憂いなしだ。
「勝手に殺さないで下さいよ、坊っちゃん。もしかして、私がいなくて寂しかったですか? そう言って貰えるのなら、嬉しいですね」
ウインクと話し方。
なんにしろ、一流の執事のする仕草ではないが。
「テメ-は……。あ-もうっいいからさっさと倒れてろ!この馬鹿! 重症患者っ!」
震えながら怒るカルロスを見ながら、リ-ブスは満面の笑みを浮かべていた。
「リ-ブスさん! カルロス! 無事---っ!?」
後ろを見ると、エイクが仲間を連れて走ってきていた。その後ろには、小型の……大砲!?
「エイク! アンタが助けてくれたのか!」
礼を言おうと駆け寄ったカルロスの横を、無視してエイクは駆け抜ける。
(……おい)
「無事でよかったわぁっ、特にリ-ブスさん!!」
足を止め振り返り、カルロスはつぶやいた。
「……あのなあ。ま、まあ、助けてくれた事には礼を言うぜ」
ようやく振り返り、エイクが言葉を返す。
「あら-いいのよぅ。でもそれほど言うなら【三日間】にしてもらっちゃおうかな-?ね?」
シナをつくる。どーでもいいが、男がエクボを出さないでほしい。
カルロスは顔をヒクヒクさせ、げんなりと呟いた。
「……本人に聞いてくれ、その辺は」
「何故だ……。例え止めを指し損ねていたとて、今のお前は、動けるような状態ではないはずだ……」
カルロスたちから少し離れて、急速に生命を失いながら、シグルノは尋ねた。言外に、活性薬はそこまで万能の薬ではない、との言葉も含んでいた。
長い間、一度も本当の感情を出したことの無いその顔に、驚愕の表情が大きく張り付いていた。目を見開いて弟子を見つめる。
血潮が地面に広がっていく。この大陸の裏側、闇の世界に覇を唱えた組織の顔が、消え去ろうとしていた。
「……簡単なことです。これが、あなたが生涯をかけ否定し続け、信じようとしなかった、【守ろうとする力】だということです」
「………」
シグルノはもう、尋ねなかった。
「そうだ、エイク。アンタに頼んだ仕事はどうしたんだ? 上手くいったのか?」
我に返りカルロスが尋ねる。
「ええ、もうバッチリ! 最初はうさん臭がられたけど、さすがロ-エンの威光はちがうわね。街中の放火未遂犯たちは、すでに全員捕まえたわよ?」
「よっしゃ!」
湧き上がる声。歓声とともに、助け出されたヒリエッタが戸口から出てきた。
「エティっ!」
カルロスが腕を広げて迎える。その時だった!
「がぁっ!」
リ-ブスの悲鳴が響き、一陣の風が吹き抜けた。
「きゃああああ!」
「エティィィィっっ!!」
復活したシグルノが、ヒリエッタを再度人質に取っていた。




