第 七話 『“こどく”の船 〜惑い④〜』
遅くなってすみません。
表面の全域から数千の煙を上げる月の周りで、世界へ落ちる雷をその身で反射し防ぎながら、銀色の宇宙船が涙の様に飛び交っていた。
その銀の点が形作るのは五芒星•六芒星•七芒星と一つ星。併せて19の星々が銀色の涙となって漆黒の宙を駆け抜ける。反射とパルスによる相殺とレーザーによる攻撃の、その全てに【雫】の金銀色を纏わせて、勝算を度外視しく、ただ大切な仲間との約束を守るその為だけに戦火の中を疾走り続ける。
『赤の3から青の1へ。表面からの砲塔は八割七分が既に沈黙。ですが、その隙間を埋めるようにこちらを模した無人小型艇がさらに一万生成されて飛来。そちらの方は未だ二割を削っただけです』
赤の五芒星小隊、ヘーニルからの報告に、青の1、隊長機のヴィーザル•イグニは返事を返す。
『青の1から赤の3へ。把握した。こちらは引き続き砲塔の沈黙化に従事する。赤の五芒星と緑の七芒星は小型艇の殲滅に移れ。黄の六芒星は青に合流、こちらにリンクして全力管制。星を砲撃できる施設は一つも逃すな、繰り返す、星を砲撃できる施設は一つも逃すな!』
『赤、了解』『緑も了解しました』『黄、合流します』
部下たちの返事を聞きながら、ヴィーザルは黒に近い群青のサングラス越しに戦場を広角に感じ取る。全ての情報が集積されてコンマ秒で表示され続けるレンズ裏と、キャノビー越しの巨大な人工月を同時に見ながら指示を出し笑みを浮かべた。
(こちらは順調だぞ、アダム……いや、今の時代はファングと名乗っているのだったか? そちらは大丈夫なのか……連絡が取れないのは、分かっていても不便だな)
この状況は最初から分かっていた事だった。分かっていて、それでも志願した者たちの集合なのだ、自分たちは。だが、それでも。古き友人を心配する心だけは、消えはしない。消える程度のものならば我々は今ここにはいない。
隙間の思考でそう呟いた彼の思いを、いきなりの通信が阻害する。
『な……なによ、あれ!?』『隊長! つ、月が、月の表面が……!!』
『……なんだ、あれは……?』
部下たちの悲鳴のような報告に、視界を操作しサブイメージを消したヴィーザルも、それを見た。
『……これは、いったい何が起こっている……ッ!』
想定外の事態が目の前で進行していた。月の裏側、北回帰線上の表面が盛り上がり、見る見るうちに人工の地殻が割れて剥がれ始めた。表面位置で重力が違う所為で砂の落ち方にズレがあり、光学観測では未だ何も見えないが、巨大な代物が外に出ようと動いていた。太古の機構が作動して、マグマが沸くように赤色の代わりに銀が突き出る。空気の無い無音の中で、確かにそこに命があった小さな世界の破滅の音が聞こえた気がした。
(彼は、これに気づいているのか? もし、気づいていないのならば、……ッ)
『赤の3から5は、小隊を外れ移動物体の観測に入れ! 詳細を全て漏らさず記録しろ! そして、可能なら彼との通信を試みろ。最優先だ!』
『了解!!』
部下たちに新たな指示を出しながら、ヴィーザルはこの戦場で初めての汗を一筋流した。
『アダム……いや、ファングよ。しくじるなよ。頼む……あの時お前が言っていた未来へ、俺たちを導いてくれ』
◇ ◇ ◇
空中の画面に映る景色が変わっていた。
『……ッ』
浮かぶ光景に唇を噛む。その横では、目玉の怪物が怒りを込めてこちらを見ている。
世界の今の姿が映っていた。地震があちこちで起きていた。地殻が割れて誰かが落ちた。巨大な波が港を染めた。船が空に跳ねられて、重力で落ちた水面で粉砕される。眠っていた山が噴火して嘔吐の様に吐いて燃やした。砂が巨大な川となり、全てを巻き込み地底へ落ちる。気圧が壊れて渦となり、巻き込まれた生き物が血を吹き出して捻られた。血の色をしていた。空も地面も砂も水も、全てが血と同じ赤に染まった。
それ以外の場所でも、逃げ場所を探して映る全ての人々の顔を恐怖と絶望が染めていた。だが、それだけでは無かった。そこにはあちこちに怒りもあった。憎悪よりも純粋な、おのれの力の及ばない何かに対する全力の叫びがあった。理不尽な世界で理不尽な仕打ちを受けて理不尽な生を生きてきた。空虚な世界に呆けながらも、その中で、それでも大切な人や何かの為に奮闘してきた報いがこれか、と。認めない、認めてやらない、このまま終わってなどなるものか、と。
映る瞳が全てを込めて怒りを誰かに伝えていた。空に、天地に伝えていた。ファングが見ていることなど誰も知らないだろう。だが、ファングは怒り(それ)を受け取っていた。己が受け取るべき怒りだった。だからこそ、挫ける訳にはいかなかった。目を逸らしたり、膝を屈する訳にはいかなかった。
逃げるわけにはいかなかった。これは、おのれの罪でもあった。世界を終わらせない為に、世界の修正を常にしてきた。少なくとも、自分が動かなければ世界そのものが何度も終わっていたのも確かだった。それでも、【歴史の合一】を果たし、大切な人々と合流するその為に、修正できた部分を修正してこなかったのは、自分だった。
【世界の合一】という最終目的の為に、助けられた人々を見捨ててきたのは自分だった。目の前の事もそうだった。【ガイア】やナニールが原因の一つには違いなかった。だが、星の核が傷ついた状態で【ガイア】と最終決戦に入れば、こうなることは予測できていたのだ。
(それでも、強行したのは自分なんだ。動かなければ星そのものが壊れていたとしても、アスランの種属が全滅していたとしても。星と種の存続の為にこの光景を傲慢にも容認したのは、自分なんだ……)
だから罪からは、逃げてはいけない。全てが終わったらちゃんと償いし、報いを受けないといけない。だからこそ……
【惑星アーディルの怒瞳】は、少年の姿をした、自らと共に長年旅をしてきた体が、拳をついて立ち上がるのを見ていた。怒りを込めてそれでも見ていた。
『仲間が頑張ってくれている。カルロスやナハト達があんなに苦しい目に遭っても立ち上がったのに、全てを仕組んだこのぼくが蹲っている訳にはいかないよね』
呟きながら苦笑して、胸を張り自分よりも巨大な眼球と対峙する。
(そうだよ……おかあさんやナーガさん達にも、師匠にも、顔向けできなくなっちゃうよ。何よりも……)
決意を宿した瞳で、
『何よりもさ……世界も自分も生き残らないと、罪を償う事もできないじゃないか!』
泣き笑いの表情で、もう一度、まだ終わっていない賭けの続きを催促する。
『さあ、罪深いベットの続きといこうか、アーディル。君を納得させる為ならば、ぼくはこれまでの全ての罪を誇って背負おう。世界は、存続させる。【ガイア】は仲間が抑えてくれてる。ならばぼくは、ぼくの仕事をしよう。君との賭けに勝ち、この星にぼくらの居場所を造ってみせるよ!』
映る画面のその先で、人々が全力で悪態を付きながら、大切な誰か達を命がけで助けようとし始めていた。自分本位で他人を足蹴にして己だけ助かろうとする者も大勢いた。でも、それでも。
理不尽に抗いながら手を差し伸べる人々の手の数は、確実に増え始めていた。
◇ ◇ ◇
少年少女を先頭にした大人の群れが疾走っていた。風の翼を足に纏い、後衛の仲間や兵士が作ってくれた戦場に空いた直線の路を、選抜された60人は駆け抜け続ける。
『ほう、勇ましいな。まさか【我】の所にたどり着ければ何とかなるとでも、未だ思っているのかね? 距離があるとはいえ、最大威力の攻撃をまとめて無効化された直後に威勢の良いことだ』
暗黒の空洞からドロドロの泥を吐き出しながら、少年だった身体が言う。まだ500mは離れているはずなのに、空間が震えてこちらの耳を震わせる。不気味さも肌が受けるパワーの巨大さも、誰もがこれまでで最大級に感じている。だが、怯む訳にはいかなかった。自分が怯んだら己だけでなく家族が国が星が死ぬ。ここまでたどり着いた全ての者が、その程度の葛藤は既に超えてここに来ていた。
「アホかよ直撃した訳じゃネェだろが! 一所懸命消してたってことは、逆に直撃したらヤバいよーって言ってるようなモンじゃねーか恥ずかしい! 本当に無駄なら消さずに直撃させて無傷を誇るぜ、語るに落ちてんじゃねーぞこのカスタードアンポンタン!」
甘い、と言いたいのだろう。カルロスが全力で走りながらも、酸素の足りない頭で怒鳴る。
「それにな! 接近戦ならやりようは他にいくらでもあんだよなッ。さあてだんだん近づいてくぜ、近づくぜぇ? さあ言ってやれ【暴力少女】!『こんにちは、あたしラーちゃん。いま貴方のそばにいるの。真後ろまであと300mよ』!?ッんガッ!」
「クリスタルアッパー!」
間髪入れずに少女が鷲掴みした水晶球がカルロスの顎に炸裂した。空中を走る少年の身体が見事に放物線を描いて宙を舞う。
「だぁれが【ラーちゃん】よ、このどチビ! 人を勝手にどっかのカイダンに混ぜ込まないで! ど突くわよ!?」
体勢を立て直し、空中を走りながら元の位置に復帰したカルロスが、顎を押さえて「ど突いてから言うなって言葉の意味がいつまで経っても通じねえ……」と小声で嘆く。
「痛てーよ! てゆーかおま、進化し過ぎ!! いつの間に水晶球片手で掴んで振り回せるようにまでなってんだよ! 腕力おれよりあるんじゃねーの?! ナハト、将来嫁のアイアンクローには要注意や!」
「カルロス、アベルの語尾混ざってる混ざってる」
「な、何言ってんのこのおバカ、きぃーッ!」
最初の不意打ちの後は、ダッキングとスウェーで迫る水晶球グローブを見事に避けながら少年は走る。走る速度を落とさずに器用に少年と少女が互いの残像とシャドーボクシング。「あぁたぁれぇぇぇ!」「なぁんのぉ!」どこの格闘物語の台詞かとつっこまれそうな掛け合いが高速で応酬される。
ナハトは聞こえない聞こえないと、耳を押さえて走っている。
「というか、商売道具じゃねえのかよソレ、大事にしろよコンチクショウ!」
先にからかったのを棚に上げて説教を始める少年は、商売人として褒めて良いのだかいけないのだか。遠くで執事がゆっくりと首を振った。ダメだったらしい。
「ラーサ……カルロスに染まってきてないかい……?」
「え……うそ……そんな、ヒッ」
ナハトの指摘に両手を頬に当て絶望的に悲鳴をあげる少女がひとり。
「そこまでかよ! そこまで嫌かよショックなのはこっちの方だよコンチクショウ!」
「さて、じゃれ合いはそこまでだ、そろそろ着くぞ」
アリアムの指摘に全員が瞬時に黙る。
「あの会話の間にも攻撃してこなかったってことは……また何かの時間稼ぎをしているらしいな。最後まで時間稼ぎが好きな敵だな、まったく」
アリアムが独りごちる。どうやら、全力でじゃれ合ってはしゃぎながら、相手の出方も見ていたらしい。誰もがもう笑っていない。そんなこんなで絶望の中、絶望的な状況のなか絶望していない一団が、表情が分からないながらも何となく怒りをたたえた様な沈黙で迎える【ガイア】の前に到着した。
二話投稿はできませんでした。申し訳ありません。
今回は複数視点。次も複数視点になると思います。
その次は複数視点だけど、場面はそのまま、かな。