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第一章 ナハト (起)

 このお話は長いです。一緒に、それぞれの章の主人公が次第に集まり、交差する様を楽しんで頂けたら、嬉しいです。

 感想や、誤字脱字、用法間違いのご指摘をいただけたら、とても嬉しいです。よろしくお願いします。

 以前頂いたイラストを追加しました。改めてありがとうございました。


 20140518 エピソードを追加して改定しました。

 ナハトとデュランの交流を、楽しんでもらえると、良いなあと思います。


 読者の方から、もう少し改行を入れた方が読みやすいというコメントを頂きましたので、会話文と地の文の間に改行を入れる手直しをしていく所存です。

 よろしくお願い申し上げます。(20140825)

「何だとおぉぉ‼」


突然、怒号がこだました。

薄暗い小さな酒場の店内からだ。

忙しい一日の終わりの時。仕事の後の自由な時間を静かに楽しむ数人の者達が、迷惑そうに息を潜めて耳をすます。それ以上何も起こってくれるなと。明日の為の余韻に浸る贅沢くらい邪魔しなくても良いだろうにと。疲れた顔で願う小市民の切なる祈り。その甲斐もなく、グラスの割れる音がそれに続いた。

和やかに会話が交わされていた店中が冷汗を浴びたかのように静まり返る。

賑わいの薄い店内が非難の静寂に包まれて。一人、また一人。そそくさと小声を交わし頷いて、それでなくとも多くない客が金を置いて帰ってゆく。闇に落ちたカウンターの内側で、調理の火が消えた代わりの紫煙が立ち上り、微かな舌打ちだけが一つ聞こえた。


巨大な砂漠と奥深い森。そこに挟まれた小さな三角のステップ地帯。その場所に昔からあるうらびれた小さな町の、外れに置かれた寂れた酒場。

陽のある時間帯でも光が届かぬ薄暗い最奥のテーブルで、天井を突くかのような大男が、自身の半分にも満たない小柄な老婆に怒鳴っていた。

男はフラつく程に酔っていた。

自分が手を出せば直ぐに老婆は死んでしまう。その事が判るギリギリな線を保ちながら酔っていた。

呂律の回らない口調で男が言う。


「貴様などに……何も知らないきさまのような者などにぃ! 俺の、事など、分かる、ものかぁッ……‼」


男の口から飛ぶつばを、僅かに首を傾けたのみで優雅に避ける。

老婆は落ち着いていた。体積が何倍もある男の前で、涼しい顔で座っていた。


「死んだ村人たちが怒っている。奥さんと娘が悲しんでいる。あんたのやった事は、誰も望んでなんかいなかった。 誰一人、そんなことをして欲しいなんて思ってなかったのさ、あんたにね」

「だァまれえええええ‼」


喉も裂けよと憤りがほとばしる。

男にもそんなことは分かっていた。そんなことは言われなくても分かっているのだ。

だが、どうしようもなかった。無かった事になどできなかった。無かった事にするには、哀しすぎる出来事だった。今更そんな分かりきった事柄を、突きつけていったい何がしたいというのだ。


「……だったら、だったらどうすれば良かったと言うんだ!? おれは、どうすれば……っ」


うな垂れて嘆く男に老婆は言う。


「あんたの後悔と絶望、それを消せるかもしれない代物があると言ったら、どうするね?」

「な……に……!?」


男は息を飲み、顔を上げ老婆を見つめ、


「そう、この世に残る、最後の魔法というやつさ」


口元だけの笑みから吐き出されるその言葉に、絶句した。

燻るような音とともに天井のランタンの光がはじけ、揺らめくように老婆の顔が闇に沈んだ。

薄暗い店奥に光が澱み跳ねて跳ぶ。壁に掛けられた小燭台の炎が風も無いのに揺れていた。

ちびた蝋燭の小さな炎が、自身の何倍もの影を喰いながらチラチラと蠢くように煌めいて、老婆の笑みの影を長く長く伸ばし、歪んでいた。





序詩


高らかに心奮わせるに流るる

喜びの水よ

灼熱で鍛えたる光る土

滑らかなる入れ物を満たせよ

遥かな(そら)から還る虹

真なる円よ、銀と金

星々の在る間に器を捧げ

水が色変わる間に言霊を降らせよ

世の全ては想いと共に

さすれば願い 聞き届けたり


[ヌン オーム ウル マ ニ ラクル]


「ナニ-ル流界書、伝の二、大地の書」より

「Load of Moon-この世に残る最後の魔法-」



第一章 砂の章



見渡す限り、地平の果てまで砂に埋もれた景色が広がっている。

それは、星を覆う煙の様に砂混じりの風が舞い渡り、砂の領土が人の領土を人の認識力で理解できる速度で奪いゆくこの時代にとっては、世界中でごくありふれた光景だ。だが、それはありふれているというだけの事であっても、安易であるという事では決して無い。

オアシスを一歩出るだけで死の世界が口を開ける。

命の泉からほんの数十歩、境界線を出たばかりの処に在る何時とも知れぬ昔生き物だった巨大な骨の塊が、その場所の苛酷さを何重にも物語っていた。

それでも、そんな場所ですらも、人は、昔からしぶとくあり続け、生き抜いている。


「こんにちわガスハ~。オレが拾った行き倒れ、まだ生きてる?」


水辺に立つ煤けたテントの内側に、14、5歳程の少年が駆け込んで来る。白いターバンを頭と顔に巻きつけて、出来るだけ身体を露出しないよう布で厚く包んだ砂漠特有の衣装を纏っている。わずかに見える素肌部分からは、瑞々しい褐色の肌と、光を発するかのような力強いつぶらな瞳が覗いていた。

 赤黒い肌と茶色の瞳、そしてターバンから覗く黒髪を目の上で揃えた髪型が、少年のやんちゃな性格を物語っている。

 少年が飛び込んだテントの中では、齢70を越えていそうな、年月を皮膚に刻み込んだ一人の老人が、ゴリゴリとすり鉢の音をさせながら薬の調合を行っていた。


「……ナハト。お前ももう大人と認められる歳に近づいている。いい加減落ち着け。儀式も近いぞ」

「あーもう煩いな、分かってる分かってる。で、オレの拾い物は?」


座って薬を調合していた老人、村で唯一の呪い師であるガスハは手を止め、ため息を付いて答えた。


「……奥でまだ寝ている。ちなみに肌の色は違うが同じ人間だぞ」

「オレが拾ったんだからオレのモンだよ」


老人の忠告を一蹴し、そう言ってテントの奥に入って行く。体は大きいが中身は未だ子供のままだ。


「あれっ、なんだ。もう起きられるのかい? 行き倒れの癖に結構丈夫なんだな」


ナハトが奥の間に続く布を捲ると、筋肉の塊がシーツに半身を起こしていた。まだ寝起きで頭が働いていないのか、目に力がない。枕もとの荷物も夜中に運んできたままで、窓際に立てかけてある彼の愛刀らしき2mを優に超える大剣にも気が付いていないようだ。ちなみに、すごく重かったから捨ててこなかったこと感謝して欲しいと少年は思っている。


「意識が戻って良かったな」


そう言いながら近づいても、視線が定まらず未だ虚空をさ迷っている。仕方なく正面からその顔と瞳を覗き込んだ。

 顔だけ見ると、まだ二十代に見える。深い緑色の瞳だ。髭を剃れば二枚目半には見えるかも知れない。砂漠ではめったに見ない、真っ白い肌。ナハトが倒れている男を見つけた時は、今は寝癖でザンバラな長く伸ばしくすんだ砂の色をした金色の髪を、後ろで長く束ねていた。


(綺麗だな)


視線を合わせたナハトは無意識にそう思った。彫りの深い彫刻のような鼻の奥に、光を反射する緑色が二つ鎮座していた。


「ともあれ気が付いて良かったな。おっさん……は失礼か? まあいいや。オレ、ナハトってんだ。よろしく」


 しかし、やはり返事が無い。意識の方は未だ起きてはいないようだ。長い金髪が束ねた布を押しのけて頭の後ろで爆発している。

 ナハトは男の目の前で手のひらをヒラヒラさせた。


「(だめだ、こりゃあ)えーと、聞こえてる? 聞いてなよ。まず右手の先に水差しがあるから。あ、でもいっきに飲んじゃいけない。管の先から少しずつ口に含んで、よく噛むんだ。嘘じゃないぞ? そうしないとまたひっくり返るぜ。それから頭の後ろにアンタの剣が──剣だよなそれ? 変なの。人の背よりでっかくて真っ直ぐな剣なんて──剣があるから。ええと、それで、何か喰うかい? 良ければ山羊の乳とかラクダの乳とかあるけど……」


 チーズだって少しなら。そうやって語りかけているうちに男の目に光が戻ってきた。


(おっ? そろそろかな)


 そう思ってナハトが身を乗り出すと、いきなり男が立ち上がり襟を掴んで持ち上げられた。2mを超える高さに一気に引き上げられ、さすがの少年も悲鳴を上げる。


「うわっ痛て! く、首、締まる締まるぅ……!」


 わめいていると顔を近づけて睨まれた。目が血走っている。


(落ち着いてる時に見れば、きっともっと綺麗な目なんだろうにな……)


 少し残念に思いながらナハトは、そのみどりに一瞬見惚れた。その時、


「俺の、俺の瓶は何処だ!」


 喚かれた。声は低く透き通っていて、囁かれると耳に心地好いかも知れない。

 こんな時でなければ……


「へ? ……び、瓶?」

「瓶だ!」

「わあっちょっと、また首締まってる! 瓶ってガラスのヤツだろ? ならそこに在るじゃんか、枕元にさっ」


 そう言ったら前触れもなく掴んだ両手を離された。


「ゥゲッ」


 背骨に衝撃。受身が取れずまともに落ちて、痛みに転がりのたうち回る。男の方は小瓶を抱えてはた目にもホッとしているのが涙目の隙間から垣間見えた。


「ち、ちょっと待てえ! アンタ一体誰が砂漠から引きずって来たと思ってんだコラ! これが命の恩人に対する態度か、あぁ!?」


 男がナハトに向き直る。ナハトも体を起こし半身にして防御の姿勢を取る。

 じりじり。重心を安定させて刷り足で移動する戦闘態勢。


(なめんなよぉ。これでも一族の戦士見習いだぜッ)


 男がいきなり前に出た。


(来るか!)


 ナハトがバネ全開で飛び出そうとしたまさにその時。


「済まなかった」


 盛大に頭を下げて謝られ、ナハトは転んで鼻を打った。




(……いいけどさあ。ホントにさっきオレの首を絞めた本人かな、これ)


 陽射しで熱くなった壁にもたれて、言い付け通りに雑用をこなしている男を眺め、呟く。


(変だよなあ、やっぱり。色とかはともかく。こんな砂漠の奥まであんなでっかい剣かついで、しかもたった独り。それに、さっきの形相。アレ一体何なのかな。何のヘンテツも無い小瓶に見えるけどな)


 男がこちらを向く。考えている内に水を汲み終わったらしい。


「あ、終わった? なら次は洗濯と乳搾りね」

「分かった」


 どうやらちゃんと恩を感じてるらしく、返事一つで次の仕事へ移る。

 でも、素性に関する質問には、今のところ全く答えてくれてはいなかった。


(まあ、いいか。誰でも秘密の一つや二つあるし。何よりオレが楽だ)


 ナハトは男を追って声を掛ける。


「しばらくはここに居るんだろ? なら名前教えてくれよ」

「……デュラン・ハミル」

「じゃあディーだな。改めてよろしく」

「……ああ」


 デュランは立ち止まり、振り返ってそう答えた。


        ◆ ◆ ◆


 デュランが村に来てから一週間が過ぎていた。その間に、同年代の仲間がほとんどいないナハトは、デュランを兄の様に慕うようになっていた。歳は倍近く離れているが、親しみやすい上によく気のつくデュランの性格は、血の繋がった家族のいないナハトを安心させるには充分なものだった。だが、少年が親しみを込めた気持ちを持ったとしても、それがすぐに態度に出ることはなかった。彼は、異邦人だ。どれだけ身近に感じたとしても家族ではない。親しみは感じる。だが、どれだけ必要と思っても、それに溺れ依存してしまっては、この砂の大地では生きてはいけない。そう、彼はただの行き倒れ。いつ出て行ってしまっても怪訝おかしくない。そういう存在なのだから。そして、それはナハトだけに限ったことではなかったらしい。

 来てすぐにささやかだが村の祭りがあった。そこで大剣を使った剣舞をデュランが披露したことから、ナハト以外の村人も、余所者であるデュランに心を開く者が増えてきていた。

 最初はおっかなびっくりだった。けれどすぐに打ち解けた。

 毎晩のように食事に誘われ、飲み比べを挑まれた。恐る恐る知らない料理に手をつけて、目を白黒させながら匂いのきついドブロクに舌鼓を打つ大男に、村中が爆笑した。

 体に似合わず器用だと知れると、木彫りや石彫りの人形つくりや大工仕事に駆り出された。少女たちは彼の作る素朴で可愛い人形に歓声を上げた。力が並大抵ではなかったので重宝され、一週間と経たない内に、村の中で男の手が入っていない建物がいつの間にやら消えていた。

 彼がダンスを踊れると知れると、若い娘とおばさん連中が我先にと習いに来た。様々な種類のダンスを教え、女性たちに先生とからかわれながらも、照れる男にみんなが笑顔に包まれた。

 巨大な剣を使った剣舞を何度も宴会に所望され、男連中には試合を挑まれ順番待ちで弟子入り志願が殺到した。五分以上に及ぶ長い剣舞でも、大剣のうなりが音楽となり、なのに危険も感じさせない安定感で飽きさせず、誰一人すらも途中で席を立つ者が現れなかった。なぜか少年や青年が極端に少ない村だったが、剣を扱える者は老人から子供まで、皆真剣に彼に習った。

 洗練されていながらも素朴で、笑顔が綺麗なのになぜか寂しそうな雰囲気をまとう男は、たった一週間足らずで、ナハトだけでなく村全体の人気者にまでなっていた。だがそれでも……。

 心の底から同じ村人に対するものと同様の砕けた態度を彼に見せるのは、小さな子供たちだけだった。

大人は親しげにしながらも、一歩距離を置いていた。そう、彼は、客人だった。どこまでも、客人なのだった。


        ◆ ◆ ◆


 蒼穹に、地平の暴雲から伸びた稲妻がひびを入れる。

 音はまだ聞こえない。だが、高さ300mにまで膨れ上がった砂の城が、天を突き、地平の先で横たわって蠢いている。

 その遥か先の巨大な砂の人喰いスライムがこのオアシスまで迫り来るかは、まだ分からない。それでも、ハムアオアシスの大人たちは皆、時折巻き上がる砂の嵐の末端を遠くに眺め、鋭い視線を向けていた。

 デュランもまた、愛用の大剣を振り回しながら、天の動きへチラチラ視線を送っていた。


「ちょっとちょっと大将! アニキ! オニーサン‼ 稽古をつけてくれるのはうれしーんですけども! 天気見ながら片手間に相手されると悲しいしとっても寂しいんですけどもォ!」


 正面から声と同時に振り下ろされた大斧ハルバードを、2m近い大剣で華麗に捌く。流れるように刃の上で滑らせて、たたらを踏ませて背後に回る。そこへ一撃、は入れられなかった。


「……右に同じだ」


 相手の武器をさばいた先、体の開いた死角から、これまた無表情でありながら、不機嫌そうな声とともに槍の柄玉が打ち込まれる。デュランは慌てる事なくステップを踏み変えて、斧を押した反発力に逆らわずダンスの様に回りながら、遠心力で力を増した剣腹を裏拳の様に打ち下ろし、見事槍を逸らしていた。払われた槍に体が泳いだ大柄な女性が膂力全開でベクトルを変更し、槍の先端を地面に刺してようやく止まる。残念そうにガクリと頭が下に向く。その首筋にデュランの剣が触れていた。斧を捌かれた男性もまた同様に、ため息をついて天を仰いだ。


「ぅお〜い。あんだけ隙があって、それでも一撃入れられないのかよぉ俺らぁ……」

「以下同文……」


 嘆く男女は二人して背中を叩き合い、落とした肩を互いに互いで慰めている。デュランは大剣の刃に巻きつけたゴムでできた訓練用の緩衝材を剥がしながら、苦笑して声をかけた。


「そうでもないぞ。二人とも、今のは良い攻撃で連携だった。もう少しで一撃を入れられるところだった。気を抜いたつもりはないが、申し訳なかったと思う。次からは集中し、全力の本気を出して相手をしよう」


 言葉に本気がこもっていた。眼力も力を増す。それを聞き冷や汗を垂らしながらも、嬉しそうな二人組。

 ロッカとジーナ。彼らは、デュランが回復し長老に紹介された初日に互いに名乗り握手を交わしている。まだ二十代半ばの貴重な年若い夫婦であり、このオアシスの主戦力の一画でもあるそうだ。

 二人は、デュランが見せた先日の見事な剣舞に惚れ込んで、押しかけ弟子を頼み込んでいた。三日かけて口説き落とした時は、小躍りして喜んでいた。今日はまだ初日であるが、三人とも休むこと無く既に三時間以上も実戦形式の打ち込みを続けている。

 その顔には、共に笑顔が浮かんでいる。特に若夫婦の方は、たった半日足らずでおのれの力量がガシガシ上がってゆく手応えを感じ、感謝と同時に心の底から充実していたし、デュランはデュランで、失ってしまったかつての仲間たちとの時間を思い出すことができて、嬉しいと感じていた。


「ほんじゃあ、さっそくオニーサン師匠の本気とやらをお目にかけさせてもらおーかな?」


 休憩がてらの寝転がりから一息で起き上がり、ロッカとジーナが武器を構える。再度大剣が唸りをあげ、ハルバードと槍が笑顔を乗せて砂の漂う広場に舞った。

 即席弟子と師匠の稽古は、そのままなら一日中、夕飯の時間に誰かが呼びに来るまで続いただろう。だが。鳴り響いた甲高い笛の音によって、残念ながらそれは中断されることとなった。聞き慣れない音にデュランが動きを止め、怪訝そうな顔をする。残る二人は心底残念そうな顔を僅かな間だけ見せたが、次の瞬間には精悍な表情を浮かべると、互いに見合わせ、小さく頷き合って武器を納めた。


「ロッカ、ジーナ……?」


 デュランの眉を上げた疑問の声に、二人は真面目な顔をして、簡単な説明をしてくれた。


        ◇ ◇ ◇


「ナハト、どうした?」

「……ディー、か……」


 ロッカとジーナを見送った後。一人で訓練を続けるのも何となく気が削がれ、日課分はこなしていたので今日はここまで、と切り上げて歩いていたデュランは、ナハトを見かけ声をかける。オアシスの中心に直径500mに渡って広がる湧水のほとりで、ナハトは静かに座り、膝を抱え小さくなって水面を眺めていた。少年は視線だけで一瞥し、一声あげただけで、それきり俯く姿勢に戻る。

 いつもと違うその反応に、デュランはしばし考えて、少し離れた場所に同じように座りこんだ。そのまま静かな時が過ぎる。


「連れてってって、頼んだんだ……」


 強すぎる陽射しが水面に跳ねて攻撃力を抑え、揺れる波が彩りを深め薫りを運ぶ。砂漠のオアシスとは思えない美しい光景と涼められた草の息吹にデュランが心を休め始めた頃、隣からようやく小さな返事の続きがあった。


「でも、駄目だった。狩りとは違って、本当の命がけだからって。嵐の中に向かうから駄目だって云うんだよ、みんな……」

「……そうか」


 デュランは短く相槌を打つだけに留め、続きを待つ。


「オレだってハムアの男なのに。役に立ってみせるのに」


 ナハトが視線をデュランに向けた。


「……知り合いが遭難したらしいんだ」

「……そうか」

「知り合いが大変な目に遭ってるかもしれないのに、一人で、残れって……」

「……キャラバンの遭難のことか?」


 先程ロッカたちに聞いた話をデュランは思い出す。あの音は、このオアシス近辺で砂嵐や野盗に襲われるなどして、遭難者が出たことを知らせる音なのだそうだ。ボロボロになりながらも、命からがらキャラバンの主の遭難を知らせてきた男がいたらしい。キャラバンの見習い商人の一人だったと、デュラン達の所へロッカたちを連れに来た村人がそう言っていた。

 長老宅で治療されている男の話だと、遭難したのは、数ヶ月ごとに砂漠横断ルートから外れたこのオアシスにまで行商に来てくれる馴染みの、村でも懇意にしている商人とのことだ。ならば助けに行かないとな、と、手伝いを仄めかすデュランに、ロッカたちは二人して首を横に振った。もちろん助けには行く。けれどそれは、知り合いだからという訳ではないと。


「【ハムア】の村と名前の由来を聞いた」

「……そう」


 ここは、500年近く枯れる事なく存在する奇跡のオアシス。なのに元々、人の住む地域より離れ、交易路からも外れていたこの場所は、これほど湧水量が並外れていたにも関わらず、人の住まないオアシスだった。他所と交流の難しい場所に、隠れ住む理由以外で好き好んで居を構える人はいない。

 だが、ある時天を突く様な、雨の雲すらをも超えた高さに達した史上稀に見る程巨大な砂嵐が起こり、近隣の村々を全滅させた事があった。一説には高さ千mを超えていたという。400年以上も昔の話だ。その時わずかに生き残った村人や旅人の命を救ってくれたのが、このオアシスだったとのことだ。その後共同で住み始めた人々は、気付く。なぜか砂漠で迷ったり遭難したりした人々が運良く生き延びた場合、最後にたどり着く場所がこのオアシスだということに。

 不思議なことだ。地形や磁場などが関係しているのかもしれないが、理由は誰にも分からない。それでも、結果はそうなのだった。

 村人はいつしか、嵐や遭難の度に流れ着く旅人たちを助け、治療し始めた。それ専用の建物を作り、薬草や器具を用意してゆく。誰が言った訳でなく。誰かが命令したでもなく。ただ、やりたいから。そう誰もが思い、いつの間にか始まったと伝承は伝えている。

 流れ着く者には、様々な人がいた。良い人もいれば、悪い人もいた。涙ながらに感謝する者もいれば、助けた村人を脅し食料や水を奪って去る者もいた。それでも村人は救い続けた。そして、いつしか。命を救われた旅人の中から、時折、オアシス村に住み着く者が現れ始めた。人々は交わり、心を通わせ、少しずつ村は大きくなってゆく。そして、いつの間にやら少なかった村人の数は300人を超えるまでになっていた。

 そう、この村が人を救い続けることに原因は無く、理由も無い。それでも、理念はあり、誇りがあった。ただ、救いたいという心があって、それを代々の皆が共有し、400年間守り続けてきただけに過ぎない。だが、とロッカもジーナも言って続けた。

「だが、だからこそ、誇りに思うし、守っていきたいのだ」と。

 この村は、そうやって【心】が連なって作られた救命の村、ハムアなのだと。

 そう言った二人は、子供の様に嬉しそうに、誇らしそうに瞳をキラキラとさせていた。

 デュランは口に出し、手伝おうと言った。が、やんわりと断られた。村人では無いからか。それを理由に断るのなら、ただ閉鎖的なだけだ。そんな程度で【救命】を掲げるのはおこがましいのでは、と、殴られるのも覚悟でデュランは尋ねた。それを聞いた二人は、怒るでもなく苦笑して口を開く。これは命懸けの仕事だから、と。

「ありがとう、おにーさん大将」と。「けど、何と言われようと、これは俺らの仕事なのさ」と。「あんたは未だ旅人だ。旅人は、いつか出て行ってしまうものだ。当然だ、旅人は、目的があるからこそ旅人なんだから。目的のちゃんとある奴は、まずは自分の為に命も時間も使うべきなのさ。腰掛けで軽い気持ちで、目的以外に命をかけちゃあいけないんだよ」と。

 何も言えなくなったデュランに、二人は曇りの無い笑顔を向けて、「ありがとう。その気持ち、嬉しかった。村まで無事遭難者を連れて来れたら、その時は手伝ってもらうこともいっぱい出来るさ。その時は、頼むよ」と言って、笑って走って行った。


「ハムアの意味を知った時、心の底から感銘を受けたよ。自分の様な罪深い人間からみると本当に、眩しい程の志と矜恃と思った」


 村人とそれなりに馴染みながらも、基本無口で、どこか壁を作っている様に見えた男がポツポツと語る言葉に、ナハトは顔を上げ耳を傾ける。男の台詞に気になる言葉があったが、今は聞く時ではないと覚えるだけに留めながら。


「……うん。オレも、そう思う。この村に生まれた事が、とても誇らしいんだ」

「そうだな」

「だからオレも、何かしたいのに……そう思うのに! 手伝わせてくれないんだ。オレは、そんなに……役立たずに見えるのかな……」

「違う」


 デュランは声を荒げはしなかった。だが、いわおのように断言した。


「皆は、お前に期待しているのだろう。お前の未来にな。今は学び、吸収する時。きっと、そういうことなのだと思うがな」


 ナハトは少しだけ俯いて、また顔を上げた。未だ元気には程遠い表情で。でも、少しだけ力の戻った声で言う。


「でも……でも、知り合いなんだ。ハムアの志には反しているかもしれない。でも、死んだ両親や兄貴の友人で、いつも優しく旅話を聞かせてくれた人なんだ」


 ナハトがぐっと、顔をデュランに向けて言う。視線が絡んだ。


「助けたい。助けたいんだ。オレも何かしたいんだよ、ディー……デュラン。……頼むよ、手伝って欲しいんだ。手伝って、ください。お願いします……」


 ナハトが頭を下げていた。デュランは答えに詰まり、口をつぐむ。断るべきだ。それが彼の為でもある。だが、脳裏に消えずに刻まれた過去の自分の姿を思うと、止められなかった。止められないと判った。止められる道理が、無い。止めてもきっと一人でも行ってしまう。ならば、せめて……


「……無理は、させられないぞ?」


 最後の抵抗として釘を刺す。覚悟を確かめようとそう思った。


「大丈夫、無茶はしない。絶対だ。せめて少しでも、見つける手伝いがしたいんだ……」

「…………」


 デュランはしばし目を閉じる。そして答えを口に出した。


「……俺も、助けられた側の人間だ。恩人の頼みは、断れないな」

「ありがとう……‼ ディー……」


 ナハトの足元に落ちた小さな水が一粒だけ、砂に吸われて浸透した。


        ◆ ◆ ◆


 30分後。二人の人影が砂漠用の装備を身につけ、村人の目を避け林を抜けて、大砂原へと入っていった。その姿を映していたのは、クルクル回る小さな砂蜥蜴の二つの瞳だけだった。


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