最終話 あなたと一緒に
「ティアナ様……?」
顔を伏せたティアナに再び案じるように声をかけたレオンハルトは、じゃがんでいるティアナのすぐ目の前に同じようにしゃがみこむ。
膝の上に顔を伏せていたティアナは、地面に影が落ちたことでぱっと顔を振り仰ぎ、すぐそばにレオンハルトがいることにわずかに戸惑う。
「レオンハルト様……?」
上げた視線の先に、気品が香りたつような空色の瞳が真剣にティアナを見つめていて、ドキッとする。
「ティアナ様、本日は私がイーザ国を訪れたのは、ティアナ様にお伝えしたいことがあったからなのです」
意味深なレオンハルトの言葉に、ティアナの心臓が大きく跳ねる。
もしかしてレオンハルト様は婚約を――? それを報告に……?
何度も考えていた不安が現実になって目の前に突き付けられることに、ティアナはまだ心の準備ができていなくて、思わずぎゅっと目をつぶってしまう。
「ティアン様は覚えているかわかりませんが、以前、私が人を好きになるという気持ちがどんなものなのかわからないと言ったことを、覚えておられますか――?」
静かな声で話しかえたレオンハルトに問いかけられ、ゆっくりと瞳を開けたティアナは頷いて返答するのがやっとだった。
これから何を言われるのか、悪い想像通りだとしたら――そう思うと空気さえ薄く感じて呼吸が苦しくなる。
「お恥ずかしい話なのですが、私はいままで誰かを好きになったことがないのです。王子として教育を受け、いずれは政略結婚することは理解し納得もしています」
その言葉に、ああやっぱり――とティアナの胸が痛む。
レオンハルト様は誰かと……
耳を押さえたい衝動に駆られるのを必死に我慢していたティアナの耳に、くすりと皮肉気な笑いが聞こえて、首をかしげる。
「だからかもしれませんね、恋愛と結婚は別物で、私に言い寄ってくる女性は皆、私ではなく王子という肩書だけを見ているように思えて嫌悪して――」
そこで言葉を切ったレオンハルトは、空色の瞳を愛おしげに細めてティアナをまっすぐに見つめる。
「でも、ティアナ様は違いました。会ったことのない私に会いたいと言ったあなたは、私を王子としてではなく一人の人として……好いてくださって」
そう言ったレオンハルトの頬がほんのりと赤く染まり、視線が横にずらされる。照れたように声が掠れ、そしてまた話し始める。
「きっと、私が王子ではなく一介の行商人だとしても、ティアナ様なら腕輪をもらったという理由で私に会いに来てくれたような気がするのです」
はにかんだ笑みを浮かべるレオンハルトが愛おしくて、ティアナは涙がこぼれそうだった。
きっと、その通りなのだと思う――
どんなレオンハルトでも、ティアナはお礼を言うために会いに行っただろう――
「王族の婚姻は政略結婚だと割り切りながら、私は一つ、決めていることがありました。結婚をするのならば、一生を側で共にするならば、恋愛感情としてではなくても好意を持ち信頼できる相手がいいと。私は、そう思える人に出会えたのです。着飾らなくて、それでも内側から凛とした輝きを放つ美しい女性、誠実でひたむきで、優しいティアナ様を――私は愛しています」
レオンハルトは美しい瞳の中でうっとりするほど甘い光をきらめかせて、ティアナを射とるように見据えた。
「私のせいであなたには危険な目にばかりあわせてしまい、私はティアナ様の側にいる資格はないと思いました。友人としてでも私のことを好きでいてくだされば嬉しいと。でも、そんなのは逃げていただけなのです。私ではティアナ様を幸せにできないんじゃないか、守れないんじゃないかと――そんなのはすべて、自分に自信を持てない言い訳でした」
その言葉はすぅーっとティアナの胸に溶け込んでいく。
自分と同じようなことを考えていたレオンハルトに胸が切なくなる。
「魔界でティアナ様が柱の下敷きになりかけた時、私は何を考えるよりも先に体が動いていました。あなたを失いたくない一心で。そうして薄れゆく記憶の中で、私は思い知ったのです。どうしても、あなたの側にいたい、と。
私のせいで禍に巻き込まれるかもしれません、守ってあげられないかもしれません、幸せにはしてあげられないかもしれません。でも、私はティアナ様がいないと幸せにはなれないのです。そばにあなたがいないと、笑うこともできない……だからどうか、私の側にいてください。辛いことも幸せなこともティアナ様と一緒に乗り越えていきたい」
そう言ったレオンハルトははにかみ目を細め微笑むと、そっとティアナの手を両手で包み込む。その仕草は、大事な宝物を扱うようし慎重で、触れた指先から体中に熱が伝染していく。
空色の瞳に甘やかな輝きを宿して見つめられ、ティアナは溢れてくる涙に声も出せず、ただコクコクと首を縦に振り続けた。
「愛しています、ティアナ様――」
ふわりと薫るような甘い微笑みを浮かべたレオンハルトは、握りしめていたティアナの手をすっと引き寄せると、その指先に指先を絡めそっと口づけを落とした。
※
もしも、ティアナがイーザ国を出るとしたら、それは――……
レオンハルトがティアナと同じ気持ちで結婚を望んでくれたとき。
一緒に歩いていく未来を望んでくれたとき。
ティアナはレオンハルトの花嫁としてドルデスハンテへ。
※
自分に自信がなくてティアナに想いを伝えられなかったと気付いたレオンハルトは、意識を取り戻してからすぐに行動を開始した。
まず、ティアナを自分の婚約者と決めた王妃に一年だけ待ってほしいと提案をし、一年という猶予の中でレオンハルトは各地で起きた異常気象の事後処理に奔走した。元々、異常気象をどうにかして、自分に自信を持てたら気持ちを伝えるつもりだった。
ダリオという恋敵の出現やティアナを失うかもしれないという危機に直面して、ようやく動き出すことができたのだった。
すでに純白の衣装に着替えたレオンハルトの元に、王妃と王が訪れていた。
「王子よ、立派にみえるぞ」
「ようやく、この時が来ましたのね……」
手に持った扇子で口元を隠し、泣き崩れる王妃をドルデスハンテ国王が優しく抱きしめる。
「いろいろと心配かけました……」
まだまだ続きそうな王妃の小言を察して、レオンハルトは素っ気なくそう言うと、新郎の控室を自らが出て行った。
今日のこの日を待ち遠しく思っていたのは、王妃よりも自分なのだとは、気恥ずかしくて言えやしなかった。
※
ふんだんにレースを使った純白のドレスに身を包んだティアナは、声をかけられてゆっくりと椅子から立ち上がる。
側で最後の仕上げをしていたイザベルは、手の甲につけた針山に待ち針を止め、手早く裾を直した。
今日、この日のために、イザベルは自分の持てる限りの技と時間を費やして、最高のドレスを仕上げた。
自分の作った服を初めて褒めてくれたティアナの一生に一度の花嫁衣装は絶対に自分が作るのだと決めていた。そのことを言うと涙を浮かべて喜んでくれたティアナを見て、余計にイザベルは張り切って衣装を仕上げたのだった。
ザッハサムの街で好評だったイザベルの服は流行最先端の称され、いまではドルデスハンテ国の上流貴族から依頼が殺到していた。きっと、ティアナの着たドレスを見て、また注文が殺到すること間違いなしだろう。そう予感させるほど、素晴らしい出来のドレスに、ティアナはイザベルにいままでの感謝も込めて言葉をかける。
「イザベル、本当にいままでありがとう」
その言葉がイザベルの涙を誘って、茶色の大きな瞳はあっという間に涙でいっぱいになってしまった。
「さあ、花婿様がお待ちですよ」
ドルデスハンテの女官に促されて、ティアナはゆっくりと歩き出す。
自国とは違う、広く長い廊下を抜け、見上げるほど高い扉の前には、父王ノルベルトの姿が。
「ティアナ、エルナにそっくりだ。本当に綺麗になって……」
母エルナは、元々病弱だったため、ティアナを生んですぐになくなっていた。だからティアナに母の記憶はないが、エリクや父、王城に住む人々から母のことをいつも聞かされて育ったティアナは、記憶になくても母のことが大好きで、似てると言われたことが嬉しかった。
視界の端がぼやけてきて、それを誤魔化すように父王に笑いかける。
「お父様、いままで育ててくださってありがとうございます」
「うむ。どこに嫁いでも、ティアナは私の自慢の娘なことに変わりはないからな」
力強く頷き返したノルベルトは、腕を腰の横でくの字に曲げ、ティアナに優しい視線を向ける。
「では、花婿のところまで行くとしようか」
ノルベルトの腕に、ティアナがそっと手をかけたのを合図のように、大きな扉が両側に開かれる。
そこには純白の絨毯が祭壇まで続いている。大きなステンドグラスからは色とりどりの光が差し込み、祭壇の前には司祭様が、そしてその前に、純白の衣装を身にまとったレオンハルトが立っている。
その姿を認めたティアナは、幸せな笑みを浮かべる。
これから進んでいく道は、険しい山道かもしれない。灼熱の砂漠が立ちはだかっているかもしれない。果てしない海が広がっているかもしれない。それでも。どんな未来でも、ティアナはレオンハルトと一緒なら進んでいけると確信していた。
レオンハルト様は、私のことを幸せにしてあげられないかもしれないと言ったけど、誰かに幸せにしてもらおうなんて思わない。自分の足と手で、幸せをもぎとりに行こう――
その隣を一緒に歩いてくれるのがレオンハルト様ならば、絶対に大丈夫。
未来に続く一歩を踏み出した――
これにて本編は完結となります!
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