第51話 季節はめぐり
外に出ることを禁じられていたティアナも、帰国した兄王子エリクのとりなしによって、外出禁止を解かれた。もちろん、監視役が必ず付き一人で出歩くことできなかったが、それでも、全く外に出られないよりは心境的に楽になった。
それからのティアナは父王の執務を手伝い、畑仕事に今まで以上に精を出し、それに加えてパン作りにまで勤しんだ。
そうでもしていなければ、なにかにつけてレオンハルトのことを思いだし、もどかしい気持ちと苦しい気持ちに胸をかき乱されてしまう。そうして沈んだ顔を見せて、周りに心配をかけるのがティアナは嫌だった。だから、なにかに集中することで余計なことを考える暇もなければいいのだと、ティアナはひたすら働き続ける。
無心になってできるパン作りは格好の作業で、ティアナは暇があれば調理場に入りびたり、今では職人並みにまで腕を上げていた。
そうして、季節は移ろい――
赤や黄の葉がはらはらと散り始め、遠くに見える北の山々に雪が積もり、暖かな風が青葉を揺らし、色とりどりの花が野に咲き乱れる春がやってくる――
※
春野菜の収穫に追われる畑の中に、イザベルお手製の薄紅の簡素で動きやすい服を身に着けたティアナは、腕に抱えた大きな籠の中にせっせと春野菜を収穫しては入れていく。袖を捲り上げたその手首には空よりも深い青のラピスラズリの腕輪がキラリと輝く。
一年前よりもだいぶ伸びた銀髪は春の日差しを受けてまばゆい輝きをはなち、花の香りをのせた風にさらさらと揺れている。
ティアナは手を止めることなく動かしながら、一年前のことを思い出していた。
そういえば、去年は春の収穫の手伝いができなくて、皆にはどれほど迷惑をかけたか……今年はその分も、うんっと頑張らなくてはいけないわね。
そんなことを思って、誰にも気づかれないようにほのかな笑みを漏らす。
黙々と作業と続けていたティアナは、いつの間にか籠の中がいっぱいになっていたことに気づいて、ゆっくりと腰を折って地面に籠を置き、ふぅーっと小さな吐息を吐き出した。
本当は、そんなことを考えていたんじゃない――
思い出すのは、レオンハルト様のことばかり――
考えようにしていたのは、どうしてもそのことばかり考えてしまうからで、今も、ティアナの胸を占めるのはレオンハルトのことばかりだった。
確か、今日みたいな麗らかな天気の日だった。そう思ってティアナは手を透かした先の青空を見上げる。
舞踏会に行くことを反対した父王に閉じ込められ塔に、レオンハルト様が現れたのは――
その時のことをありありと思い出して、ティアナは懐かしさに翠の瞳を細め、天にかざした腕に光る腕輪を愛おしげに見つめる。
塔から出られないかと窓の外の木に腕を伸ばした時に、この腕輪を落としてしまって、それを拾ってくれたのがレオンハルト様だった。
あの時はまだ猫の姿で、エルと名乗る猫がレオンハルト様だとは思いもしなかったけど。
何か訳ありで、兄エリクの力を借りに来たということ。国を離れている兄の代わりに魔導師のジークベルトを紹介したこと。そうして、振り返ったレオンハルト様が、私に手をそっと差し伸べてくれて、私はレオンハルト様に会うために塔を出ることを決意した――
それからいろいろあって、本当にいろんなことがありすぎて。
魔法使いに契約の刻印を押されて、舞踏会でレオンハルト様と踊って、記憶喪失になってロ国のハレムにいったり、世界が闇に包まれて魔界へ行ったり。
胸の奥がぎゅっと締め付けられて、ドクドクと耳の奥で心臓の音が大きく聞こえる。
もしも私がこの国の姫じゃなければ、何物にも囚われずに気持ちを伝えに走っていけた――?
ううん、姫じゃなかったら、レオンハルト様に出会うこともなかった。そのことをちゃんと分かっているから、自分の責務を投げ出したりなんてできない。
会いたい――
そう強く願うだけで、ティアナはなぜだか泣きたくなってくる。
だって、もう一生会うこともできないかもしれない。レオンハルト様が、どこかの姫君と結婚したと聞き、そうして自分もレオンハルト様ではない誰かの元に嫁ぐことになるかもしれない。
ありうるかもしれない未来を想像して、ティアナはふわっとスカートの裾を揺らして、その場にしゃがみこみ、誘引した春野菜の蔦の柵の間にティアナの姿は隠された。
畑の中では、そこかしこで民が春野菜の収穫に勤しんでいる。
立っていては、頼りなげに震わせる肩を誰に見られるかわからない。だからしゃがみこみ、膝の中に顔を埋めて必死に溢れきそうになるものを堪える。そうやって、何度も気持ちを落ち着けて、皆にはいつも笑顔を向けていた。
この時も、なんとか心を鎮めようと必死に頭の中を真っ白にする。
なにも考えないように。愛しい姿を思い浮かべないように――
そんなふうにしゃがんでいるティアナの側へと、人影が近づいてきたことに、俯いてるティアナはもちろん気づいていなかった。
「ティアナ様……、大丈夫ですか?」
ぐるぐるといろんなことが思考を巡っていたティアナは、そう声をかけてきたのが心配して様子を見に来た民だと思って、条件反射で笑顔を張り付けて振り仰ぐ。
「大丈夫よ、少し休憩していただけなの……」
明るく振舞って言ったティアナの言葉は最後まで続かなかった。
腰をかがめ、自分を心配そうに覗き込むその姿を見て、胸の奥の方がぎゅーっと締め付けられる。
ドクドクと耳の奥で心臓の音がいつもより大きく聞こえる。
ティアナを見つめるのは、癖のある銀髪を揺らし、切れ長の二重瞼、気高さに彩られた空色の瞳、通った鼻筋、爽やかな口元、気品に満ちた美貌のレオンハルトだった。
「――――っ」
ティアナは声も出ないほど驚き、大きく目を見開いて見上げることしかできない。
どうしてレオンハルト様が――……
イーザにいらっしゃるなんて聞いていないわ――
そこにレオンハルトがいることが信じられなくて、自分が夢でもみているのではないかと疑い始めるティアナだったが、心配そうにこちらを覗き込むレオンハルトが、ふっと表情を和らげ微笑んだその姿に思わず見とれてしまう。
レオンハルトは眩しそうに額の前に手をかざし、空を見上げ、次いで周囲を見渡し、畑で収穫に勤しむ民を見て微笑む。
「イーザ国は本当にいいところですね。自然が多く、こうやって土に触れて、食物を育んでいる」
憧れるような優しい口調に、ティアナはほんの少し眉尻を下げて苦笑する。
「この国では、農作業が民の大多数を占める職業ですから……」
小さなころから畑仕事を手伝っているティアナは、この仕事に誇りを持っているし、野菜を育てていく楽しさも、愛おしさもある。
それでも、この国では他に他国に輸出できるものや生産できるものがないというということがどれほど民の生活を貧困にしているかを知っているからもどかしい。
そんなティアナの心情を察したように、レオンハルトは優しい笑みを受けばて首をかしげる。
「素晴らしい職業ですよ。確かに、城を作る大工や素晴らしい工芸品を作る職人はすごいかもしれません。でもこうして日の下で汗だくになって大地を耕し作られる農作物がなければ、私達は餓死してしまいますからね。食べ物がなければ、大工だって職人だってなにも作れはしません」
「レオンハルト様って、おもしろい方ですね」
そんなふうに言われるとは思わなくて苦笑して呟いたティアナは、レオンハルトは一瞬目を見張り、ふわりと微笑む。
「あなたに喜んでいただけるのなら、私は旅芸人になることだって厭いませんよ」
その笑顔は少年のようにあどけなく、ティアナは初めて垣間見るレオンハルトの表情に、胸を突かれる。
冗談だって分かっているのに、そう言ってもらえたことが嬉しくて仕方がない。
そんな些細なことに一喜一憂してしまう自分の感情に気づかれなくて、ティアナは表情を隠すように俯いた。




