第50話 夜空に瞬く星の先に
会いたい――
その気持ちがどんどん大きくなって、胸が苦しくなる。
肖像画を見て、レオンハルト王子がどんな人なのかと想像するだけだったでうきうきした気分になった時とは違う。あの時は、こんなに胸が締め付けられることはなかった。レオンハルト王子のことを考えて、切なくて苦しくなることはなかった。
ただ好きで、会いたい。初めはそんな単純な気持ちだった。でも、ルードウィヒのひたむきに愛する姿を見て、ダリオの強く想う瞳に見つめられて、揺れて悩んで――
自分なんかはレオンハルト様にはふさわしくないと、ジークベルトからレオンハル様トの婚約者に自分が選ばれたと聞かされた時、頑なになって。
でも本当は、相応しくないとか、会えるだけで満足とか、そんなのは言い訳に過ぎない。
魔界から戻ってきて、レオンハルト様の意識が戻らず眠り続けている姿を垣間見て、どうしようもないほど胸がかき乱されて。
嫌だと思った――
レオンハルト様がこの世からいなくなってしまうのも。レオンハルト様の側に自分がいられないことも――
これが、愛おしいという気持ちなのだと、やっと気づくことができて、ティアナはただ自分は逃げていただけなのだと認める。言い訳を並べて、逃げ道を作って、レオンハルト様の口から、彼の気持ちを聞くのが怖くて。
もし、自分のことなど特別に想っていない。王妃様に言われたから仕方なく政略結婚するだけなのだとレオンハルトに冷たく突き放されたら、生きた心地もしない。
まだレオンハルトが猫の姿でエルとして接していた時、ドルデスハンテの国境を越えたザッハサムの街での会話を思い出した。
※
「笑わないでね。私の夢はね、一目でいいからレオンハルト王子に会うことよ」
「レオンハルト王子に……? お会いしたことはないのですよね? どうして王子に会いたいのです?」
「王子はね、私の憧れなの。金髪碧眼の絵にかいたような王子様。眉目秀麗で才知にたけたとても素晴らしい方だと聞いているわ。王城では年配の貴族相手にも怖気づかずに立派に国政に携わっているとか。それに……とても優しい方よ。たぶん……私の初恋なのだと思うの」
「……会ったこともないのに、どうしてそう言い切れるのですか? なぜ好きだと断言できるのです? 会ったら、全然格好良くはないし、才能もない人間かもしれないのですよ?」
「なぜかしらね、私にも分からないわ。でも、気付いた時にはレオンハルト王子のことが好きになっていたのよ」
そう言ったエルの声は思いつめたように声が掠れていた。
今思い返せば、なんて浅はかなことを言ってしまったのだろうと思う。茶番だとさげすまれても仕方ない。
エルがレオンハルトと気付かずに、本人を前に好きだとか、理想を並べてどんなに幻滅されたことか。
「私にはわからない……人を好きになるという気持ちがどんなものなのか。会ったことがない相手を、好きになれるものなのかも……」
地面に視線を落としてそう言ったレオンハルトは、どんな心境だったのだろう。
考えてもティアナにはわからなくて、ただ胸が苦しくなるだけだった。
あの夜、並んで見上げた夜空に瞬く星の先にはどんな未来が待っているのだろうか――
※
一度だけ垣間見たレオンハルトは、青ざめた表情で眠る姿だった。
ティアナを庇い柱の下敷きになったレオンハルトが目覚めた後もタイミングが合わず、ティアナが見たのはレオンハルトが目覚める前の姿だけだった。
城を出る時、会わずに自国に戻ることの非礼を詫びる手紙を置いてきた。
その後、イーザ国に戻ったティアナ宛にレオンハルトから手紙が届き、何度かやりとりを交わしたが、その内容は公にできるようなドルデスハンテ国の王子とイーザ国の姫としてのやり取りだけだった。各地で起こっていた異常気象に対する協定のその後の話、各地から異常気象が収まったという報告、異常気象の対策手段としてマグダレーナの手記の情報提供の礼など、事務的な内容で本当に伝えたいことや聞きたいことは何一つ書けなかった。
一度だけ、ティアナは迷惑をかけたことに対する謝罪を書きしたためたが、そのことについてレオンハルトが触れてくることもなかった。
ジークベルトから聞かされたティアナがレオンハルトの婚約者に内定したという話も、その後どうなっているのかという知らせはない。
内定した直後にティアナが行方不明になり、見つかったと思えば世界崩壊の危機に見舞われて、それどころではなかったのだろう。ジークベルトも、一旦保留になったと言っていたし。しかし、あれから数ヵ月が経った。
ティアナの耳にその情報が届かないだけで、イーザ国に内々に打診があったかもしれないし、ティアナ以外の娘が婚約者として決定したかもしれない。
そう思うと、胸が潰れそうに痛むけど、ティアナにはどうすることもできないくてもどかしい。
どんなにレオンハルトのことが愛しくても、だれにも譲れない気持ちだと自覚しても。だからこそどうしようもないこともあるのだと諦めるしかなかった。
イーザ国の姫として、自分の感情だけを優先して気持ちを伝えることなどできなかった。
国とか、姫とか、そんなものに縛られてないで、今すぐに城を飛び出してしまえたらどんなにいいだろうか――そう考えないといえば嘘になるが、できないというのがティアナの正直な気持ちだった。国よりもレオンハルトを選ぶことができないとか、その程度の気持ちかと言われたらやるせないが、どちらも選ぶことはできないのだ。
それに、なによりも、そんなことをして父王を悲しませたくはなかった。
数ヵ月国をあけどれほど心配をかけたか……
城を抜け出しただけならまだいい。川に落ちて行方知れずになり、無謀な鍵探しに出かけ――
イーザ国に戻ったティアナを父王は何も言わずに強く抱きしめた。胸に顔をうずめる格好になり、父王の表情は見えなかったが、その肩が、小刻みに震えているのに気付いていた。
もうこれ以上、心配をかけたくない――
その想いが強くて、レオンハルト王子に会いに行きたいとはとても言えなかった。
もしも、ティアナがイーザ国を出るとしたら、それは――……




