第5話 ひとひらの予言
ティアナが手にとった一冊の本。そこに挟まれた紙切れには、神々しい光を浴びて立つ王のような威厳の男と闇に包まれた魔王のような男が対立する構図が描かれ、その空には妖艶な赤い輝きを放つ二つの月が浮かんでいた。
それを見て、ティアナの鼓動がドクンっと大きく揺れる。
二つの月――
そのあり得ない光景を、ティアナは数日前にその目で見ていた。
ロ国の闘技場での地面を震わすような大きな揺れ、その直後に見上げた空には不気味なほど鮮やかに輝く二つの月。一瞬の出来事だったが、ティアナ一人の見間違いではなかった。
ドクドクと速くなる鼓動に、ティアナはその紙切れに素早く目を通す。だが、そこに書かれた文字は古代魔法文字で何と書かれているかは分からず、急くように紙切れをどかし、マグダレーナの手記に視線を走らせた。そこには “光の王と闇の王”“予兆”“世界の終焉”と走り書きのような文字で書かれていた。
だが、それだけでは何の事を指しているのか分からなくてティアナは眉根を寄せた。
その時、ジークベルトが一冊の本を手にティアナの側に寄って来た。
「ティア、ここに……」
言いながら、ティアナが青ざめた顔で手に持った本を食い入るように見つめている事に気が付いたジークベルトは、ティアナの肩越しに手元を覗きこみ瞠目する。心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走り、ジークベルトは息をするのさえ忘れる。
紙切れに書かれているのは、世界の終焉伝説についてだった。
魔法使いや魔女にとっては誰もが知る古い言い伝えで、この言い伝え研究する魔法使い達は多かったが、ジークベルトはあまり興味がなくて詳しい内容までは知らなかった。だが――
“闇の王”
その文字に鼓動が大きく飛び跳ねる。
今までの疑念がすべて一本の糸で繋がりすっきりする気持ちと、その真実の大きさに衝撃を受ける。
ジークベルトはティアナが持つ本を奪い取り、そこに書かれた伝説とマグダレーナの手記に素早く目を通す。
「なん、て、ことだ……」
驚愕に顔を歪めたジークベルトの声に、ティアナは不安げに顔を上げた。
「ジーク……?」
自分を見つめる視線に気が付いたジークベルトは、ゆっくりと本から視線を上げ、その瞳に苦渋の影をにじませて、細い吐息をもらした。
「ティア、落ち着いて聞くんだぞ。これは、レーナが調べていた世界終焉伝説について、レーナの考えが書かれている」
「世界終焉伝説……?」
「この世界が滅びる時のことが予言された伝説だ。魔法使いや魔女の間では有名な言い伝えで、多くの魔法使い達がそれぞれに解釈をしている。レーナの解釈では――」
そこで言葉を切ったジークベルトは、苦しげに眉根を寄せる。
「世界の滅びは近い……」
「それはどういうこと!?」
「最近、各地で起きている異常気象、その原因は魔界と人間界の均衡が崩れようとしている影響だ」
※
『その昔、魔族、魔法使い、人間の区別はなく世界は一つで、二人の魔王が存在した。一人は光の王と呼ばれ、魔族や人間、分け隔てなく誰からも愛され、もう一人は闇の王と呼ばれ、絶大な魔力に魔族はひれ伏した。二人の魔王は仲が良く共に助け合い力を合わせて世界の均衡を守っていた。
だがいつの頃からか、人間は魔力を信じなくなった。魔力を信じなければ、そこにある魔界も魔族の姿も見えない。人間の無情さに絶望した魔族は、魔力の源である月影石のある場所に魔界を築き、人々の前から姿を消した。魔法使いと魔女は人間と共に人間界で暮らすことを選び、魔法使い達だけが、魔族の存在を知るものとなった。
それでも世界は変わらず廻り、魔界と人間界の均衡は保たれていた――』
「――これが魔法使いたちの間で語り継がれている世界分離説だ。だが、これには続きがある。それが世界終焉伝説、古の偉大な魔法使いが残した予言の一節がこうだ」
『闇の王は世界の支配を望み、光の王は世界の調和を望む。世界の均衡が崩れる予兆に空に二つの月が浮かび、二人の王の力の均衡が崩れる。一人の王は倒れ、世界は終焉をむかえるだろう』
「この紙にはそう書かれてある」
そう言ってジークベルトは手に持った紙片をひらりとかざす。
「だがこの予言はあいまいで、色んな解釈が施されている。で、こっちがレーナの手記だ」
ジークベルトは紙片を持つ手とは反対で、マグダレーナの手記をティアナに見せた。
「予言ではどちらの王が倒れるかは言及していない。ただ、レーナの調べでは光の王の力が徐々に弱まっているらしい。そして二人の王の均衡が破れる時、人間界にその予兆が出るらしい。集中豪雨、地震、風害、時空の裂け目の出現、そして空に浮かぶ二つの世界の月――これが決定的らしいが、まだ大丈夫だろう。実は魔界について調べていたことが……」
息継ぎもせず、緊迫した表情で話していたジークベルトは、目の前のティアナの異変に気づく。顔色は青ざめ、小刻みに体が震えていた。
「ティア――?」
訝しげに片眉をあげると、ジークベルトを振り仰いだティアナは口元に震える手を当てて、絞り出すような声で呟いた。
「み、たの……ロ国で、一瞬だったけど、空に浮かぶ二つの月を……」
その言葉に、驚愕に目を見開く。
ジークベルトは苛立たしげに舌打ちすると、せわしなくティアナの腕を掴み扉に向かって足早に歩きだす。
「くそっ、こんなことならば、もっと早くここに来るべきだった……」
苦渋に顔をゆがめて呟いたジークベルトの言葉は、ティアナには聞こえていなかった。
ただ、何かに取りつかれたように触れたら爆発しそうな危うい緊張感をまとったジークベルトに、無言で腕を引かれて歩かされた。