第49話 誰がために微笑む
「もう戻られるのですか?」
葉が赤や黄に色づく砦の森で、ニクラウスはティアナに尋ねた。
「はい。私も、これでも一国の姫なので」
そう言って苦笑したティアナは、さらりと乾いた風になびかれた銀色の髪を指でかきあげて耳にかけると、少し名残押しそうにルードウィヒとティルラの墓石に視線を向け、それから北へと視線を向けた。
「国に戻ってやらなければならないことがたくさんあります。それに、父王がしびれを切らして待っていると、側近から催促の手紙まで届いてしまって」
その言葉はまるで自分に言い聞かせているようにニクラウスには聞こえたが、何も言わずに頷き返した。
「そうですか……」
ティアナは魔界から戻ってきて二日目に目覚めたが、レオンハルトが目覚めたのはその翌日だった。
柱の下敷きになった傷の回復に力を使っていたこと。体に異常をきたさないように魔法をかけていたとはいえ、魔界に長時間いたことで体の機能が正常に働くために、必死に回復を図っているのだろうとジーナは言っていた。
レオンハルトが目覚めるとすぐに侍医が駆け付け、ジーナも魔界の影響を受けていないか調べるために面会したが、ティアナは遠慮した。
病み上がりに、大勢で駆け付けて具合を悪化させてはいけないとの配慮からで、レオンハルトが完全に回復してから見舞いに行きたいことを伝えてもらっただけだった。
だが、ティアナ自身も心労が重なりあまり出歩けず、一日の大半を寝て過ごし、レオンハルトが目覚めている時とタイミングが合わず、いまだに面会できずにいた。
「会わずに行かれてよろしいのか?」
「はい……」
労わるようにかけられたニクラウスの言葉に、ティアナはあいまいな笑みを浮かべて頷く。
人伝ではなく直接自分の口で、魔界で助けてくれたことへのお礼を言いたかったから、ティアナはまだレオンハルトにお礼すら言えていない。
それでも、これ以上ドルデスハンテにとどまるわけにはいかなかった。
父王からの催促の手紙はもちろんだが、本当に、国でやらなければならないことが溜りにたまっている。
今回ドルデスハンテに来たのは、世界終焉を阻止するためで緊急を要し、王の承諾も得ている。でも、今日までここにとどまっていたのは、私情で……
もうこれ以上、自分の我がままで国をあけ、周りの人に迷惑をかけるわけにはいかなかった。
レオンハルトが目覚めてから七日待った。ジーナの話では、外傷はまだ残るものの、室内を歩き回ったり、執務も再会したとのことだった。
もう元気になったのだ。レオンハルト様が元気になられるまでと、ごねるジークベルトを説得しドルデスハンテの王城に留まっていた。だからもうこれ以上はいられない――
そう自分に言い聞かせるが、その場から動くことができずにいたティアナの元に、ちょうどよくジークベルトが迎えにやってきた。
「ティア――」
今朝早くにそれぞれの愛馬にまたがっドルデスハンテの王城を出立し、途中のバノーファの街で砦の森に寄ったのだった。
ジークベルトは森の外で待っているといったのだが、なかなか戻ってこないティアナにしびれを切らして迎えに来たのだろう。
ティアナは、地面に縫い止められたように動かなかった足を、一歩、森の外へと向けて踏み出した。
また来るからね――
そう心の中で呟いて。
※
イーザ国に戻ってからのティアナは多忙を極めていた。
もともと、外交という名目で各国を遊学しほとんど国にいない兄である第一王子エリクの代わりに、国王の補佐をするのはティアナの仕事だった。といっても、主だったことは側近がするし父王もまだまだ現役で采配を振るっているので、ティアナがすることはあまりなく、ティアナがいなくても直接的に国政が滞ることはない。
午前中を父の手伝いに、その他は街や畑の手伝いで一日の大半を外で過ごすのが日常だった。それなのに、今のティアナは一日のほとんどを城内で過ごしていた。
今の時期は秋の収穫で畑は人手が足りなくて、手伝いに行きたいのに行くことさえできないのが歯がゆかった。
父王の言いつけを破ったのは自分だから、どんな罰も受けるつもりだった。だが、父王はティアナを特に叱ることはなく、その代り、城から出ることを禁じた。
畑仕事の手伝いにいけないティアナは仕方なく、パン作りの手伝いをしに一日のほとんどを調理場で過ごすが、外に出ることができない憂鬱さはどうにも晴れなくて、大きなため息が漏れてしまう。
ふっと、袋詰め作業を止めて、自分の胸元に視線を落としたティアナは、魔界から戻ってきてすぐにジークベルトと話した会話を思い出す。
※
「当り前だが、もう、何もあらわれないな――」
そう言った声は、ほんの少しだけ名残惜しそうに聞こえて、ティアナも頷き返す。
ジークベルトの腕はティアナの胸元にかざされているが、そこにほんの数時間前まで浮かんでいた銀色の輝きも刻印も文字も浮かばない。まるで、初めから何もなかったかのように。
それがほんの少し寂しく感じる。
契約の刻印がないということは、契約が果たされたということで。それはつまり――
胸にぽっかり穴が開いてしまったような切なさに、ティアナはぎゅっと胸元の服を握りしめた。
森の魔法使い、ルードウィヒ。光の王の血を引く混血の魔法使いであり、亡国の皇子。
故国を滅ぼしたドルデスハンテに恨みを持ち、その血を引くレオンハルトに気まぐれで魔法をかけ、ティアナにまで刻印を刻んだ――
だけど。
ルードウィヒの魔法のおかげで、ティアナは初めて自国の外にで、しかも、猫の姿とはいえ、あこがれのレオンハルト王子と旅をし、会うことができ、おまけに舞踏会で一緒に踊ることもできた。刻印のおかげで、闇の王の攻撃を退けられた――
感謝こそすれ、憎く思うはずがない。
そう思うのは、ルードウィヒの悲壮な過去を知っているからかもしれない。でも、なによりも、ルードウィヒのまっすぐな想いが、ティアナを突き動かしたのだと思う。
愛しい人を想い続ける気持ち。
会いたいと願う気持ち――
ルードウィヒの気持ちに同調する自分の気持ちに、ティアナは気付いていた。
だから。
森から透き通るような青空を見上げた時。
夕暮れの空に飛んでいく鳥を見た時。
漆黒の空に輝く星を見た時。
ふっと会いたいと思うのだ、愛しい人に――




