第48話 語り継がれる物語
そよぐ風。におう新緑。ほころぶ色とりどりの花。流れる水音。揺れる炎。鼓動する大地。音もなく忍び寄る闇。きらめく月光。すべてを包み込む笑い声。
大好きな故郷。大好きな人達の笑顔を思い浮かべて――
人間界と魔界と冥界を繋ぐ空間――世界の狭間でティアナは光の王の導きによって世界の鍵の力を開放した。
ティアナの周りを不安定に揺れていた八つの光が力強く光りだす。緑、紅、灰色、水色、濃青、白銀、漆黒、虹色の八つの光が何度も明滅し、白濁の空間を包み込むように広がっていく。
瞬間、それまでぼやけていた世界の空気が澄み渡っていくのをティアナは感じた。
窓から外を眺めるように、灰色の世界を覆っていた闇がひいていくのが見える。人々が不安げに見上げる空からは、光に飲み込まれるように闇が消えていき、透き通る青空と差し込む日差し、ゆれる緑の木々が見えた。
ティアナの周りをまわっていた八つの光は、互いに合図を送るように一度大きく輝くと、それぞれがどこかへと飛んでいく。あるものは南へ、あるものは東へ、あるものは海を越えて――
その様子を見ていたティアナは手元に視線を落とし、そこに二つの光の球が浮かび上がる。
一つすべてを受け止めるような優しい輝きを放ち、一つはすべてを包み込むような強い輝きを放っている。その光と闇の球の中に、膝を丸めて腕で抱え込んだ、白と黒の衣装を身にまとった小さな姿があった。
ティアナはそれが誰なのか、なんとなく分かっていた。
ふっと長い睫毛で伏せられていた瞳を開け、目覚めたのは白い服を着た光の王だった。
守られるように包まれた光の中で顔を上げた光の王は、ティアナに優しい笑みを向ける。
「あなたのおかげで世界は秩序を取り戻し、崩れた均衡は正され、こうして私達の力は再生されたのです」
言いながら光の王は、その優しげな眼差しをいまだ眠る闇の王に向ける。
「光と闇――けっして片方だけでは存在することはできません。私は闇の王であり、闇の王は私でもあるのです。人もどうかそのことを忘れないでください」
睫毛を伏せ、光の王は粛々と語る。
「そうして、私もそのことをしっかりと胸に刻み、これからまた二人で頑張っていきます」
そう言って笑った光の王の姿は、もう儚さはなく、ただ眩く輝く光そのものだった。
ティアナは頷き返すと、光の王の光の球の中から、小さな紅色の光がふわりと浮かび上がる。
その光を光の王はそっと手のひらで受け止めると、愛おしそうにそっと抱きしめ、優しく背中を押すように空に向かって放った。
ふわふわと頼りなげに飛んでいく光の先には、その光を待っているように小さな光が明滅した。
※
世界を支える光の王と闇の王の力の均衡が崩れ、光の王は倒れ、世界は終焉をむかえる。空には禍々しい月が浮かび、闇が世界を覆い尽くした。
だが、世界を守らんと立ち上がった一人の少女が自然の源である世界の鍵を集め、その力で世界の均衡を取り戻す。
光の王と闇の王は新たな生を授けられ、再び世界の均衡を守り続ける。
何事もなかったかのように、世界はまためぐり続ける――
※
若い木々が立ち並ぶ深い森の中、しゃがんで手を合わせていたティアナは静かに立ち上がると、そこにある小さな墓石を見つめる。墓石は二つ、寄り添うように置かれ、そこには白、黄、紫の可憐な花を集めた花束が置かれていた。
ドルデスハンテ国、砦の森。燃えるような赤に色づいた葉が芝生を染めた木々の間にそっと建つ朽ちた家屋の横に、ルードウィヒとティルラの墓がつくられた。
ルードウィヒは闇の王を倒したが、それと同時に闇の王の攻撃を受け、体の中に埋め込まれた三つの世界の鍵をティアナに渡すために命を賭した。すべてが闇の渦にのまれ、闇の王の城も全壊し、ルードウィヒの遺体すら見つからず、ティアナの手元に戻ってきたのは紅玉の耳飾りだけだった。
火の鍵だった耳飾りは媒体として使われていただけで、火の鍵は耳飾りを残してどこかへ飛んでいってしまった。
でもそれが、ティアナには火の鍵の思いやりに思えて、なにも入れるものがないルードウィヒに墓に耳飾りを、ティルラの墓には父王を説得し、イーザ国からティルラの骨を半分分け入れた。
秋の気配を一層強くした森の木々の葉を乾いた風が揺らしていく。
王都から近いバノーファの街の西側に隣接する砦の森。色づいていく葉は街の一部のように鮮やかなのに、森に足を踏み入れる者はいない。街の者ですら、森に近づこうとはしない。
深い森の奥。ここに訪れる者はいないだろう。
そんな感慨にふけっていたティアナの背後で、ざくっと草を踏み分ける音がして振り返る。
そこには落ち着いた濃紺の服を身にまとい、綺麗に編み上げた白髪を背中で揺らすニクラウスが大きな花束を抱えて立っていた。
「ニクラウス殿」
言いながら手元の花束を見たティアナは、ニクラウスがどんな目的でここを訪れたかを察して墓石の前をニクラウスに譲るように横に移動する。
「すまんな」
穏やかな声でそうこぼすと、ニクラウスはルードウィヒの墓石の前でゆっくりとひざを折ると、花束を置いて手を合わせた。
その後姿を見ていたティアナは、ここを訪れるのは自分とニクラウスくらいだろう思うと切なくて仕方がなかった。
長い間、手を合わせていたニクラウスが立ち上がり、沈んだ面持ちのティアナに気づいて声をかける。
「姫、なにか困ったことでもありましたか?」
眉尻を下げて自分を見つめるニクラウスに気付き、彼に心配させてしまったことを申し訳なく思い、首を横にふる。
「いいえ、そういうわけでは……ただ……」
そこで言葉を切ったティアナは、言おうかどうしようか迷ってから、ニクラウスの穏やかな瞳と視線が合って、胸につかえていた思いを言葉にする。
「この世界を守ったのは彼なのに、誰も彼のことを知らないのだと思うといたたまれないのです……」
闇に覆われた空を見たはずなのに、そんなことは夢か幻のように人々は覚えていない。何も脅かすものがないように安心しきって安穏と暮らす姿が、なんだか悔しくて。
世界の危機を忘れはしない魔法使い達でさえ、一部の者を除いては、世界を救ったのが森の魔法使いとは知らない。
人間の少女が、世界の鍵を守る魔法使い達に協力したことくらいしか知らないのだ。
ルードウィヒは自分のまいた種だから後始末をすると言っていたが、世界の均衡が崩れたのは彼の責任ではない。
なにかがちょっとずつずれていって、少しずつかみ合わなくなった結果だと思う。その中に、人間が魔法を信じなくなったこともあるというのに――
世界の均衡を取り戻すために、命を懸けて戦った魔法使いがいることを誰も知らない――
誰も覚えていない――
寂しげに言うティアナに、ニクラウスは白髪のひげをしわくちゃの手で撫でながら微笑みを向ける。
「姫、それでいいんじゃ。誰が覚えていなくても、姫は決して忘れはしない。そうすればあやつはずっと姫の心の中で生き続ける――、それに」
言葉を切ったニクラウスが、ふっと穏やかな笑みを浮かべる。
「わしは覚えておる、そうして、子供たちに語って聞かせましょう。魔界のこと、光と闇の王のこと、そして世界を命を賭して救った魔法使いのことを。わしから子供たちに、そして次の世代に、また次の世代に。そうして永遠に語り継がれるでしょう」




