第46話 最後の聖戦
「ティルラの愛した世界を、どうか守ってほしい――」
そう言ったルードウィヒは体に炎を纏って一人、王城に向かってしまった。
「ル――……、ルードウィヒっ!!」
ティアナの叫んだ声はただ闇に吸い込まれるだけで、ルードウィヒを止めることはできなかった。
「どうした、ティア?」
異変に気づいたジークベルト達が駆け戻ってくる。
「ジーク――! どうしよう、ルードウィヒが一人で行ってしまったのっ!」
焦った表情のティアナと、ルードウィヒの姿がないことにすぐに状況を理解したジークベルトがぎりっと奥歯をかみしめる。
「あ、の魔法使い……っ」
忌々しげに舌打ちし、ジークベルトは一目散に魔王の城目指して駆け出す。
「追うぞ、あいつ一人じゃ勝ち目なんてあるわけ……」
全速力で駆けるジークベルトの言葉は荒い呼吸でかき消されてしまう。
レオンハルトとダリオも慌ててジークベルトの後を追いかけ始める。
ティアナも言い知れぬ恐怖が胸を襲うが、その気持ちに負けないように心を落ち着けようと胸に手を当てて深呼吸する。ふっと違和感に首をかしげるが、急かすようにジーナに名を呼ばれて、とにかく魔王の城を目指して駆け出した。
ルードウィヒ……、どうか間に合って――
※
雲のたれこめた空。じっとりとした空気。ひたすら続く荒野。そのどれもが灰色の濃淡だけで塗りつぶされた魔界はいまや闇よりも濃い闇色で染まっている。
駆け向ける荒野のところどころには尖った八面体の石が地面から生えたように突き出て、禍々しい気を発している。走りながら、それが月影石と呼ばれる魔力の源だとジーナが教えてくれた。
ひたすら足を動かし荒野の先、崖に囲まれた細い一本道を進み、その先にそびえる鋭い尖塔の並ぶ城の中に駆け込む。
見上げるほど大きな両開き扉はティアナ達を待ち構えていたように勝手に開き、城の中へと導いた。
城の中は天井が高く細長い廊下が迷路のようにうねうねと分かれ、果てしなく長い階段が続く。壁は闇色に闇色のカーテンがかけられ、大きな窓さえ闇色しか映さない。はじめは暗く見えづらかった室内も、今は闇に目が慣れてそばにあるものくらいは見えるようになっていた。
城に入った時、ティアナの胸からふわりと時空石の虹色の光が浮かび上がり、先導するように城を進んでいく。ときどき急かすように光は明滅し、長い廊下を進み階段を上がり、月当たりの角を曲がり、そうしてたどり着いたのは先頭の最上階と思われる場所。
そこにも見上げるほど大きな扉があり、だが、その扉が勝手に開くことはなくて、ティアナ達は力任せにその扉を押し開いた。
室内は広く、奥には一面の窓が闇を写し、格子の銀色が鈍く輝いている。その窓の前に、魔王とルードウィヒが対峙していた。
口角をにやりとつり上げ不敵な笑みを浮かべている魔王は、闇色のマントをはためかせその姿にかすり傷一つなく、余裕たっぷりの様子。それに対して、ルードウィヒのマントはところどころ煤け破れている。だが、その表情は雄々しく、その瞳は陰ることなく鮮やかな光を湛えている。
何かを待っているように動きを止めていた二人は、ティアナが駆け寄ろうとした瞬間、それぞれが腕を前に突出し攻撃を仕掛けた。
魔王の腕からは禍々しい光を放つ闇色の渦がルードウィヒめがけ、ルードウィヒの腕からは炎がほとばしり、炎は鳥に姿を変えて羽ばたいた。
闇の渦と火の鳥は二人のほぼ中間地点で猛突し、灼熱の風が扉のそばにいるティアナ達のところまですごい勢いで吹いてくる。しかし、二つの力は対等のように見えたのは最初だけで、闇が勢いを増し、加速し、荒ぶる炎を飲み込むように広がり火の鳥は押され、闇はルードウィヒの目前まで迫っていく。
「何度やっても、無駄よ。たかが魔法使いに私は倒せまい」
「くっ……」
じりじりと迫ってくる闇に、ルードウィヒはその場に踏ん張るがやっとで、彼を守る腰部前方にできた炎の壁は弱々しく揺れ、強大な闇の渦があっという間に覆いつくしてしまう。闇は炎を巻き込みながら、さらに天井や背後の壁に当たり、轟々と禍々しい光を放ち、その勢いは止まらない。
「フハハハハハ、所詮、人などなんとも他愛無い存在なことか」
勝ち誇り、尊大に顔を歪めて笑う魔王。
部屋全体が闇に飲み込まれ、もう駄目なのか、そう思った時――
闇に飲み込まれたルードウィヒがいた周りで二つの光が強く明滅する。それは水色の光と濃青の光で、風の鍵と水の鍵だとすぐにティアナは気付く。
ルードウィヒが一人、魔王の城へ行ってしまった時、ティアナの胸元から世界の鍵が消えていた。もしかしたら彼が持っていったのかと予想していたティアナは、やはりと思う。
二つの光に答えるように、ティアナ達をここまで先導していた時空石の虹色の光が明滅し、すぃーと二つの光に近づいてく。瞬間、地をうねる水蛇と空をかける空虎が姿を現し、闇の渦に立ち向かっていく。闇に飲み込まれていた火鳥も体制を立て直し、咆哮を上げて猛然と闇に突っ込んでいった。
勝ったと思って余裕を見せていた魔王は、突然現れた水と風の攻撃に闇の勢いがそがれていく。
「なっ……」
闇の王は狼狽えるが、腕を高く掲げそこに限界まで力を溜め闇の渦を集めると、頭上から勢いよく降りおろした。
「これでどうだ――」
闇の王から放たれた闇は、放射線状に渦を巻きながら広がっていく。先ほどの攻撃とは比べ物にならない威力に、ティアナ達は間に入ることも加勢することもできず、魔王の力の絶大さに圧倒される。が。
ティアナは魔王ではなく、ルードウィヒから視線を逸らせなかった。闇に包まれたルードウィヒは、闇から這い出し、まっすぐに魔王に腕を突き出している。
その表情は先ほどよりも威力を増した闇の渦に動揺することもなく、どこか余裕にすら見える。その姿が切なくて、ティアナは不安でならなかった。
ルードウィヒを包み込んでいた闇は再び彼を襲おうとじりじりと距離を詰めてくる。その時、ルードウィヒの懐から強い光が、卵の殻を破って出てくるように四方に輝きを放った。
光は強い輝きを放ちながら放物線状に広がり、その周りを火と水と風が渦を巻いてどんどん膨れ上がっていく。
ルードウィヒ――……
声にならないティアナの叫びに、一瞬、ちらりとルードウィヒの視線がティアナに向けられる。その表情は満ち足りたような、晴れやかな笑顔にティアナは胸が締め付けられる。
光は闇の王から発せられた闇を退け、闇の王めがけて猛進する。
「うぁぁぁぁぁぁ……っ!!!!」
闇の王は顔を両手で覆い、身をよじりながら絶叫する。光は容赦なく闇の王を襲い、闇の王は光に押しつぶされるようにその姿が霞んでいく。
闇の王を退けた、そう思った時。
闇の王が放っていた闇の渦が統制を失い室内を駆け巡る。天井や梁、柱を侵食し、みしみしと嫌な音がして床が軋む。
「……っ、このままじゃ城が崩れるぞ……」
ジークベルトの叫びに、一斉に扉に向かおうとするが、振り返ったティアナに向かって、天井を支えていた太い柱が襲いかかってきた――




