第45話 決断の宿命
「お前が選択するのをじっくりとみせてもらおう」
甘美な笑い声が響くと同時に、魔王の姿は闇に溶け込むように消えていった。
「…………っ」
その姿を見たティアナは無意識に強く唇をかみしめていた。
「ティア……」
優しく肩をつかまれて振り向けば、心配した表情のジークベルトの瞳と視線が合う。
まるで、このままティアナがいなくなってしまいそうな予感にジークベルトは水色の瞳を揺らし、その色の変化に、ティアナは安心させるように微笑する。
魔王のあまりにも酷な仕打ちに怒りに身が焼けそうだった。そのまま負の感情に乗っ取られそうだったのを、ジークベルトには分かってしまったのだろう。
もう大丈夫――
そう言うように、ティアナは微笑む。
だが、周りを包む空気はじんわりと重苦しく、皆が沈痛な面持ちでいる。
「どうすれば……」
「まさか魔王が、森の魔法使いの体の中に鍵を隠すとは……」
「その二つのうち一つを選ばなければいけないのでしょうか……」
皆、どちらの選択肢を選ぶこともできず、不安げに囁きあう。
ティアナのすぐそばに浮かぶ光を纏ったユーリウスでさえ、ためらっているようだ。
光の王の力が弱まっている今、世界を救うには世界の鍵の力を使うしかない。しかし、鍵は八つ揃わなければ意味がない。ルードウィヒの体の中にあるという残り三つの鍵は必要だ。しかし――
そのために、ルードウィヒを犠牲にするという選択肢をティアナにも――
それしか方法がないと一番分かっているユーリウスにも、選ぶことはできなかった。
誰もが、そうするしかないと思いながら、口にできず沈黙が闇に染まる世界を支配する。どのくらい経った頃か、沈黙を破ったのは尊大な口調のダリオだった。
「禍を招いたのがお前ならば、責任を取るべきだと私は思うが?」
言い方は遠回しだが、ルードウィヒが犠牲になるべきだとはっきりと言い切ったダリオに皆の視線が集まる。だが、だれも反論することはできない。
ティアナは悲しげな瞳をダリオに向けるが、ダリオが一国の王として“責任”と言った思いに気づき、なにも言うことはできなくて、瞳をそらした。
分かっているのに、自分にはその選択ができない。
弱気はいけないと思うのに、あがくこともできなくて苦しい。
悩み黙り込んでいたティアナは問いかける。
「本当に、他に方法はないのかしら……?」
誰にと言うわけではなく投げかけられたティアナの言葉にルードウィヒが黒い瞳を一瞬翠に揺らし答える。
「魔王が選択肢は二つしかないというのなら、それしかないのだろう。基本、かけた魔法は本人にしか解けない。魔王よりも強力な魔力でも持たなければ無理だろう……」
そう言ったルードウィヒの視線がユーリウスを見、期待をもってティアナもユーリウスを見るが、光の王は静かに一度だけ首を縦に振った。
かつて、闇の王と力を二分した光の王。その力は強大で互角だった。だかしかし……
いまの光の王は、魂を留めておくだけで精一杯だった。
「解けない魔法か……」
また魔法にはばまれるのかと悔しそうに唇をかみしめるエーリカ。
「この場合は呪いというべきか……」
沈痛な面持ちのジーナがエーリカの言葉を続ける。
呪い――
その響きにティアナに絶望感が襲ってくる。が。
「いや、一つある」
そう言ったのはジークベルトだった。
何か閃いた様子のジークベルトは顎を無造作にさすり、視線は彼方を睨むように見ている。その視線が、すっとルードウィヒに向けられた。
「あなたも、薄々気づいてるんじゃないか?」
ゆっくりとした、探るような口調に、ティアナは藁にもすがる思いで尋ねる。
「なに!? 方法があるのなら教えて――!」
一縷の希望を宿した瞳で見つめられたルードウィヒは、一瞬逡巡し、それから静かに答えた。
「魔法をかけた張本人、魔王を倒せばいい」
だが、その言葉を聞いたティアナは希望に輝いた瞳を陰らせて俯いた。
魔王を倒す――
それがどんなに難しいことか分かっているから、ティアナはわずかな希望さえ打ち砕かれた沈痛な口調で声を絞り出す。
「やはり、話し合いでなんとか……」
そう言ったティアナを制止したのはルードウィヒだった。
「いや――」
その声に顔を上げたティアナhはルードウィヒがダリオを見ていることに気づく。
「あの男の言うとおりだ。もともとは私の撒いた種。自分の後始末くらい自分でつけよう」
「なにを言って……」
思いつめたような――否、決意に満ちたルードウィヒの漆黒の瞳を見て、ルードウィヒが何を考えているのか手に取るように分かってしまったティアナは、ぐっと唇をかみしめる。
「駄目よ、そんなこと……」
その声は込み上げてくる涙と嗚咽で震えて弱弱しい。
誰かの犠牲の上で、世界を救うなんて、そんな間違ってる……
目の端に滴が浮かび、零れそうになるのを必死にこらえていたティアナの頬に、ルードウィヒの腕が伸びてきて一瞬だけ触れる。
その手があまりにも冷たくて、胸がぎゅっとなる。
「そんな顔をするな。せっかくの美貌が損なわれる。お前は笑っているのがいい」
突然そんな甘いことを、今まで見たこともない慈しむような笑顔で言われてビックリする。あまりの驚きで、零れかけた涙が引っ込んでしまった。
だが、その笑顔が記憶の断片と一致する。時空石の力で七十七年前に飛ばされたとき、ティルラに見せた笑顔だった。翠に揺れる漆黒の瞳が、ティアナを通して懐かしい面影を見ていることに気づいて、ティアナはぎこちなく、だがしっかりと口元に笑みを浮かべる。
「無駄死にはしない。命を粗末にはしない。必ず魔王を道連れにし、君が愛した世界を守ってみせる」
その言葉を聞いたティアナは無意識に言っていた。
死を覚悟して魔王に立ち向かう決意をしたルードウィヒを止めることはできない。だから、どうか最後まで運命にあがってほしいと願って――
「大丈夫、また会えるわ――」
そう言ったティアナに、ルードウィヒは一瞬驚きに目を見開く。
それから戸惑うように視線を一度そらし、しっかりとティアナの瞳を見つめる。
「ええ、必ず――」
わずかに目元を染めてルードウィヒは微笑んだ。
「私も共に参りましょう」
ルードウィヒの決意にユーリウスも頷く。
「私一人ではメフィストセレスに対抗する力はありませんが、息子と、それから――」
そこで言葉を切ったユーリウスはティアナとその後方に視線を向ける。
振り返ったティアナは、いつの間にかすぐそばに来ていたジーナ、ルードウィヒと彼に肩を支えられたエーリカ、レオンハルト、ダリオのそれまでの迷いが一切消えた決意に満ちた瞳と視線が合う。
「皆の力を合わせれば、まだメフィストセレスと互角に戦えるでしょう」
その言葉に、皆が力強く頷き返す。
それから話し合いで、魔王を待つよりも魔王の城に乗り込むことにで意見は一致し、闇の荒野の先にそびえる尖塔の城へと向かい始める。
だが、数歩も進まないところで、ティアナは振り返る。
皆が歩き出した中、ルードウィヒだけがその場に立ち尽くし、手のひらの中のものを見つめている。それがティルラの耳飾りだとすぐに気付いたティアナはざわりと嫌な予感が胸に押し寄せて、慌ててルードウィヒの元に駆け戻る。
「ルード、ウィヒ……?」
簡単に近寄れぬ空気を纏ったルードウィヒに恐る恐る声をかける。
はっとしたように顔を上げたルードウィヒは、僅かに困惑した表情を浮かべ、それから、手のひらの耳飾りを強く握りしめる。
「今度こそ、約束を果たすと誓おう。ティルラの愛した世界を、どうか守ってほしい――」
懇願にも似た愁いを帯びた声音に、ティアナは胸が締め付けられる。
「ル――」
だが。声をかけようとした瞬間、ルードウィヒの手のひらから炎がほとばしり体の周りを螺旋状に駆け巡ってかと思うと、忽然と姿を消していた――
※ 七十七年前は逃れられなかった宿命……ルードウィヒは愛する人のために今度は立ち向う決意を。




