第42話 月光の導き
ルードウィヒの魂である翠の球が明滅し、それに答えるように時空石が内側から七色の輝きを放つ。
瞬間、ぼやけていた世界がもとに戻る。
闇よりもさらに深い闇色の空間。
「ティア、大丈夫か――!?」
息を切らして駆け付けたジークベルトの言葉に、ティアナは首をかしげてしまう。
今のいままで、時空石の力で自分以外のものの時間が止められたことを思い出す。ティアナにとっては流れ続けていた時間が、ジークベルト達にしてみれば、魔王に世界の鍵を渡そうとした次の瞬間ということになる。
ジークベルトを安心させるように頷き、ジークベルトの視線を追う。
先ほどまで魔王に操られていたルードウィヒはその場に倒れ、意識はないようだった。
「どういうことだ……?」
訝しむジークベルトと少し遅れて駆け付けてきたジーナ達に、時空石の光で魔王を退けたこと、その力で時を止め、ルードウィヒの魂に語りかけたことを説明した。
「ティアナ姫、なんて無茶なことをっ!」
顔を真っ青にしてジーナはティアナに詰め寄る。
そのあまりに鬼気迫る表情に、ティアナは思わず両目を硬くつぶる。次の瞬間、ふわっと柔らかい腕に抱きしめられていた。
「あなたが無事でよかった……」
ぽろっとこぼれた安堵の言葉に、ティアナは胸の奥が熱くなる。
「心配をかけてしまってごめんなさい……」
申し訳なさそうに目を伏せて、弱弱しい声で謝るティアナをジーナはもう一度強く抱きしめる。
「無茶なことをするのはジークベルトだけで十分ですよ」
ちゃめっけたっぷりに言って片目をつぶってみせたジーナに、ティアナも思わず微笑んでしまう。
「それで、世界の鍵は魔王の手には渡っていないのですね?」
確認するように問いかけるレオンハルトに、ジーナから離れたティアナは頷く。安心させるように、胸元から手元にある世界の鍵を出そうとして、ころんっとなにかが転がり落ちる。
「大丈夫か?」
ダリオが落ちたものを拾ってティアナの手に乗せ、僅かに瞳を眇める。
「銀細工か……?」
「えっ、あ――」
手のひらには華の形を模した銀細工。記憶をなくしロ国にいた時、謎の黒髪紫瞳の美女がティアナに渡したものだった。
すっかり忘れていたが、ロ国のハレムを出る時からずっと持ち歩いていたのだった。ドルデスハンテ国に来る時も必要最小限のものしか持たなかったが、無意識にこの銀細工を持ってきていた。
「紫瞳の女性に頂いたものなのです、一緒に持ってきてしまったみたいで……」
戸惑いがちに言うティアナに、ジーナとエーリカが顔を見合わせる。
「もしかしたら……」
意味深に呟いたエーリカは、唇だけを動かしてなにかを呟く。すると、ティアナの胸元からほのかな光が浮かだし、歪んだ円形で濃い青をした水の鍵が意志を持ったように出てきてティアナの手のひらの上の銀細工に近づいた。水の鍵につられたように、水色で丸みを帯びた三角の風の鍵、瓢箪型の淡翠色の時空石がティアナの胸元から飛び出してくる。
三つの世界の鍵がくるくると銀細工の周りをまわりなにかを訴えるように瞬く。
ティアナは、ただ目の前に光景に驚いて目を見開くことしかできない。一体ないが起こっているのか理解できなくてエーリカに視線を向けるが、エーリカはただ成り行きを見守っている。
何度目か、三つの世界の鍵が瞬いた時、ティアナの手の上の銀細工から輝きだす。それは眩しくて目を開けていられないような光ではなく、優しく温かい光で、ティアナはその一部始終を目にする。
銀細工から出た淡い光は次第に大きくなり、そこに透けた人の姿が現れる。それがハレムの庭園で見た紫瞳の女性だったことに、ティアナは驚きの声を上げる。
「えっ!? あなたは……」
あの後、一度もハレムで姿を見なかったため、ハレムの女性ではないとは確信していた。しかし、その女性がなぜここにいるのか理解できない。
「光の王――」
その言葉に振り返ると、ジーナとエーリカ、そしてジークベルトまでその場に片膝をついて恭しく頭を下げている。
「えっ、え!? ひかりのおう? ――!!」
ジークベルトの言った言葉を反芻して、ティアナはその意味を理解する。勢いよくジークベルトから手のひらの上に浮かぶ半透明の小さな人型に視線を向ける。
「光の王、なのですか……」
半信半疑で問いかけるティアナに、紫瞳の女性はその整いすぎた面に淡い笑みを浮かべる。その姿はあまりにも儚く、ほんの少しでも風が吹いたらその存在すら掻き消えてしまいそうな弱弱しさだった。
「はい、ユーリウスと申します。この間お会いした時は名乗ることもできず失礼しました」
「いえ、そんな……」
銀細工の乗っていない反対の手をぶんぶん振って、ティアナは光の王に頭を上げてくださいと言う。
「皆さんにも、ご心配をおかけしました」
紫の瞳に涙を浮かべて魔女達に謝る光の王の姿は眩く、その涙さえ美しくて見入ってしまう。
「いいえ、いいえ。ご無事な姿を拝見し、安堵いたしました」
「確かにあの時、私たちはあなた様の命が掻き消えるのを感じました。人間界はいまや闇に包まれています。一体何があったのか教えていただけますか?」
双子の魔女に問われ、光の王は小さく頷く。
「どこから、説明すればいいのでしょう……」
そう言って光の王が語ったのは、世界分離説の続きの話だった――
※
“それでも世界は変わらず廻り、魔界と人間界の均衡は保たれていた。
が――
闇の王はずっと光の王が妬ましかった。なにもしなくても誰からも愛され、自分の前にひれ伏す魔族でさえ光の王には逆らおうとはしなかった。魔力を信じなくなった人間達をいまだ愛し、人間界との共存を図る光の王が憎らしく、目障りだった。
王は一人で十分だ――
いつしかそう考えるようになった闇の王は、光の王の隙を常に狙っていた。
闇の王の方が絶大な魔力を持ってはいるが、光の王には魔力以外にたくさんの力の源がある。二人の力は同等のものだった。
だから闇の王は、光の王の力が弱まるのをただひたすらに待っていた――
光の王の弱点をつき、世界の均衡を破られるその時を――”
※
「世界が分かたれた頃から、メフィストセレスは私のことを憎むようになりました。なぜ魔力を信じなくなった人間に恩恵を与えるのか、あのようなか弱き存在に構うのか、と。私はただ、人とか魔族とか関係なく、この世界に住む者が皆幸せに、平等に暮らせればいいと思っただけなのですが、そんな考えは生ぬるいとメフィストセレスは言うのです。
私とメフィストセレス、二人で支えてきた世界は、きっと私とメフィストセレスの心が離れていったことが原因で歪が生じたのでしょう――
メフィストセレスは私の力が弱まるのをただ待つだけでは飽き足らず、私の血を分けた息子の心の闇に目をつけたのです。その闇に取り入り世界を破壊しようと企てていることも、息子がそれに気づいて抵抗していることも、知っていて、私には何もすることができなかったのです。
私にはそこに干渉するだけの力がもうありませんでした」
そう言った光の王はどこまでも儚く、寂しげだった。
「だから、決めたのです。砦の森で、息子が守るために契約を交わした少女に、私の命を託そうと――」
そう言った光の王は、まっすぐに紫瞳の瞳をティアナに向け微笑んだ。
「私の命の源である月光石をあなたに託し、命が尽きる直前に肉体を手放して月光石の中に宿りました。せめて魂だけでもつなげようと。傷ついた魂を月光石の中で癒していたのです」
「では――、これが月光石なのですね……?」
それまで静かに光の王の話を聞いていたティアナは問いかける。
「そうです」
静かな声音が聞こえ、ティアナは手のひらの中に視線を落とす。
これが光の鍵、月光石――
光の王はまだ生きておられた――
五つ目の世界の鍵を入れた喜びと、光の王の無事を確認して安堵した気持ちで、ティアナは胸の前で両手をぎゅっと握りしめる。
「血を受け継ぎし小国の姫よ、世界に散らばりし八つの宝珠を集め、その力でどうか世界に平穏を――」
光の王の言葉で、それまで不確かだった世界を救う唯一の方法が、確実な一手に代わる。
ティアナはジークベルトと視線を交わし、頷きあう。
魔王が持つ残り三つの世界の鍵を手に入れることさえできれば――
わずかに抱いた希望の光に顔をほころばせた時、ざくっという地面の擦れる音とともに、それまで意識を失って倒れていたルードウィヒが置きあがった。
※ 光の王は女性ではありません。女性と間違えるくらい美しい容姿なだけです。




