第41話 光を愛せざる者
「ティア……っ、やめろっ! 魔王に鍵を渡したらどうなってしまうか分かっているのか!?」
魔王の要求をのみ、魔王に近づいたティアナに、痛みを我慢しながら立ち上がったジークベルトが悲痛な叫びをぶつける。
分かっている、ジークベルトの言うとおり。魔王に世界の鍵を渡してしまえば、世界は本当に終焉を迎えてしまう。
それでも――、だから……
心の中で葛藤しながらも、胸元の合わせの隙間に忍ばせていた世界の鍵に手を伸ばしたとき、ティアナはその瞬間に覚悟を決める。
「わかりました、あなたにこれを――」
言うと同時に、心の中で強く願う。
お願い、カイロス――!
瞬間、闇に染まる世界に閃光が駆け巡る。あまりの眩しさにティアナさえ目を開けているのが辛かったが、僅かに開けた視線の先、暖かな光を浴びて魔王が身をよじり、顔を両手で覆って呻いているのが見える。
闇の王。メフィストセレス。光を愛せざる者――
そう教えてくれたのは、ジークベルトに七十七年前の過去に飛ばされた話をしたときだった。
闇の王の名・メフィストセレスが“光を愛せざる者”という意味を持つということ。
時空石が目覚めた時に放った七色の光が魔王を撃退したことも。
仲間の命を盾に世界の鍵を渡すように言われ、言うとおりにするつもりだった。だが、鍵に手を伸ばしたとき、指先に触れた瓢箪型の石が語りかけてきた。
『どうか、我の力を――』
それは懇願に似た響き。
一か八かの賭けだった。
それでもティアナは、賭けることにした。心の中で時空石の名を呼び、強く思い描く。どうか魔王を退けて。ルードウィヒと話をさせて――と。
闇を包み込んだ光は次第に収束していき、代わりに七色の光がティアナの胸元からほとばしり、世界がぼやけた風景で留まる。
ティアナ以外の者は時を止められたかのように、不自然な格好で動きを止めてる。否、時が止まっているのだと、ティアナは直後に気づく。
時空石には時を移動するだけではなく、時を止める力もあるのだと、どこか冷静に分析してしまう。
ぼやけた世界の中、取り出した薄翠の石からゆらりとこの世のものとは思えない絶世の美青年が姿を現す。
「カイロス」
ティアナがその名を呼ぶと、切れ長の慈愛に満ちた瞳を細めカイロスが微笑む。両脇に分けられた長い前髪がさらりと揺れた。
『間に合ってよかった』
澄んだ声で言われ、ティアナは頷き返す。
「魔王は……、みんなは大丈夫なのですか?」
『安心なさい、一時的に時を止めただけ。体に問題はない。魔王は――光に驚いて本体に戻ったようだ』
「ではルードウィヒは――」
『いえ、彼の精神はいまだ肉体に戻れず苦しんでいるようだ』
「話すことはできますか……?」
『できるでしょう。強く思い描き、呼びかけてみなさい』
カイロスの言葉に頷き返し、ティアナは心の中で強く呼びかける。
ルードウィヒ――!
すると、ぼやけた視界の中に翠色の丸いものがどこからか彷徨い、ティアナのもとに近づいてくる。
目の前で止まった翠色の透明な塊に視線を向け、ティアナは問いかける。
「ルード……ウィヒ……?」
ティアナの声にこたえるように、翠の球が明滅する。
「ずっとそばにいたのね。そこで見ていたのでしょう……?」
なんとなくそんな気がして問いかけたティアナに、ルードウィヒの魂である翠の球がふわふわと浮遊する。
なにかを訴えているように見えるその姿に、ティアナは胸が締め付けられる。
ルードウィヒに会ったのなら、言いたいことはいろいろあった。
二人の間に擦れ違いから生まれてしまった誤解。ルードウィヒをこんなにも苦しめていた原因。
ティルラがどんな思いでイーザの王族との婚姻を了承したのか、最後までルードウィヒを想っていたこと。裏切っていないし、忘れていないその想いとか。
だけど、ティアナは何も言わずに、懐から涙型の紅玉の耳飾りを取り出した。
どんな言葉よりも、これが一番ティルラの想いを伝えられると思ったから。
「ねぇ、ルードウィヒ。これがあなたの捜していたものでしょう? 大事なものでしょう?」
どうか想いも一緒に伝わってと願う。
時空石に姿を戻したカイロスが一瞬、またたく。
広げた掌の上に乗せた紅玉の耳飾りを前に差し出すと、翠の球がそれに近づいてくる。耳飾りに触れた瞬間、そこにイーザ国で過ごしたティアナの姿が走馬灯のように映る。
それは一瞬のことだったが、翠の球が微笑んだように見えた。




