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第33話  反逆の足音



 イーザ国で――

 背後に近づく黒い影に気づいたルードウィヒは、自分の想いを断ち切り砦の森へと引き返す。

 仕方ないという思いと許せないという思い。二つの気持ちがせめぎ合い、くすぶる気持ちがどんどんと胸に暗い影を蓄積させていく。

 気を許した瞬間、胸に反逆の炎が燃えあがり、それに惹かれたように黒い影が忍び寄る。


『許せないのならば――すべてを滅ぼしてしまえばいい……』


 甘ったるくて優美な声で、脳に直接ささやきかけてくる。


『煉獄の炎ですべてを燃やし尽くせ――』


 誘うような声に身をゆだねてしまいたくなるが、脳裏にあの日の光景が鮮明に蘇る。

 吹雪く雪の夜――

 狂気をはらみ、憎しみで睨みつけられたアイロスの瞳。

 生まれて初めて感じる怒りの感情。怒りの感情に心を乗っ取られ、ただ怒りのまま火の精霊の力を解き放った。暴走し、荒れ狂う炎の九龍はうねり、数千の敵兵と自国の森をも次々と飲み込んでいった。

 なにもかもが狂ってしまったあの夜の光景をまざまざと思い出し、ルードウィヒはぎゅっと眉根を寄せて薄暗い室内にうごめく影に目を凝らす。


「お前は何者だ……? なにが目的かは知らぬが、私は二度と力を暴走させないと誓った」

『そう息まくな、若造……』


 わずかにあいたカーテンの隙間の窓からゆらりと黒い影が滑り落ちる。姿形ははっきりとはしないが、人のようなそれの中で、闇色の双眸があやしく光る。


『私の望みはそなたと一緒だ――、人間が憎い、人間との間に子をなした光の王が憎い、この世界そのものが……』


 ルードウィヒは座っていたソファーから体勢を低くしたまま立ち上がり、おもむろに小卓に手をつく。指先に触れたものにはっとし、考えるよりも先に手に触れた電灯を黒い影に向けていた。瞬間。


『うっ……ぁぁぁぁぁぁ…………』


 影は身をよじりながら、断末魔のようなうねり声をあげて消えていった。

 ルードウィヒはつぅーっと額に流れる嫌な汗を手の甲で拭い、手にした電灯に視線を向ける。ほぼ一日中カーテンを閉め切り、うつらうつらとしているが、読書だけは一日として書かしたことがない。薄暗い室内でも本が読めるように、小卓には小型の電灯が置いてあった。

 ルードウィヒの問いかけに名乗りはしなかったが、黒い影の正体にルードウィヒは見当をつけていた。

 光を愛せざるもの――

 その異名を持つ、闇の王メフィストセレス。

 ルードウィヒの父であり、光の王の片割れ。

 最初で最後に父に会った時もそうだが、言い知れぬ畏怖が胸を締めつけ、背中は汗ばんでいる。

 絶対的な力を思わせる闇の王に対しての恐怖と、甘い囁きに身を委ねそうになったことへの後悔の念が押し寄せる。だが。

 姿を消してもなお、甘く響く甘美な言葉が良心を壊しそうな勢いで体中に渦巻き、黒い影がルードウィヒを支配しようとする。

 そのことに身震いし、ルードウィヒはおもむろに室内の電灯をつける。どのくらいぶりかにつけた電灯はチカチカと点滅し、室内に微妙な明るさをもたらした。それでも、また暗闇に包まれるのは御免だった。

 せめぎ合う二つの気持ち。今はまだ、仕方がなかったのだという気持ちが強く、恋慕の炎がかすかに胸に灯る。

 ふっと気が緩んだ瞬間、愛しい面影を思い出して胸に黒い影が渦巻く。闇から流れ出たような黒い影が甘美な声でささやかれる誘惑を、生まれ持っての誇りが拒み、黒い影に支配されないように抵抗する。

 いつでも胸に想い描いてしまう愛しい面影を意識的に外に閉めだし、考えないようにする。そうすることで、胸に渦巻く闇を沈める。

 それからいくつもの季節をめぐり、ルードウィヒはひっそりと森の奥深くの小屋に籠って生活していた。

 


  ※


 旧ホードランド国とドルデスハンテ国の国境であったバノーファの街。街の象徴のように中央広場には澄んだ水が湧き出る噴水があり、街のいたるところに花壇があり一年中花が咲き誇る美しい街。そこに隣接した砦の森に、一人の魔法使いがひっそりと暮らしていることを知っているものはほとんどいなかった。

 旧ホードランドの民であったバノーファの街の人々さえ、そこに自分達を守った皇子がいるとは気づきもしない。

 かつて自分たちの国があった神聖な森。一度は炎にまかれたが、いまでは以前のような姿を取り戻している。だけど、だからこそ――そこには足を踏み入れない。

 幸せな思い出だけでなく、辛い過去も思いださせるから。街の人達は未来だけを見つめて進んで行くために、森へとは決して足を踏み入れない。

 時折、王城から派遣された魔導師が森に入っていくのを見かけることはあった、その後を追っても森に入ったつもりがいつの間にか街へと戻ってきてしまっている。

 時が流れ、旧ホードランド国の歴史を知るものも減り、いつしか噂されるようになる。

 砦の森には魔法使いがいる、と――



  ※



「ルードウィヒ、いるのだろう?」


 ノックの音と共に渋い声が響く。

 砦の森の奥にひっそりと建つ小屋を訪れたニクラウスは返答を待つが、その返答が返ってきた事は一度もなく、勝手知ったる仕草でポンっと扉のつまみの斜め横を軽く叩き、開いた扉を押して中に踏み入れる。

 普通につまみをまわしては開かない仕掛け扉も、ニクラウスにはたいして意味がない。

 一歩足を踏み入れた二クラウスは均整のとれたその顔に深い皺を刻む。

 室内は相変わらず薄暗く、鬱々とし淀んだ空気が溜まっていて、このまま扉を開け放ち、家中の窓をすべて開けて回りたい衝動に駆られるが、ぐっと堪える。先に家の主を確認しておかなければならない。

 っといっても、これもまた、どこにいるのかだいたいの予想をつけてその部屋の扉を開ける。

 ギギィ……と軋む音を立てて開いた扉に、振り返りもせずにそこにニクラウスが立っていることを分かっているような抑揚のない声が響く。


「また、お前か……」

「あなたはまた……、相変わらずですね。返事がないので、亡きがらがその辺に転がっているかと思っていましたよ」


 開口一番のニクラウスの嫌味に、ルードウィヒはひくりと口の端をひきつらせる。


「お前こそ、ずいぶん老いたんじゃないか……? 老いぼれがこんな森深くまで何の用だ?」

「老いぼれって……っ、まあ、老いたことは認めますけどね、そんな格好(なり)してても、あなたと私は一つしか年齢は変わらないんですからね。私が老いぼれならもれなくあなたも老いぼれでしょう」

「…………っ」


 穏やかな喋り方だが背中から殺気を感じて、ルードウィヒは押し黙る。


「それで……、今度はなんの用だ?」


 沈黙を破ったのはルードウィヒの方だった。定位置であるソファーに座ったまま、めんどくさそうにニクラウスを仰ぎ見る。


「今日は――、ここにはもう来ないと告げに来ました」




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