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第32話  ねじ曲がる炎



「……そうですね、いいのではないですか?」


 金色のくせのついた髪を揺らしながらライナルトは手元の書類から顔をあげ、目の前に立つ漆黒のマントを羽織ったルードウィヒに視線を向ける。

 はじめて会った時から十も年が離れていたが、今ではそれ以上に年下に見える外見にわずかに眉根を寄せ、野望のうずまく瞳をきらめかせる。

 魔法に守られた隣国ホードランドを滅ぼし、ドルデスハンテ国に魔法指南役としてルードウィヒを迎え入れ、魔導師達が魔法を使えるようになった翌年、ライナルトは王位を継承し、今は重厚な王の執務室の椅子に腰かけている。

 年は四十を過ぎたが、もともと優美な顔立ちのため渋みを増した今もその美しさは変わらない。

 魔導師育成をはじめて十三年と少し、魔導師達の育成も一段落つき、その報告を受けていたライナルトは花が舞うような優美な笑みを浮かべる。


「魔導師達も順調に増えていますし、とても役に立っています。特に第一期の魔導師達は格別に能力が高いものが多く、あなたの指導が行き届いている何よりの証でしょうね」

「そう言っていただければ、光栄です……」


 胸に手を当てて恭しく頭を下げたルードウィヒだがその口調は抑揚がなく、とても喜んでいるようには聞こえない。

 相変わらず、正直ものだな――

 ライナルトは心の中で皮肉気につぶやき、ルードウィヒを眺める。

 ニクラウスからの報告で、ここ数年、自室からほとんど外には出ず、食事もまともに摂っていないということは知っている。魔界の不思議なドリンクとやらで、最低限のエネルギーは摂っているようだがやつれているのは目に見えてわかる。なにより、瞳が精彩に欠け淀んでいる。

 まるで、生きていることを全身で拒否し、それでも死ぬことを許されずそこにいるだけの存在。

 例え国が滅びようと、生まれ持っての皇子の気質が国と民を守ろうとする強い義務感を持っていると知っていて、ルードウィヒを義務という檻に閉じ込め、死の選択肢を封じた。

 ルードウィヒが抜け殻のようになってしまったことに、わずかな罪悪感が生まれる。だから。


「魔導師達の指導についてはニクラウスを筆頭に引き継ぎはすでに済んでいるようですが、あなたはこれからどうするつもりですか? これほどの働きをしてくれたあなたには、それ相応の褒美を差し上げますよ」


 せめてもの罪滅ぼしに、自由を――

 そんな柄にもない事を考えてしまったことに、ライナルトは皮肉気な笑みを浮かべる。


「それでは――、私は王城を離れ砦の森に居を移したいと思います、ただ一人で、ひっそりと……」


 陰る瞳をわずかに伏せ、抑揚のない口調で言ったルードウィヒに、ライナルトは静かに頷き返した。


「許可しよう――」



  ※



 故国があった森の奥にひっそりと建てられた小屋に、ルードウィヒは居を移す。

 戦火から逃れた見張り小屋をわずかに改築しただけの古びた小屋だが、ルードウィヒにとっては故国の匂いが染みついた懐かしく温かい場所で、ドルデスハンテの王城にあてがわれた部屋よりも狭くとも、格段に居心地のいい空間だった。

 魔導師指導の全権の引き継ぎを済ませたとはいえ、時折、王城から魔導師が派遣されてルードウィヒに力を請うことがある。

 自由を与えるといいながら、力を未だに必要とするドルデスハンテの王族をうっとうしく思い、森に簡単な魔法をかける。森に足を踏み入れてもすぐに街へと出てしまう、めくらましの魔法。

 だが、その魔法を打ち破ってニクラウスだけが小屋を尋ねてくる。

 否、ニクラウスくらいの魔導師であれば打ち破れる程度のほんの些細な魔法。王城の使いを出迎えるのも面倒だが、それを拒む魔法すら煩わしく感じていたから。



 森に移り住んでから二つの季節が過ぎた頃、ルードウィヒは唯一王城から持ってきていたソファーからおもむろに立ち上がると、部屋の隅に設けられた暖炉の炎を見つめ、ふっとなにかをためらうように部屋を歩き回り、またソファーに座りこむ。それを幾度となく繰り返し、その様子を呆れるように炎がバチバチと大きく跳ねる。

 跳ねた火の粉にルードウィヒは面白くなさそうに眉根をしかめ――

 それから、踏ん切りがついたように細く長い吐息をもらすと、室内から忽然と姿を消していた。



  ※



 肌を焼くような熱さはないが、久しぶりに移動する炎の中は少し居心地が悪い。

 炎を居心地悪く感じたのは生まれて初めてで、その違和感に胸の奥が疼く。

 なぜそんなふうに感じるのか、思い当たることがいくつかあったが、いまはそのことを気にしている場合ではない。

 目の前にいくつも通り過ぎていく景色の窓に目を凝らし、ここだと思った場所に飛び込むように体を動かす。

 一度見ただけの光景だが、間違いないだろう。

 砦の森の雪に埋もれた森とは違い、緑のきらめく森。その外れに建てられた壮麗な尖塔が立ち並ぶ石造りの城。

 恰好だけでも目立つのに、初めて見る造りの城につい視線を彷徨わせていたルードウィヒは城内を歩く他の者から視線を集めていた。

 魔女が建国した南の小国イーザは温暖な気候のためか、冬であるにも関わらず魔法使い特有の漆黒のマントを羽織っているものはいない。いつでも見につけているマントを外そうなどとは思いつきもしないルードウィヒだが、目立つ彼に声をかけてくるものは特になく、目的の場所までなんなくつくことが出来た。

 旧ホードランド国とは違い、魔法使いと魔女ばかりのイーザは、王城全体に強力な魔法がかけられ、炎を通して情勢を伺うことはできても、直接、城に入り込むことはできなかった。そのためルードウィヒは、王城の外れの森へと炎で移動したのだ。

 目的の扉の前で一息つき、扉を開けようとした瞬間、ふいうちで内側から扉が開かれる。


「…………っ!?」

「きゃっ!?」


 驚きつつも、声の主を確認したルードウィヒは、一瞬、目元を懐かしげに細める。

 室内から現れたのは亜麻色の瞳、同色の髪は肩で切りそろえられ、女性にしては背の高いふくよかな女性。年の頃は三十を過ぎたあたり。


「リア、久しぶりですね」


 ルードウィヒは乳母の娘であり兄妹のように育ったリアの大人びた姿を眩しそうに見つめ、ここしばらく作ったことのない笑顔を浮かべようとして失敗する。

 リアは亜麻色の瞳を訝しげに細め、それから驚きに大きく瞳を揺らす。


「まさか……ルード……?」


 その声は目の前の光景が信じられないというように掠れている。

 リアが最後にルードウィヒと会ったのは十八の時、その時と姿が違うなら驚きはあるものの過ぎた年の分、歳をとるのも当たり前のことだと思う。それなのに、目の前に現れたルードウィヒは二十五、六歳くらいの若さに見える。元々大人びてはいたが、本当ならば自分と同じだけ年をとっているはずが、最後に会った時とほとんど変わらない姿に驚きを隠せない。

 だが、リアの瞳が驚きと懐かしさを浮かべたのは一瞬のことで、その瞳には激しい怒りの炎が燃え立つ。

 パンッ――――!!

 石造りの城内に甲高い音が響き、ルードウィヒは一瞬、なにが起きたのか分からなかった。

 顔を真っ赤にして自分を睨みつけているリアの瞳にどんどん涙が溜まっていくのを見て、じりじりと頬に痛みを感じて、やっと自分の頬を叩かれたのだと気づく。


「…………っ、ど……して、今頃……なんでもっと早く……」


 嗚咽交じりのリアの声はあまりにも悲愴で、ぎゅっと胸を掴まれたように息苦しくなる。


「すまない……、本当にすまない」


 ルードウィヒは事情も分からないまま、ただ何度も謝っていた。



  ※



 その後、リアにすべてを聞かされる。

 十四年前、イーザに亡命してからのすべてを。

 魔女が建国した魔法使いと魔女の国である南の小国イーザ。だがしかし、ティルラ達が亡命するよりも遡ること二十三年ほど前、疫病騒ぎが起き人口が激減、多くの魔法使い達が死に、強大な魔力を持つものが減ってきていた。

 そんなところにやってきたティルラ。魔法使いの血を引きながら魔力を持たないただの娘。けれど、魔力を操る素質だけはあった。悲しい血の宿命。

 遠く離れるティルラを守るためにとルードウィヒが分け与えた力が、逆に悲劇を招いてしまった。

 魔王の血をひくルードウィヒの強大な魔力の半分を分け与えられたティルラは、神の子として崇めたてまつられ、王族の魔力の強化のため皇太子と結婚させられる。5年間、国守の魔女として働き、二十二歳で娘を一人出産すると同時に魔力を失くし、そしてその二年後―いまから七年前に、二十四歳の若さで亡くなっていたこと。

 ティルラがどんなにルードウィヒを愛していたか――

 本当は結婚などしたくなかったこと、約束を守ろうと必死になったこと。

 共に亡命してきた親友のリアを守るために国守となったこと……

 リアでさえティルラの死後に知ったことだったが、もしも、もっと早くにルードウィヒが会いに来ていたら――そう思わずにはいられない。


「遅いのよ……」


 涙ながらにルードウィヒを詰るリアは、自分さえも責めているような悲愴な声音が痛々しい。

 涙がひき落ち着いたリアは、すまなそうに笑ってぽつりと漏らす。


「いまはティルラの子供の世話をしているわ、もう五歳になったのよ。……会っていく?」


 複雑な笑みを浮かべてルードウィヒを見るリアに、ルードウィヒは一瞬、瞳に焦がれるような炎を宿して、それから俯く。


「いや、遠慮しておこう……」


 言うと同時に漆黒のマントを翻し、リアの部屋を後にする。どこをどう歩いたのか覚えていないが、いつのまにか王城の外の森に辿り着く。

 緑の生い茂る樹木の一つに近づき、幹に手を当てて荒々しい呼吸を繰り返す。

 守るどころか、ティルラを追い詰めていたのが自分だと知り、自分自身を呪いたくなったほど自己嫌悪になる。リアに詰られて当たり前だし、もっと汚い言葉で罵られてもいいくらいだとさえ思う。だが――

 それと同時に裏切られたという気持ちは胸から消えはしなかった。

 何かを強く求める炎――

 それが行き先を見失って狂おしげにはぜる。

 胸に渦巻く恋慕の炎が、ぐにゃぐにゃにねじ曲がっていく。

 その炎をあおるように、暗い影がゆらりとルードウィヒの背後に近づいていた。




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