第28話 闇に覆われた空
風の鍵を守護する魔法使い達が隠れ住む里に着いてから二日後、ジークベルトの知人だという魔女ジーナが霧深き隠れ里に到着した。
「遅くなってごめんなさいね……、途中どうしても寄らなければならないところがあって思った以上に時間がかかってしまって」
ジークベルトからジーナと紹介された魔女は穏やかな口調で言った。見た目は六十代ほどで白髪交じりの黒髪を肩の高さで切りそろえた、上品な雰囲気の老魔女だ。
「いや、俺の方こそ無茶を言ってすまなかった」
「あなたが無茶なことをやるのはこれが初めてではありませんからね、もう慣れっこです」
目元に皺を刻んであどけない笑みを浮かべたジーナに、ジークベルトは視線をさまよわせ、泣きそうな笑みを浮かべる。
「すまなかった……」
もう一度謝ったジークベルトの声はどこか哀愁を帯び、ジーナが困ったように苦笑する。
「いいですよ、それより連れがいるのですけどね、皆さんに紹介してもいいかしら?」
ジーナの言葉に、皆の視線がジーナの横に立つフードをかぶった女性に視線が集まる。
「はじめまして皆様方、エーリカと申します」
そう言って目深にかぶっていた濃紺のフードを外したそこには、ジーナと全くそっくりな顔があって、ジークベルト以外の皆が息を飲む。
穏やかな目元も、少し高い鼻も、白髪交じりの髪も、何もかもが同じだった。違うところといえば、ジーナが短く切りそろえられている髪を、エーリカは長く伸ばした髪を頭上で結わいていること。
「私の双子の妹のエーリカです、水の鍵を守っているのはエーリカなので、一緒に来てもらいました」
「そうだったのですか。わざわざありがとうございます」
深々と頭を下げて言ったティアナをジーナとエーリカがじぃーっと見つめ、二人が顔を見合わせて視線だけで会話する。
「あなたがティアナ姫ですね、ジークベルトから聞いておりますよ」
「ええ、あなたが……」
そう言ったジーナとエーリカは懐かしむような眼差しをティアナに向け微笑んだ。
「事情は聞きました、これまで大変でしたね」
慈しむように言いティアナの両手を包み込んだジーナに、ティアナは苦笑する。
「いえ……、私一人の力ではありません。ジークベルトにも、レオンハルト様にも、ダリオ様にも、他にもいろいろな方々に支えられて出来たことです」
「ええ、そうね。あなたにはたくさんの仲間がいる、それはとても力強いことです」
「でもね、だからこそ……」
そこで言葉を切ったエーリカは言い淀むように視線をさまよわせ、ティアナの手を包むジーナの手に自分のそれを重ね、まっすぐとティアナの瞳を見つめた。
「私はあなたに水の鍵を託します。あなたなら良いように導いてくれるでしょう」
「えっ……」
エーリカの言葉に、ティアナは思わず驚きの声をもらしてしまう。
例えジークベルトの知人の魔女であろうと、自然の力の源であり世界の均衡を保つ宝珠である世界の鍵を無条件で渡してくれるとは思ってもいなかった。風の鍵同様、なにかしらの試練を言い渡されると覚悟していた。
「試練はなしですか……?」
肩透かしをくらって困惑気味に尋ねるティアナに、ジーナとエーリカが顔を見合わせて苦笑する。
「あなたはすでに三つの鍵に選ばれています。いまさら試練など必要ないと思いますが……?」
ジーナに尋ねられても、こっちが聞きたいくらいの気持ちでティアナは困惑したまま首を傾げる。
選ばれたというか、成り行きなのですが――
喉まで出かかった言葉を飲みこむ。
確かに時空石は試練を受けたけど、風の鍵については試練と言っていいのかどうか分からず、火の鍵についてはなぜ手元にあるのか理由さえ不明だった。
「鍵に選ばれることは、あなたの持って生まれた宿命なのでしょう。水の鍵もあなたの元に行くことを快く承諾しています」
まるで水の鍵に意志があるようなエーリカの言葉に驚くが、時空石がカイロスと名乗り人型をとることを思えば、それほど不思議なことでもなかった。
包まれていた手のひらを広げるようにされ、そこにわずかに歪んだ円形の濃い青色の石を乗せられた。
「これが、水の鍵ですか……?」
「ええ、我々一族が代々密かに守り抜いた秘宝です」
これで八つの宝珠のうち四つが揃った――
ティアナは胸に熱いものが込み上げて、きゅっと唇を噛みしめる。
「よかったな、ティア」
横からぽんっと肩を叩かれて見上げれば、不敵な笑みを浮かべるジークベルト、優しげな眼差しを向けるレオンハルト、氷の瞳を美しくきらめかせたダリオがティアナを見ていた。
気持ちを上手く言葉に出来ず、ティアナは小さくでもしっかりと頷き返した。
「これであと半分だな」
ジークベルトが喜びをかみしめるように呟き、他の魔法使いも決意に満ちた眼差しを交わし合う。
「残り三つは魔界、一つは行く方知れずですか……」
ぼそっともらしたユリアンの言葉に、ジーナとエーリカが顔を見合わせて口を開く。
「そのことだけど……」
「リッチサフェルで出会った魔法使いから土の鍵を守護する魔法使いがロ国にいると聞いて、ここに来る途中ロ国に寄ったのですよ」
「我が国に……?」
魔法とは無縁だと思っていたロ国――自分の国に魔法使いが、しかも世界の鍵を守る魔法使いがいると聞いて、ダリオは驚きを隠せない。
だが、話の腰を折ってはいけないと考えてあえて口を挟もうとしないダリオの様子を見て、ジーナが話を続ける。
「星砂漠の湖の側に隠れ住んでいるというとこまで情報を得たのだけど」
「湖の側といっても範囲はかなり広いだろうな……」
ぼそっと一人ごちたダリオの言葉に、ジーナが頷き返す。
「探すのに手間取ってね……」
「それで、見つかったのか?」
先を急かすように尋ねたジークベルトに、ジーナとエーリカが悲愴な表情を浮かべる。
「ええ、見つけるには見つけたのだけど……」
エーリカの歯切れ悪い言葉に、良い知らせではないと悟ってティアナは息を飲んで続きを待つ。
「鍵は奪われた後だったわ……」
悲痛な声音でジーナが言い、くっと唇をかみしめる。
「奪われた――……!?」
衝撃の情報に、ダミアンとユリアンも驚きを隠せないでいる。
「それで、魔法使い達は無事だったのか……?」
緊迫したジークベルトの問いに、ジーナとエーリカは瞳に悲痛な色を浮かべ力なく首を左右に振った。
魔法使い達がどうなったのか想像して、誰もが青ざめる。
誰に奪われたのかは言わなくても、すでに皆が承知だった。この状況で、ティアナ達以外に世界の鍵を求めているのは――
脳に甘く響くバリトンボイス。全身黒づくめの衣装をまとい、漆黒の中でも輝く艶やかな長い黒髪。優美でそのくせ畏怖の念を与える闇の様な笑顔。
時空石の力で過去に飛ばされた時、目の前に現れた闇の王の姿を思い出し、ティアナは恐怖に身を震わせる。
ついに魔王が動き出した……?
やりきれない思いが胸に渦まいて、ジークベルトがどんっと側の壁を無言で叩きつける。その時。
外からざわめきが聞こえ、ティアナ達のいる部屋へと近づいてくる足音が響く。
「長老っ! 若長っ! 大変です、空が……」
動転して上手く状況を説明できずにいる魔法使いを見、ユリアンはすごい勢いで立ち上がると部屋を飛び出していく。
何かが起きたことだけを理解し、ユリアンの後を追って屋敷の外に出たティアナ達は、目の前の光景に驚愕し息を飲む。
青々と若葉の茂る山に囲まれた谷。青空と霧に挟まれた里。
まだ陽が空に登っている時間だというのにその美しい光景はなく、目の前に広がるのは黒一色。空は漆黒に染まり、湿った風が体にまとわりついて気持ちが悪い。
空だけではない、世界全体がまがまがしい気で覆われたように、そこにいるだけで悪寒が全身を這い上がってくる。
「間に合わなかったのか――っ!?」
ジークベルトの低く掠れた声が、遠くの声のように耳にかすかに届く。
世界を覆う漆黒がまるで闇の王を思わせて、ティアナは胸に冷たい塊を投げ込まれたように全身が震えて止まらなかった。




