第25話 かけぬける風雲
一行は馬を駆り、ドルデスハンテ国首都ビュ=レメンから南下し、西の大国エリダヌス国を目指す。国境の街ザッハサムから国境沿いに西へ進み、南の小国シュルホトを越えたところでエリダヌスに入国する。
さすがに旅慣れていたのはジークベルトで、イーザ国最後の国守マグダレーナが亡くなってからの一年間、各地を旅していたというだけあって地理にも詳しく、ジークベルトを先頭に、世界を救うことが出来る“世界の鍵”のうちの一つ、風の鍵を守護する魔法使い達の隠れ住む谷へと順調に進んでいく。
ジークベルトの後ろに続くのはティアナ、ダリオ、少し遅れてレオンハルトが。
イーザ国からはほとんど出たことはないが、幼い頃から兄エリクとジークベルトの遠駆けについていくなど、馬に乗る機会が多く、国土の半分が入組んだ山や森に囲まれて育ったティアナは、多少の山道などなんのその、慣れた手綱さばきでジークベルトの後に続く。
一方、後方やや遅れてついてくるのはレオンハルト。
馬には乗り慣れているが、整備された街道以外はほとんど走ったことはなく、近道だという理由で地図に載らないような山道ばかりをジークベルトが選ぶため、ついていくのがやっとだった。
同じく王族だがレオンハルトとは違い、国土の六割を占める砂漠を駆けまわっていたダリオは、山道と砂場という違いはあれど、足場の悪さはさほど変わらず、ついていくことが出来た。
※
「この辺りだと思うんだが……」
ビュ=レメンを発ってから五日、エリダヌスとシュホルトの境にそびえる山道を進んでいたジークベルトが、ゆっくりと馬の歩をゆるめた。
ティアナは視線をジークベルトから前方に向けて息を飲む。ジークベルトの愛馬である黒鹿毛の後ろ姿ばかりを追ってここまで来たので、今まで周囲の景色を見ている余裕はなく、目の前に広がる景色に目を見開く。
だいぶ険しい山道を進んでいるとは思っていたが、だいぶ山を登っていたようだ。目の前に広がるのは雄大な渓谷。白い霧に包まれてその全体を見ることはできないが、とてもこんな場所に人が住んでいると思えるような場所ではない。
「ここに……?」
そうつぶやいたのはティアナだけではなかった。後から追い付いたダリオとレオンハルトも、目の前の光景に息を飲み、眉根を寄せる。
疑うような視線を向けられて、ジークベルトは苦笑する。
「まぁ、魔法使い達の隠れ里だからな。そう簡単に人が足を踏み入れることのできる場所じゃないさ」
「それならば、どうやって見つける気だ?」
鋭く氷の瞳をきらめかせたダリオが威圧的な口調で尋ねるが、ジークベルトは気に止めた様子もなく、霧の広がる谷に視線を向ける。
「心配無用ですよ、スルタン。ちゃんと使いはだしてますから」
「使い……?」
訝しむダリオに、にやりと不敵な笑みを浮かべたジークベルトは、首から下げていた銀色の笛を口にくわえて吹き鳴らす。甲高い音があたりに鳴り響き、しばらくして霧の中から大きな羽をはばたかせながら一羽のふくろうが飛んできた。
「あ……」
その姿を見た瞬間、ティアナは息を飲む。
ジークベルトがいう“使い”がふくろうのことだと察していたティアナは、目の前に現れた鳥がそうなのだと瞬時に思う。
はじめて見るふくろうは、羽を広げた格好のままささやくような羽音と共に空から下降し、ゆったりと羽を前後に羽ばたいてジークベルトの拳に止まった。
ぽってりとした姿には似つかわしくない繊細な動きに見とれ、ジークベルトの拳の上で誇らしげな顔でホォーっと鳴いたふくろうを可愛いと思ってしまう。
「これがふくろう、ね?」
「ああ」
ふくろうの止まる手と反対の手でふくろうの頭や頬を撫でるジークベルトは慈しむように目を細め、ふくろうの足に括りつけられた紙片を解く。
「これがふくろうですか……」
ジークベルトに近づき、驚きと好奇の混ざった声で呟いたレオンハルトもティアナ同様、はじめてふくろうを目にする。イーザ国と違い、ドルデスハンテ国のふくろう小屋にはニクラウスが使うふくろうを筆頭として未だ現役のふくろうが数羽いるが、ふくろう小屋になど行く機会はなく、はじめて間近で見るふくろうをじぃーっと観察する。
その様子をやや遠巻きに、ダリオはぶすっとした表情で腕を組んで立っていた。
黙りこんでしまったジークベルトに視線を向けると、広げた紙片を熱心に読んでいる。どうやら手紙にようで、ティアナはジークベルトがそれを読み終って視線をあげるのを待って声をかける。
「手紙にはなんて?」
「ああ……」
わずかに歯切れ悪く答えたことを訝しんで見上げたティアナを誤魔化すように、ジークベルトは素早く紙片を折りたたんでどこかへとしまう。
「風の鍵を守る魔法使い達が住む谷はこの先で間違いないようだ。この先で、案内役の魔法使いが待っていてくれているそうだ」
言いながら、腰に下げた巾着から生肉を取り出しフクロウに咥えさせると、腕を軽くふりあげてふくろうを空に放つ。
舞いあがったふくろうはジークベルトの上空を旋回し甲高い声で鳴くと、霧深き谷へと飛んでいく。まるで、「ついてこい」とでもいうような仕草に、ふくろうからジークベルトに視線を向けたティアナはジークベルトの表情を見て瞠目する。
ふくろうへと向ける信頼の眼差しと口元に浮かべた不敵な笑みから、ジークベルトがふくろうと意志疎通していることが確かなことだと分かる。
魔法とは無縁だったダリオも、ジークベルトとふくろうのやり取りを見てこれから立ち向かうものへの現実味が帯びてきて、胸がざわざわとした。
「追うぞ」
澄みわたる声が響き、愛馬の手綱を操り山道から谷へと駆け降りていくジークベルトの後を、ティアナ達は追いかけた。
※
霧に見え隠れしながら飛ぶふくろうの後を追いかけた一行は、霧の中を進み険しい谷を下っていく。
しばらく進むと、そこだけ常に風が吹き抜けているように目の前の霧が晴れ、青々と茂る森と草原が広がっていた。
上を見上げれば濃い霧が立ち込め、その合間からここが険しい山々に囲まれた谷間だということが分かるが、目の前だけを見れば、どこまでも広がる草原と森しか見えない。
風になびかれて草原の草がさやさやと揺れ、緑に映えるような紺色のマントを羽織った男性が一人立ち、その頭上をさきほどジークベルトに手紙を届けたふくろうが旋回している。
ジークベルトは馬首を男性に向けると、ゆっくりと男性に近づき声をかける。
「あなたが手紙を下さった、風の一族の長ですか?」
「はい、ユリアンと申します」
ユリアンと名乗った男は無表情で、銀髪の美しい二十代後半くらいの年齢――ルードウィヒと同じくらい――にみえるが、彼が魔法使いならば、実年齢と見た目の年齢が合致しないことをティアナは理解していた。
前髪を両サイドに流し、さらした額には水色の三角型の石のアクセサリーが付けられ、落ち着いた雰囲気をより一層強めている。
「あなたが――ジークベルト殿ですか?」
ユリアンの声も表情も静かだが、わずかに含みを持った声音でジークベルトに尋ねる。そのことにジークベルトだけが気づき、わずかに眉尻を下げて複雑な表情を浮かべる。
「俺がジークベルトで、彼女がティアナ姫です」
生まれてからずっとめずらしい銀髪だと言われ、自分以外の銀髪をあまり見たことがなく、自分ともレオンハルトとも違った鮮やかな光を放つユリアンの銀髪に見とれていたティアナは、突然自分の名を呼ばれてどもってしまう。
「えっ……あっ……、ティアナと申します」
慌てて名乗り、馬上だったために会釈だけする。
そんなティアナの様子を見て、ユリアンは無表情のその口元にわずかに笑みを浮かべたように……見えた。
「ご案内いたしましょう、我が風の隠れ里へ」
落ち着いた口調で言ったユリアンは踵を返し、森の中へと足を踏み入れた。




