第23話 出発の朝日
きゅっと、マントの紐を絞ったティアナは無意識に胸元に手を当て、鞄を肩からさげて寝室を出た。
部屋から出ると、すでに客室のメインサロンにはジークベルト、レオンハルト、ダリオ、ニクラウスが揃っていた。
ドルデスハンテ国、ティアナとジークベルトの滞在用にあてがわれた客室のメインサロンは円卓と応接セットが置かれ、その奥にはバルコニーに面したティールームが続く広々とした空間になっている。
その円卓にレオンハルトとニクラウスが、窓際のソファーにはダリオが座り、そして壁際にジークベルトが寄りかかっていた。
「お待たせしました」
自分の支度が最後だったことにわずかに苦笑をもらし、ティアナはそう言った。
「いえ、私達もいま来たところですよ」
ふわりと甘い笑みを浮かべてレオンハルトが言う。
それがレオンハルトの優しさだと知っているから、ティアナはつられて微笑んでしまう。
円卓に近づいたティアナに、レオンハルトはさりげなく立ち上がり席を譲る。
「じゃ、話をはじめるぞ。……やっと返事がきた」
そう言って手に持った一通の手紙をかざしたジークベルトは、とんっと壁を蹴って起き上がり円卓に近づく。
「俺の読み通り、旧ホードランド国が時の鍵を守護していた様に風と水の鍵にはそれぞれ守護者がいて、風の鍵を守護する魔法使い達はエリダヌス国にいることが分かった。これは俺とティアの知人の魔法使いから情報だから間違いないだろう」
言いながらジークベルトはティアナにちらりと視線を向け、円卓に広げられた地図の西を指し示す。
「それと、水の鍵を守護する魔法使い達はリッチサフェルのアーテ公国にいるという情報も得た」
得意げな顔をしたジークベルトは、地図のロ国よりさらに東南を指す。
「エリダヌスと、リッチサフェルか……」
ソファーに座っていたダリオもいつの間にか円卓に近づき、ぼそっともらす。
エリダヌス国はいまティアナ達がいるドルデスハンテ国の隣にあり、意外と近くにあることに気持ちが軽くなるが、問題はリッチサフェル――
リッチサフェルとは、ロ国よりさらに東南に位置する七つの公国からなる連合国の総称。
北のドルデスハンテ国、東のロ国、西のエリダヌス国、南の小国三つの総称をカノープスといい、そこよりも東南をリッチサフェルという。
リッチサフェルのほとんどの国が独自の発展を遂げ公国で連合国以外との交易をしないため、ドルデスハンテ国やイーザ国とは縁がない。唯一、交易のあるロ国のスルタンであるダリオでさえ、その地に足を踏み入れたことのない謎の多い場所である。
「あそこは、出ることはたやすいが、入るものに対しては警戒が強い。そんな場所に行けるのか?」
静かな、だが挑戦的な氷の瞳を向けたダリオに、ジークベルトは不敵な笑みを浮かべる。
「あー、その心配はいらない。付け加えておくなら、この情報を知らせてくれた知人ってのが、水の鍵を守護する魔法使い達なんだ」
「えっ……!?」
「それは本当なのか!?」
さらっと言ったジークベルトに、ティアナとニクラウスの驚きの声が重なる。
「ああ……、俺もこの手紙で知らされて驚いたとこだ。彼女らは水の鍵を守るために各地を転々としているらしい。で、俺の手紙を読んで知らせてくれたわけだ。俺達の最初の目的地はエリダヌス。シュルホト国よりの山間の谷に風の鍵を守る魔法使い達はいるらしい」
シュルホト国は南の小国の一つで、イーザ国とエリダヌス国の間に位置する。国境には山がそびえ、近くに川も流れている。
「水の鍵を守っている魔法使い、あ――俺の知人ってのはジーナっていう魔女なんだが、彼女が水の鍵をエリダヌスまで持って来てくれることになっている、そこで合流する手はずになっている。だから、リッチサフェルに行く心配は無用というわけだ」
肩をとしてみせたジークベルトに、ダリオはふんっと鼻を鳴らし横を向く。
「では、レオン、ティアナ姫、ジークベルト殿、ダリオ様、無事のご帰還をお待ちしております」」
椅子から立ち上がったニクラウスは、みなの顔を一人ずつ見た後、胸の前で両手を組み、深々と頭を下げた。
「はい、行ってまいりますっ」
力強く頷き返したティアナは、地図を畳んで鞄にしまったジークベルトに促されて部屋を出、その後にダリオが続く。
部屋に残されたレオンハルトは、いつの間にか部屋にやってきていた側近のアウトゥルとフェルディナントに目配せする。
「後のことを頼む」
「畏まりました」
「道中、お気をつけくださいませ」
「ああ……」
口では言わないが、内心、ティアナに同行することを反対している二人の側近の気持ちを汲んで、レオンハルトは静かに頷き返す。それから、いまだに頭を下げたままのニクラウスの肩に優しく触れる。
ふっと頭を起こしたニクラウスの弱々しげな表情を見て、レオンハルトは明るい笑みを向ける。
「森の魔法使い――ニクラウス師匠の友人のことも任せてください」
バノーファの森に住む森の魔法使いルードウィヒはニクラウスが師事した魔法使いであった。彼が世界の危機になにかしら関わりがあることを案じているニクラウスの気持ちを知ってレオンハルトは笑いかける。
ニクラウスは、腕におさまった赤子の頃から知っているレオンハルトの頼もしい姿を見て、つられて笑っていた。
いつのまにか、こんな立派な青年になりおって――
それだけ……それだけ時が経ったということか。ルードウィヒの心の傷も癒されるだけの時は経ったはずじゃが、あなたはいまだに囚われているのですか――……
部屋を出ていくレオンハルトの後ろ姿を、ニクラウスは悲痛な気持ちで見送った。




