第21話 黄金の薫風
突然、部屋に現れたダリオに、ティアナは驚きの声をあげる。
「えっ……ダリオ様……?」
どうしてここに……
その疑問は言葉にならず呆然とダリオを見つめていると、ダリオの視線が自分ではなく隣に座るジークベルトに向けられていることに気づいて首を傾げる。
ダリオに射るような威圧的な視線を向けられたジークベルトは不快感に眉根を寄せるが、ティアナの口から出てきた聞き覚えのある名前に片目をすがめてダリオを見る。
輝く蜂蜜色の髪を背中に流し、切れ長の瞳が妖艶さを増す美しい容姿の男。
着崩したように簡素に巻きつけているマントの下には、胸元が大きく開きゆったりとした衣装はこの北の大国ドルデスハンテ国や南のイーザ国でも見かけないが、その格好から温暖な南国、イーザよりもさらに南に位置するロ国のスルタンだと察する。
水色の瞳と蜂蜜色の瞳が静かににらみ合い、沈黙が流れた。
ティアナはそんな二人を交互に見交わして首を傾げていたが、扉からティーワゴンを押した女官が室内の様子をはらはらした面持ちで伺っているのに気づき、席を立ち女官に声をかける。
「大丈夫よ」
ダリオを不審そうに見つめる女官を安心させるように言ったが、女官は警戒心を漂わせた視線でティアナに訴えてくる。
「ええっと……この方は私の知り合いですから」
そう言ってにこりと微笑むと、やっと安心したように女官は表情を和らげる。
女官の押すティーワゴンに視線を落としたティアナは。
「お茶の準備をしてくれたのね?」
「はい、ジークベルト様とお話をなさっていたので息抜きにどうかと思いまして……」
「ありがとう、ちょうどお茶が飲みたいと思ったところだったのよ。悪いけど、カップをもう一つ持ってきてもらえるかしら?」
当たり前だがワゴンの上にはカップが二つしか準備されておらず、ティアナは優しい笑みを浮かべて女官にお願いする。
「はい、畏まりました。ただいま準備してまいります」
女官は一礼すると、ティーワゴンを押して退出していく。
その後ろ姿を見送ったティアナは、扉の横でいまだに立ちつくすダリオを振り返る。
「ダリオ様、ようこそお越し下さいました」
言いながらスカートの裾をつまんで優雅な一礼をし、柔らかい笑みを浮かべてダリオを見上げる。
その仕草が、言葉が、ハレムにいたアデライーデを思い出させ、ダリオは胸に甘い感情が広がっていく。
冴え凍る瞳のスルタンといって誰もが恐れて目を合わそうとしないダリオの瞳を、意志の強い新緑を映す翠の瞳がまっすぐに見つめてくる。それが小気味よく、ダリオは口元をふっと綻ばせる。
「久しぶりだな、ティアナ。息災だったか?」
「はい」
ふわりと笑うティアナに、ダリオは力強く頷き返す。
「いまお茶の用意をさせてますので、こちらへどうぞ」
そう言ってティアナは先程まで座っていた円卓には椅子が二脚しかないので、円卓ではなく奥の庭に面したソファーにダリオを案内する。
円卓に座るジークベルトの横を通りすぎる瞬間、ダリオは鋭い視線をジークベルトに向け、ジークベルトもその視線から顔をそらさずに対応する。
ダリオがソファーに座ったのを視界の端で確認したジークベルトは、ふぅーっとティアナ達には気づかれない様な小さなため息をつきながら立ち上がる。窓辺へと近づき、ソファーではなく、窓に寄りかかりダリオを見つめた。
ティアナはジークベルトとダリオが初対面だということを思い出し紹介する。
「ダリオ様、こちらはイーザ国の魔導師のジークベルトですわ」
「魔導師……」
ぽつっと呟いたダリオは、ジークベルトに氷の瞳を向ける。
魔法とは無縁のロ国では馴染みのない言葉だが、魔導師がどういうものかを知っている。だが、この魔導師がティアナとどういう知り合いなのか、それが知りたくて気持ちが急く。
「ジークベルト、こちらはロ国のスルタンのダリオ様。私が記憶を失くした時に助けて下さったという話をしたでしょう」
その時のことを思い出したのか、ティアナは複雑な笑みを浮かべる。
「ああ。はじめまして、しがないただの魔導師がロ国のスルタンにお目にかかれるとは光栄です」
ティアナに相づちをし、ダリオに自己紹介したジークベルトをティアナはくすりとおかしそうに笑う。
「しがないだなんて、最後の国守の魔女のたった二人しかいない弟子の一人じゃない」
いまだに、ティアナにはジークベルトの実力は計り知れなかったが、あのマグダレーナの弟子なのだから、ただの魔導師だとは思っていない。
くすくすと笑いながら他愛ない会話を楽しむティアナとジークベルトの様子を見たダリオは、もてあますように長い足を組み替える。
自分にもよく笑いかけてくれるが、こんな安心しきったような柔らかい笑みは初めてで、胸がじりじりと焦げるように痛む。
ジークベルトと話していたティアナは、ダリオがずっと黙っていることに気づいて、ダリオを振り返る。
「ダリオ様? どうかなさいました?」
一点をじぃーっと見つめて浮かない顔をするダリオに首を傾げるが、ティアナに呼ばれたダリオはティアナに視線を向けて薄い笑みを浮かべる。
「なんでもない」
「……?」
首を傾げながらも、ティアナは女官がティーワゴンを押して室内に入ってきたのを確認して、自分もダリオの向かいのソファーに腰を下ろした。




