第17話 刻印の真実
「ニクラウス殿っ!!」
返答を待たずに部屋に飛び込んだジークベルトは、二歩目を部屋の中に踏み出せずに固まる。
王城の南側の位置する王城魔導師長のニクラウスの部屋は円形の室内、壁にかけられたいくつもの角灯の明かりでほんのりと室内が照らされ、壁には奥へ続く二つの扉とそれ以外は備え付けの本棚がぐるりと壁を覆っている。部屋の奥には黒檀の机と椅子、ソファーが置かれ、中央には何かの魔法陣が描かれ、右側の小さな机の上には何かを作る機械のようなもの、得体の知れない瓶がいくつも並べられている。
そして――机の上や床の至る所に本が無造作に積み上げられていて、足の踏も場もない。まさに言葉の通り、一歩目より先が踏み出せないほど室内には本があふれ返り、収容たっぷりの本棚が並んでいるとはいえ、本棚には収まりきらないだろう本の量に、目を瞬かせる。
「ニクラウス殿……?」
部屋に飛び込んだ時の勢いも忘れ、ジークベルトは薄暗い室内に視線を巡らせてもう一度ニクラウスの名を呼んだ。
「おぉっ、ジークベルト殿か?」
くぐもった声が部屋の左側、ひと際、本が高く積まれた中から聞こえ、ジークベルトが視線を向けた時、ゆらっと積み上げられた本が揺れて、バサバサっと埃を巻きあげながら崩れ落ちた。
「…………っ!?」
「ニクラウス殿、大丈夫ですか?」
声にならない悲鳴が聞こえて、ジークベルトはどうにか見つめた足場を、本をまたぎながら移動し、本の下に埋もれてしまっているニクラウスを助け出す。
散らばった本をどかし、ジークベルトに腕を引かれて立ち上がったニクラウスは、およそ老人とは思えない服の上からでも分かる形のよい筋肉が印象的で、長身のジークベルトよりわずかに背が高く、長く綺麗な白髪は見事に編みこまれ、白い口髭、穏やかな目元、通った鼻筋からは昔は相当の美丈夫だったことがわかる。
苦笑いを浮かべて、魔導師になる前は王軍騎士だったと語ったニクラウスの言葉を思い出し、なるほどと納得させられてしまう。
「情けないところを見られてしもうたな、つい読書に夢中になると周りが見えなくなって、どんどん本を積み上げてしまう癖があるようじゃ。そして最後はその下敷きになるのがお決まりなんじゃよ」
白い顎髭をなでながら、朗らかな笑みを浮かべるニクラウスにつられてジークベルトも笑みを浮かべる。
夢中になると周りが見えなくなる――そんな人物が周りにたくさんいたことのなるジークベルトは懐かしさに目元を細め、それから、ここに来た目的を思い出してはっとする。
「ニクラウス殿、これを見て下さい」
「なんじゃ……?」
ジークベルトは手に握りしめていた一枚の紙片をニクラウスに差し出し、脇に抱えていた本のある頁を開く。
「ここの部分の解釈ですが……」
刻印に書かれた文字は遥か古の時代に使われていた魔法文字アンスール文字。その種類は多く、組み合わせによって意味が様々ある。つまり、読み方によって意味が違ってくる。
あの時、ジークベルトとニクラウスは刻印と古文書と照らし合わせて読み解いたが、ある程度意味の分かる単語と単語を解釈しやすい単語を推測して結んで文にしていた。その文字に他の読み方があることを想定もしないで。
「こう読み解くのが正しいんじゃないでしょうか――?」
“汝、我の助けを求めん時、我の力を欲する時、メフィストセレスの加護と権威を持って、すべての願いを叶えるだろう”
それを。
“汝、我の助けを求めん時、我の力を欲する時、メフィストセレスより加護し、我の権威を持ってすべての願いを叶えるだろう”
魔王の名前があれば、それは魔法使いが契約している魔王だと推測するのが常套手段だ。だが、魔王の血をひく混血のルードウィヒならば、魔王の加護を必要とするだろうか――
「もし必要としないのならば、魔王からなにかを“守る”と読み解くべきなのでは――?」
ジークベルトの言葉に顎髭を触りながら考え込んでいたニクラウスは、うむと頷いて、薄茶の瞳をきらめかせる。
「この場合、あやつの父王であるユーリウスの名がある方が自然じゃな」
その言葉に、ジークベルトは矛盾を感じる。
「あの、ニクラウス殿……、森の魔法使いの父である魔王がメフィストセレスじゃないと知っていたんですよね……?」
「ああ……」
渋い返答をしたニクラウスは頬を人差し指でかきながら、ジークベルトからすっと視線をそらす。
「忘れておったのじゃ、あやつの父王の名がユーリウスだと。思い出したのは手紙に書いた時じゃ、すまん……」
もっと早く思い出していればこんな間違いをすることはなかったと、面目なさそうに頬を染めて俯いたニクラウスを責める気にはなれず、ジークベルトは腕を組んで、横で吐息をもらした。
「まあ、分かったことですからよしとしましょう」
そう言ったジークベルトに、ニクラウスは複雑な表情で白い眉毛をわずかに寄せる。
「すまん……あやつが魔王の血をひく混血の魔法使いだということを、わしは知っていてずっと黙っておった。契約を読み説いた時に、話しておくべきじゃった」
「ニクラウス殿、頭をあげて下さい。そのことなら、俺はすぐに気づきましたから」
「なんじゃと……?」
「私もあなたに黙っていたことがあります。隠していたというか、話す必要があるほど重要だと思わなかっただけなのですが、ティアが時空石の試練で過去に飛ばされた時の話を聞き、森の魔法使いが魔王の血をひく混血の皇子だということも、ティルラという人物がティアの高祖母にあたる人物で、森の魔法使いと恋人同士だったこと、イーザ国に亡命したこと知りました」
「ティルラ――そうか、刻印にあったその名はあやつの恋人の名であったか。なにか聞いたことがあるとは思っておったが」
「もしかして、ティアにその名を伏せていたのは、ティルラの身元を調べるためですか――?」
「ああ、お前さんに先を越されたがの。そうか……ティアナ姫はあやつの過去を知ってしまったのじゃな」
「はい……」
悲痛な表情のニクラウスに、ジークベルトは沈痛な気持ちで頷き返す。
「それから――“すべてが叶った時、代償として汝の血とティルラの記憶をすべてルードウィヒの物と契約す”この部分も、森の魔法使いがティアナを守るために刻印を刻んだと考えるなら、違う読み方ができる」
そう言ってジークベルトは、ニクラウスの手元の紙片を指さし、本をぱらぱらとめくっていく。
“汝の血”はティアナの命ではなく血統、“ティルラの記憶”というのがティルラ自身と考えてはどうだろうか。
ティルラが旧ホードランド国出身のティアナの高祖母にあたる人物で、森の魔法使いの恋人ならば、イーザ国の墓に眠る恋人自身を求めるのではないだろうか、ジークベルトにはそんな気がした。
叶わなかった恋。共に同じ時を生きることの出来なかった魔法使いの宿命――
胸がむずかゆくなるほど身にしみてわかる気持ちがジークベルトにもあって、同情せずにはいられない。
だが、今は亡き恋人自身を得るというのも解せない。
ティアナの胸に刻まれた印の真実に気づけたと思ったが、また謎が残る結果にジークベルトは悔しさに唇をかみしめた。
そんなジークベルトの胸中に気づいたのか、ニクラウスはぽんっと肩を叩き、朗らかな笑みを浮かべる。
「そう落ち込みなさんな。刻印が悪いものではなく、ティアナ姫を守るものだと分かっただけでもよしとしようじゃないか?」
ジークベルトの言葉を引用したニクラウスは勝気に笑った。




