第1話 婚約のうわさ
ロ国から陸路を通り、フルス国とイーザ国の国境を越え少し走ったところで、馬車がゆっくりと速度を落としていく。
物見窓から外を眺めていたティアナは、街道の先に艶やかな黒鹿毛の馬にまたがる懐かしい姿を見つけ、ふっと口元を綻ばせる。
ガラガラと車輪の音を響かせ停止した馬車からティアナは勢いよく扉を開けて駆けだした。
「ジークベルトっ!」
その声と同時に肩より少し長い漆黒を風にさらし、ひらりと馬上から飛び降りたジークベルトは、走って来るティアナを逞しい両腕を広げて出迎え、優しくその胸に包み込んだ。
「ティア、無事だったか……」
少し掠れたジークベルトの声に、ティアナは振り仰ぎ、目元を細めて笑みを浮かべる。それから、胸の中に顔をうずめて頷いた。
「ええ、心配かけてごめんなさい。オーテル川から海に流されて、東の大国ロ国に……」
事情を説明しようと口を開いたティアナの言葉を遮るように、ジークベルトはくしゃくしゃとティアナの頭を大きな手で乱雑に撫でると、視線を後方に映して眉尻を下げる。
その視線の先には、馬車から降りたったレオンハルトの姿がある。
「王子からの手紙で事情は聞いているが、詳しい話は王城に戻ってから聞かせて貰う。それより――」
そこで言葉を切ったジークベルトは、彼にしてはめずらしく歯切れ悪く言葉を濁し、視線をさまよわせる。しばしの沈黙ののち。
「王城に戻る前に、ティアの耳に入れておきたい話がある」
「なに?」
「あー、少しこっちに」
そう言ってジークベルトはティアナの肩に手を回して、止まっている馬車とは反対の方向へ歩き出す。
「いいか、落ち着いて聞けよ。これはまだ正式な話じゃないが――ドルデスハンテ国ではレオンハルト王子の婚約者をすでに内定しているらしい」
思いがけない話に、ティアナは息をのむ。
約一ヵ月前にドルデスハンテ国の首都ビュ=レメンでレオンハルトの花嫁選びの舞踏会が行われ、ティアナもその舞踏会に出席していた。
元々ティアナは、憧れのレオンハルトに一目でいいから会いたくてビュ=レメンに向かい――そして、王子とは知らずに共に旅をし、舞踏会に招かれた。
会えたことだけで嬉しくて、一緒に踊れたことだけで胸がいっぱいで、誰かがレオンハルトの花嫁に選らばれるという事実をすっかり忘れていた。
「そう……決まったのね。それで、その方はどなたなのかしら? 確か、エリダヌス国の姫も来ていたわよね。家柄から言って彼女かしら……」
平静を装ってやっとの思いでティアナは口を開いたが、唇はかすかに震えていた。
その様子に気づいたジークベルトは、水色の瞳に凛とした輝きを浮かべる。
「ティアだ」
「……?」
一瞬、意味が分からなくて、ティアナは首をかしげる。
なぜ名前を呼ばれたのかしら――そんな間抜けな事を考えて、次の瞬間、ぱっと思考が繋がる。
「えっ……私っ!?」
自分が花嫁に選ばれるなど夢にも考えてもいなかったようなティアナの動揺ぶりに、ジークベルトは大きな吐息をつきながら眉根を寄せ、気遣わしげにティアナを見つめる。
「そうだ、ティアだ。どうやら王妃様の目に止まり、気に入られたらしい。王妃様は王子の結婚を性急に進めたがっているらしいが、当の婚約者候補が行方不明――ということで、その話は一旦保留になったらしい。だが、こうしてティアも無事に行方がつかめた。いずれ――ドルデスハンテから正式な使いが来るだろうから、覚悟を決めておくんだな」
※
ティアナが行方不明になりレオンハルトに手紙を出した時、ジークベルトはニクラウスにも手紙を書いていた。契約の刻印についての手紙だったのだが、その返信の手紙に二人の婚約の噂があるということが書かれていた。
レオンハルトに憧れていることを知っているジークベルトは、その話を聞いた時、嬉しい反面、ティアナのことを考えると複雑な心境だった。
レオンハルトとの縁談はティアナにとって喜ばしい話だが、政略結婚として国に縛られた婚姻をしてほしくはなかった。
短い間だったがレオンハルトと共に旅をし、ドルデスハンテの王城で時を過ごしたジークベルトは、レオンハルトが少なからずティアナに惹かれているのを感じていた。それなのに、その気持ちを打ち明けていないことも知っている。
この婚約が政略結婚としてではなく、レオンハルトからの正式な申し込みだったのなら何も問題はないし、俺も心から喜べるのだが――
マグダレーナから託され少女、ずっと妹のように大切に見守ってきた。だから、ティアナには最高の形で幸せになってもらいたかった。
そのために、ティアナに知らせておきたかったのだ。政略結婚としてティアナに知らされる前に。
※
ドルデスハンテ国から――それはつまり、国と国との交渉ということで、小国イーザには大国の申し出を断ることは出来ない。
言葉に含まれたジークベルトの気遣いに、ティアナは翠色の瞳にあざやかな輝きを宿してジークベルトをまっすぐに見上げた。
「知らせてくれてありがとう、分かったわ。さあ、レオンハルト様を待たせては申し訳ないから行きましょう」
微笑んで馬車に向かって歩き出したティアナは、きゅっと痛む胸に気づかないふりをする。
レオンハルト様と婚約――
思ってもみなかった話に驚き、それと同時に嬉しくも思う。例えそれが政略結婚だとしても、夢にまで描いた憧れのレオンハルトと結婚できるのなら、ティアナにとってそれ以上の喜びはない。だけど……
記憶を失くし拾われたロ国のハレムで、ティアナはダリオに心揺れてしまった。
レオンハルトに対してのような強く激しい気持ちではなかったが、穏やかで温かな気持ちに包まれて、ダリオのことを好きだと思ってしまった。
ダリオの焦がれるような激しい瞳に見つめられて、逞しい胸に抱かれてドキドキして――
その気持ちが愛情ではなくて、自分が愛しているのはレオンハルトだと気づいたけれど――
ダリオに揺れてしまったことが後ろめたくて、自分で自分が許せなくて、自分などはレオンナハルトの花嫁としてふさわしいとは思えなくて。
素直にレオンハルトとの婚約を喜ぶ事が出来なかった。
お待たせいたしました、ビュ=レメンの舞踏会シリーズ第四弾です!
今回は最終シリーズ(の予定)なので、切なさ×ドキドキ×あまあま
そんなカンジに書けたらいいなぁと思っております。
ということで(どういうこと?というつっこみはナシで)
最後までお付き合い頂けると嬉しいです(^^)
コメント&感想&誤字脱字のお知らせ、大歓迎です!