風花(かざはな)舞う
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今日は祝言だ。
だが新郎の時雨は不機嫌を隠すこともない。母親が「照れ隠しですよ」などと言っているのを遠くに聞きながら、母親をじっと睨みつけている。父親は既に鬼籍に入っており、成り上がったこの家を絶やすまいと、母親がねじ込んできた縁談だった。ちらりと隣を見れば、新婦の牡丹はただ黙ったまま、人形のように座り続けている。
宴が終わり客たちが帰ると、邸の中は静かになった。片手ほどの使用人を抱えているとはいえ、普段は静かな家なのだ。
風呂を済ませて着替えた時雨は、一つため息をついてから牡丹の部屋にやってきた。両手をついて夫を迎え入れた新妻に、時雨は言った。
「お前には罪はないのだが、俺はお前を本当の妻にすることはできない」
「すべて承知しております」
牡丹の言葉に、時雨は目を見開いた。
「心から愛する本当の奥様とお嬢様がいらっしゃるのですから、わたくしなど気に食わないだけの存在でしょう」
「知っていたのか」
「はい。わたくしのことは放置していただいて構いませんし、一年半以内にこのお屋敷から出ます。ですから、一つだけ、わたくしのお願いを聞いてくださいませんか?」
「何だ?」
「今はまだ申し上げることはできません。出て行くときにお伝えします。出ていくわたくしに関わる金銭やら新しい縁を取り持てという話ではございませんので、どうかお聞き届けくださいませ」
「分かった」
「ありがとう存じます。それでは、お休みなさいませ」
「ああ、お休み」
不思議な女だと思った。愛する小雪と瓜二つの娘を探し出したと自慢げに母親が言ったとおり、似すぎていて恐ろしいくらいだった。だが、小雪とは違い、牡丹は良家の子女だ。最初はしおらしくしても、そのうちに化けの皮が剥がれるに違いない、
時雨は躊躇なく自分の部屋に戻ると、小雪と六花の写真を取り出した。
「すまん。しばらくは許してくれ」
時雨の声は、秋の夜長に溶けていった。
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翌朝、初夜を迎えなかったことに気づいた母親が、時雨をひどくなじりに来た。
「あの女狐と同じ顔で良家の娘なのですよ。何の問題があるというのですか」
「疲れているようでしたから」
「そんなもの、どうでもいいのです!」
「母上様、わたくしがもう少し待ってくださるようにとお願いしたのです。どうか、お叱りならわたくしに」
牡丹が手をついてそう謝るのを見た母は、ふんと鼻を鳴らして立ち去った。
「悪かったな」
「いえ、なんてことございませんわ」
ふわりと笑ったその顔までが小雪と同じで、時雨は苦しくなって横を向いた。
「母上様のことは、万事お任せください」
襖を閉めた後をなんとなく見ていると、牡丹の歩き方が気になった。どうやら片足を引きずりながら歩いているようだ。
なるほど、と時雨は理解した。貴族の末席に連なる良家の娘がどうして平民成金の、それの事実上の妻子までいる家に嫁いできたかと思えば、足が悪くて格上への縁談を断られ、支度金をつり上げた成金に手っ取り早く売られたというところなのだろう。
時雨は牡丹のことを考えないと決めた。
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冬の初めに、時雨は母が太ったように感じられた。
使用人に尋ねると、「奥様がお作りになるお食事やおやつが随分とお気に召したようで、おかわりまで召し上がりますよ」と言われた。なんだ、食い意地が張っただけか、食欲の秋とはよく言ったものだと思いつつ、母がそこまで欲する食事とはどんなものなのだろうかと一瞬だけ頭をよぎった。興味がなかったわけではない。だが、それは牡丹となれ合うこと、小雪を裏切ることのように思えて、時雨はそのまま流した。
祝言を上げて四か月が経った冬の中頃、母が体調を崩した。風邪でも引いたのだろうと様子を見ていたが、なかなかよくならない。そのうちある日突然体を動かすことも話すこともできなくなった。牡丹はまめまめしく母の介護をしているが、時雨は母の目が届かなくなったのをよいことに、隠れて小雪たちの住む家へと足を運ぶようになった。
小雪たちはつつましく暮らしていた。贅沢も言わず、平民らしく、強く生きている。時雨が来ると四歳になったばかりの六花は大はしゃぎで父を出迎えたが、小雪は顔を曇らせた。
「大奥様や奥様に気づかれたら大変よ」
「母上は寝たきりで話すこともできないし、牡丹は母上の介護につきっきりだ。心配いらないよ」
「奥様に申し訳ないわ。お世話係ならあたしがするのに」
「あいつがやるって言い出したんだ。それに祝言の日にあいつから一年半以内に出て行くって言われているからな」
「何それ」
「変わった女だろう?」
「出て行く先はあるのかしら?」
「小雪が気にすることじゃない」
愛する妻子の側で癒やされた時雨だったが、小雪に追い立てられるようにして屋敷に戻った。
「お帰りなさいませ」
ちょうど回診に来ていた医者が帰るところだったようで、牡丹が玄関先に座っていた。医者は時雨を認めると、すっと近づいた。
「旦那様。ご報告が」
「ここでも構いませんが」
「はい。大奥様ですが、おそらく夏を越せるかどうかというところでしょう」
「……そうですか」
「また伺います」
「はい。ありがとうございます」
医者を見送って玄関に入ると、久しぶりに見た牡丹の顔がずいぶんと青白いのに気づいた。
「大丈夫か?」
「はい、なんてことございませんよ」
薄く笑ったその顔がやはり先ほどまで会っていた小雪と重なり、時雨は顔を背けた。書生に時雨のことを任せると、牡丹は立ち上がった。
「どこへ行く?」
「母上様のところへ」
「そうか」
足を引きずりながらゆっくり歩くその後ろ姿は、しかし小雪とは全くの別人だった。
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春が来て、夏が過ぎた。夏を越せないかもしれないと言われていた母は大分粘ったようで、結婚してちょうど一年が過ぎた秋の中頃に、旅立っていった。
悲しみは起きなかった。身動き一つとれずにいた母親は、もし意識があったとしたら、苦痛を感じていたはずだと思ったからだ。母親はむしろ苦しみから解放されたのだと思うと、ほっとする気持ちの方が大きかった。
通夜の準備で忙しくしている中、屋敷を抜け出した時雨は小雪と六花に会いに行った。
「お葬式の準備中でしょう?」
「ああ。だが、母上が亡くなったのだ。お前たちをもう一度迎え入れるから、準備をしておきなさい」
「せめて一年の喪が明けるまではここにいるわ」
「なぜ?」
「あたしを常識外れの不届者にさせたいの?」
言われてみればそうであった。
「そうだな、その間に牡丹との離縁もできるだろうし」
「あたしが気にする筋合いじゃないのは分かっているんだけど、奥様、本当に行く場所あるの?」
「どうしてそこまで気にする?」
「あたしは旦那様がこうやって住むところを用意してくれたから、大奥様に追い出されても何とかなった。でも、奥様はお貴族様でしょう? 出戻りは嫌われて、すぐに年寄りの後家として追い出されることになる、そこで介護しながら旦那様を看取って、看取り終わったら追い出される、そういう生活が待っているって聞いたよ」
「気にするなと本人が言っているのだから大丈夫さ」
「それならいいけどさ」
「もう少しだから、耐えてくれ」
「うん」
身分違いの恋と言われても、同じ平民なのだ。家に金があるかないか、それだけで母親は小雪を拒絶したが、時雨は愛する女と子どもさえいればいいと思っていた。
帰宅すると、何やら屋敷の中が騒がしい。
「旦那様!」
玄関に時雨がいるのを見つけた書生が、青い顔をして時雨を呼んだ。
「どうかしたか?」
「大変です! 奥様が!」
「牡丹がどうかしたのか?」
「お亡くなりになりました」
「は?」
今朝、牡丹は母親の葬儀のためにあれこれと指示を出していた。体調が悪そうには見えなかった。それなのに、何が起きたというのか。
書生に連れられ牡丹の部屋に急ぐと、医師と牡丹付きの使用人が何やら話し合っている。
「ああ、旦那様」
「一体、牡丹はどうして……」
「毒をお飲みになったようです。袂に遺書があり、母上様のお供をすると書かれておりました」
そこまで牡丹は母親のことを慕っていたなど、時雨は知らなかった。牡丹の顔などもう長いことまともに見ていなかった時雨には、牡丹の変化に気づこうとする気持ちなどこれっぽっちもなかったのだ。そう考えると時雨は自分が最低な夫だと初めて思った。
「大奥様の死に化粧を施すから一人にしてほしいと言われて、全員お傍から離れていたのだそうです。奥様があまりにも長いこと大奥様の部屋から戻ってこないので、この者が様子を見に行ったところ、奥様が多く様の上に突っ伏すようにして倒れていたのを発見したのです。その時には既に息がなかったそうですが、急ぎ自分が呼ばれまして……既にお亡くなりになっているのを確認した次第です」
時雨は震える手で牡丹の顔の上に置かれていた白い布を取り払った。数ヶ月ぶりに見た牡丹の顔は、数か月前に玄関先で見かけた時以上にやつれていた。
「こんなになるまで母上に尽くしてくれたのか」
「奥様はご実家の継母様とは折り合いが悪かったようですが、大奥様とは馬が合ったのでしょうね」
医師が帰ると二人の葬儀の準備が慌ただしく進められた。
葬儀が終わり、初七日を終え、四十九日の法要と納骨まで済んだところで、時雨はようやく牡丹の部屋に入ることができた。それまではどうしても入れなかった。
そういえば出て行く前に願いがあると言っていたな。
時雨はそれを思い出し、その願いを聞く前に牡丹が旅立ってしまったことを思い出した。もしかしたら何か置き書きでもないだろうかと鏡台の引き出しを開けた時、時雨は「旦那様へ」と書かれた手紙を見つけた。時雨は慌ててその手紙を開いた
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旦那様へ
ご迷惑をおかけすることをどうかお許しください。
わたくしは生まれてすぐ、養子に出された平民の子でございます。双子は縁起が悪いからと妹のわたくしが養子に出されました。仲介の方の手を経て、わたくしは養家に迎えられ、何不自由なく暮らしていました。
養母が亡くなって新しい母が嫁いでまいりました時、わたくしが養子であること、双子の姉が生家で貧しく暮らしていることを知らされました。
新しい母は、わたくしが養子だということをあちこちで話しましたので、それまで知っていても知らないふりをしてくださっていた方々さえ、わたくしを見る目が変わっていってしまいました。
頼りにしていた父は、新しい母との間に男児が生まれた日からわたくしの存在を軽んじるようになりました。使用人たちもそれに従うようになり、わたくしは肩身の狭い思いをしながら生活してまいりました。
実はわたくし、子どもの時に一度、旦那様に助けていただいたことがございます。何の集まりであったかは定かではございませんが、わたくしを養い子だとからかう者たちから守ってくださったのです。旦那様は覚えていらっしゃらないでしょうが、わたくしには旦那様がたいそうまぶしく見えました。その日以来、旦那様のお役に立つことあらばこの身を捧げようと思って生きてまいりました。
同時に、わたくしは双子の姉のことを調べ、姉が幸せになるようにと祈って参りました。ですから、姉が旦那様と夫婦になったと聞いた時、わたくしはうれしくて叫びそうになりました。姉が幸せそうにしているのも、六花が成長していくのもわたくしは陰から見守っておりました。
旦那様たちの姿を見て満足した帰り道、わたくしは事故に遭い、右足をうまく動かせなくなりました。
わたくしはすぐに婚約を解消させられました。このご時世、ダンスが踊れない妻では貴族としてやっていけないからです。
そもそも弟が生まれたことでわたくしは微妙な立場に立たされておりました。事故で足の自由を失ったと多くの貴族の知るところとなっておりましたから、新しい縁談など来るはずもなく、わたくしは養家のお荷物とされ、ますます居場所をなくしておりました。
そこに、旦那様との縁談が持ち込まれたのです。わたくしなりに調べました。そして、母上様が姉と旦那様の仲を裂こうとしていると知り、覚悟を決めました。
わたくしは嫁としてこの家に入り、母上様のお好みに合わせたお食事を用意するようにしました。甘い菓子、塩味がはっきりした食事、砂糖をたくさん使った煮物……すべて母上様専用にお作りし、お褒めいただいておりました。お好みの味付けということで、母上様もたくさん召し上がっていたと思います。他の者が食せば、驚くほどの塩味と甘さのものです。それを毎日三食、おやつにもお出ししました。毒ではございません。お好みのものをお出ししただけです。
この罪は、わたくしの命で贖います。
もし、最後に一目お会いできましたなら、以前助けていただいた御礼を申し上げとうございました。この手紙をお読みになっているということは、それがかなわなかったということになりましょう。
箪笥の一番上の引き出しに、新しい花嫁衣装と六花のための晴れ着を用意いたしました。わたくしの手で縫ったものでございます。
旦那様と姉は、祝言を上げられなかったと聞き及んでおります。どうか、この衣装を、姉と姪に着させていただけませんか。
姉が嫌だと言うのでしたら、無理強いはいたしません。母上様亡き今、もう姉と六花がこの家に入ることをとがめる者はおりません。使用人たちも理解してくれています。
わたくしのお願いでございますが、姉を幸せにしてくだればと思います。
もし、もう一つだけお許しいただけるのなら……わたくしの墓には養家で付けられた『牡丹』の名ではなく『風花』と記していただけないでしょうか。それがわたくしの、生まれた時につけられた名前なのだと聞いております。
最後は本当のわたくしとして旅立ちとうございます。
わがままを申しました。
旦那様、どうか姉とお幸せになってくださいませ。遙か遠い地からお祈りしております、
風花」
***********
時雨は牡丹……いや風花を無理やり思い出した。棺に入れる時に抱き上げたが、あまりにも軽かった。食が細いと使用人たちが嘆いていたが、罪悪感から喉を通らなかったのだろうか。同時に、まだ8歳くらいの頃に母親に連れていかれた何かの集まりの時、いじめられていた女の子をかばったことを思い出した。あの女の子が、牡丹だったのだ。
「なぜ、何も言ってくれなかった?」
(いや、言えるはずもなかっただろう)
時雨の良心が時雨を咎めた。
(顔を見ても挨拶さえせず、彼女を放置し続けたのはお前だろう)
「違う、そうじゃない!」
(ならばお前は事情さえ知っていたら、この女を妻として大切にできたのか?)
「それは……」
(できぬだろう? そんなことをしたら小雪が辛い思いをする)
ではどうすれば良かったのか?
考えても考えても分からない。だが、涙があふれて止まらなかった。母の死には動揺しなかったのに、牡丹の死にはひどく動揺している。
「旦那様」
ふと「牡丹」の声が聞こえたような気がして、時雨は顔を上げた。
「旦那様。姉のことをお頼み申します。どうか幸せになってください」
「お前の幸せはどうなる?」
「わたくしの幸せ? だって、わたくしの英雄であるあなた様の、名前だけでも妻になれたのですもの。それで十分ですわ」
「待ってくれ!」
「旦那様!」
肩を揺すられてはっとした。夢を見ていたらしい。
「ひどくうなされておいででした」
使用人が青白い顔をして時雨を見ていた。心の底から心配してくれていたようだ。
「旦那様まで旅立たれたら、手前どもはどうしたらよいのでしょう」
「すまない、心配をかけたな」
時雨は使用人の手を借りて立ち上がると、箪笥の一番上の引き出しを開けた。
「旦那様、この白無垢は? 奥様がお召しになったものとは違うようですが」
(ああ、俺はそんなことも分からない夫なのか)
女性の使用人が呼ばれ、衣桁に白無垢が掛けられた。
「あれ、子ども用の晴れ着……まさか、これ……」
「白無垢は小雪のため、子どもの晴着は六花のためのものだそうだ」
「そんな」
女性の使用人が涙を流した。
「大奥様のお世話の間に、奥様は一針でもいいからと縫っておいででした。白無垢などどうするのですかとお伺いしたら、ただ微笑まれるだけで……」
「そうだったのか」
牡丹が着物を縫っていることさえ知らなかった。本当に、時雨は牡丹に興味がなかったのだ。
(牡丹は命がけで俺を支配する母親から俺を解放してくれたというのに、俺は一体何をしていた? 母の世話を押し付けて小雪たちに会いに行っていたことを、君はもしかして知っていたのか?)
小雪と再婚したいという気持ちが、ガラガラと崩れていく。だが、牡丹は、双子の片割れである小雪が時雨の妻となって親子仲良く暮らすことを望んでいた。
「牡丹。小雪を大切にすることが、お前に報いることになるのだろうか?」
使用人たちも下がった深夜、時雨はじっと白無垢を見つめ続けた。応えてくれるものなどいない孤独を、生まれて初めて、時雨は感じていた。
**********
一年の服喪を終えても、時雨は小雪のところにもなかなか顔を出せなかった。冬の初めになってようやく心を決めた時雨は、小雪のところに出かけた。
小雪も六花も、喪に服してくれていたらしい。服も地味な灰色の着物で、化粧もしていなかった。
「風花という名前を聞いたことはあるか?」
「はい。生き別れた双子の妹でございます」
「死んだ牡丹が、風花だった」
「え」
「お前と俺が正式な夫婦になれるように動いてくれていたんだ」
「そんな……」
小雪は肩をふるわせて泣き始めた。
「会いたかった、ずっと会いたかったのに!」
「すまない、俺がだめな男だった」
抱きあって泣く父と母を不思議そうに六花が見ていたが、ふと窓の外に目をやると、あっと声を上げた。
「母様、風花が舞っているよ! もう冬だねえ」
時雨と小雪の目の前を風花が落ちていく。時雨はそれを手で受け止めようとしたが、風花はその手をヒラリと躱して地面に落ち、姿を消してしまった。
「妹が会いに来てくれたのでしょうか」
「きっと、そうだろう」
雪は風花のまま積もることなく、地面に落ちて解けていった。
読んでくださってありがとうございました。
牡丹の行動を純愛と解釈するか、自己満足だけと解釈するか、残された者が純粋に幸せになれないじゃないかと解釈するか、曖昧にしたままの終わりにしました。
人によって幸せって違うようなので……。
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