鯖の塩焼き
今回は、短編というより「掌編」かもしれません。
些細な日常のひとコマを書いてみました。
うちの息子は二十歳の大学生だ。
けれど献立が魚の日になると、決まって皿を僕の前にそっと押しやる。何も言わない。ただ、それが当たり前であるかのように。
僕はため息をつきながら、身と骨をほぐす。背骨に沿って箸を入れ、腹骨を外し、小骨を一本ずつ探る。皿の上を整え、食べやすい形にしてやる。
受け取った息子は、何の迷いもなく、きれいに平らげる。
――もう、こんなことは嫌だ。
そう思いながら、ずいぶん長いこと続けてきた。
そんなある日、息子がぽつりとこぼした。
「解剖の実習が、うまくいかない」
白衣の似合う年齢になったはずなのに、その声は、どこか昔のままだった。
そのとき、僕の中で小さく何かが弾けた。
――今だ。
「これから解剖の練習と思ってさ、魚を食べる時、自分で身をほぐして食べてみたら?」
そう言って、やり方を教えた。骨の位置。力を入れすぎないこと。急がないこと。
まるで手術の助手にでも話すように、ひとつひとつ。
それから息子は、魚を自分でほぐすようになった。
ほんの三、四か月前のことだ。
今、目の前で、鯖の塩焼きが静かに“解剖”されていく。
箸先は迷わず、骨は正確に分けられ、身は崩れない。
皿の上に残るのは、整然と並んだ骨だけだ。
僕の出番は、もうない。
湯気の向こうで、息子は黙って食べている。
あんな言い方でよかったのか、とふと思う。
皿の上の骨は、きれいすぎるほどきれいで。
僕は、味噌汁をすすった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
感想や評価を頂けましたら嬉しいです。




