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「金で婚約者を買った不細工な女」と蔑まれ婚約破棄された商家の娘ですが、白い結婚のはずだった辺境伯に溺愛され、極北を王国一の聖地にしました

作者: 風谷 華
掲載日:2026/02/05

 私は、ずっと――恵まれていた。


 エーベル家は、王都でも指折りの大商家だった。


 広い屋敷。

 使用人の列。

 困ったことなど、一度もない暮らし。


 けれど。


 それでも私は、いつも自分が“足りない”と感じていた。


 妹は美しく、社交的で、誰からも愛された。


 私は、地味で、不器用で、目立たない。


 お金はあっても、自信はなかった。


 ――誰かに、選ばれたかった。


 心から、必要とされてみたかった。




 アルベルト・リューゲンと出会ったのは、十五歳の春だった。


 王都の夜会。

 壁際で一人、飲み物を眺めていたとき。


「……君、一人?」


 そう声をかけてきたのが、彼だった。


 端正な顔立ち。

 柔らかな笑み。

 優しい声。


 私は、心臓が止まるかと思った。


「……は、はい……」


 まともに返事もできない私に、彼は微笑んだ。


「よかったら、一緒に話さない?」


 たった、それだけ。


 たった一言。


 それだけで、私は――舞い上がった。


(私に……話しかけてくれた……)


 王都でも有名な侯爵家の跡取りが。

 こんな私に。


 その日から、私は彼のことしか考えられなくなった。




 彼は、優しかった。


 少なくとも、表向きは。


「真面目だね」

「努力家なんだ」


 そんな言葉を、時々くれた。


 私は、それを宝物のように抱えた。


 ――きっと、私を好きになってくれる。


 そう信じて疑わなかった。




 だから私は、父に頭を下げた。


「……お願い。アルベルト様と、結婚したいの」


 何度も。

 何度も。


 涙を流して、懇願した。


 父は困った顔をしていた。


「アコ……あちらは、望んでいないようだが……」


「それでも……! 私、頑張るから……!」


 私は、必死だった。


 彼を失うことが、怖かった。


 この恋が終わることが、耐えられなかった。


 結果。


 父は、持参金と援助を条件に、婚約をまとめた。


 エーベル家の財力で。


 私は、“花嫁の席”を買った。



 婚約が決まった日。


 アルベルトは、微笑んでいた。


 でも、その目は、冷たかった。


「……ありがとう」


 それだけ。


 喜びも、愛情もなかった。


 私は、気づかないふりをした。


 だって。


 気づいたら、壊れてしまうから。


ーー


 私は、必死に“いい婚約者”になろうとした。


 彼の好みを研究し、

 彼の予定を優先し、

 彼の家のために勉強した。


 笑顔でいなければ。

 重荷になってはいけない。


 そう、自分に言い聞かせながら。


 でも――。


 彼は、次第に距離を置くようになった。


 連絡は減り。

 約束は守られず。

 視線は、いつも他の令嬢へ。


 それでも私は、信じた。


(きっと、私の努力が足りないだけ)


ーー


 そして、今夜。


 王宮の舞踏会。


 私は、最後の望みを抱いていた。


 今日はきっと、うまくいく。

 今日はきっと、認めてもらえる。


 そう、信じたかった。


「――本日をもって、アコ・エーベルとの婚約を破棄する」


 楽団の音が止まり。

 視線が集まり。

 囁きが渦を巻く。


「不細工だ」

「金で買った婚約」

「哀れね」

 


 アルベルトは続けた。

「君は退屈だし、恥ずかしい存在だ」

「美しくない。もう一緒にいたくない」


 その言葉で。


 私の七年間は、すべて終わった。


 しかも――。


 私自身の手で、始めた恋だった。


 私自身が、しがみついた結果だった。


(……私、何をしていたんだろう)


 惨めで。

 愚かで。

 どうしようもなくて。


 私は、その場で、何も言えずに立ち尽くしていた。


ーー



 婚約が破棄された翌日から、王都は別の街になった。


 同じ通り。

 同じ店。

 同じ屋敷。


 なのに、空気だけが、まるで違った。


 馬車を降りて歩けば、視線が刺さる。


「……あの人よ」

「捨てられたって……」

「お金で婚約したのにね」


 囁きは、私の背中にまとわりついた。


 以前は笑顔で迎えてくれた店主も、今はどこかよそよそしい。


「……今日は、お忙しくて」


 そう言って、視線を逸らす。


 茶会に招かれることはなくなった。


 招待状は、ぱたりと途絶えた。


 かつて親しかった令嬢たちも、私を見ると遠回りする。


 ――関わりたくないのだ。


 婚約破棄された“傷物”と一緒にいると、自分まで評価が下がるから。


 私は、次第に外出しなくなった。


 窓から、賑やかな街を眺めるだけ。


 笑い声が、遠い。


 まるで、別世界だった。


 縁談の話も、来なかった。


 父は、何通もの手紙を送った。


 持参金の額も、条件も、下げた。


 それでも、返事はない。


 あるいは、丁重な断り。


「……今回は、ご縁が……」


 その言葉の裏にある本音を、私は理解していた。



――要らない。


 私は、そう判断されたのだ。




 ある夜、鏡の前で、私は自分に問いかけた。


「……私、何者なんだろう」


 婚約をお金で買おうとした不細工な女。

 元婚約者に捨てられた令嬢。

 傷物になった女。

 笑いもの。


 それ以外の肩書きが、何も残っていなかった。


 私は、布団の中で声を殺して泣いた。


 誰にも、聞かれないように。




ーー




「……シュタイッチ辺境伯から、縁談だ」


 父の声は、ひどく疲れていた。


 書斎の窓から差し込む夕陽が、机の上の書類を赤く染めていた。


 私は、その紙をじっと見つめた。


 北方。

 寒冷地。

 戦地。


 条件は、厳しい。


 けれど、私は迷わなかった。


「……行きます」


 父は、驚いたように顔を上げた。


「……いいのか?」


「……ここにいても、何も変わりませんから」



 それは、本心だった。


 王都にいる限り、私は過去の失敗として生き続ける。


 それなら。


 遠くへ行きたかった。


 何も知らない場所へ。




 出発の日。


 屋敷の門の前で、私は振り返った。


 育った家。

 慣れ親しんだ街。


 でも、そこに“私の居場所”は、もうなかった。


 馬車は、静かに走り出した。


 舗装された道は、やがて土道になり、

 家並みは森に変わり、

 緑は白へと変わっていく。


 窓に映る自分の顔は、疲れて、老けて見えた。


(……ここで、終わってもいい)


 そんな考えすら、浮かんだ。




ーー


 辺境伯の城は、想像以上にいかめしかった。


 厚い石壁。

 小さな窓。

 吹き荒れる雪。


 まるで、戦うためだけに作られた城。


 門の前で、私は深く息を吸った。


(……ここが、最後の場所)


 そう覚悟した。


 そこに、クスコスが立っていた。


 黒い外套に身を包み、雪の中でも微動だにせず。


「……遠かっただろう」


 低い声。


 それだけで、少し緊張が解けた。


「……来てくれて、ありがとう」


 その言葉は、ぎこちなくて、不器用で。


 でも、嘘がなかった。


「無理はさせない。白い結婚でも構わない」


「……嫌なら、いつでも言ってくれ」




 私は、思わず目を見開いた。


 逃げ道を、最初からくれる人なんて、初めてだった。


「……ありがとうございます」


 胸が、じんわり温かくなった。


 自分が不細工で可愛げがないということを私は知っていたので、

 私は辺境伯との関係を白い結婚にすることにした。


 私は、これ以上傷つくのが怖かった。

 

 辺境伯を愛して、また捨てられたくなかった。




ーー


 数週間後。


 私は、城の書庫で偶然、領地の資料を見つけた。


 埃をかぶった帳簿。

 古い地図。

 報告書。


 何気なく読んで、息を呑んだ。


(……もったいない)


 温泉。

 湖。

 薬草の山。

 雪景色。


 宝の山だった。


 なのに、管理が雑で、宣伝も皆無。


 私は、夜遅くまで資料を読み込んだ。


 紙の上に、構想を書き連ねる。




 ある日、意を決して言った。


「……観光地にしませんか」


 クスコスは、驚いた顔をした。


「……観光?」


「はい。王都の貴族は、こういう場所を求めています」


 震える声。


 否定されると思っていた。




 でも。


「……君が、そう思うなら」


「任せる」


 即答だった。


 私は、泣きそうになった。


 信じてもらえた。


 それだけで、救われた。


ーー


 改革は、簡単ではなかった。


 雪で道が崩れ、

 資金が足りず、

 人手も足りない。


「無理だ」

「夢物語だ」


 何度も言われた。


 宿を作っては失敗し、

 祭りは客が来ず、

 料理は不評だった。


 私は、夜ごと布団の中で泣いた。


(……また、失敗するの?)


 それでも、やめなかった。


 今度こそ、逃げたくなかった。




 半年後、少しずつ客が増えた。


 一年後、評判が広がった。


 二年後、街は生き返った。

 

 辺境は聖地のようだといわれ、

 大人気の観光地になった。


 笑い声が戻った。


 商人が集まり、子どもが増えた。


 私は、初めて誇らしかった。


ーー


 ある夜。

 城の塔の上で、私たちは並んで星を見ていた。


 澄んだ夜空には、無数の光が瞬いている。


 冷たい風が、頬をなぞった。



「……君が来てから、すべてが変わった」


 クスコスが、ぽつりと言った。


「……俺は、ずっと一人で戦っていた」


 遠くを見るような目。


「でも……今は違う」



 ゆっくりと、彼は私を見た。


 灰色の瞳が、真っ直ぐに私を映す。


「……君が、好きだ」


 心臓が、大きく跳ねた。


「白い結婚でいたくない」


「……君に、触れたい」


 震える声。


 ぎこちなく伸ばされた手が、私の指先に触れる。



 私は、涙をこらえきれなかった。


 ――誰かに選ばれるって、

 こんなにも、温かいことなんだ。


「……私も、好きです」


 そう答えると、彼はほっとしたように息をついた。


 ゆっくりと、距離が縮まる。


 彼の唇が、そっと近づいてきて――


 私は、幸せな気持ちで目を閉じた。



ーー



 私はもう、比べない。


 誰かの代わりじゃない。


 金で買った席でもない。

 ここは、私の場所。


 不器用で優しい夫と、

 一緒に築いた、かけがえのない場所。


 私を心から愛してくれる人と、

 生きていける未来。


 ――それだけで、私は十分すぎるほど幸せだった。





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