あの日の影
ミアの祖母が5歳の誕生日に買ってくれた、つばの大きい赤い麦わら帽子。
その日は、母親と二人で買い物に出かけていた。
ミアは赤い帽子を見せびらかすように、手をつなぎながら大げさな足取りで歩いていた。
母親もそんな娘の姿が、どこか誇らしく愛おしく、やさしい笑顔で包み込んでいた。
買い物も済んで駅までの、少し細い道。緩いカーブになっていて見通しが悪く、母親はいつもミアを道路の内側になるように、歩道を歩いていた。
丁度角の差し掛かった時、宝石店が目に入った。ガラスの壁に囲まれ、ショーウィンドーには、恋人たちが憧れる婚約指輪や、ネックレスなどが手招きをして飾っていた。
「ミア、この指輪見てみて?かわいいわね。いつかミアも素敵な人からもらう日がくるのかしら?」
と手をつないでいた方の手で、そのリングを指差し、ミアの方を見た。
その時、大きい車が一台横を通りかかった。
その車が巻き上げた風で、ミアの赤い麦わら帽子が真後ろに飛ばされ、地面に落ちた。
ミアは、そのお気に入りの帽子を拾おうと手を伸ばしたその時、今度は横から別の風がいたずらをしてきた。
赤い麦わら帽子は、ミアの手から逃げるように転がっていった。まるで、鬼ごっこを楽しむように、絶望の方向へ。
逃げる赤い鬼をミアは、思わず追いかけた。二歩、三歩。
母親は、ミアの手が自分から離れた事に気づいたとき、もう一台の車がクラクションを鳴らしてミアに襲い掛かろうとしていた。
「ミアっ!だめ!!」
自分の手を呪うようにミアに手を差し伸べるが、もう手の届くところにミアはいなかった。途端に意識が遠のくように視界は白く染まった。
急ブレーキの音と、ドンっという鈍い音が鳴り、ミアの母親は――声を失ったかのように、ただ口を動かすだけだった。
「ミアっ!!」
悲鳴のような叫び声で、娘の名前を呼んだ。
視界に色が戻ったとき、ミアは道路脇の壁の横で倒れていた。
しかし、車に轢かれたわけではない、誰かが突き飛ばしたのだ。
そして……ミアがそうなっていたかもしれない場所に、一人の若い男が倒れていた。
手には、小さな白い箱――、まるで“何か”を託そうとしていたかのように。
母親は、ミアに急いで駆け寄った。頭や体中をさすりながら、大きな怪我無いかを慌てて探している。
「ミア、大丈夫!?ねぇ、大丈夫なの!?」
ミアは、ただ泣くばかりだった。
事の大きさを知った、店の店員たちが路上に駆け寄り、男の意識を確かめる。
「おいっ!救急車っ!早く!!あと、警察もだ!!」
店長と思われる男性が、張り上げるように声を出した。
男性は、その若い男にも声をかけるが、とてもしゃべれる状態ではない。
しかし、ほんの少しだけ口を動かしていた。
「ん!?なんだって!?」
若い男の口に耳を寄せて、絞り出すような、かすかな声を拾おうとした。
「ぁ……、ズ…」
その言葉を最後に、若い男はその宝石店と同じ色をした白い箱を少し握りしめ、そして力が抜けた。
ミアの母親はミアが無事と分かると、次の恐怖が身代わりになった若い男へと向けられた。
急いで駆け寄り、必死に声をかけることしかできなかった。
「大丈夫ですか!?ごめんなさいっ!ごめんなさい!あぁ…だめ戻ってきて…」
と返事のない言葉を何度も何度も。
離してしまった右手の後悔が、その手と声を震わせていた。
その母親の姿は、何年たっても消えない記憶として、ミアの脳裏に鮮明に刻み込まれた。




