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2-2.宿

2-2.宿


ビッグオーシャンに到着して間もなく、空が濁った墨のように曇り始めた。最初は霧雨程度で、頬に触れる水滴は涼やかですらあった。だがそれは嵐の前触れに過ぎなかった。やがて風が獣の咆哮のように唸りを上げ、海鳴りと共鳴して建物全体を震わせる。


央太の遺体が発見された室内を調べていた私たちは、手がかりを得られないまま敷地の外周へと足を運んでいた。しかし、突如として吹き荒れた暴風雨の妨害を受け、あえなく調査を中断する。髪は瞬く間に水を吸い、服は肌に張りついて冷たい鎖のように体温を奪っていく。逃げるように──唯一の共有スペース、ロビー棟へと駆け込んだ。


ロビー棟には既に島の滞在者全員が集まっていた。ここだけは客が実際に使うことを想定された建物で、装飾も豪華絢爛だ。白を基調とした壁には抽象画が飾られ、シャンデリアが無理やりにでもリゾートの体裁を演出している。壁際に置かれたソファや長椅子には、私たちのような濡れ鼠の避難者たちが数名確認できた。彼らの吐息が白く曇り、空調がすでに限界に達しているのが分かる。


七月だが、風は北から突き刺さるように吹き込み、濡れた服を着たままでは、芯から凍えそうだ。頭では"すぐにシャワーで温まればいい"と分かっていても、そのためには外に出て、自分の部屋に戻らなければならない。


問題はそこにあった。


私たちが宿泊するのは観光客向けのホテルではなく、ヴィラ形式の作業員向けの仮設宿舎だ。各々は完全に独立しており、自分の部屋にたどり着くには必ず外を歩く必要がある。この強風と豪雨の中では、傘などただの棒切れ同然。資材や重機が敷地の一角に雑然と残されている理由を、この時ようやく理解した。ここは未完成のリゾート地であり、再開の目処が立たない工事現場にすぎないのだ。


そう。来たばかりだというのに──私たちは早くも出口のない袋小路に追い込まれていた。


本島へ戻る手段はあるのか?


同好会副会長の伝手で手配されたチャーター船で三時間以上の海路を渡ってきたが、この天候では出航など夢物語だ。追い打ちをかけるように、島内の通信環境は仮設回線のため極めて不安定。スマートフォンの電波は一瞬だけ立っては、すぐに砂に飲まれる蜃気楼のように消えた。つまり、外部へ助けを求めることも容易ではない。


初めての依頼に浮かれていた私と恋さんは、現実の洗礼を浴びていた。ずぶ濡れ、孤島、嵐、殺人犯。


──これ以上ないほど典型的で、最悪なシチュエーション。


 お姉さんたち、大丈夫?


声をかけてきたのは雀野藍時すずの あいじ。N大学二年生、十九歳。海都より一学年上で、二人は親友のように仲が良いらしい。遺体の第一発見者の一人でもあった。


私たちは濡れた服のままバスタオルを肩にかけ、彼の前に腰を下ろした。早朝から動きっぱなしなうえに大雨に打たれて満身創痍、正直なところ立っているのも辛かった。


 大丈夫……とは言えませんね。ご覧のとおりです。


 だよね。コテージからロビーまで、歩くとそこそこ距離あるし。まさか急にこんな土砂降りになるなんて思わないよな。俺はずっとここにいたから無事だったけど、外にいたら確実にアウトだよ。


藍時は苦笑しつつ、紙コップの水を指でくるくる回した。視線の奥に漂う影は、単なる世間話ではないことを示していた。


 それにしても……被害者の高石さんのコテージ、ここからかなり離れてましたよね。他の部屋はもっと近くにあるのに。ざっと五百メートルはあったんじゃないですか?


 うん。あれはね、会長の希望だよ。体格はごついけど、実は超超神経質でさ。カーテンの隙間から漏れる光、人の声……そういう些細なことにすごく敏感だった。だから副会長に頼み込んで、特別に離れた場所に一棟建ててもらったんだ。俺は叙歌さんから聞いただけだけど、当時の本人の拘りは相当だったらしい。高々、年に一回の合宿だけのためにね。


 ……つまり、彼自身が“隔離された密室”を望んでいた、ということですね。


 そう、なるね。皮肉だけど。


藍時の言葉は、水滴より重く私の胸に沈んだ。誰よりも"他者から切り離された静けさ"を求めた人間が、その孤独の空間で命を落とした。


──そして今、その死の真相を探る私たちもまた、外界から隔絶されている。

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