3-2.躊
夕食の時刻が迫っても、雨脚は衰えるどころか、益々厚みを増していった。窓を叩く音は一定のリズムを超えて、嵐が建物ごと飲み込もうとしているようだった。
この島では、ロビー棟まで行かなければ食事にはありつけない。だが、私も恋さんも、立ち上がる気になれなかった。理由は単純だ——また濡れるのが嫌だった。けれどそれ以上に、外の雨の重苦しさが、何かを拒んでいるようにも思えた。
そんな時、インターホンが鳴った。応答すると、モニター越しに傘とレインコートに身を固めた宮野が立っていた。迎えに来てくれたらしい。恋さんと私はまた顔を見合わせ、思わず笑みを交わし、ハイタッチをした。
……だが、胸の奥にあったのは安堵よりも緊張だった。今度こそ事件の核心に触れたい。そう決意を固めながら、私は車に乗り込んだ。
古本さん、ありがとうございます。本当に助かります。
いえ、この雨の中をお客様に歩かせるわけにはいきませんので。
いや……私たちは、依頼を受けてここに来ている立場です。
ご事情は承知しております。ただ、当施設にとってはお越しになられた皆様が等しくお客様です。
その一言には、妙な重みがあった。柔らかい調子の裏で、どこか線を引いているような。
——それ以上は踏み込ませない、という決意を感じた。
……ありがとうございます。一つ、事件について伺っても?
はい。もちろんです。
それでは単刀直入に。高石央太さんと面識はありましたか?
ほんの一瞬。バッグミラー越しに宮野の瞳が揺れたのが見えた。伏せた睫毛の影が深く落ち、そのわずかな間を、私は見逃さなかった。
……お嬢様に、幼い頃からのご友人がいらっしゃることは伺っておりました。私が高石様と"直接"お会いしたのは、三年前に同好会の皆さんが合宿でお越しになられた時です。
整った言葉。流れるような口調。だが、あまりに滑らかすぎる。そして、その中に確かに混じっていたほんの少しの違和感——
ご協力、感謝します。
本当は、もっと踏み込むべきだと思った。だが、その瞬間、喉の奥に生じた疑問が、まるで雨粒に打ち消されるように霧散した。
——まだ、その時ではない。
自分自身の中にも、奇妙な“躊躇い”が巣食っていた。
やがてロビー棟へ着く。仮設の照明に照らされた空間は、どこか舞台のセットのように現実味が薄い。宮野は"事件の影響で、このプロジェクトの先行きが……"と苦笑した。その声には、諦念と、言い訳のような薄さが混じっていた。
食堂では同好会の面々が既に食事を始めていた。最後に席に着いたのは、私たちだ。
吉岡さん、長谷川さん。お先にいただいてます。
いえー、お構いなくー。
この島じゃ食べ物はここだけですからね♫自分で持ち込んでない限りは!
私はお菓子もカップ麺も食べないので、何も持ってきてないんですよー。でも、こんなことになるなら何か持ってくれば良かったですー。
えーっ、そうなんですか? 私、カップラーメン大好きなんですよ〜♫
はは、叙歌先輩って、好き嫌いなさそうだよね。
おい藍時、今どき“デブ”って言っただけで訴えられるからな。
……先輩、いくら俺でも女性にそんなこと言わないって!
笑い声が広がった。箸が進み、皿が空いていく。
けれど私は、笑えなかった。
あまりに和やかだ。作り物めいた温かさ。
ほんの数週間前、この中の誰かが人を殺したかも知れないのに。
誰もその事実に触れようとしない。いや、触れまいとしている。笑い声で蓋をしている。
耳に届く談笑の声が、不自然なほど大きく響く。その沈黙の避け方に、私は寒気を覚えた。
次にどんな問いを投げるべきか、頭の中で形を探す。けれど答えは出ない。
まだ、足りない。証拠も、言葉も、そして覚悟も。
そう——私の中でも、誰かと同じように、躊躇いが強く根を張っていた。




