エングラムの限界 〜発明と宇宙人と泥棒と〜
妙愛博士は町の発明家、そして変人である。
有用な発明をしても、それを世に発表することはない。ただ、ご近所さんの役に立てれば充分だと考えるような人間だ。
ある日、博士はさっきの買い忘れが何だったかを思い出せなかった。
そこで、昔作った「思い出し装置」を引っ張り出してきた。なぜこんな奥の方に片付けたのかは分からないが、こういう時にこそ使う物だ。
装置の電源を入れ、時間を今朝に合わせてボタンを押す。
すると脳内のエングラム──記憶痕跡が刺激され、博士はすぐに思い出した。
「そうか、トイレットペーパーだ」
だが、人間の記憶量には限界がある。何かを思い出せば何かを忘れてしまう。
博士は買い物に出かけるために、目の前の装置を奥の方に片付けた。
「さて、この機械は何だったかな?」
*
とある星の宇宙船が地球に到着した。
調査隊を乗せたその船は、何度も何度も地球を訪れて、地球人の調査を繰り返している。
今回の調査対象は、未成熟な地球人の雄「個体A」。
綿密に調査を行うため、地球人の雌に偽装して接近した。
個体Aとともに生活し、彼の能力や性格を調べ、将来取るであろう行動を予測する。
調査の最終日。
「これであなたと会うのは最後」
個体Aは集光器官から体液を流しながら言った。
「また会おう。オレ、待ってるから」
しかし、宇宙人と遭遇した記憶は消去しなければならない。個体Aの摂取口に接触し、わずかにエングラムを削除した。
彼らは、地球人とまた会うことを楽しみにして星へと帰った。
だが、調査隊の「わずか」とは、地球での二百年だった。
宇宙船の去った後、一人の少年が呆然と立ちつくしていた。
生まれてからの全ての記憶を失って……。
*
オレはいつものように泥棒に入った。
今夜盗んだのは見たこともない装置。妙愛という発明家が作ったこの装置を大企業に渡せば、大金が手に入る。
「ちゃんと動くんだろうな……」
発明家が使っていたのを覗いていたから、使い方は分かっている。
ボタンを押すと子供の頃の記憶が蘇ってきた。
少女との出会い、一緒に遊んだ日々、お別れの涙、そしてキス。
なぜオレはこんな素敵な思い出を忘れていたのだろう。
子供の頃に記憶を失ってから、オレの人生はろくなものじゃなかった。こんな思い出があったのなら、まともに生きられたはずだ。
オレは涙を流しながら夢中で記憶を呼び起こした。
ふと、手が止まった。
「オレは何をしようとしてたんだっけ?」
*
二百年後、再び宇宙船が調査にやってきた。
「また地球人が絶滅しているじゃないか!」
調査隊の隊長は、苛立ちを隠さない。
「わずかな間に、どうして核戦争が起きた?」
調査員が端末を見ながら報告する。
「個体Aが、その目的どおり装置を売却していれば良かったのですが」
「すると?」
「装置は世界中に広まり、地球人は戦いの痛みを思い出して、戦争を回避するのです」
俯く調査員に隊長は質問を重ねる。
「今回の失敗の原因は何だ?」
「個体Aのエングラム操作が失敗だったのではないかと」
「そうか。また戻って保護のやり直しか……どうして地球人は何度やっても復讐の怒りを忘れないのか」
一同は気を取り直して、宇宙船のタイムマシンを起動する。
隊長は深いため息とともに呟いた。
「いっそのこと、その装置を手に入れて、我々の目的を忘れてしまおうか」
調査隊はタイムマシンの行先を博士の家に変更した。
〈終〉
とある賞に応募したけど、箸にも棒にも掛からなかったので、こちらで供養いたします。




