第9話 商人ギルドとミネラルウォーター
もう一本投稿します
その夜は、孤児院で子供たちと一緒に雑魚寝させてもらった。
子供たちはベッドもない大部屋で、厚手の敷布と毛布で丸まって寝ていた。こちらの世界の常識なのか、小さい子の寝相の問題なのか、単に貧しいからなのかは不明。シスター・ミアも一緒だったので、孤児院だけの生活様式なのかもしれない。
ともあれ、モフモフして体温の高い子たちと大きな聖獣姿のモフモフなコハクと、みんなでワチャワチャになりながら眠るのはすごく幸せだった。
朝ご飯は、みんなでパンの残りを卵とバターたっぷりのフレンチトーストにして食べた。すごく好評で、楽しい食卓だった。
食後はシスター・ミアに、大量の保存食を渡す。缶詰、瓶詰、パスタ、レトルト食品、常温保存可能なロングライフミルクと、日持ちする根菜類。真空パックのソーセージやベーコンもだ。
もっと早く戻ってくるつもりだけど、これで一か月はどうにかなるはず。
「こちらは早めに食べてくださいね」
追加で大袋入りのパンと18個入りの卵カートンをふたつずつ渡す。
「カロリーさま、聖獣様。なにからなにまで、ありがとうございます」
「なにかあったら、商人ギルドに伝言を」
封筒と便箋を、ボールペンと一緒に渡した。
「また、きてくれる……?」
朝食後、涙をこらえながら笑顔で見送ってくれる子供たちに、こちらまで泣きそうになる。彼らの健気さに報いるため、わたしも精いっぱいの笑顔で手を振った。
「大丈夫、すぐ戻ってくるから! みんな、ちゃんとご飯食べて、元気に過ごすんだよ!」
「「「はーい!」」
わたしとコハクはフードトラックで、孤児院前の小道を森とは反対方向に進む。シスター・ミアの説明によれば、小道は数百メートルで少し太い街道に突き当たり、そこを北上するとメルバに行き着くらしい。
道順に関して言えば、迷う要素はない。道中に危険な地形もないし、近郊の住民があまりに貧しいためか盗賊の類も出ない。森側と違って、魔物も出現しない。
「メルバでお金を稼いだら、お土産を買ってこようね」
「にゃ!」
もちろん、て感じで答えるコハク。
孤児院のみんなとの出会いが、女神様の意思なのかは知らない。けど、“聖獣様のお導き”の方は間違ってないんじゃないかと思う。
◇ ◇
思いつめて出てきた割に、メルバまでは10キロほどしか離れてなかった。徒歩で往復に半日、というのは街で用を済ませる時間も含まれていたようだ。そりゃそうだよね。
車では、ゆっくり走って15分ほど。急げば10分で着くけど、ところどころ路肩が狭くて脆いので巨大なフードトラックでスピードを出すのは少し危ないかも。
「コハク、このあたりで降りようか」
「にゃ?」
城壁みたいなメルバの外壁が見えてきたところで、わたしたちは目立たないよう車を降りた。徒歩で街道を進むのは孤児院から車で来た時間と同じくらいかかったけど、それはそれだ。
「次!」
ようやくたどり着いたメルバの南門には、10人くらいの行列ができていた。
わたしたちが来た道ですれ違う人や馬車はいなかったけど、他の方向から延びる街道はそれなりに行き来があるみたい。
「次!」
五分ほどでわたしたちの番になった。門番の男性は、書類に目を落としたままルーティンと思われる質問をしてくる。
「名前と来訪の目的、それと身分証を」
「カロリーと言います。商売を始めるため、商人ギルドへの登録に来ました。なので、まだ身分証はありません」
「あん?」
顔を上げた門番の男性は、わたしの格好を見て首を傾げる。
「そのおかしな服、どこの出身だ?」
ああ、忘れてた。この世界にパンツスーツにパンプスのひとなんているわけないよね。孤児院では誰も気にしてなかったからなあ。
さっさと着替えればよかった……と思いつつ、アメリカのスーパーマーケットに売ってるモッサリしたセンスの服ならもっと悪目立ちすることになったと思い直す。
「出身は……東の果ての小さな島国ですね。この変わった服は、話の種になるように作った商売道具みたいなものです」
「……ふむ」
わけがわからん、みたいな顔をしつつ門番の男性は羊皮紙の切れ端みたいなものになにやら書きつけたものを渡してきた。
「これをギルドの受付に渡して、サインをもらってこい。街を出るときに身分証か受付のサインがなければ嘘の申告として罰金を科せられる」
「はい」
商人ギルドは通りの突き当りにある、緑の屋根の建物だと教えてくれた。
「よし、次!」
異世界人を見ても、さしたるリアクションはなかった。ツッコまれたのは服だけだ。仔猫姿になったコハクにも、チラッと目を向けただけ。トラブルを期待したわけじゃないものの、拍子抜けするほどの呆気なさだった。
「いま気づいたけど、街に入るのにお金が要るとかだったら大変だったね。手持ちがないから」
「にゃ?」
そのときは、シスターが事前に教えてくれたんじゃない? みたいなことを言われた。
うん、たしかにコハクの言うとおりだ。さすが聖獣様。
「にゃ」
落ち着いて、まずは用事を済ませようねーって。わたしよりよっぽど世慣れていて冷静だ。先導してくれてるコハクのお尻を見ながら、24歳の異世界人は少し気負い過ぎてたのかもと反省したりする。
◇ ◇
「商人ギルド……ここかな」
通りの突き当りにあって、緑の屋根。周りより少し高い三階建てで、お屋敷ぽくもあり商店ぽくもある不思議な意匠の建物だ。看板に文字はなく、コインのマークみたいなものが描かれていた。
ある意味、わかりやすい。
入口の扉を開けると、なかは吹き抜けになっていた。中央にいくつか応接用のソファーとテーブルがあり、周囲には受付のカウンターが並んでいる。
元いた世界の銀行、それも法人口座の窓口に似た雰囲気だ。いまはお客さんがいないようで、しんとした感じに少し緊張してしまう。
「いらっしゃいませ。商人ギルドへようこそ」
思わずキョロキョロしてしまったわたしに、カウンターにいた女性が笑顔で声を掛けてくれた。年齢は30前後で、品のある美女。元いた世界で社長秘書とかにいそうなタイプだ。彼女はわたしの隣にいる仔猫のコハクを見て、わずかに微笑む。
「わたくしは、ミシェルと申します。お名前を伺ってもよろしいですか?」
なんて名乗ろうか……と思ったところで、もし孤児院の子たちがメルバでわたしを探すことになったとき困ると気づいた。しかたなくカロリーと名乗ると、受付嬢のミシェルさんは笑顔でカウンター前の椅子を勧めてきた。
「はじめまして、カロリーさま。本日はご商談でしょうか? それとも、ご登録ですか?」
「両方ですが、まずは登録をお願いします。それと、門番の方からこれを渡すように言われました。サインをお願いできますか」
羊皮紙の切れ端みたいなものを差し出すと、ミシェルさんはサラサラとサインを書いてすぐに返してくる。
「ご登録に問題はないかと思いますが、いったんお返ししておきますね」
「ありがとうございます」
身分登録のための書類が渡され、読み書きができるかを確認された。
日本語と英語と片言の中国語はできるけど、異世界の文字を読み書きできるかは……と思ったら、見ただけで意味は読み取れた。おまけに書きたい文字も自然に浮かんでくる。
女神様か誰かからの転移者特典なのかな。
「大丈夫ですね。これで良いですか?」
「拝見します」
記載必須の項目は、名前と出身と取り扱い商材だけ。
次に、カウンターの水晶玉みたいなものに触れるように言われる。試しに手を置くとうっすら光って、不思議な文様が浮かび上がった。
「これは?」
「他の人が身分証を悪用できないように、魔力の固有波動を記録しています」
なるほど。こっちの世界では、個人情報の記録を魔法的な手段で行うのね。
水晶玉の下にあるスリットから名刺大のカードが出てきて、ミシェルさんがこちらに差し出す。カードにはわたしの名前が印字され、その下には点字みたいな模様があった。おそらく、これが固有波動の記録なんだろう。
「初回は無料ですが、再発行には銀貨5枚が掛かりますので失くさないようにお願いします」
「わかりました」
「では、カロリーさま。取り扱い商材は“主に食品”ということですが、どのようなものを、どのくらいの量お取扱いされるかお聞きしてもよろしいでしょうか」
まずい。あんまり考えてなかった。というよりも、この街での需要を見て考えようと思ってた。それをそのまま伝えるのも、商人の端くれとしては不器用すぎる気がする。
なんとなく、だけど。このミシェルさんは、見た目ほど甘い相手じゃないような気がしていたからだ。
値踏みしているというほど下品ではないにしても。こちらが信用できる相手か、どのくらいの利益をもたらすのかを冷静に判断している感じ。
要するに、このひと自身がただの受付ではなく、一介の商人という印象なのだ。
「得意なものはあるのですが、新参者ですから既存の業者と競合のない商材を訊きしようと思っていました。逆に質問してすみません。こちらのギルドで足りないものや、必要とされているものはありますか?」
ミシェルさんは笑顔のまま、少しだけ首を傾げる。一瞬の沈黙なのに、わずかな圧を感じた。
「もしそれをお伝えしたら、手に入れられるということでしょうか?」
う~ん、少し押されてる。身分証を作って終わりと思っていたから、準備不足で戦場に足を踏み入れちゃった感じ。
やっぱり、ただの受付嬢にしては落ち着きすぎてる。もしかして、商業上の門番みたいな役割のひとなのかな?
少しくらいは押し返さないと、今後の商業活動がやりにくくなりそうな予感。
「では、わたしの商売上の秘密を、ひとつだけお見せしますね」
いま“スーパーマーケット”にはフードトラックの冷蔵庫からしか入れないので、事前に仕込んでいたものをストレージから出してカウンターに置いた。
なにもない空間から物を取り出したことは、少し視線が停まっただけで驚かれるほどではなかった。おそらく、こちらの商人のなかには同じような収納の魔法を使うひともいるんだろう。
「これは?」
ミシェルさんは、わずかに怪訝そうな顔になる。微笑みが商業用の仮面だとしたら、それが少し剥がれたというところだ。
代わりにわたしが、微笑を浮かべる。押し返すには年季が足りないけど、少しくらいは認めてもらわないとね。
「見ての通り、ただの水です」
わたしが出したのは、PETボトルに入ったミネラルウォーターだった。
街の中心部には小さな噴水のようなものがあったから、水が乏しいというわけではなさそう。なので、この場合の商品価値は中身ではなく付加価値だ。
異世界の市場でも高値で取引できそうなものとして、塩と胡椒、砂糖や甘味料、コーヒーやお茶はすぐに思いついた。けれども、それが高値で取引される商品だとしたら、取り扱うのは財力と権力を持った大手の商人だ。下手に関わると面倒なことになりかねない。
わたしは目立ちたくはないし、自由を奪われるのもまっぴらだ。
「……たしかに、水ではあるようですが、これは……」
ミシェルさんは静かにつぶやいて、わずかに目を細めた。それだけでじわりと、気圧されるような雰囲気があった。
コハクが無言のまま、わたしの脚にポンと触れた。なぜか、それで緊張が解ける。また気負い過ぎていたのか、想定外の商取引で場に呑まれかけてた。
肩の力を抜き、もう大丈夫だとコハクに微笑みかける。別に失うものがあるわけじゃなし。守りたいものと幸せな未来のために、小銭が稼げればそれでいい。
わたしが落ち着きを取り戻したところで、ミシェルさんが顔を上げる。
「仮にギルドがこれを注文した場合、いくつ収めていただけますか」
「条件にもよりますが、いくらでも」
「ッ⁉」
彼女は小さく息を呑む。今度こそ、ミシェルさんの笑顔は削げ落ちた。素で驚いた表情になっても、見た目は美女のままなんだけどね。
「それは……この澄み切った透明感の水と、不可思議な材質の入れ物、見たこともない意匠の飾りも含めてですか?」
「ええ。お望みであれば、同じものでも、違うものでも」
「………………」
今度は、たっぷり20秒ほど沈黙してしまった。どうやら、予想していた以上のインパクトがあったみたい。
「本当に?」
わたしはうなずいて、ミネラルウォーターのPETボトルを4種類、各1本ずつ出して並べる。
容量は同じ500ミリリットルだけど、ボトルのかたちは様々。カラフルなラベルには、彼女には読めないであろう文字が書いてある。ミシェルさんの反応を見る限り、それらがすべて工業規格で作られていることを理解したみたいだ。
おそらく手工芸しかない社会なので正確に把握はできていないだろうけど、形状が異常なまでに整っていることは感覚的に見抜いてる。これが、手作業で作れるものではないと。
彼女はわたしを見て、降参とばかりに苦笑しながら首を振った。
「ちなみに、条件というのはどのようなものでしょうか」
「ゴミの回収ですね」
これもまた、想定外だったんだろう。提示される条件はお金や権利が絡むものだと思っていたようで、ミシェルさんは怪訝そうに先を促す。
「この容器は、焼くと溶けますが有害な煙が出ます。野山に捨てられると腐らず分解せずにいつまでも残ります。それを野生動物が食べてしまうと、消化できずお腹のなかに残って最悪は死に至ります」
「……はい。それで?」
「なので、その容器を捨てるときは商人ギルドまで持ってくるように伝えてもらいたいんです。確実性を上げるために有償で引き取ってください。仮に売り値が銅貨20枚だったとしたら、銅貨4枚を返却するとかですね。その差額は、こちらの卸値としても考慮します」
ミシェルさん、あんまりピンと来ていない。この世界の常識では、回収してお金になるのは資源として再利用できるものに限るようだ。当然ではある。元いた世界でいえば中世から近代に差し掛かったくらいの文化レベルのようだから、環境保護を考えるところにまで至っていない。そういう発想自体がない。
「要するに、この容器が捨てられるのは可能な限り避けたいんです。実現が難しいようでしたら、別の商材をお出しします」
「……そうですね。ギルド内で検討させてください」
「お願いします。そちらは見本としてお持ちください。それと……こちらは、ごく個人的な贈り物です。よろしければお試しください」
ダメ押しに、小さな包みを差し出す。わずかな香りを感じたんだろう。ミシェルさんは冷静な表情を保ったまま、鼻だけわずかに反応した。
「こちらは?」
「また明日、うかがいます。感想は、そのときにでも」
わたしは微笑みながら頭を下げ、商人ギルドを後にした。
中身はフェレロ・ロシェの24個入りヘーゼルナッツ・チョコレート。わたしの好きなアメリカ産チョコは庶民向けの味なので、残念ながらイタリア製だけどね。
あの丸くて小さなチョコを口にして、ひとつで止められる女性は少ない。甘味に触れる機会が少ないであろう、この世界の女性であればなおさら。
無防備に食べてしまえば、虜になる可能性大。さらに香りで周囲を巻き込み、連鎖的に被害を拡げるカロリーの時限爆弾だ。
我がアメリカン・スーパーマーケッツの異世界侵略がいま、始まろうとしておる!
「にゃ……」
なんかわかんないけど悪い顔してるよ、みたいな感じでコハクからは呆れられてしまった。
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