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第12話 路地裏と屋根裏とPB&Jサンドウィッチ

「逃げんじゃねえよ、おらッ!」


 肉を打つ音と、嫌な笑い声が響く。追い詰められた羊獣人の子は、殴られ、蹴られ、壁にぶつけられ、木材を倒しながら転がる。


「立て、ケダモノ!」

「おまえ! くツせえんだよッ!」


 羊獣人の子はなにをされても手を出さず、声も出さずに身を強張らせている。両腕で頭を守って、亀の子みたいに丸まって。

 きっと、慣れてるんだろう。虐げられることにも。蔑まれることにも。殴られ、蹴られ、投げつけられて辱められることにも。


「さっさとメルバから出てけよ! ここはお前みたいなケダモノがいていい場所じゃないんだよ!」


 周りを囲む子供たちは、元いた世界でいえば小学校高学年と中学校低学年くらいか。子供と言えば子供、なのに自我と自意識だけが肥大化して最も残酷になる時期だ。


「ふざけやがって……お前ら、ちゃんと押さえとけよ!」


「待てよエルテガ、なにする気だよ」


「決まってんだろ、殺すんだよ! こんなヤツ、ゴミあさりの害獣じゃねえか!」


 わたしは、いままで喧嘩なんてしたこともない。もちろん子供に手を上げたこともない。なのに、我慢ができなくなった。

 この世界で「殺す」というのは威嚇の言葉ではなく文字通りの意味なんだと、路地裏に立ちこめる濃い殺気が告げている。


「やめなさい!」


 ずんずんと路地裏に踏み込むと、目の前にいた子供たちを次々につかんで引き剥がす。丸まった獣人の子を蹴りつけようとしていたガキ大将みたいな男の子が、歪んだ笑みを浮かべてこちらを見た。

 その手には、子供には不釣り合いな大型ナイフ。その刃には、血が付いている。こちらに向けられた瞬間、目の前が赤黒く歪んだ。


「……その子を、傷つけたの」


「だからなんだってんよババア。おまえも殺され、てッ」


 気づけば身体は動いていた。バレーボールのスパイクみたいに思い切り振りかぶって、全身の力で平手打ちをくらわす。そのまま振り抜くと頭がぐりんと半回転し、悪ガキのボスは吹っ飛んで壁に叩きつけられる。

 白目を剥いたまま棒立ちになった後、ぐらりと揺らいで倒れ込んだ。


「あ、ああぁッ!」「逃げろ!」


 逃げ出そうとした手下の子供たちが振り返ると、路地裏の入り口には聖獣姿になったコハクの巨体が立ちふさがっていた。


「「「ひいいッ⁉」」」


 前にいるわたしと、後ろにいるコハクと。交互に見ながら逃げ道を探すけれども。自分から選んだ細く狭く薄暗い路地裏に、そんなものはどこにもない。


「……ねえ、知らなかった?」


 低い声で言うと、子供たちは一斉に身を強張らせてこちらを見た。


「獣人を傷つければ、聖獣様が黙ってないって」


「せ」「せいじゅ、て」「なんで、こんなとこに」

「そんなの、ホントにいるなんて、知らな……」


「ガアァッ!」


「「「ひゃあぁッ!」」」


 コハクが低く短い咆哮を上げると、子供たちは揃って腰を抜かす。何人かは失禁しているようだけど、まだ許してやる気はない。


「アンタたちはこれまで、どれだけの亜人を痛めつけた? 5人? 10人? それとも、もっとたくさん?」


 わたしとコハクが睨みつけると、子供たちはアワアワと首を振りながら涙目で許しを乞う。


「覚えておいて。アンタたちが誰かを痛めつけるなら。同じ数だけ、アンタたちや、アンタたちの大事なひとたちがひどい目に遭うことになる」


「う、ウソだ!」


 抗議の声を上げたのは、意外にも一番小さく幼い顔の子供だった。よだれと涙と鼻水と、上からも下からも漏らしながら震える足で立ち震える手でわたしを指さす。


「エルテガの父親は、シリル・ド・メルバだ! メルバ《この街》の領主様だぞ!」


 指していたのは、わたしではなく転がっていたガキ大将か。エルテガ、メルバ領主の子。それは覚えておこう。ぜったいに。


「それで?」


「領主様は、伯爵だ! カネだって、兵隊だって、なんだって持ってる! だから、お前たちなんかに負けるもんか!」


 なるほど。この子自身とはなんの関係もないことばかりだけど、言いたいことはわかった。そこで訊きたいのは、もうひとつ。


「獣人の子を痛めつけたのも、その領主に言われて? それとも、エルテガが勝手にやっただけ?」


「領主様は、メルバに亜人は必要ないって、ずっと言ってる!」


 わかった。よく、わかった。


 コハクは聖獣姿のまま、子供たちの横を通り過ぎてこちらに歩いてくる。行ってもいいと身振りで示すと、泣きベソの子供たちは一目散に逃げ出した。

 “領主の息子”をどうしたものかと振り返ると、血の跡を点々と残しながらどこかに逃げていた。


「にゃ」


 うずくまったまま動かない羊獣人の子に、コハクが静かに声を掛ける。ボロボロの服をめくりあげて、刺された傷を確認。背中にはモコモコの毛でも隠せない古傷がいくつもあって、固まった血がひどいことになっていた。そのなかのひとつ、いま斬られた傷からはまだ血が流れている。

 コハクが前足で押さえると、ほのかな光を放つ。聖獣様の治癒魔法なのか、光が消えたときには傷がキレイに治っていた。


「大丈夫? まだ痛い?」


「……」


 まだ殴られるとでも思っているのか、同じ姿勢のまま黙って首を振る。


「わたしはカロリー、こっちは相棒のコハク。あなたの名前を教えてくれる?」


 しばらく沈黙が続いた後で、羊獣人の子は警戒しながらも顔を上げた。


「メル」


「そう、メル。あなたは、どこに住んでるの? 家族はいる?」


 答えはない。警戒しているのか、話したくないのか、その両方か。

 それもそうだ。どうやって生き延びてきたのかわからないけど、過酷な暮らしだっただろうとは想像がつく。たまたま助けはしたけれども、見知らぬ相手に自分の家を知られたいはずがない。


「メルバの少し南に孤児院があるんだけど、知ってる?」


 小さなうなずき。自分たちは孤児院のシスター・ミアや子供たちと知り合いで、お世話になっているのだと説明する。ちょっと前までは食うに困ってたけど、いまは食料事情も改善して食べるものには事欠かないと付け加えた。

 まだ事実は半分だけ。でもわたしがそれを真実にするつもりだ。絶対に。


「わたしたちと、いっしょに来ない?」


 メルは無言で無反応のまま、わたしを見る。そのまま待っていると黙って立ち上がり、ついて来いと言うように路地裏を出て歩き始めた。

 振り返りもせず、どんどん西側に進んでいく。商店の並んだ中心部を外れ、民家の多いにぎやかな区画を過ぎると、通りからはひとの姿が減っていく。

 西側の城壁が間近に迫る頃には、荒れ地が点在するだけで建物さえまばらになっていた。


「……にゃ」


 変な臭いがする、とコハクが小さく鼻を鳴らす。わたしは感じないけど、なんの臭いなんだろ。首を傾げているわたしに、メルが平坦な声で教えてくれた。


「……領主の手下が、クスリまいた。獣人が、イヤがる臭い」


 最低だな。そんなに出て行かせたいのか。だったら、そうしてやる。この子たちを、ぜったい幸せにしてやる。


 メルに連れてこられた先は、メルバの西の端。目に入るものはみんなくたびれているけど、いわゆるスラム街といった雰囲気じゃない。廃墟のような建物がいくつかあるだけで、ひと気のない場所だ。


「ここ」


 メルが指したのは、このあたりでもひときわ狭く古く薄汚れた平屋の建物だった。

 わたしたちを気にせず屋内に入っていき、部屋の隅に置かれた丸太を伝って器用に屋根裏へと潜り込む。

 どうやら上は狭そうだ。わたしと顔を見合わせると、コハクは聖獣から仔猫の姿に戻った。

 メルの後に続いて上がると、屋根裏にはなんとか住めるよう梁の上に板が渡されていた。壁板の隙間から差し込む光で、少しだけ明るい。


「……にぃ、ちゃ」


 そうなるんだよね、やっぱり。

 後に続いたわたしたちは、屋根裏の隅につくられた巣みたいな寝床を見る。そこに丸まっている、痩せこけた小さな毛糸玉みたいな羊獣人の子を。


「だれ?」


 その子は気配だけでわたしたちの存在を察する。まさか目が見えないのかと胸が痛くなる。


「あまいの、もってた……おとな」


 メルが言うのを聞いて気づいた。寝床の横に、アイスの空容器があった。自分が食べるためじゃなかったのね。わたしが知り合うのは、こんな子ばかりだ。


「ねえ、わたしカロリーっていうの。隣にいるのは、聖獣のコハク。あなたの名前を教えてくれる?」


「……エイル」


「そう。初めましてエイルちゃん」


 近づいてよく見ると、目やにでふさがっているだけだ。ミネラルウォーターで濡らしたハンカチで拭いてあげると、シバシバした後で目が開いた。

 エイルちゃんの目が動いて、仔猫姿のコハクを見ると微笑を浮かべた。良かった、見えてる。


「……かわいい」


「ねえ、エイルちゃん。わたしとコハクは、あなたと友達になりたいの」


「いいよ」


 隣でメルが少しだけ表情を緩める。そして、小さな声でわたしにささやいた。


「……ごめん」


 もしかして、アイスを奪ったことかな。そんなの、どうでもいいのに。

 食べられるものを出してあげたいけど、いまストレージに入ってるのはサンプル用の商材だけだ。フードトラックを出せないのが面倒だな。

 いや、ここなら人目もないか。


「ちょっと待っててくれる? なにか食べるものを持ってくるから」


「え?」


「あなたたち、なにが食べたい? なんでもいいよ、ぜったい持ってくるから」


「……みるくと、……しろい、ぱん」


 こんな小さな女の子の一番の望みがそれかと、思わず涙ぐみそうになる。コハクには護衛代わりに残ってもらって、屋根裏から降りると建物の陰でフードトラックを出した。車体が建物から完全にハミ出てるが、いまはどうでもいい。

 車内の冷蔵庫から“スーパーマーケット”に接続。手当たり次第に超高速で食材を選び出し、購入するとストレージに入れた。

 車を消してメルたちの家に戻る。周囲を見渡す限り、誰にも見られてないはず。


「お待たせ!」


「え?」


 こんなに早いとは思わなかったんだろう。メルとエイルちゃんが目を丸くしてわたしを見た。メルが少しだけ失望したような顔になったのは、わたしが手になにも持っていなかったからだろう。


「まずミルクね。カップはこれを使って」


 弱ってるお腹に冷たいミルクは良くないかと思って、冷蔵品ではなく常温保存可能なものにしておいた。急いでたから、食器は適当にひっつかんだ紙皿と紙コップだ。

 そこで思い出して、屋台で食べ切れなかった串焼きと、焼き芋味の野菜串も出す。


「パンは、丸いのと、平べったいのを買ったの。こっちの串焼き肉を挟んで食べてもいいし、この甘いのをつけて食べても美味しいよ」


 わたしが取り出した食品を前に、兄妹はポカーンと口を開けて固まっている。

 丸いパンには串焼きを挟み、食パンはピーナッツバター(PB)ジェリー()にした。食パンの片方に甘くないアメリカのピーナッツバターを塗って、もう片方に甘いゼリー状ジャム(ジェリー)を塗って、ふたつを合わせる。アメリカ人が大好きなお弁当の定番だ。


「さあ、どうぞ」


「たべて、いいの?」


「もちろん。コハクも食べるでしょ?」


「にゃ♪」


 大きな魚を食べた後だから、お腹はそれほど空いてないはずだけど、メルとエイルちゃんが手に取りやすいように気遣ってくれてる風だ。

 小さなエイルちゃんはPB&Jサンドウィッチを両手で持って、ちみちみと食べ始める。メルは両手にひとつずつパンを持ったが、食べようとしない。なぜかは、なんとなくわかった。妹がもっと食べたいと思ったときのために、確保しておきたいんだ。目の前の食糧が、いつなくなっても困らないために。


 ……ホントにもう、こういうの大嫌い。小さい子が飢えてるのとか、虐げられているのとか、見てるだけでムカムカする。

 その怒りが表に出ないように笑みを浮かべながら、山盛りのサンドウィッチを皿に盛ってメルの前に差し出した。


「あなたも食べてね。全部食べてもいいし、足りなかったら、もっと出すから。ね?」


 紙コップにミルクを注いで、メルとエイルちゃんの前に置く。とっさにつかんだミルクは3.8リットル(ガロン)ボトルだったから、ちょっとやそっとでなくなりはしないとわかってくれるだろう。

 そもそも、わたしたち全員でも飲み切れる気がしない。


「おいし」


 小さな声でつぶやきながら、エイルちゃんはサンドウィッチをちみちみと食べ進める。兄妹とも涙ぐんでいるのを見て、やるせない気持ちになった。


「無理強いする気はないけど……なにも、こんな街で暮らさなくてもいいと思うよ」


 わたしの言葉に、メルは無言だった。

 なにもこの街だけがおかしいだなんて言う気はない。元いた世界にだって、仔猫を嬲り殺しにするような奴もいる。どこにだって、最低な奴らはいるんだ。

 それでも、いまのわたしには亜人排斥を進めようとするメルバ領主が、完全に敵として認識されていた。

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猫の餌やりの理屈はわかるけど、でも無辜の子供がお腹空かせて泣いてるよりも悪いことがあるのかって、ね。
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