08. 実験:デート①
「今回は街中でデートを実行したいと思う」
十三回目の実験となる今日、レイビス様は瞬間移動魔法で邸宅に到着するなり、第一声にこう告げた。
手や頬への触れ合いは一通り検証をやり尽くしたため、次の段階に入るという。
わたしへそう説明するやいなや、レイビス様は「じゃあ行くぞ」とサッサと玄関へ向かい出そうとする。
寝耳に水の話に焦ったのはわたしだ。
外へ出掛ける心づもりではなかったため、準備がまったく出来ていない。
「あ、あの! ……外へ出掛ける前にほんの少しだけお時間頂けますか?」
「なにかあるのか?」
「その、外出するなら身支度を整えたくて。それほど時間はかかりませんから……ダメですか?」
衆目を集めるに違いないこの輝く美貌を持つ男性の隣を歩くならば、無駄な努力だとしても最低限身なりには気を配っておきたい。
そうわたしの乙女心が訴えかけていた。
「身支度、か。分かった。では私は応接間で待っておく。……女性は色々大変なのだな」
無事許可をもぎ取ったわたしは、急いで寝室へ駆け込み、衣装棚から外出用のワンピースをいくつか取り出した。
寝台の上に並べ、どれが良いかと頭を悩ませる。
……レイビス様と一緒に出掛けるのだから、彼の色彩を纏う方がいいかな?
脳裏には、今しがた目にしたばかりの艶めく銀髪と怜悧なエメラルドの瞳が鮮明に浮かぶ。
自然とそれに近しい色合いである、深緑色の刺繍が入った銀白色のワンピースをわたしは手に取っていた。
……って、これじゃあ本当の恋人みたいじゃない……! わたしみたいなただの平民がレイビス様の色を纏うなんて不敬だわ!
慌ててその選択肢を外す。
『デート』と言われて、無意識に舞い上がってしまっていたのかもしれない。
結局、フリルの付いた白いシャツとシンプルな紺色ワンピースの組み合わせに決めた。
急いで着替えを済ませ、髪を櫛でとかし、わたしはレイビス様の待つ場所へ向かう。
「お、お待たせしました……!」
声を掛けた瞬間、なんとなく妙に気恥ずかしくて、思わず声が上擦ってしまった。
「服を着替えたのか。……ティナの髪色が映える服装だな。似合っている」
……えっ? 今、なんて……⁉︎
わたしを一瞥したレイビス様は、思いもよらない一言をサラリと口にした。
褒められた、と脳が認識するまでにしばしの時間を要してしまうほど予想外すぎる言葉だった。
しかも表情はいつもの無表情のままであるから、余計に混乱させられる。
……レ、レイビス様がわたしの装いを褒めてくれた? いつも研究に関することしか口にしないあのレイビス様が……?
人に褒められるとやっぱり素直に嬉しい。それが雲の上のような存在の素敵な男性であれば尚更だ。
先程の一言による喜びがじわじわと心に広がるにつれ、なんだか頬が熱くなってきた。
「ではそろそろ行くか。中心街までは瞬間移動魔法で飛ぶ。私の手を握っていてくれ」
そう言って血管の浮いた骨ばった大きな手を差し出されたが、これまでの実験で何度となく触れて大分慣れてきたはずなのに、今日はいつにも増して胸がドキドキしてしまった。
レイビス様はしっかりと手が繋がれたことを視認すると、耳に心地良い声で呪文を唱える。
思わずうっとり聞き惚れそうになっていたら、目の前の景色がゆらりと歪み、次の瞬間には市場のすぐ近くに降り立っていた。
……初めて瞬間移動魔法を経験したけれど、本当にすごい。一瞬だわ……!
国内でも片手で数えられるほどしか使い手がいないと言われている魔法である。そもそも経験者などほぼいないだろう。
つまり非常に貴重な体験をさせてもらったわけだが、それをもたらした当の本人は、日常的に自分が使っているからか、ごく普通の出来事として捉えているようだ。
改めてレイビス様が天才と呼ばれるエリート魔法師である事実を身に沁みて感じる。
……そんな方の隣に並び立って街歩きをするなんて恐れ多いわ。
尊敬の念から少し距離を取ろうと、一歩下がりながらわたしは手を離そうとした。
ところが、その動きを阻止するかのようにグイッと手を引かれ、逆に距離が近くなってしまう。
「なぜ離れようとするんだ? これまでの実験で距離感が近い方が効果がありそうだという見解が出ているだろう?」
不可解そうに一瞬眉を寄せたレイビス様は、あろうことか繋いだ手をそのままに市場の方へ歩き始めた。
……えっ、もしかしてこの手繋ぎ状態で街歩きをするの⁉︎
てっきり手に触れるのは瞬間移動魔法の時だけだと思っていた。
これではまるっきり恋人同士のデートみたいだ。
……でもそうよね。これは実験だもの。恋人同士がする行為を試す必要があるものね……!
軽く深呼吸をして、無駄に胸の鼓動が速くなるのをなんとか抑え込み、わたしはレイビス様の隣を歩く。
方向的に向かっているのは川沿いに位置するあのテント式市場のようだ。レイビス様の足取りには迷いがない。この辺りの地理も把握しているのだろう。
さすがフィアストン領を治める領主様のご子息だ。
……でも、それにしてはなんだかおかしいわね……?
そこでわたしは辺りを見渡してふとある異常に気づく。
街行く人々がレイビス様に目を向けていないのだ。
レイビス様は色んな意味で目立つ。その容姿であったり、立場であったり、周囲の目を引く要素しかないと言えるだろう。
それなのにすれ違っても誰も気に留めていない状況に違和感しかない。
「……あの、もしかして今なにか魔法を使っていたりしますか?」
「よくわかったな。認識阻害魔法だ。ティナ以外の者からは私の顔が識別できないようにしている」
どうりで誰の視線も感じないわけだ。
それにしても瞬間移動魔法に続き、またしても高難度の魔法をサラリと告げられて驚く。
レイビス様はまるで息をするかのように、様々な魔法を使いこなしていて、本当にすごい才能だと尊敬の念を抱いた。
……もしかしてわたしと街歩きをするのを人に見られたくなかったのかな? 恋人だと誤解されたら困るものね……。
自由自在に難度の高い魔法を使えるとはいえ、今わざわざ使用する理由に思い当たり、なぜか心が暗く沈む。
さっきからわたしの心は上がったり、下がったり、非常に慌ただしいのは気のせいだろうか。
そんな疑問に内心首を傾げていると、レイビス様はこちらから尋ねるまでもなく魔法を使用している理由について語り出した。
「ちなみに認識阻害魔法を使ってるのは余計な邪魔をされないためだ。デートを通してティナと心の触れ合いを成し遂げる必要があるからな」
「こ、心の触れ合い、ですか……?」
どうやら今回の実験の主目的がこれのようだ。
今までの実験の方向性から大きく舵を切ったように思う。
「友人曰く、身体的な接触だけでなく、心の触れ合いも恋人同士には重要な要素らしい。これまでの検証と違って観察しにくいため、なにか反応を感じ取ったら申し出てほしい」
「はい、わかりました」
了承の返答をしつつも、心の触れ合いという抽象的な言葉にわたしはいまいちピンと来ていなかった。
だが、後に振り返った時、この実験がいかに危険なものであったかをわたしは知ることになる。
◇◇◇
「久しぶりに来たが、さすがに市場は活気があるな。他国の商人らしき者もいるようだ」
「わたしはフィアストン領に住まわせて頂くようになってから何度か来ましたが、いつも盛況ですよ。さすが国内有数の交易都市だなと感じます」
店を見て回る人々の熱気と騒めき、客引きをする店主の声、辺りに鳴り響く楽しげな音楽、食欲を刺激する香ばしい匂い――今日も今日とて、市場は活気に満ち溢れている。
そんな市場をレイビス様とわたしは手を繋いで歩きながら、所狭しと並んでいるテント式屋台を見て回っていた。
レイビス様は領地の視察も兼ねているのか、真剣な眼差しで人々の状況を見ている。
その姿は、実験の際にどんな小さな反応も見逃すまいとじっとわたしを観察する時の様子とそっくりだった。
その真面目で熱心な姿が、今この場においては少しばかり浮いていて、なんだか妙に可愛く感じてしまう。
レイビス様に対して可愛いなんて失礼極まりない感想なのだが、無意識にわたしはふふっと小さく笑みを零していた。
「おっ、この前のお姉さんじゃないか! 今日は恋人と一緒かい? 随分とご機嫌だねぇ! また一本食べてかないかい?」
ちょうどその時、以前来た時に美味しく戴いた串焼きのお店の前を通りかかった。
わたしに気がついた店主がこの前と同じように陽気な声で話し掛けてくる。
ただ、その言葉の中に聞き逃せない一言が含まれており、途端にわたしは恥ずかしさで頬を赤く染めた。
……こ、恋人!
確かに恋人同士のように過ごしているわけだが、どうやら第三者からもそう見えるらしいと分かると、どうしようもなく面映ゆい。
なんとなくレイビス様の反応が気になって横目でそろりと様子を窺う。
レイビス様の整った顔は変わらず無表情で、目立った反応は浮かんでいない。だが、どことなく嬉しそうにわたしの耳元で囁いた。
「私達はちゃんと恋人同士に見えるようだな。これまで積み重ねた実験の成果に違いない。……ところで彼はやけにティナに親しげだが、知り合いなのか?」
「い、いえ! 以前市場に来た時にこちらで串焼きを購入して美味しく食べさせて頂いただけです……!」
話し掛けられた際に耳にレイビス様の息がかかり、くすぐったさと恥じらいで声が裏返りそうになるのをグッと耐えた。
今日はいつもの実験と違い不意打ちが多いから、とても心臓に悪い。
「そうか、それなら私も一本頂いてみるとしよう。同じ体験をすることは心の触れ合いの一歩だと言うからな。ティナも食べるか?」
「あ、はい!」
「では店主、二本頼む」
「はいよっ!」
お会計はレイビス様が持ってくれ、私たちは出来立ての串焼きを手に近くのベンチまで移動した。
隣に並んで腰掛け、香ばしい匂いが漂う串焼きにかぶりつく。やはり癖になる美味しさだ。豊かな旨味が口の中一杯に広がる。
「……思っていた以上に美味しいな」
高位貴族であるレイビス様は日頃から豪華な食事を食べているはずだから口に合うか少々心配だったが、どうやら満足してくれたようだ。
「よかったです。レイビス様のお口にも合って」
「ティナは良い店を見抜く目利きだな。よくこういった屋台で食事をするのか?」
「いえ、ごく最近になってからです。教会にいた頃はなかなか外を自由に出歩く時間はなかったですから」
「出歩く時間がないほど治癒活動を?」
「そうですね。怪我や病気で苦しまれている方はたくさんいらっしゃいますから、わたしのチカラが役に立つのならと許す限り対応していました」
こんなふうに何気ない会話をレイビス様とするのは初めてではないだろうか。
隣同士に座り、一緒に同じものを食べながらだったおかげか、わたしはいつになく自然体でレイビス様と言葉を交わすことができていた。
「そういえば、君が治癒魔法を突然使えなくなったのはどんな状況だったんだ?」
「ある日なんの前触れもなく、でした。いつも通り治癒をしようと患部に手をかざしたのですが、発動しなくて……という感じです」
「今回の研究は治癒魔法を再び取り戻すことだったため、これまで使えなくなった謎にはあえて踏み込んでこなかった。だが、そちらも研究しがいがありそうだな。ちなみに、なにか変わった出来事などはなかったか?」
「変わった出来事、ですか?」
「治癒魔法が使えなくなる前に、ティナ自身や周囲の誰かがなにかいつもと違う行動をしなかったかということだ」
そう問われ、数ヶ月前の自分や周囲の人々を回想する。
……あの頃はいつもと同じように各地の教会を回って平民の患者さんを治癒していたわ。特に変わったこともなかったし……あ、でも、そういえば……?
ふとある一つの出来事が脳裏をよぎった。
今まで特になにも思っていなかったが、改めて思い返せばあの人のあの行動には違和感があったように思う。
「その顔は、なにか思い当たったのか?」
「……少し違和感があったというだけなので、変に疑いたくはないのですが」
「むやみに騒ぎ立てないと約束する。だから話してくれないか?」
レイビス様の声音は真に迫るもので、とてもではないが無視はできず、わたしは素直に思い出したことを伝えた。
「なるほど……参考になった。ところで食べ終わったことでもあるしそろそろ行くか?」
「あ、はい!」
わたしの話を噛み締めたレイビス様は、一瞬目を伏せ、なにかを思案しているようだった。
その後、切り替えるようにその場に立ち上がり、わたしへ手を差し出す。
食事の間離れていた手は再び繋ぎ直された。
「では、デートを続行する」
次の行き先をすでに決めているらしいレイビス様に手を引かれ、わたしも歩き始める。
デートという名の実験はまだ終わらない。




