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04. 実験:見つめ合い

「ではさっそく仮説を検証するために実験を始める」


 実験場として与えられた、フィアストン領にある邸宅。


 その居間で、魔法師団長様はなんの感情も表さない端正な顔で、淡々とそうわたしに告げた。


 実験といえば、この前言われたアレのことだろう。


 ……恋人同士がする行為を一つずつ試して治癒魔法の反応を確認する、っていうやつよね?


 そう、先日聞かされたとんでもない内容の実験だ。


 あの後、サラリとそれを告げるとそのまま魔法師団長様は帰ってしまったので、色々な疑問を聞きそびれていた。


 今日も彼は邸宅にやって来るなり、わたしの困惑をよそに当たり前のように実験を押し進めようとしている。


 堪らずわたしは質問を挟み込んだ。


「あの、もう少し詳しくその仮説を聞かせて頂けないでしょうか……?」


「仮説を?」


「はい。先日は古い文献でご覧になったとおっしゃっていましたが、どのような内容なのか詳細を知りたいです……!」


「そうだな。仮説を理解しておくことは重要だ。まあ、いいだろう」


 魔法師団長様は軽く頷くと、懐から一冊の本を取り出した。


 色褪せ、所々破れているその本は、一目見ただけで年季が入った古い文献だと分かる。


「私は古書を集めることを好んでいるのだが、先日これを入手した。非常に古い、誰が描いたのかも分からない御伽話(おとぎばなし)だ」


「御伽話、ですか?」


「そうだ。その中の一節に人を癒す不思議なチカラを持つ女が出てくる。ここのページを見てみろ」


 そう言われて開かれたページを覗き込むが、どうやら古語で書かれているようで、わたしには文字が古すぎて読むことはできない。


 ただ文字に添えられた小さな絵には、女性が描かれているのが分かった。


「文献内でこの女は聖女とは呼ばれていない。だが、様々な描写からおそらく治癒魔法の使い手だろうと推測できる。そして物語の中で女はそのチカラを一度なくすのだ」


「チカラをなくす……」


「ああ。原因は描かれていない。それでその後、女は山中で人と関わらずにひっそりと暮らすのだが、ある日遭難した男を助け、その男と恋に落ちる。するとまたチカラが手に戻ったのだ。つまり恋仲の者がするような何かが作用したのではないかと仮説が立つ」


「でも、これは御伽話。創作のお話ですよね……?」


「それはその通りだ。正式な研究文献でもない。だから信憑性もない。だが、真実というのは往々にしてこういった一見何の関係もなさそうな御伽話に紛れ込んでいたりするものだ。特にこの話に登場する女は、明確に描かれていないが察するに平民だ。つまり……」


「わたしの状況と似ている、ということですね。よく分かりました」


 ここまでの説明で、魔法師団長様が持つ仮説の背景はよく分かった。


 だからあんな突拍子もない実験をするということだろう。


「では、仮説に理解を得られたのならさっそく実験に取り掛かる」


「お待ちください。もう一つ質問があります」


「……まだあるのか?」


 わたしの呼び掛けに魔法師団長様は一瞬ひどく面倒くさそうな顔をした。


 だが、無視はしないでくれるようで、視線で先を促す。


「実際には恋仲ではない魔法師団長様とわたしが、恋人同士がするような行為をしたところで意味はあるのでしょうか……?」


 そう、これだ。


 仮説は理解したものの、どうしても引っかかる。真似事に過ぎない行為で意味があるのか、わたしは思い切って疑問を口にした。


 実験の根本を揺るがす発言だったが、魔法師団長様はといえば動揺する様子もなく涼しい顔だ。


 そしてアッサリとこう言う。


「恋人とそうでない相手の違いというのは、結局のところ恋人間で行う行為の有無だけだろう? そもそも多くの場合、恋人など政略で縁付いた相手というだけだ。つまり行為そのものが治癒魔法に作用すると私は考える」


 確かに貴族はもちろんのこと、一部を除き平民の多くも家同士の利害関係で婚姻は決まる。婚約が成立してから恋人として仲を深めるのだ。


 だから魔法師団長様は、実態はどうあれ、恋人間でする行為に重点を置いているらしい。


 ……でも行為ってどこまでのこと……?


「ああ、心配するな。閨事はしない。観察のため段階を踏んで進めていくが、まあ、せいぜい最大で口づけくらいまでだろう」


 わたしの心の内を読み取ったように補足された言葉だったが、その発言にわたしは頬を盛大に引くつかせる。


 ……え、口づけはする可能性があるってこと⁉︎ わたしとこの魔法師団長様が……⁉︎


 目の前にいるこの無表情な美貌の男性とそんな行為をする姿が想像できない。


「じ、実験のためとはいえ、魔法師団長様は……その、よろしいのですか……?」


「別に構わない。それで仮説立証ができるなら意義がある。なんだったら私は実験のためであるならば閨事もやぶさかではないくらいだ。まあ、公爵家の人間として下手に子ができてしまうと困るから控えるが」 


「そ、そうですか」


 魔法師団長様はどうやら研究とあらば手段を選ばない人のようだ。


 とことん仮説を追求しそうな勢いを感じ、これからどんな実験が待ち受けているのかわたしはにわかに心配になってくる。


「ああ、それから、私のことは名前で呼ぶように。その方が恋人らしいだろう? 私もお前をティナと呼ぶ」


 わたしがこれから先に不安を抱いていると、思い出したように魔法師団長様からの指示が飛んできた。


 ふいに名前を呼ばれてドキリとする。


 どうやらさっそく実験の初期段階に突入したようだ。


「ええっと、お名前ですね。分かりました……フィアストン公爵子息様」


「それは家名だ。名前で呼べと言っただろう? レイビスだ」


「……レ、レイビス様」


 高貴な方を名前で呼ばせて頂くなんてとても恐れ多くて、わずかに声が震える。


 名前を呼ぶだけでこのぎこちなさなのに、これからの実験を思うと先が思いやられた。


「もう質問はないな? では今日の実験に取り掛かるとしよう」


 そう宣言したレイビス様は、まずはわたしにソファーへ座るように促す。


 何が始まるのか予想がつかずビクビクしながら、わたしは指示通りに腰掛けた。


 すると、レイビス様はこちらへ近づいてきて、わたしのすぐ隣に腰を下ろす。その反動でギシリとソファーが軋んだ。


 ……隣に座るの⁉︎ 向かい合わせと違って距離が近い……っ!


 確かにこれは普通の男女の距離感ではない。

 恋人同士の座り方だ。


 触れてはいないが、少し身じろぎすれば触れてしまいそうな距離に緊張が走る。


 目のやりどころに困り、わたしは隣ではなく真正面を向いて視線を彷徨わせた。


「ティナ、こちらを向け。私の方を見ろ」


「は、はい……」


 明確な指示を出されたため、逆らえずにわたしは少し体を横に向けて隣に座るレイビス様にゆっくりと視線を移す。


 その瞬間、精巧な作りをした美貌が視界に飛び込んでくる。


 理知的なエメラルドの瞳がじっとわたしを見据えていて、わたしの体は金縛りにあったかのように固まってしまった。


 ……ううっ、めちゃくちゃ見られてる。


 レイビス様は無言でただただわたしを見つめてくる。


「視線を逸らすな。私の目を見ろ」


 まっすぐに瞳を見つめ返せなくて、体はレイビス様に向けているものの視線を遠くに送っていたら指摘が入ってしまった。


 これは実験なのだから、被験体であるわたしは指示に従わなければいけない。


 太ももの上に置いた手をギュッと握りしめると、わたしは意を決して、エメラルドの双眼を見つめ返した。


 そして瞳と瞳が合い、わたし達は見つめ合う形となる。


 ……宝石みたいな綺麗な瞳。吸い込まれそう。


 公爵子息であり、エリート魔法師として名高いレイビス様とこの距離で見つめ合っているなんてとても不思議な気分だ。


 現実の出来事とは思えなくて、今わたしは夢でも見ているのではないかという気がしてくる。


 それはレイビス様の容姿が現実離れして精巧に整いすぎているからかもしれない。


「治癒魔法は確か手から発されるのだったな。どうだ、何か変化はないか?」


 でもこれは夢ではなく実験だという事実は、レイビス様がふいに発した言葉で思い出さされた。


 レイビス様はわたしから目を一時も離さずに、形の良い唇だけを動かして問うてくる。


「いえ、特には」


「そうか。……近さが足りないのか?」


 わたしの返答に自分の思考に耽るよう一瞬目を伏せたレイビス様だったが、何かを小さく呟くと、何を思ったのか次の瞬間にはさらに距離を詰めてきた。


 先程よりも近くにあの端正な顔がわたしの目の前に迫る。


「………ッ」


 驚きで思わず声が出てしまいそうになり、わたしは必死に声を押し殺した。


 だが、レイビス様はそれを反応と思ってしまったらしい。


「ん? 距離が近くなると表情に少し反応が見られるな」


 ……いえ、それはただ単にあまりの距離の近さにビックリしただけです……!


 思わず心の内だけで反論する。


 細かな反応まで見逃さないと言わんばかりにマジマジと観察するように見つめられ、とても恥ずかしい。


 身体がかあっと燃えるように熱くなってくる。


「今度は頬に赤みがさしてきたな。どうだ、治癒魔法に変化は?」


「あ、ありません……っ!」


 ……恥ずかしすぎる! もう無理……っ!


 ついに耐えきれなくなったわたしは、レイビス様の視線から逃れるように目を逸らして顔を伏せた。


 時間にして数分のことであったと思うが、治癒魔法を一日中使っていた時以上の疲労具合だ。


 わたしは今まで経験したことがない体のぐったり感に包まれていた。


「なぜ視線を逸らす?」


「な、慣れないことでもう限界でして……」


「ちょうど反応が見られてきた矢先だったからもう少し続けたいところだが。まあ、いい。今日は初回だからな」


「それでその、今回の実験は一体……?」


「恋人といえば、身体的に近い距離感で見つめ合っているだろう? 今日はそれを試してみた。治癒魔法に変化はなかったが、初回にしては良い反応も見られたと言えるだろう。いい滑り出しだ。やはり距離感は重要なようだな」


 レイビス様は自分の頭の中を整理するように、やや左上に視線を向けながらわたしに考察をつらつらと述べていく。


 そして「次回は身体的接触も試してみるか」とポロリと漏らした。


 ……し、身体的な接触⁉︎ 今日の見つめ合うという実験ですらこの状態なのに。わたし、耐えられるかな……?


 実際にこの特殊な実験の初回を経て、わたしはますますこれからの先行きが不安になった。


 でももう謝礼も頂いているし、なによりこれは治癒魔法を再び取り戻すための実験だ。


 突然失われた治癒魔法が再び使えるようになれば、怪我や病気で苦しむ多くの人々を癒し救うことができる。


 「ありがとう」と笑顔を向けてくれた人々を思い出すとまた力になりたいという気持ちが溢れてくる。


 ……少しでも可能性があるのなら試さない手はないものね。


 なにしろ他でもない王国内随一の天才エリート魔法師様が掲げる仮説なのだ。


 全く手立てがない今、この実験は唯一の希望だった。


 こうして、一回目の実験を終え不安と疲労を抱えつつも、わたしはこの実験を継続する覚悟を決めたのだった。


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