02. 魔法師団長様からのオファー
ウィットモア王国王都から遠く離れた最北の地・フィアストン領。
王都は最南部にあるため、ちょうど真反対に位置している場所である。
海や森に囲まれるウィットモア王国の中で唯一他国と接している国境の地で、商業と貿易が盛んな王国内有数の交易都市だ。様々な人や物が入り乱れ、非常に活気がある。
川沿いにズラリと建ち並ぶテント式の市場は、安くて珍しいものが手に入ると有名だった。
そんな賑やかな中心街から少し離れたところにあるこじんまりとした宿屋の一室で、数日前にフィアストン領に到着したわたしはテーブルの上に並べたものを前にして大きくため息を吐いていた。
……当たり前のことではあるけれど、日に日にお金が減っていくわ。一番安い宿屋を利用していても、このままだと一ヶ月もしないうちに支払いが厳しくなりそうね……。
麻袋の中に入った銀貨は非常に心許ない。
追放にあたり教会側からお金は貰えず、今あるのは日頃こっそり貯めていた貯蓄だけだ。
聖女として教会に保護されていた時は、衣食住を提供されていたものの、治癒活動に対しての給金はなかった。
治癒した人々が任意でくださる謝礼金のみだ。
貴族の場合は見栄もあって気前良く献金してくれるようだが、平民はそうではない。
豪商を除けばほとんどの平民には生活にさほどの余裕がなく、お金の代わりに農作物などを献上してくれることが多かった。
つまり主に平民を担当していたわたしには、お金を得る機会というのが極端に少なかったのだ。
たまに頂く謝礼金をコツコツ貯めたのが、今わたしが手にしている全財産だった。
……お金が尽きてしまう前にお金を稼がなきゃ。でもわたしにできる仕事があるかな? この十年、魔法での治癒しかしてこなかったもの。
王国の好景気を受け、フィアストン領も活気に満ちているため、おそらく仕事自体はあるだろう。
ただ、ここ数日街を見て回って感じたのは、即戦力を求めて経験者を優遇するような求人が多そうだという現実だ。
聖女としての経験は、街で普通の仕事を探す上では特殊すぎるのだ。
悩ましき問題に一人頭を捻っていると、ふいに部屋の扉をノックする音と共に「お客様、いらっしゃいますかー⁉︎」と呼びかけるやや切羽詰まった声が耳に飛び込んできた。
どうやら宿屋のご主人がわたしに何か用事があるらしい。
わたしは部屋の入り口まで赴くと、ドアを開けて外の様子を窺う。
「はい。どうかしましたか?」
「あ、良かった……! いらっしゃったんですね! 実はお客様への面会を求めている方がお見えになっているんです!」
「わたしへの面会、ですか……?」
宿屋のご主人からの意外な言伝にわたしは思わず首を傾げた。
まったく心当たりがないからだ。
そもそもわたしがここの宿屋にいることは誰も知らないはずである。なのに、なぜ面会を求める人がいるのか実に不可解だった。
すると、そんなわたしの様子を見て、宿屋のご主人が声をひそめて囁いた。
「……相手は見るからに貴族様でしたよ! 心当たりがなくても断らない方がいいですって……!」
こんなこじんまりした安い宿屋に貴族が訪れるなんて機会はまずない。
だからこそ宿屋のご主人も相当緊張しているようだ。
顔色に余裕がなく、なんでもいいから早くわたしへ取り次ぎしてしまいたいという思いが透けて見えた。
怪しいことこの上ない面会希望だったため断ってしまいたい気もしたが、そうなると宿屋のご主人がその貴族に断りを入れる対応をする羽目になるのだろう。
それがあまりにも気の毒に感じてしまい、わたしは結局その人に会う決断をした。
たまたま空室だったこの宿屋の中で一番良い部屋でとりあえず待ってもらっているとのことで、わたしは宿屋のご主人に連れられてそこへ向かう。
案内された部屋へ入ると、中には一人の男性が長い脚を組んでソファーに座って待っていた。
その男性を一目見た瞬間、わたしは驚きで目を見張る。
あまりにも目を引く美形だったからだ。
怖いくらいに端正な顔立ち、怜悧なエメラルドグリーンの瞳、額を見せたスタイルの髪はきらりと艶めく銀色だ。
整いすぎている上に、無表情だからか、彫刻のように冷たい印象を与える人である。
そして容姿以外にもう一つ、わたしの目を釘付けにした点があった。
男性が身に纏っている黒いローブだ。
見覚えのあるそれは、おそらく宮廷魔法師団のものだ。
ミラベル様が聖女に就任する以前、わたしが貴族を相手に治癒していた頃に見たことがある。
……宿屋のご主人が言っていた通りね。確かにこの方は貴族だわ。
服装でそう思ったわけだが、それだけではなく佇まいからも、男性が高貴な身分であることは明らかだった。
だが、見覚えがあるのはローブそのものだけで、この男性とは初めて会うはずだ。
これほど目を引く容姿端麗な男性であれば、さすがのわたしも覚えていると思う。
「お前がティナか?」
「……どちら様でしょうか?」
男性はわたしを訪ねてきたはずなのに、わたしにわたしがティナであるかどうかを問うてきた。
やはり初対面であるのは間違いないようだ。
「私はレイビス・フィアストンだ。宮廷魔法師団で団長を務めている」
「…………もしかしてここフィアストン領を治める公爵家のご子息様、ですか?」
「そうだ。普段、私は王都にいるけどな」
男性はこともなげにサラリと述べたが、わたしは相手が誰かを知り目を見開いた。
相手が思った以上に大物だったからだ。
……宮廷魔法師団の団長といえば、稀代の天才だと名高いエリートだわ。しかもわたしでも知っている、あのフィアストン公爵家の嫡男……!
フィットモア王国には王家の次に力を持つ二大公爵家が存在する。
それが『フィアストン公爵家』と『ラシュート公爵家』だ。
この二大公爵家が、王国内でも特に重要な土地である『王都』と『国境領』を守護している。これは平民にも広く知られている一般常識だ。
フィアストン公爵家は隣国に睨みを効かせつつ王国の玄関口である国境の地を守り、ラシュート公爵家は宰相を務めるなど内政面から王家を支え、王都を守っていると言われている。
……そんなフィアストン公爵家のエリート魔法師団長様がなんでわたしを訪ねて来たの?
あまりにも予想外の事態に、わたしは目を瞬かせた。
「とりあえず、お前も座ったらどうだ?」
「えっ? あ、はい。それではお言葉に甘えて失礼いたします……」
表情の乏しい澄ました顔で魔法師団長様にそう促され、わたしは慌てて、テーブルを挟んだ反対側のソファーに腰掛けた。
とはいえ、真正面から向かい合うのは恐れ多すぎる。
かなり端の方にちょこんと小さく身を縮めて座り、魔法師団長様の言葉を待ち構えた。
「確認だが、お前が元聖女か?」
「はい。そうです」
「ある日突然治癒魔法のチカラがなくなったと聞いたが事実か?」
「……はい。その通りです」
どうやら魔法師団長様は『聖女』に用事があるらしい。
チカラがなくなったため、治癒を頼まれても何もできないことを申し訳なく思い少し声が小さくなってしまった。
たが、魔法師団長様の次の言葉は全く私の予期しないものだった。
「それは実に都合がいい」
そう言って彼はごくわずかに声に喜色を滲ませたのだ。
……えっ? 治癒魔法を使えなくなったことが都合がいい? どういうこと……?
チカラを失って以降、こんな反応をされたのは初めてだ。
希少な奇跡のチカラが使えなくなったことを嘆くのではなく喜ぶだなんて。普通では考えられない。
わたしが呆気に取られていると、魔法師団長様はその端正かつ無表情な顔をわたしに向けて次なる言葉を繰り出した。
「私は魔法の研究をしている。これは職務であり趣味でもある。魔法は謎に溢れているため奥深く興味が尽きないからな。目の前に未知があれば研究したくなるだろう?」
そう語る彼の口調は、淡々としたものながら、先程までより明らかに饒舌だ。研究への溢れんばかりの熱意が伝わってくる気がする。
きっと公私問わず熱心に魔法を研究しているに違いない。だからこそ、天才と言われているのではないだろうか。
若くして宮廷魔法師団のトップの座に就いているから、てっきり公爵家の威光だと思っていたが、そうではないのかもしれない。
「実は最近の私の興味は治癒魔法なんだ。ぜひ希少な治癒魔法を研究したいと思っている。特に失われたというのは前例のない貴重なサンプルだ。私が行う実験の被検体になって欲しい」
「実験の被検体、ですか……?」
なるほど、だからわたしを訪ねてきたのかと納得した。それに先程の「都合がいい」という発言にも合点がいく。
……でも被検体なんて経験したことないし、なんだかちょっと怖いな。どうしよう……?
訪問目的と打診内容は理解したものの、よく知りもしない人の実験に付き合うのは躊躇してしまう。わたしは答えに窮して口ごもった。
だが、そんなわたしの戸惑いは彼の次の言葉によって一瞬で吹き飛んだ
「もちろん謝礼は支払う」
……謝礼!!!
なんと被験体を引き受ければお金を頂けるという。治癒魔法を使えなくなったわたしなんて役立たずなのに。
ふいに先程部屋で眺めていた麻袋が脳裏をよぎる。
貯蓄が日に日に心許なくなっている中、今まさにお金を稼ぐためになんとかしなければと思い悩んでいたところだ。
相手が貴族様だという点は気掛かりではあるが、なりふり構っている場合ではないだろう。
「……分かりました! わたしでお役に立つのでしたら、魔法師団長様のされる研究において、実験の被検体をお引き受けいたします」
「交渉成立だな。ではお前にはこの領地内で私が住居を用意する。そこに住まいを移してくれ」
「住む所をご用意してくださるんですか⁉︎」
「実験場所としても使用するからな。研究に関わるものは私が負担するのが妥当だ」
なんと思いがけず住む場所まで手に入ってしまった。
このままだとこの宿屋を利用し続けるのも厳しいと思っていた手前、正直とてもありがたい。
だが、そこでわたしははたと気づく。
「あの、この領地でとおっしゃいましたが、魔法師団長様は普段は王都にいらっしゃるのですよね? 実験は年に数回ということでしょうか?」
「いや、最低週に一回だ」
「えっ? でも王都からここまで馬車で七日はかかりますが……?」
「問題ない。私は瞬時移動魔法が使えるからすぐに行き来できる」
なんてことないようにサラリと言われたが、瞬時移動魔法といえば、かなり難易度の高い魔法のはずだ。膨大な魔力と技術が必要になると聞いたことがある。
……さ、さすがエリート魔法師様!
わたしは驚きと畏敬の念に打たれた。
「では私はさっそく住居を用立ててくる。決まったら使いをやるから移動してくれ。実験は来週からだ」
魔法師団長様の有能さに面食らっていると、当の本人はそれを鼻にかけることもなく、話を淡々と先に進めていく。
事務連絡のごとく告げられた今後の予定について、わたしは承諾の意を示すため首を縦に振った。
だが、またしてもそこでふと疑問が頭に浮かぶ。
「……あ、あの。具体的に実験って何をするのでしょうか? 事前に準備することやわたしが気をつける事項はありませんか?」
そう、実験の詳細も、なんだったら研究内容も具体的にはまだ何も聞いていなかったのだ。
わたしからの問い掛けを受け、魔法師団長様も「ああ」とすっかり忘れていたと言わんばかりの声を漏らす。
「私が研究したいのは、治癒魔法が使えなくなった現象と再び力を取り戻すための方法だ。実は非常に古い文献に同様の事例についての記述を見つけた」
「えっ? 本当ですか⁉︎」
「まあ、信憑性のない文献だがな。でも私は可能性はあると思っている」
……まさか治癒魔法のチカラを取り戻せる可能性があるなんて! 治癒を待ち望んでいる人々を助けられるかもしれない……!
わたしは自分でも驚くほど心に希望が広がっていくのを感じた。同時にそわそわしてきて、どうにも気がはやる。
しかし、彼の言葉はこれで終わりではなかった。
続く説明はとんでもない内容で、わたしは思わず耳を疑うことになる。
「その文献によると、チカラを失った者に恋人ができた後、治癒魔法のチカラが回復したそうだ。何が作用したのか実験で解明したいと考えている」
「? えっと、それはつまり……?」
「私と恋人同士がするような行為を一つずつ試してみて、治癒魔法の反応があるかを確認する実験ということだ」
「え…………………」
涼しい顔つきの魔法師団長様から飛び出した信じられない言葉に、わたしは目を見張り絶句した。
どんなに予期せぬ実験内容だとしても、もう交渉は成立してしまっている。
承諾する前に内容を聞いておけばと後悔しても時すでに遅し。
今さら無理だとは言える雰囲気ではなく、もはや引き返すのは完全に不可能になっていたのだった。




